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94. 発現する浅瀬

94. Risen Shallows  


その翌週ぐらいだっただろうか。

満開の並木が眩しい春の盛りも過ぎたころ、我らが長はご無事の帰還を果たされた。


「ただいまー!!みんな元気にしてたー!?」


なんと嘆かわしい。

うるさい人間のいない平穏な日々も、もうお終いという訳だな。


“Teus様ーっ!お帰りなさーい!!”


群れ仲間たちもまた、陽気に()てられ狂った活気を見せる。

Freyaには毎朝狼らしい挨拶をしようと鼻先を近づけては、尾を高々と上げては満足気に去っていくのを俺は目にしてきた。

しかしTeusに向けては、彼らは己が最も可愛い伴侶であることを示そうと全力を尽くす傾向にあるようだ。

言ってしまえば、尾をぶんぶんに振り回して、彼の顔を舐めようと皆が殺到するようになってしまっていた。

「わかった…わかったから…ちょっと待って…!!」

どうしてこうなったのか。それは俺が知恵を持たずとも明らかなことだ。

群れのリーダーが率先してそういうことをするから、皆が真似をするのだ。

揃いもそろって人懐こくなりおって、Ska化現象とでも呼んでやろう。これは一種の感染症だ。


「待って!まじで待って…!重いから!一旦離れて…!」

勇敢なその神は迫りくる狼の群れに、決して顔を背けようとはしない。

だが流石のこいつも、体格に一回りの差がある彼らに対しては、押し倒されないよう仁王立つのがやっとのようだ。

なんとも嬉しそうな敗北の悲鳴は、久しぶりに聞いた気がするな。




「…長旅、ご苦労であった。」

渦中に混ざって羽目を外すのは、遠慮しておくことにしよう。

遠く安全なところから、俺はそう一言だけ労いの言葉をかける。


「うん、ありがとう。Fenrir!」

Teusは後ろ脚立ちで押し寄せる狼を相手取るので手いっぱいかと思われたが、呟くような大きさの声を耳にして、ぱっと顔を輝かせる。

「元気にしてた?何か変わったこととか、無かった?」

心配してたんだよ?急にアースガルズへ行くことになってごめんね?

こっちを離れるまでの時間が足りな過ぎて、君とFreyaに任せきりにしちゃった。


「…何もない。お前が不在の間、Vesuvaは平和だったさ。」

自分に対してのみ浴びせられる、人間のことば。

それが特別で、彼は心から俺を気にかけてくれていた気がしていけない。

少なくとも、俺は彼らに合わせて尻尾を振ってはならなかった。


「…なんの真似だ。」

彼は最後の一匹との抱擁を終えると、俺に向き直って両手を広げる。


その装いは、春らしく変わっていた。

もう這い寄る冷気など襲るるに足らぬと言いたげに薄手だ。

大層お似合いだが、蒼く栄えて王にでもなったつもりか。

ああ、花婿というやつの恰好なのかもな。その手の文化を俺はよく知らぬ。

飾るだけの衣装に羽織られたマントは、実に夜風に棚引くことだろう。


「え?Fenrirもしたいのかなーって…」

「何をだ。」

「何って、とぼけないでよ。ハグだよ、ぎゅーってしたいの。俺が。」

「……絶対にごめんだ。」

とぼけるなとは、こちらの台詞だ。

しかもなんだ、お前がしたいとは。ぽろっと本音が漏れているぞ。

「こいつらの前では、絶対に醜態など晒さぬ。」

「ちぇっ…いいよ、恥ずかしいなら。また二人きりになった時にでも。」

Teusは適当に拗ねたふりをすると、再び狼たちの相手をしてやろうと声を張り上げた。




「ほらっ、皆。お土産持ってきたよー!!」

いつもはそんなことをしないくせに、彼は注目を集めたいがために、仰々しく指をパチンと鳴らしてみせたりなどする。


その前触れに気が付くことができたのは、俺とSkaだけだった。

「ほう、これは……?」

“なんでしょうね。大き過ぎて、良く見えません。”

いつものことだ。身構えること自体に、もう意味がないと分かっているので、それを悠々と見上げるだけ。


それ以外の、しっかりと育まれた本能に従順な狼たちは、対照的な反応を示した。

謎の衝撃を察知するや否や、跳ね上がって一目散に駆け出す。


しかし、家屋の影から再びこちらを伺う彼らの尾から力が抜けるのに、そう時間はかからなかった。

“…これって、危なくないのか?”

“私たち、はじめて見るものですから…”

群れ仲間たちは、実に仲間の様子をよく観察する。Skaの毅然とした態度が、脅威ではないことを伝搬させたのだ。



突如として現れたのは、俺一匹が乗るのがやっとの小舟であるようだ。

そういえば、だいぶ前に紛失してしまい、雪が解けてから不便だと零していたっけ。運良くこの一隻を工面する機会を得たらしい。

それは良かった。確かに俺から此方へ赴くことが増えたとはいえ、お前の移動には不可欠なものだ。



しかし、これがお土産であっては、狼の友の名が廃る。

彼らが頻りに鼻をひくつかせているのは、お目当てのものがその箱舟に山と積まれていると感づいているからに違いない。


“お前が行ってやれ、周りもついていくだろう。”

“え、良いんですか…?”


遠慮することはない。見てみればわかるさ。

“…分かりました。”


彼は皆の注目の元で尻尾を高く保つことを忘れず、跳ね橋に爪の音をカチャカチャと響かせながら、中の様子を一匹で覗き込んだ。


“中は、どうなっているんだろう…”

“パパー、僕たちも入りたいよ~”

“俺たちも、ボスに続いたほうが良いのか…?”

“いけませんよ。戻ってくるまで、待っていなさい。”

“は、はい…”


Yonahの判断は賢明だ。いくら無害と言えど、あまり人間が造ったものに慣れるべきではない。

しかし、その命令はすぐに意味を為さなくなるだろう。


やがて小舟の中から飛び出してきたSkaの口元には、それはそれは魅力的な玩具が咥えられていたのだから。

“ハッハッハッハッ……”

思わず歯の裏が疼く。

そんなもの、俺だって嚙み砕かずにはいられない。


“みんなーっ、見てみてっ!!この…お家の中…すんごいよっ!!”


その瞳は、半狂乱と言ってよいほどに、熱く揺らめいていた。

暫くは、仔狼のように、遊ぶことを止めないのだろう。


それは、群れへと伝搬する。

既に彼らの尾は、あの男に支配されていたのだ。




こいつは狼以上に、狼を喜ばせるあらゆる方法に知悉している。

つくづくそうと思い知らされる。


「Siriusが来る前に、お前が帰って来ていたらなあ……」


そう零さずには、いられない。


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