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90. 恵風の具現化

90. Embodiment of Blessings


「もー!なんで同席してくれなかったんだよFenrir!」

知ってたんだろ、ヴァン族の遣いの人が何の用事だったのか。

だったら追い返すの手伝ってくれても良いじゃない。今が大事な時期だって、分かってるだろ?

「…うるさい。声がでかいぞ。」


相変わらず鼻がぐずぐずとしていて、惰眠を幾ら貪っても頭が回らない。

こいつの怒号も、やたらと脳裏に響いて不愉快極まりなかった。眼を開いてやる気にもなれない。


Skaによれば、春先のこのような不調を、’ カフンショ’ と呼び人々は恐れているらしい。

何でも、芽吹きの季節に合わせ、森の精霊が悪戯で鼻を(くすぐ)る靄を運んでくるのだとか。

なんて迷惑なことをしやがるのだ。その森に住んでいる俺は、得体の知れない靄の直撃に晒されているではないか。

産まれてこの方そんな話は聞いたことが無かったが、意識した途端にこの症状はそのせいだと思うようになり、苛立ちが募る。

にしても、どうして急に今年になって、こんな目に遭うようになったのだろう。

今までは、ずっと洞穴に籠って、腐った死体のように横たわっていたからだろうか。


春も少しは悪くないと思った途端にこれだ。

何かの前触れで無ければ良いのだが。




「あ゛ーもう!黙れっ!!それ以上大きい声を出すなぁっ!!!」

“きゃうぅっ!?”

ぶいぶいと文句を垂れ続けるTeusに我慢ならず、俺はとうとう彼の愚痴を遮り怒鳴り散らした。

案の定、びっくりして飛び起きたのは、こいつの隣で丸くなっていたSkaだけだ。

お前の主人が傍らで喚き散らすのには相当慣れていると見える。

俺の唸り声は、余程恐ろしかったのだろうか。でも、こいつが悪いのだ。


「俺だって、アースガルズへお前が呼び戻される理由までは予見出来なかった…。それなら部外者が、口を出すべきでは無いだろうが。」

お前が暫くいなくなることは確かに周囲にとって痛手ではあるだろう。

だが本当に帰投する必要のある知らせであるのなら、どうしてそんなことをする。


確かに、俺があからさまに存在感を示して疎らな白樺の林を闊歩すれば、あいつらは恐れをなして踏み入ることをしないだろう。やろうと思えば、出来なくもない。

だが違うだろう。四六時中俺を、ほっつき歩かせるつもりか?

言った筈だ、新Vesuvaを、新たな住処とするつもりはないと。


「実際…訃報であったのだろう?」

「う…うん…。」

それを、行きたくないだなどと。

お前は少しばかり我儘で、薄情と言わざるを得ない。


正論を並べ立てていると思うなよ。窘めるつもりは無い。

だがはぐれものの身でありながら長老様の葬列に参加することを許されたときは、お前はそのようではなかった。


そう言うと、Teusはようやく浮ついた態度を改め、頬こそ膨らませなかったが、口をきつく結んで反省の意を示した。

「…亡くなったのは、お前の知人か?」


翌日の早朝、此方が赴く前に、彼はお供を連れて久方ぶりに洞穴のもとへやって来た。

その時点で凡そ察しは付いていたのだが、どうやら時を同じくして、アースガルズにおいてもそれなりに高名な人物が亡くなったらしい。


「うん。親しくはしていなかったけれど…出産の折に、命を落としたって…。」

「…そうか。それは…残念だ。」


たとえ神様であっても、難産の苦しみから免れることは叶わないのか。

子供は、果たして無事だったのだろうか。それすらも敏感になって心が痛む。

だが俺も、他人の不幸にこれ以上余計な口を開きたくなかった。

きっと名前も分かるまいと、尋ねることもしなかったのだ。


「わかった…ちょっと、顔を出してくるよ。気は進まないけれど。」

俺に諭されたTeusは、浮かない顔をしたままではあったが、首を縦に振った。


「色々と面倒ごとが待ち受けている、と言った感じだな。」

「別に、それは構わないんだ…。」

Teusが正式にヴァン神族の一員となったことを、アース神族の者たちは既に知り得ているのだろうか。

そうだとすれば、それはLokiを通じてのこととなるだろうが。そうでなくとも、ああ、そうかいといって終わりになる問題だとは到底思えない。


どう申し開きすればよいか、考えるだけで憂鬱なTeusの気持ちも分かる。

この構図を説明するのは簡単な話ではない。Lokiという男は、Teusとヴァン神族にとっての敵であり、Teusとアース神族にとっての同胞であるのだから。

少なくとも、これはヴァン神族なりにそちらの干渉を遺憾に思っているとの意思表示だ。

両方の名前を持つことが、ある種の架け橋となるように取れなくもない。しかしアース神族からしてみれば、これは亡命以外の何物でも無く、裏切りの布告であるとすら取れるもの。

