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94. 発現する浅瀬 2

94. Risen Shallows 2  


Teusが選りすぐってきたお土産というのは、どれも好奇心に満ちた狼には抗いがたいものばかりだった。


貢物のチョイスからして、こいつは未だにSkaを含むヴァナヘイムの狼たちを、巨大なヤマイヌか何かのように扱っている節がある。せめて狼の延長であれと願っても、俺から未だに何も学んでなどいなかったのだ。


はっきり言ってしまうと、もし彼がこんな骨の玩具だけを積み込んで来ていたなら、それは期待外れと言わざるを得なかった。

俺が獲物の骨を食後にいとも容易く噛み砕いてしまうのは、何も怪物的に強靭な顎だからこそなせる業、という訳ではない。

実は狼たちは、たとえ子供でなくとも遊び半分で牡鹿の丈夫な骨を奥歯にあてがい、熱心に齧りとることに没頭する。邪魔をされると鼻先に皺を寄せることもあるぐらい、それは熱心に。

座って背骨を両前足に挟み、格闘する様子が可愛いなどとは言っていられない。

俺が大樹の幹を相手にするのと同じぐらいのスケールで、彼らは造作もなくこれをやってのけているのだから。


つまり、一見噛み応えのありそうなこいつらは、Teusの想像を超え、恐るべき消費スピードで底をつく。

まだ群れと同じ頭数の獲物を用意してやったほうが持つだろう。

彼らがバリボリと骨を砕き、平然と舌で鼻を舐める様を目の当たりにしたときの、あいつの顔が見ものだな。


「Fenrirでも満足できそうなホネホネは、申し訳ないんだけれど見つからなくて。ごめんだけどそれは、またの機会に。」

「なんだホネホネって…俺はイヌではないと何度言ったら分かるのだ。」



しかしやはりと言うべきか、その点はぬかりがなかった。きっとアースガルズでは、そのことしか考えていなかったのだろう。ちゃんと彼らを退屈させない別の品々を用意していたのだ。



「おい、Teus。あまり、そういうペット向けのものを与えるとだな…」

「えー。でも、気に入ってるみたいだよ?」

「そのようだが、しかし…」


一匹が潜り込むのにちょうど良い木小屋、取り合いになること間違いなしの人ダメソファ。

絶対にとって来いと言って投げそうなボールと、何やら知育めいた仕掛けで閉じられた宝箱。


しまいには、丸太を組み合わせて作られた狼たち用の高台に、幹をくり抜いて藁を敷き詰めた巣穴まで仕入れて来ていると分かり、俺は心底あきれ返ってしまったのだ。



いくら何でも、与え過ぎだ。

俺たち狼のことを、なんだと思っている。


「甘やかそうというつもりは、別にないんだけどね。」

たまのご褒美に、これぐらいしてやらないとっていう気持ちは、もちろんある。

買い出しの時間があるのは、アースガルズに滞在している間ぐらいだから。

まあ実際、散財したほうだとは思う。滅多にない機会だから、つい。


けれどやっぱり一番の理由は、俺がこの仔たちの居場所を奪ってしまったという罪悪感が強いからかな。


俺はね、長老様の代わりを務めると言ったけれど、狼たちがVesuvaに住み着くことを強要するつもりはなかった。

もし彼らが、そうせざるを得ないと判断したのだったら…それはSkaが自分に仕え、Freyaに寄り添い続けることを選んだからだ。群れの長が巣穴を捨ててしまったのだから、移住を余儀なくされてしまった訳だ。


