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95. 座礁

95. Death Stranding


“いやだぁーっ!!いやぁっ、いやあ゛ぁぁぁっーー――!”

耳を(つんざ)くような悲鳴が、周囲に響き渡る。

心地よいぞ、もっと聞かせろ。


“お願いっ…お願いだからぁ…それだけは…それだけはやめてぇぇぇっ!!”

命乞いか、それも良い。

きっとお前は、慈悲のない主によって、断罪されるであろうぞ。

だからそれまで、嘆くがよい。


見るに堪えぬ醜態を、晒し哭け。

この悲劇は、今や俺のためだけに与えられたのだ。



“Teus様ぁああああああああっっっー――――――――!!!!!”



「やーっと捕まえたよ、もうっ!…そのまま離さないでね、Fenrir。」

「クックック…だそうだ、Ska。覚悟は良いな?」

巨大な肉球に押さえつけられ、哀れな狼は成す術がない。

顔をぐいと近づけ、ニタリと愉悦の笑みを浮かべる。


「…(はみ)(がき)の時間だ。」


“うわーん!助けてぇぇぇっー―――!!”







「すぐ終わるんだから、そんなに嫌がらなくても良いのに…。」

真っ赤に泣き腫らした瞳は、主人の裏切りへの怒りと恥辱で震えていた。

“Teus様のばかぁっ!!僕もう…お腹なでなでさせてあげませんっ…!”

“うむ。そう伝えておこう。”

“ああっ…待って…待ってください!やっぱりなし…”



「ほーら!ご褒美は何が良いんだ?じっとしてくれてありがとう!好きなだけなでなでしてやるぞっ!」

“わーいっ!!”


……。


避けられぬことだ、そう彼は弁明する。

このままでは、虫歯になってしまうと。


そう、Skaは甘いものを食べ過ぎたのだ。


“だってぇ…ぜーんぶ美味しいんですもん…”


気持ちは痛いほどにわかる。

Teusは俺に殆ど無期限と言ってよいほどの閲覧時間を与えた。

アースガルズは、それを咎めるどころではないそうだ。皆が悲しみに暮れ、喪に服している。

だから今の内だというのだ。


追放された身ではあるものの、機に乗じて良いものか。

俺はそう逡巡することさえしないままに、不眠で流れゆく文字に身を委ねた。


白銀の世界に貴方といられるのならば、他になにも必要はない。

そう思えても、やはりこの時間が心の奥底でちょっぴり恋しかったのだ。


俺が身体を丸めて、その隙間に彼を埋め込んでやっても、至高の読書の間だけは、余計なことを考えずに済む。

ずっとそうしていても許される、冬の長夜が少し楽しみであったから。


それを実現させられなかったのが惜しい。

きっと次の冬には、寒さも忘れる巣籠をしようではないか。


とにかくTeusは、俺が貪り続けるだけの環境を用意することに執着した。

視界の端で主張の激しかったお菓子の山は、彼が俺のために用意した甘い差し入れだった。

これが、すべての元凶だ。


山のようと言ったが、そのように形容するのが良いと思ってそう述べているのではない。

本当に(うずたか)く積まれているのなら、それを崩さぬように選びとる楽しみがあって良かっただろうが。

こいつは、いらぬ趣きを加えてしまったのだ。


「何が ‘お菓子の家’ だ…。」

甘い香りを放つ外壁、巧みに材質が表現された家具、飴細工の照明…。

食べても、食べても、文字通り消えなくて、俺は結局丸3日も狩りに出掛けていない。


流石に血肉の味が恋しくなってくるか。そんな見立ては甘かった。


食べ続けるのが全く辛くない、というのは今思えば異常だったように思える。

何か劇物でも練り込んでいるに違いない、そう疑いたくなる中毒性があったから。


流石にこれでは…丸々と肥え太る。

しかし、時間は僅かであっても惜しい。次にこれだけの物語を大量に飲み込めるのはいつになるだろうか。

だめだ、やめられない、とまらない…。



己の危険を察した俺は、ちょうど良いところに助っ人…いや狼を見出したのだ。



初めは、本当に美味しいからこいつにも味合わせてやりたいだけだった。

しかし、一口のお零れに預かったこの狼は、次第に群れを引き連れ、執拗に俺とお菓子の家の周りを彷徨くようになり。

しまいには、まるでハイエナか子豚を狙う悪狼のように四六時中じっと獲物を眺めるようになってしまったのだ。



当然、山分けしない理由がないし、俺は独り占めしようとも思わなかった。

屋根板のウエハースが、少し惜しいぐらいで。



そして1週間後、ようやく俺を閉じ込めることができそうだった一軒家も、残すはSkaの頭の高さほどの壁のみとなった頃。



我々の悪事は、遂に明るみに出てしまう。。



“全く。どーしてお肉をいくら食べても怒られないのに、お菓子はダメなんですか…!”

Skaは両前足をばんざいして膨らんだお腹を主人に向って晒しながら、そんな不満を零す。

「悪かったね。まさかお菓子ばっかり平気で食べ続けるとは思わなかったから…」

どうやらこの甘い汁を放置し続けると、そいつが俺たちの牙を次第に蝕んでしまうのだそうだ。

普段の骨齧りや草木を噛みちぎる過程なんかで、自然とそうした汚れは落されるそうなのだが…


「この狼は、それを怠り過ぎたという訳だな…。」


情けないにもほどがある。何たる(てい)(たらく)だ。

期間限定の食べ放題にかまけ、甘いもので脳を蕩けさせ、野生を忘却へと追いやるだなんて。

主人の施しならば、何でも享受してよいという訳ではないのだぞ。



深いため息をついていると、Teusは珍しくきつい目をして俺を睨みつけた。


「言っておくけど、Fenrirも同罪だよっ!?今回は見逃してあげるけど、これ以上食べ続けたら、同じ目に遭うんだからね!?」

「なっ…なにぃ…!?」


「今度からは、限度をわきまえて。暫くは甘いものは控えるんだ。」

お菓子の家は、もう没収だ。残りは群れの皆に上げてしまおう。


「く、くそっ…。」

それは想定外だ。

読書に集中してばかりだったから、残りは味わって食べようと思っていたのに…。

やむを得ない。こいつを口の中に招き入れ、中でもぞもぞとされては堪らないからな…。




しかしこれでは、俺の誕生日というのは、どうなってしまうのだろうか。

下手すれば、本当に死んでしまいそうだ。




また苦しい、苦しいと泣きながら、ご馳走を頬張っている自分を、彼はにこにこしながら見守ってくれるのかな。




しかも今度は、お前だけではないだなんて。




そんな記念日、永遠に訪れることなく、待ち続けるだけで良い。




「春…か…。」




俺は未だに、この季節が嫌いだ。


また、何かが込みあげてきそうで、それが勿体なくて。

じっとその景色を、息を(とど)めて焼き付ける。






「何ぼうっとしてるのさ、Fenrir!!もう貸出しは良いのかい?」

次に図書館使えるのは、北海長旅を終えて、こっちに戻ってきてからになる。

それまで退屈しないよう、上限いっぱいまで借りておくんだろ?




「あ、ああ…そうだったな。」




「すぐ終わる。」




これが終わったら、少し眠り。

俺たちは、(みょう)(にち)に発つ。


きっと、丁度良い運動になるだろう。





Teusが焦がれたあの海岸を、再び訪れるためだ。




あの景色は、最愛の人にこそ、相応しいであろう。


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