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【続編連載中】Wolfhound(ウルフハウンド) ー神話に殺された狼のやりなおし  作者: 灰皮 (Haigawa Lobo)
第4章 ー 天狼の系譜編 
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87. 哀悼

87. Mourning


雪も溶けそうな、気怠い日和の午後。

一台の狼橇が屋敷の裏庭へ到着した。


今朝方、人目を盗み二人きりで裏山の方面へと出掛けたと聞いている。

そのまま姿を晦ませたらどうするかという所だったが。

此方から捜索隊を出さずに済んだようだ。


長老様は、あの男にどのような話をしたのだろう。


仕えていた女中達によれば、不審な点は幾つもあった。

彼らは常日頃から、群れを眺めつつ、何やら談合のようなものをしていたそうだ。


恐らくは、ただ単に話し相手が欲しかった。それをあの男に取り入られた。

異邦人に、きっと吹き込まれたに違いない。

老人を狙うとは、狡猾な奴だ。



まあ良い。

無駄なことだ。

きっとあの老人は、あの男の肩を持ちたがるのだろう。

それで、我々より先にと召集をかけた。

きっと自分にだけは、今回の騒動に関わったことを正直に話してくれるだろうと思っているに違いない。

同情の余地があるのなら、ぜひ耳を傾けるべきだ、と。


けれども、長老様。それは間違いだ。

アースガルズからやって来たあの男は、貴方が利用できる人物だと分かって近づいている。

きっと言葉を強く使い、己が潔白であると訴えるだろう。

その証言には、何の意味も無いんだ。


だから、俺達がやる。

公正な判決が、必要なのだ。


吐かせるために、人手は有り余っているようだ。

不運にも、あんたのことを一発殴りつけてやりたいと買って出た人たちがいるのだと。

平和ぼけした土地故に、この男は想像もしなかっただろう。

俺達が本気になれば、どれだけ残酷な仕打ちを蘇らせてやれるかと言うことを。


洗い浚い、吐き出して貰おう。

長きに渡って平穏が保たれていたヴァナヘイムに、再び大狼を齎した、お前の罪は重い。


我々は、アース神族に屈しない。

勿論、あの大狼にも。




「……来たぞ。」


武器は…用意していないようだな。

いや、油断するな。マントの中に、短剣の一つぐらい仕込んでいるんだろ。

それに、随分と高位の神だったと聞く。丸腰であっても、抵抗してくるかも。


ああ、だが長老様を人質にとる分には、問題が無い。

罪が重く、我々の仕打ちに躊躇いが無くなるだけだからな。




テュール・アースガルズと名乗るその男はゆっくりと狼橇から降りると、人だかりの先頭に立つ自分たちを一瞥する。

全員が武器と、それから拘束の為の縄や枷を携えていた。殺気立った此方の態度を理解したなら、震え上がっても良いところだろう。


「…ありがとう、みんな。」

しかしその男は、別段動揺した様子も無く、彼らを率いた狼たちの鎖を外しては、一匹ずつに労いの言葉をかけていた。


大した余裕だ。そう慌てるな、と言ったところか。

無論、目の前に姿を現した時点で、諦めているのは間違いがないのだが。

鼻に付く態度であるとも言えた。


橇で座っているもう一人の男は、長老様で間違いない。

動けなくなった彼の代わりが務まる男も、もうこの土地にはいないだろうな。




ようやく橇から狼全員を解放すると、彼は長老様を降ろすために迎えにあがった。

見たところ帰路の途中で、お眠りになられた様子だ。

縮こまった身体をそっと横向きに抱きかかえると、何か一言だけ微笑みかけて、それから俺達の方へと歩み寄って来る。




唯一の擁護者となり得る一族の長は、最早俺達の前に立ちはだかり、庇うことをしない。

そしてこの男は、彼を眠りから醒ますことなく、我々の前へと進み出た。


つまりは、こう結論付けることが叶う。


彼らは完全に身を委ね、我々によって裁かれることを受け入れた。






平穏で、吐き気のする白昼だ。

あの古い館にでも、監禁してからでも良いが。

群衆の目が届く所で、雪を赤く染めるのも。

望まれている気がして、荒んだ気分なのだ。


温かな冬の終わりとは、そう言うもの。




「……その場に長老様を置け。それから一歩下がって、跪くんだ。」


公衆の面前ではある。

まずは、一族の長の身の安全を確保することが先決だ。


それが出来たら、取り囲もう。

合図があるまで、武器は構えるな。

背後の者が殴りつけて、地面に平伏させてから、拘束するんだ。


手荒にやって良いが、くれぐれも、その場で殺すなよ。



「……。」


男は何も言わずにその場に跪くと、長老様を雪上に優しく横たえさせた。

首を垂れて溜め息をつくと、顔にかかった前髪をそっと避けたり、衣服の乱れを気にしたりと、無意味な所作に時間をかけようとする。


あまりにも、その時間がじれったかった。

往生際の悪さに、我々の苛立ちも、頂点に達しようとしている。


もういつでも、この男に対して横暴に振舞うことが出来ると言うのに。

こいつは少しも、此方に対して媚びるような態度を示さない。

捕虜の癖にそれが気に喰わなくて、仕方が無かった。




「その外套も脱げっ…!!変な真似は、考えるんじゃないぞ……!」

お前をぐるぐる巻きに縛り上げるのに、邪魔だからな。

だが寧ろ、抵抗してくれた方が、暴力に弾みがつくのだが。

煽りに我を失ってくれても、良いんだぞ?



