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【続編連載中】Wolfhound(ウルフハウンド) ー神話に殺された狼のやりなおし  作者: 灰皮 (Haigawa Lobo)
第4章 ー 天狼の系譜編 
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85. 双子の欠片 2

85. Splinter Twin 2



「…元を辿れば、これは…そう、私の我儘が発端でございました。」


大狼の闊歩。蹂躙の予兆。

そんな騒ぎの最中であっても、兄は相変わらずだったのでございます。

自在に空間を渡り歩く特権に目覚め始めたのを良いことに、目を離した隙には、鉄の森へと一人で出掛け、狼の洞穴探しに明け暮れる日々であったと記憶しています。


いつ兄の屋敷を尋ねても、その婚約相手が丁重に笑顔で出迎えてくれるだけ。


埃の被った彼の自室へ通された私は、物憂げな不安に押し潰されそうになりました。


このまま兄は、戻って来ないんじゃないか。

いっそのこと、私が此処で眠って、彼の帰りを誰よりも早く出迎えても良いだろうか。

眠れぬ夜を、別のどこかで過ごすくらいなら、目覚めてこうして待ち惚けていよう。


けどそう気を揉んでいる間にも、契りを交わした狼達に欺かれ、喰い殺されてしまっていたら?

昨日を境に、私はもう二度と、彼に会えないのかも知れない。

帰って来るのは、明日だろうか?それとも明後日?それよりも、もっと後か …?

一縷の望みを抱かされたまま、置いて行かれる日々を、私は何度繰り返せば良い?


そう思うと、居ても立っても居られなかったのです。

私はただ、ずっと隣にいてくれた、かっこいい兄さんの姿を惚れ惚れと眺めていたかった。

それだけなのに。


ええ、兄さんは、既に婚約相手がおりまして。

その娘も産まれたばかりという、それはそれは実りある時期でございました。

本来であれば、二人で乳母車の中を幸せそうにのぞき込むような日々を送るでしょう。

それなのに、兄さんは一族の長の顔をする合間を塗っては、狼達が棲む森へと抜け出してばかりだった。


妻を、娘を蔑ろにしていたとは言いません。

ですが、やはり傍らから眺めているにはもどかしかった。


どうしても、私は狼に魅せられる前の、今までの兄さんに戻って欲しかった。

それが駄目なら、せめて。せめて、





そう、兄さんが、隣に居さえすれば良い。


そう言えば、彼は常日頃からこんな事を話しては、口にした夢は叶うと嬉しそうに胸を膨らませていたっけ。


俺が正式に後を継いだら、狼を狩ることを掟として禁止する。

人間と狼が、何も思わずにすれ違えるようなヴァナヘイムにして見せる。

きっとできる。みんなの先頭に立って、往年の過ちを認めて俺が跪くから。

そんな恐ろしいことを打ち明けていたのです。


私は当時、既に何日も留守にしていた兄さんの日記を暴き、その一部始終を盗み読んでいました。

ええ、お互い考えることは一緒です。

幼い頃に内緒で示し合わせた暗号を、彼は未だに、同じように使い続けていたのです。

隠し場所まで、どうせ決まっている。

貴方様は、既にそれを見つけておられるかと。



ですから、その跪く相手というのを、私は窺い知ってしまったのです。

兄さんが森から出てこようとしない理由がわかりました。

本当に、心から語り合える相手に事欠かなかったのだと、ようやく気が付いた。

秘密の大狼とのやりとりの一部始終が、私には行間から読み取れたのです。


唖然と致しましたとも。

明るみに出れば、神族は背信者として転覆する。もはやそんな問題ではありません。

兄さんは、本当に狼の傍らに立とうとしていて、その時がくれば、私の元からいなくなってしまうつもりだ。



取り返さなくては。

大狼とそれから私の、兄さんの取り合いっこに御座います。


私は、兄さんのことが大好きだ。

けれど、彼はその大狼と一緒にいたがっている。

そしてその仲に、私は入って行けない。




……このとき、私の中に。

狂った発想が芽生えたのでございます。


だったら…兄さんを手伝ってあげれば良いんじゃないのか?


