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89. 雪解け道 3 

89. Thawing Road 3


ヴァナヘイムの過去へと深く立ち入りすぎたTeusは、危うく自らを犠牲にするところだった。

そして何の誇張もなく、こいつは大狼という名の災厄を齎しうる存在と成り果てた。

お前には悪いが、人々に命を狙われても当然だと言う他ない。


しかも、軽はずみにそれを実行に移せば、怪物による仇討ちに怯える日々だ。

報復の恐ろしさは、土地に傷跡として刻まれている。

震える手で、こいつを刺すのを躊躇っているに違いない。


「Teus……。」


迂闊にそんなことをすべきではないのだろう。しかし俺は、何度でもお前の今置かれている境遇を自分と重ねたがる。

お前は今、俺と少しだけでも、同じ気持ちであるのではないか、と。


きっとこの神様は、群衆の中にいながら覚える孤独の匂いを知っている。

どちらが苦しい、ではない。しかしどうだ、放り出されたことでようやく知った孤独も、苦しくはないか。

もし、苦しいと言ってくれるなら。

…俺は少しばかり、嬉しいのだ。


ああ、良くないよな。

同情するなどと言って、済まなかった。

分かり合えないなどと漏らしているのではない。

俺は未だに、初めて自分の目の前に現れたお前に、この苦しみがわかるものかと激しく嚙みついたことを悔いているのだ。

それなのに。俺がお前の気持ちに寄り添えるなどと、言えるはずがない。


やめよう、こんな妄想。

そう考えなおし、靄を振り払っても。疑念が頭を擡げ、脳裏でのたうつ。

考えてしまうのだ。

俺を追放する代わりに殺すことが、果たしてそんなにも躊躇われることだったのだろうか。


いっそ惨たらしく処刑し、頭だけを晒してくれたなら。そう嘆くのはもう意味のないことだ。

しかし、俺はお前の無事を喜ぶのに十分な、俺もまた生かされた理由を持ち合わせていないのではないか。

そう耽るだけで、俺は紡ぐ言葉を忘れてしまう。


「どうしたの…Fenrir?」


「…いや、何でもない、のだ。」


切り離して考えよう。俺がどう生かされているのかと、Teusが死なずに済んだことは、別個の問題であって、手放しに喜ぶべきものなのだ。

お前が無事で、一先ずは良かった。


それで、幾つか疑問がある。

「お前の話から察するに、その ‘陶片追放’ とやらを実行するための手続きとして、名前を改める必要があったと考えて間違いないな?」

大衆が望む平穏を実現させるため、追放の対象となる人間は彼らの投票によって選ばれる。

換言すれば、追放する権利を持つものは、その国に民として認められている必要があると言うことだな。

そして、投票される側となった者もまた、位は違えどその共同体の一員でなければならない。

互いの了解があってこそだ。選ぶ側も、選ばれる側も、同じ集団に属していなければ、その手法は成立しないように思えるのだ。


「だから、お前は形だけでもヴァン神族の一員として迎え入れられることになった。」

名前は…。


「テュール・V(ヴァン)・アズガルド。」


お前は、そう呼ばれる名の神となった。


「なんか、恥ずかしいね。改めてそう呼ばれちゃうと。」

彼は笑ってごまかすが、フルネームを呼び上げるのに、こちらこそ躊躇いを覚えてしまう。

帰属すべき集団から疎い俺にも、二つの神族の名を同時に冠することが、どれだけ偉大なことかは理解できた。

異例中の異例だ。混血ですら無いのに、どちら側からも認められようとは。

しかし、分からぬ、いや、納得のいかぬことがあるのだ。


「いつものことだけど…今聞いたことだけでそこまで理解しちゃうの、凄いことだと思うよ、Fenrir。」

一を聞いて十を知るどころか、百は余裕で超えてるよね。

俺、最初ミドルネームを与えられて何になるんだよって途方に暮れてたんだから。


「いいや、ここから先は、きっと俺には理解し得ぬことだ。」

俺は誉め言葉に頬を緩めることなく続けた。


「本音を言えば俺だって、その話を聞いたときには納得の行かぬ部分があったのだ。」

その追放手段は、実に理にかなっていて、合理的だと思う。

たった一匹…一人を遠ざけるだけで、惨劇を未然に防ぐことができるのなら、それに越したことはない。

互いがその集団の利益を享受する前提として、神族の一員であるのなら、既にこの手法に訴えることを了承済みであるというのも素晴らしい。


「…だが何故、その居心地の良い手段をお前に講ずる必要があったのだ?」


言ってしまえば、彼らはお前にもっと辛く当たれたはずだ。

どうして今更、個人対、個人の構図をとる必要があったのだ?

