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92. はるばる 3

92. Beyond the woodland 3


腹をぱんぱんに膨らませて横になるのは、いつだって狼に与えられた至高の特権だ。

“ごちそうさまでした~”

自分の頭ぐらいはある肉塊を吸い込むように平らげると、若き狼は前脚の間に顔を落とし、表情を一段と和らげる。

“おなかいっぱいだあ…”

Siriusの髭には、貪った肉の脂がべっとりとついている。

貪欲で食欲旺盛なのは、実に狼らしくて良いことだ。お前達は喰える時に、喰い尽くしておかねばなるまい。

後で一緒に、川へ洗いに行こうな。

“うん、わかりました!”

俺は、彼の口元を舌で舐めとってやるという大胆な行動に出るほど、上機嫌だった。


どこまで行っても、俺がなりたかった狼とは、あの大狼であったということだ。

今、目の前で幸せな食事の余韻に浸るこの狼とは、紛れも無くあの日の俺が望んだ自分自身。

そいつを愛撫してやりたくて堪らず、毛皮を隈なく舐めたい衝動に駆られるのは、おかしいことだろうか。

きっと、彼だってそうされることを望んでいる。何故なら、お前は大狼に憧れたちっぽけな狼だから。

ああ、俺はどちらに己を重ね合わせても、幸せになることを許されたひと時であったのだ。


“ちょっと、失礼するぞ。”

“ふふっ、くすぐったいや…。”

Skaに時折せがまれた毛繕いが、まさかこんなところで活きて来ようとは。

いとも自然な流れで肩周りの毛皮を整えると、それからさり気なく右後脚の様子を確かめようと注視する。


流木から切り出した狼の脚を、そのまま植え付けたのだとTeusから聞いたときは、それが彼の身体の一部となるに足るとは到底思えなかった。

骨よりも遥かに脆く、そしてしなやかな筋肉を伴わない。四つ足の一つとして支えるのがやっとだ。


もう、走れまい。

心の奥底で悟っては、何度その罪を身体に刻んできたか。

本当に、この日がやって来た。


もう、走れないんだ。

Sirius自身だって、薄々分かっていると、思っていた。

それを受け入れるまで、俺は奪った者、憎まれるべき者として、ずっと寄り添ってやるつもりだったのに。



それなのに。



愛おしく鼻先で彼の固い脚を撫でると、尻尾がゆらりと頭を擡げる。

ああ、触れられていると、感じているのだな。



臭いを嗅ぐと、微かにあの海の臭いが香る。

耳をすませば、あの潺さえも、木霊してきそうだ。




…駄目だ。

何を考えても、今は涙を誘う。


自然と、顔が綻ぶ。

とても、人様には見せられない。


枯れた。そう思っても。

春は否が応でも来る。





そうか、そうだな。

Teusが帰って来たならば、俺はもう一度あの海原へ赴かねばならないのか。

面倒なことだ。あいつの頼みでないなら、どれだけの報償を要求しただろうな。


そう、もうすぐ来るのだ。

一年前の俺は、あいつに、何を欲しがったのだったか。

そして、今の俺は、何を貰えると、期待しているのだろう。

少し考えておくと、旅路は面白くなると思った。



“ん…?”

その時俺は、Siriusの足首に、何かが絡まっているのに気が付いた。

“Sirius…ちょっと良いか?”


草や枝が、道中でこいつのお供をしたのでは無さそうだ。

これは…糸か?


薄っすらと青い光を帯びた細い糸が、2周ほど回って纏わりついている。


明らかに、誰かが意図して彼の脚に結ばせたのだと分かる。

俺に当ててある、伝書文のようなものだろうか。わざと見落とさせないような位置を選んだのなら、たいした読みだ。

しかし、彼の脚と胴とを繋ぐ奇跡が込められているのなら、決して(ほど)いてはならない気もしてくる。

どうだろう。そんなに重要な結び目があったとして、それを俺には伝えず、こんな風に曝け出すものか。

何も知らぬSirius自身が、ちょっかいを出して引っ張ってしまいそうではないか。



これは、俺への土産であると受け取るべきだ。

噛み千切ってしまわぬよう、慎重に糸の端を口に咥えて、そっと引っ張る。



何の抵抗もなく、するりと青い絹糸は、解けた。

そのまま口からも離れ、宙へ舞ったかと視線を空へと移す。


“うわっ!?いてっ…いたたたたっ!?”

“ど、どうしたSiriusっ!?”

突如として、目を離した地面の方から、鈍い衝撃音と、甲高い叫び声がした。

俺は慌ててその声の主に起きた異変を確かめようと腰を浮かせる。


彼はきょとんとした表情で、上ではなく、周囲を見回している。

“何かが、頭から降ってきて…。”

“降って来た…だと?”

またも俺が視線を空へと戻すが、この快晴が彼の頭をこつんと叩くような雨粒を降らせたとは思えない。


何がそうさせたのかと固まっていると、またも下方から、今度は歓喜の叫び声が聞こえてきた。

“わおーーーうっ!!”

“なっ…なんだ今度は…”



“ありがとーっ!!Fenrirさーんっ!!”

“……!?”


目の前には、俺を泣かせた雨の跡が広がっていた。

“僕、リンゴだーいすきなのっ!!”



そう、Siriusの頭上に降って来たのは、父親の大好物だったのだ。

訳も分からず呆然としていると、上手く立ち上がれないSkaが目の前に転がる林檎に前脚を伸ばしているので、鼻先で転がして手繰り寄せてやる。


デザートは別腹だ。彼は一層幸せそうな顔で目を細めると、大きな牙を突き立てて、果汁溢れる林檎を小気味良く齧り取った。


“……あいつの仕業か。”


本当に、神様の力というのは、都合がよく、そして偉大だ。

そうなら、そうと先だって伝えてくれたら良かったのに。

しかし、Siriusが俺の元へとやって来る話が持ち上がったのは、Teusがアースガルズへと出発してからの話だ。そんなに前から、こんなサプライズを準備してくれていたというのか。

そしてきっと、この結び目をつけたのはFreyaのほうだ。

両親や仲間の狼が気にならないはずがない。ひょっとすると、道中でSiriusは、Freyaと遭遇しているのかも知れなかった。



いずれにせよ、まさかSkaに零していたような心配事までも、彼に見透かされていようとは。



帰ったら、厚く礼を言っておかなければならない。

こんなに喜んでくれているとは、その神様ですらも予見できなかっただろうから。

“俺も1個、貰って良いか?”

お前が食べると、余計に旨そうに見える。

“いいよー!!いっぱいあるから!!”


それはSiriusの言う通りで、転がっているので数え辛いが、恐らくは食べきれずにお持ち帰りいただくことになるだろう。

“そんなに好きだったとはな。用意しておいて良かった…。”

“うーん!!Fenrirさんだーいすきっ!!”


“……。”

自分のお陰、ということにして良いのか分からないが、きっと好感度は爆上がり中だ。



もっと、踏み込んでも。今日だけは許されるだろうか。

俺の中のSiriusが、もっとやれと囁くのだ。


そう言うと、まるで内なるそれは、怪物か、悪魔のようだな。


投稿が遅くなり、申し訳ございません。

4月の環境に慣れず、筋立てに時間を費やせずにおりましたが、ようやく固まってまいりました。


予定では、第95話から主題に移る予定でございます。

それまでもうちょっと、ほのぼのとしたやりとりにお付き合いください。


2022.04.07 灰皮

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