88. 冬の陰り 2
88. Crud Snow 2
「まずは、そうだ。その……。」
結局Teusは、冷たい雪の中に足を埋めたまま立ち竦んでいた。
和やかな雰囲気を作ろうと努めていても、結局は後ろめたさがあったのだと察せられる。
申し訳ないが、そうしてくれると助かる。
俺も伏せて休むことは、しないから。
「この間は、来てくれてありがとう。」
「……。」
既に、一月あまりが過ぎようとしていたなんて。
驚くべきことだ。
そんなにも長い時間を、無為に過ごすとは。
餓死に怯え震えていた昨冬と、何も変わらないではないか。
そんな月日に一つでも意味があったとするならば、罪の記憶を尾に繋いで延々と引き摺り、夢の中ですら狼の脚を喰わされ続けたことだろうか。
薄れて溶け行く記憶なんて、何一つないのだ。
そうとも。窶れ、衰えた狼を前にして。
お前はいつも、元気そうで良かったと寂し気に微笑む。
「助かったよ…Fenrirがいなかったら、俺はあの方を送ってやれなかった。」
「……狼違いだ。」
「え…?」
「俺は、あれからお前の前に姿を現した覚えはない。」
俺は、尊い若狼の母に、己が罪を告白せんと赴いただけだ。
首を垂れて詫びるなど、とんでもない。
我が仔の右脚を奪ったこの怪物に牙を剥けと請い、寝転がって首を曝すためだ。
どうか、一度で良いから。怒りを露わにして、そいつを思いきり突き立ててくれ。
それすら怯えてままならないと言うのなら、俺の罪は益々淀みを増して良きことだ。
自分が思いつく限りの罰を、己が身体に与えることとしよう。
そう迫ったら、邪魔が入った。
狼の息遣いに混じって、人間の言葉を耳にしたのだ。
それで、俺は尻尾を撒いて逃げ帰った。
だから、俺はお前や他の人間と。
言葉を交わした覚えはない。
「……これが、それだ。」
俺は、首元の毛皮が良く見えるように薄ら寒い青をした空を仰いだ。
「……。」
丁度よい。
次にお前が母狼に逢うことがあれば、伝えてくれ。
相応しい仕打ちは、為されている途上であると。
それから、お前に対しては謝らなくてはならない。
もう、こんな惨めなことは二度としない。
そんな約束を破って、悔いる気持ちが無いことを。
「…随分と、躊躇いなくやったんだね。」
「ああ。どうせやるなら、その方が気分が良かろう。」
「本気で言ってるの?それ。」
「お前なら、恥ずかし気も無く言える。」
「じゃあこっち見て言ったらどうなのさ……。」
Teusは首を緩く振り、悦に浸っていた俺に当然の嫌悪感を示した。
「やっぱり、もっと早く来るべきだった…。」
「そうか?そうでもないぞ?」
まだ足りぬと思っていたぐらいだからな。早過ぎたと言っても良い。
と言うより、俺はお前がこの森をもう一度訪ねると期待していなかった。
意味は、分かるよな?
俺はもう、彼の記憶を取り戻したのだ。
最も不本意で、残酷な方法によってな。
「それって、どういう……。」
彼は口を噤み、どうやら今度は何かを悟ったらしくて頷く素振りを見せた。
「そうか、だからか…。」
「…?」
「時計回り……だったね。」
何の話をしている。
「Fenrirが寝る時の、丸くなる方向だよ。」
「右脚だ。右脚が目の前に来るようにして眠るから、そんな噛み跡が……。」
癖みたいなものだと思うけど、一匹で眠る時は大抵そうだ。
それで、俺を隙間に入れてくれる時だけ、何故か逆向きになる。
「ほう……。」
これは驚いた。中々に侮れない。
お前にしては随分と、よく観察していたのだな。
「脚の付け根は牙が突き立て易くて、目の前にあるとつい、な。」
「たまにSkaがそうしているのを見るよ。多分毛繕いだけど。」
「前脚だと、こんなことは出来ないのだがな。」
「…それ、あの仔の前で言えるの?」
「二度と逢わないさ。」
もしその時が来ようものなら、俺は今度こそ躊躇わないつもりだ。
「……。」
「そんなことしたって、とはもう言わないさ。でも……。」
「……。」
「お願いだよ……フェンリル……。」
「もう…」
気分が悪いと窘められても何とも思わない傲慢さが俺にはあった。
それくらい、お前が来てくれて嬉しかった。
尾が言いう事を聞かないほどに。まるであの狼ではないか。
「うぅっ……うぁぁ…フェン……リルぅ……」
しかし、肩を震わせ、言葉も詰まるようだと。
流石にそれも醒める。
「もぅ……無理だよお……。」
彼は俯き、息を殺して泣いてしまったのだ。
「……ごめん。」
実に饒舌だった俺は、心の底でこいつのような話し相手を求めていたことに気づく。
済まない。俺はお前といると、こうも楽しいのだ。
「…少し言い過ぎた、悪かった。」
弛むことなく自分を虐げていたことを、伝えたくなってしまったのだ。
お前の話を聞くはずだった、これからは口を噤んでいる。
「俺だって…頑張ったのにさあ…!」
「……。」
「Fenrirに戻ってきてほしくて…!俺は君を失いたくなくて、ただそれだけでっ!!」
……?
「その想いだけで…奇跡の一つでも起こせると思っていたんだ…!」
「…でも、俺なんかじゃあ、全然駄目だった!誰も救えたりなんか、しなかったんだ!!」
「どうしてこんな…こんなに沢山の周りの人や、狼が……傷ついてしまうんだっ…?」
「Fenrirがそんなにも躊躇わないと言うのなら、俺はもう、どうやって償えば良いんだよっ!?」
「なあっ、Fenrir…!!」
あの日に、Fenrirの元気な顔が見られたから、会うのに日が空いても良いかなと思っていた訳じゃないんだ。それだけは、分かって欲しかったんだ。
俺だって、俺だってFenrirやSkaたちのために、どうしたら良いか、必死に考えて動いてきたのに。
今日は、その結果を君に、見て欲しくて。
ようやく見せられると思って、此処までやって来た。
「もっとこう、これからの明るい話がしたかったのにぃ…。」
「悪いのはっ……俺の方なのにぃ…」
「そういうところが、大っ嫌いだぁっ……!!」
「Fenrirの…ばかぁっ……ばかああぁっ!!」
「ぅああああああぁぁぁ……。」