狼達を皆、ヴァナヘイムの僻地の森へと呼び込めば。

兄さんは狼に会うため、酷い遠出をしなくて済む。

私の近くで、今まで通り、ずっと笑っていてくれる。


そうだ。

私が兄さんの代わりに、やるんだ。

双子に揃って与えられた力を、今だけは ’僕’ の方が上手に使えるその力を。

転送術を、召喚術を、

異世界への入門を。


貴方様は、どうして異世界へと訪れる必要があるかと思われるかも知れません。

ですが、大胆に思い至ったかに見えて慎重なのですよ。私まで兄さんのように向こう見ずではいられなかったのです。

…つまり、万が一、大狼の逆鱗に触れてしまったがために、暴れ回ってしまった際の保険と言えば、納得して頂けるでしょうか。


私には、追放呪文の受け入れ先を確保しておく必要があったのです。


飽くまでも最悪の事態に備えてのことです。

兄を全幅で信頼するなら、きっとこの一方的な提案を理解してくれる。

兄が説得してくれる、遂にこの時が来たのだ。

一緒に暮らす時が来たと、互いが受け入れないか。そう諭してくれる。

そしてその大狼は、彼の言葉を理解するだけの思慮を伴った狼だ。


大丈夫、全ては兄さんの願い通りに進む。

私は、その計画の一端を担うだけ。



そう言い聞かせても、全ては自分のため。

兄さんを隣へ取り戻すため。

狼さえ此方へ呼び込めば、彼は此方に留まらざるを得ない。

それが狙いでした。



一晩だけです。

私は兄のふりをして、その大狼の巣穴へと赴いた。


きっと瓜二つの自分を受け入れてくれる。

彼は悪い顔ひとつせず、妻と仔狼達が暮らす洞穴へと導いてくれました。



それからのことは、先に申し上げた通りです。

悲しいぐらいに、ことは上手く運んでしまった。


大狼は、私のことを梅雨ほど疑わなかったばかりか、夜更けに巣穴を後にしたのです。


いいえ、きっと彼は気がついていた。

無防備にすることを、望まれていたと嗅ぎ取った。


それを了解だと一方的に受け取って、

私は狼達を、攫ったのです。


襲撃の狼煙は、瞬く間に兄弟の耳へと届きます。

相当な荒れ模様で、防壁を蹴散らしてきていると。


私は、腰が抜けてしまいました。

やっとの思い出振り絞った勇気が、こんな裏目になるだなんて。


攫った狼達は釈明する間も無く、あっという間に捕虜として取り上げられてしまった。

子供だ。仔狼が効くぞ。

人質として連れてこい。



……。

必死に仔狼たちを守って立ち塞がった母狼に、私は二度と顔向けができません。

命を落とすまで戦った彼女に、何の罪も無かったはずでございます。


Teus殿。私は喰われたいのでございます。

獲物となりたい。せめて彼女が死後の世界で永遠に腹を空かせぬよう。

貪られ続けたい。

それでも尚足りない。

足りないのです。



最悪の事態は、訪れました。

一族の長は、史上最大の狼を退け、民を救わなければならない。

王になるとは、英雄となることですから。



私の出番です。

ええ、影武者となる準備は、十二分に出来ています。


これからのヴァン神族を率いる者。それが誰であるかは、王族にも民衆にも、もう殆ど決まっているようなものでございました。

彼の犯した過ちが如何様であろうとも、彼に継がせなくてならない。

表向きには償わせなくてはならないが、同時に彼を失っては、没落を免れない。

知れ渡れば、アース神族はこの機を逃さないだろう。


そのためには、犠牲が必要なのだ。

いざとなれば、お前がその役割を担うんだ。

常日頃から、言い聞かされてきたことです。

しかし、覚悟はできていませんでした。



「兄さん……。」


あの部屋に篭り、ただ怖いよ、ごめんなさいと泣き崩れていた。

もう一度あの大狼と対峙するなんて、私はとてもそんなことできっこ無い。



助けてください、兄さん。



そう命乞いをしたのです。







「Teus 殿……まだ私は、兄の名前をお伝えしていなかったでしょうか。」




ダイラス、ダイラス・ヴァン・ルインフィールド。そういう名です。


そして…私の名前は、ゴルト・ヴァン・ルインフィールドでございます。



そう、私はゴルト・ルインフィールドでございます。


