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92. はるばる 4

92. Beyond the woodland 4


お前と俺は、こうして他愛もない触れ合いが続くことを望んでいそうだ。

どうだ、偶には大きな身体の上に乗っかって、子供のように引っ付き虫にでもなってみぬか?


仔狼が母親にそうするように。なんて言葉を使うと、お前は恥じらいを覚えるかな。

そう思ったが、彼はこの提言をいとも容易く受け入れた。


“ほ、本当に良いのか…?”

“なんで?Fenrirさんが言ったんじゃん!”

“それはそうだが……。”


こんなことをして、良いのだろうか。

純真で無垢な子供の心を弄んでいるかのような背徳感が堪らない。

ずっと続けていたいような、蜜の味だ。

まるでリンゴによる餌付けが、彼の尊敬を集める結果に繋がってしまったような気がしてならない。

その誤解を解くことなく、俺は偽りの信頼関係の上に胡坐を掻いている。

悪と自覚される悪、これはそういうものだ。

この若狼は、誰にその脚を噛み千切られたのかさえ理解していないのではないかとさえ思われたのだ。


そんなことは、きっとあり得ない。

あの時彼の意識は朦朧としていて、自分の後ろ脚に牙を突き立てたその怪物の正体さえも見破れなかったのだとしても。

目を醒ました彼は、どうしてだと尋ねたに違いないのだ。

僕の脚を奪ったのは誰だ、と。


その場に居合わせた神様と父親は、真実を告げてくれている。

そう信じていたのに。

どうして俺は、疑心暗鬼にならなくてはならないのだ。


緩く弧を描いた俺の身体の上は、上手く曲がらない脚を持った狼を俯せにさせるのに、実に都合が良かったようで、彼は忽ちこのベッドを気に入った。

鼓動に合わせて膨らんでは萎む毛皮に心地よく揺られ、天日干しをされたSiriusは、眠りに着くかと思いきや、寧ろお話がしたいと俺に質問攻めを開始した。

“ねえねえ、Fenrirさん。教えてよ…”

赤頭巾との問答を彷彿とさせるその問答は、俺に幾らでも残酷な思想を育ませた。

“ああ、何でも答えてやるぞ。可愛い狼め。”

それも良かろう。折角はるばる、森の奥まで訪ねてきたのだからな。

“ほんとに?えっとねー…”


案の定、彼の興味の対象と言うのは、化けの皮を被った大狼のことではなく、度々英雄として崇められてきた父親の秘密についてだった。


“パパはよく、お外にお出掛けをしていたんですが。Fenrirさんの所に遊びに行っていたんですよね?”

“ああ、そうだぞ。今日のお前のようにな。”

“ほんと?パパと同じ!?”

彼はアウッ、ワゥッと喜びの吠え声を上げて笑う。

自分が、最愛の父になり切っている。その実感が堪らなく嬉しかったようだ。


“ねえねえ、パパはFenrirさんと何して遊んでいたんですか?”

“いや…実はな、遊んでいたのではないのだ。”

群れが住みついている廃墟の辺りに、人間が二人住んでいただろう?

そうだ、よく食べ物をくれるから、知っているな。

実はお前の父親は、その一人から秘密の任務を仰せつかっていたのだ。

“秘密の任務…?”

敢えて子供心を(くすぐ)る響きを選んだのは、仔狼たちに寂しい思いをさせ続けてきたSkaを少しでも弁明してやりたかったからだ。

“そうだぞ。あいつは狼達が安心して暮らせるために働いている。お前の父はその意志を理解し、その手助けをしてやっていたという訳だな…。”

少し声を潜めて、殊更に俺は内緒話を打ち明けていることを強調する。

“何を隠そう、俺も、Skylineという狼に助けられた狼の一匹であるのだ。”

“そうなの!?…Fenrirさんが?”

こんなに、大きくてかっこいいのに。

そう呟いて目を瞬かせるSiriusには、こんな大狼が生きることを難しい思うのが、俄かには信じられなかったようだ。

尤もな話ではある。しかし、それは父の栄誉を貶めるものとはなり得ない。俺の背を叩く尻尾がそれを示していた。


“やっぱりパパは、凄いんだなあ…!”

“ああ…お前の父には、世話になった。”

現在進行形で、と言って良い。返し切れぬ仮があるのだ。



“あいつのように、なりたいと願ったものだ。”

“……。”



お互いが、自分の思う彼の生き様を思い返したせいだろうか。少しの時間を、気まずい沈黙が支配した。



“…僕もです。”

“そうか。”


素晴らしい父だな。

俺には、とても考えられぬことだ。


憎み、忌むべき道化者。

そんな象徴として掲げられ続けてきた、憧れの人。


僕の大好きな父さん。




“…なれるかなあ。”




“…同じに、なりたいか?”




“……。”



どうして、誰もが模倣すべき拠り所を求めるのだろう。

そんなにも己は取るに足らず、空虚であるのか。

こんな苦悩と無縁な存在は。

きっと充足しきった、全能の神様だけだ。




お前が抱えている不安を、覗くのが怖い。

その不安は、お前が引き摺り続ける脚のせいか。

どうしても群れ仲間に引けを取ってしまう絶望から来るものならば。

それは、まだましだとさえ言えた。


誰にも言えないけれど、本当は。

自分は父親とは、違くありたいと奥底では思っているからだとしたら。

彼の一生を狂わせた俺とTeusが引き摺る咎は、それの非にならぬ。


平穏なヴァナヘイムの秩序を破った大狼は、最早狼に仇を為し、同列に並べられるべきではない。


産まれて来るべきでは無かった、怪物。






…今、ここで。

誰も立ち入ろうとしない、この檻の中で。

彼の本当の心の声を聞くことが出来るのは、俺だけなのかもしれない。


もしかすると、彼はそのために、遥々脚を運んだのかとさえ。




父を変えた、貴方が憎い。



そう、告げるために。





待ってくれ。

もう、限界だ。


吐き気が、込み上げて来る。


Sirius。貴方に否定されるのなら、寧ろ私は、まだ貴方に近づけると喜んだかも知れなかった。

しかし、もう、貴方は私の中にはいない。


此処にいるのは、貴方として生き返った才気溢れる狼そのもの。

遂に、貴方は大狼であることさえも止めて、私の到達できない奇跡の域に到達してしまった。


余りにも、その溝は深く暗い。

越えるどころか、近づくことさえできないだなんて。



それでは俺は…耐えきれないのです。




駄目だ。

俺は、心を許したSiriusの告白を聞く耳を持てない。



所詮、上辺が精一杯であった。

俺はただの、父親の友達。

優しい狼の姿をしたお爺さんで良い。



“Siriusよ。…喉が、乾いてはおらぬか?”

すぐそこに、美しく流れる川がある。そこで少しばかり口をゆすぐのは、どうだろう。


“…うん、良いよ。”

“よし…では、降りるが良い。”

狡猾な俺は、その場に垂れこめた暗雲から堪らず逃れようと、尤もらしい提案でその場をやり過ごしてしまったのだった。


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