だからせめて、俺は同じぐらい満ち足りた住環境を用意したいと考えている。

ヴァナヘイムの北端で、あの方のお目に触れる範囲に営みの一端を晒したようにね。


残念ながら、西岸は彼らがいつでも逃げ込める神聖な森へと面していない。

住処となるのも、嘗てのヴァナヘイムを飾った一角に並ぶ廃屋ばかり。

どこからどう見ても、此処は彼らが暮らすべき世界じゃない。


巣穴になりそうな丸太のトンネルや、周囲を見渡すのにちょうど良い高台は、少しでも狼たちに居心地が良いようにと思って用意してきた。

誤解しないでほしい。俺の監視が届く区画で飼い慣らそうというつもりは、これっぽっちもない。

ただ、心をほんの少しだけでも開いて、Vesuvaを訪れることを選んでくれているのなら。


居心地が良いなと思えるように、持て成したい気持ちでいっぱいなんだ。



「…そうか。」

お前がそう考えているのなら、もう何も言うまい。

済まない、余計なことを口出した。


お前たちの縄張りのことだ、俺は対岸でそれを見守り、黙っていよう。




「でもFenrir…君は別だ。」


…?

どういう、意味だ。

「Fenrirは、特別だって言ってるんだよ。」


「そうだろうな。俺はそもそも、正式なこの群れの一員ではない。こいつらと違って、Vesuvaを住処とすることも…」

「違う違う!そういうんじゃないって!」

「ではどういうつもりで…」



「だーかーらー…」

Teusは幼子に言って聞かせるように、一言一言に力を込めてこう言った。


「俺は! Fenrirのことを甘やかしたくて! 溜まらないの!!」


「なっ…!?」

ちょっとでも羨望の眼差しをすればこれだ。


俺は、他の誰よりも早く、お前との邂逅を喜びたかった。

だって、お前は必ずアースガルズから帰投するときは、ヴァナヘイムではなく、真っ先に俺が潜む洞穴へと足を運んでくれていたではないか。

そんな風に聞こえてしまっても、無理はなかったのだ。

しまったと嘆いても、もう遅い。



「どうして俺のお土産はーとか言ってくれないのさ!?まあFenrirらしいと言えば、Fenrirらしいけども…」

「さ、催促などするものかっ!馬鹿も休み休み言え…」



想像するだけで、恐ろしい。

彼が群れのためだけに、これだけの用意をしてきたのだ。

それが俺となると、どんなことを企み、平然と大それた行動に移したことか…。



「まず、定期サービスのほうだけれど…」

「あ、ああ…恩に着る…」

その砕けた言い回しが気に食わなかったが、図書の貸し出しのことだ。

足場の雪原が不安定過ぎる関係で冬期間は生憎、神立図書館の召喚が難しかった。

四半年ほどの貸出延長を行っていたのだが、ようやく平常運転が可能になったわけだ。


「それがなんとですね、本店がこちらに移動となりました。」

「ふむ…まるで図書館の本来あるべき場所が動いたような物言いだな。」



流石Fenrir、理解が早くて助かるよ。彼は感覚の狂った金持ちのように、そう憎たらしく微笑む。

「そ、寄贈されたの。結婚祝いだって。」

「……。」

こいつはやはり大馬鹿ものだ。

人間の言葉も碌に話せないらしい。

或いは、面白い冗談も言えなくなるぐらい、彼は疲れているのだと嘆いてやろうか。


「どれくらいだ、まさか全部じゃないだろう。」

「ほぼ全部だね。覚えてるか分からないけれど、禁書と呼ばれるものが地下に蔵書としてある。それは渡せないんだって。」

「まあ、念のためにってことか…。」

どういう意味?そう尋ねる彼の表情には、己が外交の玩具にされていることに一片の自覚も見て取れなかった。



「その結婚祝いというのは、Freyaの住まうヴァナヘイムに向けて贈られたもので間違いないな?」

「うん、形式上はそうなってる。」

「それで、この土地でルーン文字を読める神様は何人いるのだ?」

「あっ…。」


おいおい…俺は溜息を吐きそうになるのを既のところで堪え、これは単なる嫌がらせであるのだぞと遠回しに伝えてやった。

「お前がアース神族の中でも重要な位に座しているからこそだ。異神族間に友好の印が交換されるのは、とても素晴らしいことだが…」


「彼らにとっては、無用の長物ではないか…?」

