95. 座礁 4
95. Death Stranding 4
計画としては、北海に至るまでの道のりを、俺たちは二手に分かれて合流する手筈となっていた。
当然のことだ、脚を使って稼ぐしか能のない俺とTeusの組と、その必要がないFreyaでは旅程が異なる。
彼女たちは、俺が此処まで辿り着くまで、Vesuvaで狼たちと共に過ごしていれば良いのだ。
夫の合図により、その女神は大狼が数日を要して駆けてきた距離を、一瞬で超えてくる。
地を這う俺の苦労なんて、これっぽっちのことでしかないのか。
そう嘆かずにはいられなかったが、きっとその力を有する者にしか分からぬ苦悩もあるのだろう。
隣で少し緊張した表情を見せる神様を横目に、そんなことを考える
「それじゃあ…呼ぶね。」
「ああ。」
そうは言っても、これは彼の召喚によるものではなかった。
合図というのも、二人の間でしか通じ合えぬようなそれだ。彼には、それを送っている自覚があるのかも怪しいと思っている。
仰々しい円環も描かず、宙に手を差し伸べる仰々しい仕草も伴わない。
ただいつものように、一度瞬きを挟んだ世界は、そう見えずとも変わるのだ。
「来たか…。」
“只今まいりましたーっ!!”
その吠え声も、少し聞かぬだけで、新鮮な印象を受ける。
恐らく、初めてお前と出会った時のことを、思い出しているのだろう。
久々の再開に歓喜の声を上げ、初めからそこに居たとして姿を現す。
彼女はいつだって、そうして俺との邂逅の場を設けてきた。
“Fenrirさん、お元気でしたかー?”
“うむ…まあ、ぼちぼちと言ったところだ。”
Freyaを大きな背中に乗せ、首を傾げて尾をゆさゆさと振っているのは、Skaが自分を利口だと分かっている証拠だ。
“…お前、そうして空間を飛んでも何ともないのか?”
“はい、全然平気ですよ。Teus様と一緒に遠くへ冒険した時も、何ともなかったです。”
“そうか…”
純粋に、一介の狼に連続的な召喚を強いることの負担を懸念していたのだが。本当に何ともないと言うのか?
俺ですら、初めてTeusに洞穴からVesuvaへと飛ばされたときは、言い知れぬ浮遊感と吐き気に気おされ、酷く呼吸を荒げたというのに。
もしかすると、そういう体質があるのかも知れないな。
世界を超えることに、身体が選ばれている。
流石はあの大狼の血を引いた子孫、と言ったところか。
「二人ともようこそ!遥々遠くから、わざわざ来てくれてありがとうね!」
俺たちも、同じところからやって来ているんだがな。
しかし、滞りなくことが進んで良かった。
「もうFreyaは降ろして良いよ。重かったでしょ…」
それって、失言じゃないか?どうせ彼女は何も言わないのだろうが。
“あっ!Teus様!!ちゃんと僕は言いつけ通り、Freyaさんをお守りして…!”
「ん…どしたのSka…?」
“うわ゛っ!?なっ、なんですか此処!?”
俺たちの背後で揺らめく眩い景色を目にした彼は、白目が見えるほどに眼を見開き身体をビクリと震わせると、ぴたりと動きを止めてしまったのだ。
自慢気に掲げられていた尻尾がゆっくりと萎れていく。
“ああ、お前も海は、初めてか。”
“Fenrirさん…これは…?”
“あまりに水を貯めすぎて、端まで泳ぐことが叶わぬ大河のようなものだ。”
“ひええ、ヴァン川よりも大きいだなんて…。”
Freyaは夫にお嬢様抱っこされ、自由になったSkaは毛皮をぶるぶると震わせる。
“ふう…実は、ちょっと重かったです。”
“全く、扱き使われたものだよな、お互いに。”
初めて訪れた俺と全く同じ反応を示すので面白い。
彼は砂浜の匂いをくんくんと嗅いでは、見慣れぬ土地への戸惑いを隠せない。
“Teus様は、この景色が見たくて…その ’海’ という場所へ?”
“そんなところだ。”
夕焼けで赤く塗られた海原は、些か不気味に見えるかも知れないが、明日になればきっと、主人が気に入っている理由が少しは分かることだろう。
“不思議な世界、ですね…”
“無理に好きになろうとせずとも良い。俺だって実のところ、海岸で過ごすのはそこまで居心地が良くない。”
“…うーん。ちょっと、走りづらいですしね。この地面。”
分かってくれるか。意思に反して、沈み込むから厄介なのだ。
“それ故、こんな僻地を駆ける獲物もおらぬという訳だ。暫くはあいつが食い物を用意してくれることだろう。のんびり過ごすと良い。”
“わかりました。海にも食べられそうな獲物はいないんですね、Fenrirさん。
“ああ、沖まで泳ぐのもやめておくんだ。”
飲み込みが早くて助かるぞ。俺と同じ失敗はするな。
“あ、食べ物で思い出しましたけど、Teus様が下さったお菓子の家は、我々スタッフがおいしくいただきましたよ。”
“そうか。惜しいことをした…”
司祭なんてものはない。
しかし、愛を誓い合うのには相応しい場所であるように思えたのだ。
遠くから眺める二人のシルエットは、沈みゆく陽で赤黒く染められ、まるで物語の一風景のようで永久に焼き付く。
決して、それを侵せはしないのに。
思わず黙り込んでしまうほどに、美しかった。
来賓は、狼二匹のみ。それが残念でならない。
一族の王であるのだ、せめて、彼についていくと決めた群れ仲間たちにだけでも、見せてやりたかったぞ。
その煌びやかな外套も、妃が控えめに身に着けたドレスも。
披露せぬのは実に惜しかった。
「…良いものだな。」
気がつけば、そう呟いていたのだ。
そのように思わされたことなど、ただ一度として無かったのに。
俺は二人を羨み、そして祝ったのだ。
どうか幸せであってくれ、と。
「Freyaとの新居は…海岸に建てることにしたんだ。」
「どうしてまた、こんなにも辺鄙な土地を選ぶ?」
以前、Fenrirにこの海へ連れて行って貰った時に話したことを覚えてるかい?
最期に旅をしたミッドガルドの世界は、漁港の近くだった。
そこに住む人たちが本当に好きで。
せめて異世界では暖かいところで暮らしていたいと思っていたのに。雪国の人々は、余所者さえも温めてくれる優しさをくれた。
Fenrirにもそんな愛情を伝えられたなら、それはあの人たちのお陰だと思ってる。
ずっとその寂れた市場で、しがない商人を営んでいたかったなあ。
「そして…最期には、そこでFreyaと…人間のように暮らしたかった。」
……そうか。
良いな。どれほど幸せか、想像もつかぬ。
「……。」
「けどもう叶わない。俺の夢は。」
そう、だろうか?
「だからこれは…そんな夢の続き。」
……。
いつかは、醒めると?
「そう…だと思ってる。」
何故だ?
「……。」
Teus?
「Fenrirと、同じ理由さ。」
……。
「一匹に…成り果てたい、と?」
「……。」
「Freyaは………。」
「いや、何でもない。」
「今のは、忘れて。」
「許されるなら、俺はずっと、彼女といたいから。」
彼は波に掻き消されそうなほどの声で、そう呟いた。
口にするつもりがあったのかも、今や定かではない。