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89. 雪解け道 2 

89. Thawing Road 2

「…それでどう、Fenrir? 何か変わったところは見つかった?」

「いや…今日見回った限りでは、特に何もないな。」



俺たちが当たった任務というのは、所謂 ‘地雷探知’ のような作業だった。

大雪に埋もれて息を潜め、Siriusの右脚を非情にも襲ったトラバサミ。あれは正しくそう呼んで良い代物だ。

頻繁に行き来をさせていたSkaは、その存在に気が付かなかったと言う。それでいて、河川敷の雪面近くに仕掛けられていたことからも、設置したのは事件からそこまで遡らない。

そして激情の最中であっても、刃に刻まれたルーン文字を俺は見逃さなかった。

これは紛れもなくLokiの仕業である、というのがTeusとの共通見解だ。


あいつの狙いというのは、結局最後まで見透かせずに終わってしまったが、それは良い。

ただ搔き乱したいだけで、もともと目的など、在ってないようなものに違いないのだからな。

問題は、もっと目先に見据えるべきなのだ。


辛くも俺たちの仲を引き裂く魔の手を再び退けた、だけでは済まない。

ピンポイントでSiriusだけを狙い澄ますのがどれだけ難しいことかは、猟狼である俺たちがよく知っている。それが妙に引っかかるのだ。


当然まだ、罠が張り巡らされている可能性があると俺たちは考える。

不発弾は、すべて摘発しなくては。このままでは狼たちが安心して森を彷徨くことができない。

気温がだいぶ上がってきたお陰で、雪中に埋め込んでいたと思われる仕掛けも表出しているであろう。

本来であれば危険の伴う行為であるが、地面に転がっているのなら、狼たちが見逃すことはまずない。


それで、俺とTeus、それから群れ仲間の力を借りて、周囲のパトロールに当たっていたという訳だ。

今日は初めてSka以外の狼を実戦投入した日だ。

長男狼のBusterは、いよいよ父親と体格を揃えようとしており、晩秋に戯れたあの仔狼であるとは、匂いを嗅ぐまで信じられなかったほどだ。

既に狩りへ同行させているとの前評判通り、父親に劣らぬ完璧な立ち回りを披露してくれたのだが、まだこの仕事を宝探しか何かのように考えていて、子供っぽさが抜けないようだ。

それが心配でならないのだが、自分の身は自分で守れる血を引いていることを信じよう。


「まあ、隈なく探し回っているところだ。何もないと断言するには、もう少し時間が欲しいところだな。」

「うん、そうだよね。時間は幾らかけても大丈夫だから、慎重にね。くれぐれも気を付けて。」


ああ。ただ、あまりゆっくりもしていられないのだがな。


聞けば聞くほど、人間の作り上げた罠は恐ろしいものばかりだった。

Teusによれば、あのトラバサミの刃は、敢えて鋭く研がれてはいないのだという。脚を嚙み切らないことで、獲物を逃さないようにするという残酷な趣向が施されているのだ。

それは、殺そうと思えばもっと的確な部位を狙えることを意味している。

ネックスネア、と呼ばれる罠の構造を聞かされた俺は、心底震え上がった。

所謂ワイヤトラップの一種だ。

顔を突っ込めば届くような隙間に餌を用意し、かかった獲物の首に鉄線を巻き付け、締め上げるというものだ。

藻掻いた獣は、窒息死する寸前まで暴れのたうつ。そのせいで、首筋にはワイヤが喰い込み切り裂かれた跡が無残にも残ると言うのだ。

それは一本の細い線とはならない。激しく抵抗した末、首の厚い毛皮が剝がされ、首輪のようになるのだ。


想像しただけで、吐き気がして、喉元の傷が熱をもって疼く。

知らなければ良かったと、本気で思ったほどだ。


こうなっては、いてもたってもいられない。

彼らの命を守る手助けがしたい。森を治めることが、あの大狼から受け継いだ使命なのだから。


「ああ…あんな悲劇は、二度と起こさせん。」

“はい!僕たちも、みんなで手伝いますから。”