ならば、早いうちに呼びつけて、始末するのがセオリーか。

そう疑心暗鬼にならざるを得ない。


もしその線が少しでも残っていると言うのなら、俺は全力でお前のことを引き留めただろう。

だが、そうはならないのは、相変わらず俺という存在が欠伸をしながら睨みを利かせているからに他ならない。


今回の事件ではっきりしたことは、あのLokiでさえ、この物語の表舞台に出る勇気はないということだ。

これは、途方もなく大きい。俺はそう思っている。


結局、アース神族の名だたる神様の中でも、俺との対峙を挑もうとする愚か者は、この男しかいないのだ。

そうなると、幾らこいつを危険視せざるを得なくなっても、その後ろにもっと恐ろしい存在が控えていると考えれば、重要なパイプ役であるこの神様を消し去ることは躊躇われるのだ。

きっとヴァン神族への遣いは幾らでも代わりが利くのだろう。

だが、俺の友として、お前は唯一無二なのだ。


仮にお前が人質として監禁されるようなことになれば、一応はヴァン神族の長の婿が誘拐されたことになるし、俺だって、いつまでも及び腰でお前が苦しむのを黙って見ていられない。

Freyaの元に貴様を返すのぐらい、手伝ってやるさ。



「だから…どうか、気を悪くするな。」

俺は恐る恐る、鼻先をTeusに触れるぎりぎりまで近づける。

彼のあらゆる不安を取り除こうとしても、まだ抱えているものがあるように思えて。

その臭いを嗅ごうとしても、窺い知れなかったのだ。



「Fenrir…どうして縁って、切れないのかなあ。」

Lokiは、咎められるところまで来ているんだよ。

Fenrirのお陰だ。君があいつの危険な思想と行動を予言し、最善の手を打ってくれたから。

君とSka、それからSiriusが、力を合わせて俺を守ってくれたから、今がある。


そうだろうか。

全てを見据え、思惑通りに動かせているのはTeusの方であるように思える。

もとより、神様としてお前は運が良かったのでは無かったか。

「急に何を言うのだ。もう関わり合うのに疲れたのだろうし、享受しかけている日常から離れるのも嫌だろうが…。」



「そ、そうだ…Teusよ!お土産だ。お土産を持って来てはくれぬか?」

俺は春の陽気に誘われ、そんな我儘を申し出た。

「…お土産?」


ああ、懐かしい。お前はいつも、この土地に俺を置き去りにするのを嫌って、そんなご褒美を楽しみにさせていたではないか。

そうだ。俺とお前は今、それが欲しい。

次にお前に逢えるのを楽しみに出来るような約束が。


「も、もちろん良いよ…!誕生日も近いから、それとなーく用意するつもりだったけど…。」

「おっと、それは失敬したな…。」



「だが、Teusよ。今回は、俺の方からも、土産を用意しておいてやろう。」

相変わらずVesuvaに足を運びはするだろうが、待ち惚けるのも退屈だ。

お前の欲しいものは無いか、それが少しでも楽しみで、出先の煩わしさを乗り越えるための糧となってくれ。


「えー。待ってる側も、用意してくれるの…!」

子供っぽいかも知れない。そう思ったが、Teusはこの提案を喜んでくれた。


「群れの長の御帰還だ、こいつらも一役買ってくれるだろう。」

“もちろんですよっ!Teus様!”


「…そしたら、何も準備とかしなくて良いからさ。帰ってきたら、海に行きたい。」

「…海が、見たいのか?」


これには驚いた。

ヴァナヘイムから離れたくないのではなく、アースガルズへ赴きたくなかったのだとは感じていたが。

まさか、見たい景色を内に抱えていたとは。


「うん…ここのところずーっと忙しくて、碌にゆっくり出来なかったからさ。休暇のつもりで、Freyaと一緒に、あの海岸を見に行きたいなって思って…。」


そう、Fenrirと一緒に旅をした夏の盛りに連れて行って貰った、世界の果て。

ほんとだったら、自力で彼女を運んで行けばカッコ良かったんだけれどさ。

あーあ。なんで、世界を渡る力に再び目覚めたと思ったのに、使えなくなっちゃったかなあ。


そんな訳でお願いだよ。Fenrir。一泊するだけで良いから。

俺とFreyaを連れて、あの海まで走ってくれないかな?


「できれば、Skaも…多分Freyaが寂しがっちゃう。」


“僕も、Fenrirさんと一緒に走って行けますか?”

SkaはTeusに悟られぬよう小声で俺にお伺いを立てる。

“お前には無理だ。俺が行って帰る間に到着できないだろう。”

Vesuvaよりも遠いとなると、俺ですら片道で1週間かかる。

“そ、そんなに遠いんですか…。”


「それに見合うようなお土産、絶対もって帰って来るからさ。」

「……。」


しかし、雪が降っていようといまいと、もとより俺に走れぬ道などない。

一人と一匹背中に乗ったところで、それは変わらないことだろう。


長旅か。

身体を使い果たしたい衝動に駆られ、尾の根元がうねる。


「お安い御用だ。」



「彼女にも、そう伝えるが良い。」

そう言い払ってやった。





「やったー!ありがとうー!!Fenrirっ!!」


抱き着こうとするTeusを鼻先を回してあしらうことなど、慣れたものだ。







…言わば新婚旅行か、楽しむと良い。


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