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92. はるばる 2

92. Beyond the woodland 2


“腹が減っただろう。…一先ずは、腹ごしらえをするが良い。”


自分の力で大狼に会えた喜びを爆発させていたSiriusは、頭上でする掠れ声に気が付かなかったようだ。幹のように太い前足にこれでもかと鼻面を押し付け、尻尾をぶんぶんと振っている。


“やった!僕、やりましたよ!Fenrirさん。

褒めてくれるかなあ?パパもママも。みんなも。

ね、Fenrirさんも。僕のこと、褒めてくれますか?“


“ああ、ああ。もちろんだとも…お前は群れに帰ったなら、英雄だ。”

そうやって毛皮を全力で感じ目を細めるのは、体格ゆえ大狼には叶わない愛情だ。

純心な彼のどの言葉一つをとっても、目頭を容赦なく襲うので、俺は労いの言葉と共に、まずは何かを食わせてやることから始めたのだ。

そうでないと、彼に自分の額を押し付けて応えることもままならない程に、俺は心をぐしゃぐしゃにされた。


“少し、待つが良い。”

鼻を啜ると、傍らに積んであった肉切れに炎を吹きかけ、直火で炙ってやる。

“あっ!えーっと、おヅキカイ、ありがとうございますっ!”

“うむ。お前の父にも、駄賃としてこうやって振舞っていた。”

“そうなの? とっても、いい匂いがします…”

裏腹に思い返すのは、病床のTeusを満たそうと躍起になっていた春の終わりだ。

丁度良いな、お前は肉を焼いて食べるのは初めてだったか。

これからは、あいつに散々と強請るが良いぞ。ちと味付けが濃いかも知れぬがな。


それにしても、炎を怖がらぬとは驚いた。

確かSkaは、仰天して俺に首根っこを掴まれていたと記憶しているが。

“これ…わかんないけど、見たことあるかも知れないです。”

“ほう、そうだったか。”

彼はその役割を直ちに理解すると、父親と同じように尻を地面につけ、利口そうに待てをする。

TeusがSkaの目の前で暖をとっていたのだとおおよそ察しが付く。或いは…いや、考えすぎか。


“かっこいいなあ。僕にもいつか、できるようになるかな?”

目を爛々と輝かせて、そんな夢を描く姿は、父親のそれと全く変わらないと思った。

初めて遊びに来た狼と異なる点があるとするならば、頑張って丁寧なことばを使おうと努めつつも、時折垣間見えるあどけなさが、かわいらしくてたまらないことぐらいか。

両親の溺愛も頷けよう。


Siriusのお座りは、義足が膝関節を伴わない故、一風変わっていた。

人間の赤子のような長座を片足だけ強要させられているため、やや身体が後方へ転んでしまいそうな不安定さがあったのだ。

“おお、そうであった。横になるか?”

“あ、ありがとうございます。Fenrirさん。”


俺はSkaに予め教えられていた通り、彼の胴を鼻先で支えてやると、ゆっくりと横にさせてやってから、体を捻って両前足に上体を載せられるよう手伝ってやった。

“よいしょっと…”

眠るときは体を丸めずに、四肢を投げ出すような寝相をとるらしい。

冬場は、兄弟たちがぎゅうぎゅう詰めになって、彼を温めたそうだ。


“大丈夫そうか?”

“うーん…早く曲げられるように頑張らないと…”

“あ、ああ…そう…だな。”

きっとできるさ。

今は、その義足で我慢してくれ。



Siriusがその場から動かずに済むように、俺は焼き立ての肉塊を目の前へと運んでやる。

“わーい!いっただっきまーす!”

いっぱい走ったから、お腹すいちゃった。

“鱈腹喰うが良い。お前のために用意したのだからな…”

“あっ…あっふう…あふぃっ!”

“だ、大丈夫かっ…!?息を吹きかけて冷ましてやるのだったな…”

“ふぅ…びっくりした…こんなにあっちいお肉、僕はじめて…”

済まなかった。舌を火傷してなどいないか?


俺はSiriusと同じ目線となるように腹ばいになると、火炎放射の代わりにゆっくりと震える息を吐きだした。

すると、それがSiriusの顔をくすぐったのか、彼は可愛い音を立ててくしゃみを返してくれる。

“ごめんなしゃい…”

“はっはっはっ…俺のほうこそ済まなかった。”


自然と零れる微笑みに、俺は出迎えるまでの杞憂を殆ど忘れてしまいそうだ。

さあ、今度こそ大丈夫だぞ。


“…? どうした、Siriusよ?”

“Fenrirさんは、食べないんですか…?”


お、俺か…?

“俺は、その…生憎、先に済ませてしまって、な……。”

そんなことは無かったのだが、反射的にやんわりと断ってしまった。

“そっか…残念、です…。”


“……。”

しまった…。

泣かせて、しまったか…?


小さな口を開いてかぷりと齧り付く姿を見て、それはないと安心したのだが、Siriusの一言は俺の心の猶予を大きく削り取った。



そのとき、想像することを許されなかった、もう一つの世界線を見てしまったのだ。



俺が、Siriusに迎えられた世界だ。



正しく狼であることを知っていた俺は、もう一匹の大狼を前にし、何の躊躇いもなく転がって腹を晒す。


すると、彼は一切の敵意をほどいて、傷だらけの仔狼を、洞穴へと案内するのだ。


その中は、ごちそうの山だ。

散々な日々を乗り越えた狼への、せめてものプレゼント。


きっと俺は、泣きながらそれに齧り付いたことだろう。

それは、あの大狼の肉ではない。


俺は、その運命から、逃れられたのだ。


ただただ、辛くて、悲しくて、苦しくて。

よく頑張った。そんな一言さえも、涙の大雨を降らせる雲であったに違いない。

愛おしいなと見守ってくれる、新たな家族の視線を、何度も見上げて確かめたがったことだろう。


口はふさがり、尻尾を振り回すことだけで、伝えると、あの大狼は死の際よりも優しく微笑む。


“ああ……”



目の前に、その大狼がいるかのようだ。

こんな鮮明な夢が、あっただろうか。



僕は、本当に、狼となれたのかな……?



それでも緊張の糸がほどけ、押し寄せる欲望のままに貪る渦中。

俺はただ一つ、彼にこれ以上望むことがあるのを知っていた。




分け合ってほしい。


一緒に、食べて欲しい。



Teusがただ一度、誕生日を祝福してくれた。

俺は、喰いきれないことも無いだろうそのケーキの城を、その欠片だけでも口にしてほしいと懇願したことを忘れない。


きっともうすぐ、山のようなお土産を抱えて帰ってくる彼にも、変わらずそう望むのだろう。




“……気が変わった。”


それは、狼の最上位たるお前の取り分だ。

しかしSirius。お前が許すのなら、俺にもほんの少しだけ、それを分けてはくれぬか?




“ほんの一口、だけだ。”

おっと、大口にはこれでも一口やもしれぬが。

欠片で良いのだ。


おまえは小さい。



しかし、気にすることはない。

俺とは比べ物にならぬほど、偉大な狼となるのだから。



“……。”



彼はもぐつかせていた口を一度止めて、眼を瞬く。



それから全部をいっぺんに飲み込むと、

そこには笑顔が弾け飛んだ。



“もちろん!一緒に食べよっ!!”



俺が、大切な誰かに向って、そうしたように。



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