「そっ…か…」



「ま、でも別にいいや。Fenrirが読めれば、それで良いもんね。」

この話を上から持ち掛けられたときも、Fenrirに横流しすることしか考えてなかったもん。

「良い訳があるかっ!!今すぐ返してこい!」

「えー、なんでだよ…」

恐らくそれは、アースガルズにあるオリジナルの神立図書館ではない。複写本ばかりで、資産的価値は情報以外にほぼ無いのだろうが、ここでは品揃えの質が問題なのではない。

「それが ‘トロイの木馬’ でないと、一体どうして証明できる。」

「えっ?何それ。どういうこと…?」


幾ら何でも、その承諾は軽率だと言わざるを得ない。鼻が利かずとも、怪しさ満点ではないか。

「万が一その図書館に罠が仕掛けられていて、それをお前が何も知らずに持ち込むようなことになったらどうする?あいつが一枚噛んでいる可能性だって、ゼロではないのだぞ。」

個人的な争いに周囲を巻き込みたくないからこそ、お前はヴァナヘイムの眷属に加わったことを忘れたか?

邪推は良くないのかも知れぬ。しかし一歩間違えれば、全面戦争だ。

お前はいよいよ、この群れの居場所を奪った謀反者として追われる身となる。違うか?

「……。」


少し、言い過ぎたか。Teusは明らかに肩を落として項垂れていた。

しかし、厳しい態度で取り扱わねばならぬ問題だと思う。わかってくれ。



「…わかった。この図書館は、何の問題もなく寄贈されたことにするよ。」

「そうだ、それが一番よ…い…」


…?


‘この’ 図書館…?



「はーあ。結局あの図書館こっちに持ってくるのかあ、手間だよなあ…」

「お、おい。まさか……。」



「そりゃ、持ってきてるよ。実際もう、ポケットの中にあるような感覚だからね。」

…これは、素直に感謝しかない。

実際、目の目にぶら下げられたご褒美を自ら断るような口惜しさを覚えてはいたのだから。

それなら何の問題もない、と言うのは流石に配慮に欠けるが、Teusはちゃんと俺を喜ばせることに抜かりがなかったのだ。


「…手間だと零したばかりのように聞こえたが?」

「ほら、今までは洞穴の裏手に出してたから。此処に呼び出すのがちょっと大変なだけ。」

「そ、そうか…それなら、また今度で良い。お前が訪ねてきたときにでも…。」



……。

背後に、嫌な気配がする。



まるで、悪夢に現れる化け物のような理不尽さだ。


「…俺の話を聞いていたか?」

「いやー、ごめんごめん。俺も少しだけ、神様としての力が発現したみたいでさ。」

まだまだ捨てたもんじゃないね。長老様のお陰かな。


「あんな仰々しい円環描かなくても、これぐらいなら行けるようになっちゃった。」

「…なんと偉大なる神であらせられることか。」

棒読みで褒めちぎるので、精一杯だ。

俺は時折、お前が怖い。



「…まあ、相変わらず自分の転送はできないままだけどね。」


「嫌いなものは、嫌いなままだ。」




その表情も。

お前がきっと最後に見せる、泣き顔も。

怖くて、たまらない。



「ねえ、Fenrir。やっぱ読書にはお菓子じゃない?

館内は、飲食禁止だけど、外で読めば良いだろ。折角の日和なんだから。

イヌが食べられるケーキとか、いっぱい持ってきたんだ!

皆と一緒に食べるといいよ。きっとあの肉料理みたいに気に入ってくれると思うんだ。

ああ、ケーキと言っても、これは誕生日プレゼントとは別だから。

覚悟しといてよ、Fenrir。一か月後には、こんなものじゃ済まされないからね…!!」





彼の悲しみに引き込まれ、俺は思わず、口にする。




「安心しろ。何処へでも、俺が連れて行ってやる。」


「俺がお前と、その(つがい)の脚となってやるから。」




用意ができたなら、その笛で俺を、呼びつけるがよい。

それまで俺は、狼であうることを止めて、本の虫とやらに成り果てているよ。




行くのだろう?

Freyaと共に。




「…ありがとう。Fenrir!」





約束は果たされるだろう。



とびきりの贈り物を、こちらこそありがとう。


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