今まで、というか最初からの通り、お前個人対、ヴァン神族全員の戦いをどうじて続けなかったのか。

それが不思議であるのだ。


お前がそこまで深く彼らと結びつきを持ったからというのなら、それは褒め称えられるべきであろう。

しかし、もっと手っ取り早い方法として、ヴァン神族全体の意思としてお前を拒絶しなかったのは何故だ?


もっと深く根差した事情がなければ、そんな温情を以て追放されることは、無いのではないか?


「あまり遠回しに言っても仕方がない。…要はお前が、 ‘ヴァン神族の名を与える明確なメリット’ に踊らされていないかが心配なのだ。」

「…なるほど。」


ちょっと冷たい言い方だっただろうか。

そう心配になるほど彼は思案顔で、傍らで蕩けた目を瞬かせ始めたBusterに視線を落とす。

それでも、こうして一線を越えている以上、露骨な利害関係を少しは把握しておきたかったのだ。

俺は今まで通りにこいつのことをTeusと呼んでも良いのか、それすらも不安になる始末なのだから。


「……。」

聞かなかったことにしてくれ、そう撤回することも考えた刹那、Teusは徐に口を開いた。


「それは確かに、気になるところだよね…。」

薄目を開いてまた眠りに落ちてしまったSkaの息子を撫で、春空を仰ぐ。

寒いのだな、お前は冷たい風に撫でられると、そんな表情をする。


「これは俺の想像なんだけれど…二つの事情があると思ってる。」


一つは、神族間の国際問題に発展しないようにっていう配慮が込められているんだと思う。

これでも一応俺は、アース神族の特使としてヴァナヘイムに遣わされている身分だから。旅行感覚でふらっと遊びに来ている訳ではないんだよね。Fenrirのお世話係という、重大な任務を課されている。

それを表面上は、此処の人たちは歓迎しないといけない。追い返すなんて当然できないし、仮に処刑でもしてみなよ。幾らでも過去は掘り起こせるから、全面戦争になったっておかしくない。


昔、アース神族とヴァン神族は、ちょっとしたいざこざがあってね。今でこそ、緊迫した空気はないけれど、嘗ては停戦協定を結ぶために、人質を交換し合っていたぐらいなんだ。互いが彼らをどうもてなすかで、相当に神経をすり減らしていたね。

だから、彼らは簡単には厄介者を排除できない。ちゃんと思慮がある人は、俺を不用意に殺すと、どうなるか分かっているから。俺の命を奪おうとする過激派がいるのは十分に分かったけれど、大多数ではない。

だから、これだけの大惨事を招いても、お咎めがこれっぽっちで済んでいる。


「それで、表面上は最大の歓迎として、俺を神族の一員として認めつつも、追放するという回りくどい手順を踏まざるを得なかった。神族の一人であることは変わりないからね。俺は殆ど何も奪われてはいないのだけれど。」

「そうか…お前も、双方から扱い倦ねられていると。」

「うん。そうなんだ。」


「あ、でも気にしないでね。好きで此処に来てる訳だから、Fenrirが責任を感じる必要はないよ?」

それに割と楽しんでるんだよ、自分の一存で国の趨勢が大きく傾く感覚は。元がそういう神様だったから。


「そうやっておどけるな。あまりにも事が大きくなると…」

「わかってる。Fenrirまでもが問題視されるような、行き過ぎたことはしない。」

「そうではなくてだ…」

お前に節度があったとしても、Lokiは違うだろう?

次に悪戯と称して起こす問題は、今度こそどちらかを滅ぼしかねない。


「うん…俺も、同じ意見だよ。Fenrir。」


だから、ヴァン神族が俺に与えた権利には、もう一つ理由があると思うんだ。

彼は狼たちしかいない辺りを振り返って誰かを気にするような素振りを見せると、少し声を弾ませてこう言った。


「光栄なことだと、思ってる。」


「彼の…ダイラスの跡を継ぐのは。」


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