「うん。ありがとう、みんな。」



まずは、ヴァン川の東岸。長老様の庇護を失ったSkaたちの活動拠点を確保することが先決だ。

俺の縄張りである、西岸の森に関しては後回しで良い。

確かに人間が仕掛けた罠は狡猾で脅威的ではあるが、残念ながらあれでは俺の四肢は奪えない。

首を搔き切りたくば、大狼の牙を用意するのだな。


そうした事情があって、二度と渡らぬと誓ったあの大河を超え、俺は今こうして束の間の休息に甘んじているという訳だ。



そもそも、どうして急に俺がこんな馴れ合いをヴァナヘイムの狼たちと始めたかという話なのだが、それにはTeusの複雑な事情が絡んでいる。



今回の大騒動で、最も甚大な被害を被っているのは、他でもないこいつなのだ。



「それで、お前の名前が変わるとどうなるのだ。何か特別なことでもあると言うのか?」

「うーんと、別に改名って程でも無いけれどね。」

黙々と鹿肉を平らげていた俺は、相槌の代わりにそう尋ねて顔を上げる。

「何て言ったら良いかなあ、立場がちょっとややこしくなったと言うか…。」

食事の時間になった途端に、周囲には続々と群れ仲間が集まってくる。

ダイラスが存命であった頃から餌付けが常習化していた訳ではないらしいのだが、彼は昼食を野外で群れを眺めながらとるのが好きであったそうで、そうなると可愛い狼たちに自分の食事を殆ど投げ与えてしまう悪い癖があったらしい。

もともと今回は任務に対する褒賞として、こいつが群れ全体に振舞っているのではあるが、やはり匂いに誘われてあの頃を思い出すのだろう。

Teusは満腹となって眠たそうなBusterの毛皮に手を伸ばすと、自分の太腿を顎乗せ台にしてやって会話に戻った。

「えーっとね、‘陶片追放’って言葉、知ってる?」

「いいや、初耳だ。」


「じゃあ、村八分って言ったら、通じる?」

「俺みたいなやつのことか?」

「あー…うん。まあそう、合ってる。」


陶片追放というのは、(せん)(しゅ)になりそうな人物を住民たちの手で追放する制度のことなんだ。

「それは、血統を超え成り上がった君主を指す言葉だな?」

「そうそう。歴史を振り返ってみれば、幾らでもそういう人はいるんだよね。」


言ってしまえば、実力さえ伴っていれば身分なんか関係なく権力を手中に収めることができる。

でもそれって言い換えれば、いつでも反逆の狼煙が立ち上る可能性がある訳で、権力闘争が後を絶たない時代だと言えるだろ。それが問題でね。

貴族や王侯が勝手に血で血を洗い合っているように見えて、一番被害を被っているのは、実は一般市民のほうなんだ。

農民は定住すらもままならない土地で、いつ誰に奪われるかもわからない作物に労力を費やす。

行商人は、明日には殺されているかも知れない交渉相手と多額のやりとりを続けさせられる。

こんな日々はもう、我慢ならない。振り回される側の民衆にも、意思を表明する場があるべきだ。


「そういう経緯があって、市民の投票によって、政争を齎しうる人物を一時的に追放して、クーデターを未然に防ぐ制度が生まれたんだ。」

陶片にその人物の名前を彫って、票を入れたことから、そういう名前がついているんだよ。

このとき、追放するのは一人だけっていうのがポイント。一族諸共を対象に選ぶと、それこそ恨みを買って共謀を掻き立てるだけだからね。連座って言うんだけれど。それじゃあ公開処刑するのと結果は一緒になってしまう。


追放も、決して迫害を意味しない。大抵は趨勢が変わって権力を握るタイミングを逃した10年後とかぐらいに、ふらっと戻ってこれる。飽くまで争いを未然に防ぎたいだけだからね。


「ふうん…。」


「それで今回、お前がその対象になった訳だ。」


なるほどな。

一部の人間の都合ではなく、それが民意だと。



「同情するぞ。許されるかどうかは、知らないが。」

「ありがとう。Fenrirになら話せると思ってたよ。」



俺も、そんな経緯でアースガルズを追われたのだろうか。

そうだとしたら、やはり俺は泣き叫ぶべきでは無かったのだろうし、二人に会いたいと願うことも、存外誤りではなかったのだろうか。

俺があと…100年ぐらいをこの森で過ごしたら。あの頃のままの二人が、迎えに来てくれるのかも。


しかし、そんな希望に満ちた妄想は疾うの昔に腐っている。

Teusの何気ない一言は、俺を傷つけこそしなかったが、そのことを思い出させるのには十分だった。

「…Fenrirとは、ちょっと事情が違うんだろうけどね。俺は、その…明らかに此処の人たちに悪いことをしたからさ。」

「あ、ああ……そう、なのか。」


そうだろうか。

まるで俺が、悪いことをしなかったかのような、物言いではないか。

結局、理由も見いだせない境遇であったと言うのなら、苦しいぞ。

俺は今でも、自分が狼であったからだと信じてようやく平静を保っていられるのに。


だが、お前がどう思っているにせよ、随分と和平的な手段であるように思える。

憎しみの連鎖を断ち切るとか、そういう実利とは関係なく、お前は処刑を免れた。


それは、何事にも代えがたく、喜ぶべきだ。


「そう…それは、その通りなんだ。」


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