彼は、従順に従った。

マントの留め具を外すと、それを地面に無造作に置こうとして、ふと思い留まる。


代わりにそれを長老様に被せ、それから毛皮のフードで顔を覆った。



そして、自分たちにも辛うじて聞き取れる声で、こう呟いたのだ。

「……安らかに、お眠りください。」



「……何?」



動揺は、先頭に立つ自分たちの間で瞬く間に広がった。

まさか…


「長老……様?」



「申し訳…ありません。」



まさか…?


「長老様に…何をしたっ!?」


その切り裂くような叫び声が響き渡ると、群衆は激しくどよめいた。

「長老様…?」

「今、長老様がどうとか…」

「いらっしゃるのか、そこに?」

「どうしたんだ。長老様が、なんだって…?」


そして、扇情的な一言が弾け飛ぶ。


「お前が長老様を…殺したんだなっ!?」


「そうなんだなっ…!?」


真相など、最早重要ではない。

裁きを下すのは、我々であるのだから。

「おい、今。聞こえたか…?」

「亡くなられたって…どういうことだ!?」

「まさか、そんなこと…!」


「じゃあまさか、昨晩お倒れになられたと言う噂は…!」

「それを分かって、あの男は長老様を外へ連れ出したと言うのか?」



そして全員が、たった今、此方の味方に付いた。

擁護など、期待しないことだな。


「…そう言うことだ。」


「今からお前の身柄を拘束し…審問に召集する。」


逃れる術は、何処にも無い。

異論は、無いな?





「…わかりました。」


「全て、受け入れます。」


最期まで、この男は我々に辱められることを受け入れるようだ。

よし、それなら。


一族の長を殺し、

大狼を再び目覚めさせた罪

その身で贖って貰おうか。




もう、乱暴に手を上げても良いだろう。

顎で合図をすると、武器を構えた男たちと、拘束具を嵌める係がそれに続く。

ちょっと痛いだろうが、我慢しろよ。







その時だった。


「私が、貴方の代わりになる。」


彼もまた、一つの合図を放ったのだ。



口元に、何かを当てている。


ヒューッ……


小さく、微かな風の通る音だった。

口笛にしては下手で、とても吹けているとは言えない。


だが、それに大きく反応した者たちがいたのだ。


“グルルルルゥゥゥゥゥゥ……”


「おい……なんだ?」



一目でその狼が、長老様によく懐いていた、あの天狼であると分かる。


彼はその男の前に立ち、牙を剥いて、

あろうことか、主人であるはずの人間に楯突いたのだ。



それだけではない。

後ろには、橇を引き連れていた数以上の狼たちが控えているではないか。


いつの間に、現れたんだ?

ヴァナヘイムに、こんな数の狼がいたと言うのか?


「なんだよ…これ……」


その召集は、狼たち全員の耳に、届いていたのだ。


気付けば地平は灰毛皮で埋め尽くされるほどになっていた。



次々と前へ歩み出ては、群れの長に続いて行く。


彼を、護ろうとしている。




狼を呼び寄せた男は、ゆっくりと立ち上がると、決意を宿して顔を上げた。


「私が、貴方の狼たちを継ぎます。」


その首元には、小さな笛のようなものが、ぶら下がっている。

強くそれを握りしめると、彼は涙を拭い、叫んだ。



「私が……俺があいつを!…必ず守って見せるから……!!」



「皆を、狼たちを、一匹も死なせたりなんかしないからぁあっ!!」



「今まで……ありがとう。」



“アゥォオオオオオオオーーーー……”


“ウォオオオオオオーーーン……”


“ァォオオオオオオオーーーー……”


高低それぞれの、遠吠えが続く。

もう、何匹の狼が此処にいるのか、想像するだけで恐ろしい。

まるで、あの時のようだ。




もしもう一度、この男がそれを吹いたなら。


次に呼ばれる狼とは、何者であるか。

それは此処にいる全員が、否応なしに理解できた。


長老様が亡くなられた今。

もう、一歩もその狼に近づけない。



「……ですから、ダイラス。」


彼は最後に、涙でくしゃくしゃにした顔を笑顔に変えて、こう送った。



「ありがとう。」






「安らかに。」


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