一族を混乱に陥れて狼に食い殺されていった、哀れなヴァン神族の王、その弟であり、彼に代わって一族を形式上は治めることとなった象徴なのです。


ですが私は、名実ともにダイラス・ルインフィールドなのです。

彼の弟を大狼へ食わせることで、罪を死によって贖い、弟へと生まれ変わった、本来の王なので御座います。


言ってしまえば揉み消しです。

その歴史を皆黙認し、その上で私を王と崇めた。



そして、Teus殿。

こうお考えになってください。



ダイラス兄さんは、誰よりも弟の事が大好きだった。

彼を犠牲にして生き続ける世界に、何の意味も無いと。

それが狼に溢れた、幸せな彼望んだ未来だったとしても。


そんな明日は、己の力で変えるべきだと。



「…ま、待ってください!?」



「そ、それじゃあ、あの時に犠牲となったのは…?」



ええ。

気がつけば、私の代わりに大狼の前に立っていたのは、兄でした。



ダイラス兄さんは、兄の代わりとなった弟とすり替わったのでございます。



ですから、Teus殿。



素晴らしい慧眼でございます。そこまでご承知ですと、話が省けて助かります。物語は大凡、そのようで誤りありません。

ですが、Teus 殿。私は、その弟なのでございます。

成りすましは、二重に成功を収めたのですよ。



今まで何もお伝えできずに、申し訳ございませんでした。

そしてよくぞ、他所者では辿り着けぬ一族の秘密に近づかれた。

見込んだ通りでございます。その行動力から得た洞察力、兄にそっくりだ。




しかし、あと一歩。

皆と同じく、あと一歩、及ばずにございます。


…昔から得意なんです。

こうやって互いに入れ替わっては周囲を困らせ、悪戯に興じるのが。




ああ、楽しかった。

数百年に渡っての、大すり替えにございます!



ですが、こんな話は俄には信じ難い。

証人となってくれる相方は、とうにこの世を去っております。

ひょっとすると、そうとさえも自覚できない、耄碌な年寄りのぼけに呆けた作り話であるのかも。





私は、どちらでしょうか?

もう、貴方様でさえ、お分かりになれません。



私ですら、自信が無いんですから!

はは…ほっほっほ…ゲホッゲホッ…ゔぇほ…えほっ…。



あぁ…申し訳ございません。Teus殿。

こんなにも楽しい気分は、久しぶりでございましたので…!


お聞きなさってください、Teus殿。

ですが私は、手掛かりを差し上げましょう。


大狼は、怒り狂う余りに見境無く全員を殺すと言い放った。

それ故、最後の砦は不幸にも意味をなしたのです。


追放呪文を、唱えなくてはならない。


ですが兄は残念ながら、そこまでの高みへ未だ至れていませんでした。

勉強不足ですね、私が唯一優った点です。


彼は、この地続きな世界の範疇で彼を追放するので、精一杯だったようです。

この世界の遠い何処かへと届けて弟の追放呪文を繕うことで、お茶を濁すことしか出来なかった。



この土地の一部ごと。

証拠となりうる兄自身の屋敷ごと。

言い換えるなら、犠牲となった弟の屋敷ごと。


良いですか、重要なことです。表向きに犠牲となった者の家を消し去る事が肝要なのです。

私ならば、迷わず私の邸宅を引っ提げたでしょう。

兄も、同じことを考えたようです。

その結果は、何れも同じになりますね。

貴方様はそこを見誤った。

ああ、低く見るつもりはございません。

良くない癖です、上手く騙せるとつい、喜んでしまいます。

その手掛かりは、貴方様を惑わせてしまったようだと、お察しするだけに留まるのです。


そして、私は彼等が、転送されて行くのを見届けるその刹那。

またも自分勝手な情に惑わされてしまった。


この狼と兄さんは、一緒に世界の果てへ飛ぶだろう。

大狼の怒りを一心に背負って、粉々になるまで切り裂かれるに違いない。

そして私は王として、これからもずっと、再び大狼が我々の前に姿を現すその日まで、犯した過ちに怯え続けなくてはならない。



ならばもう一度、大狼と兄さんの取り合いっこをしてみるのはどうだろう。

こうしてみるんだ。

その転送の瞬間に、兄さんを引き戻せないか?



…私なら、出来るはずだ。

今すぐに、群衆の間を掻き分け、抜け出して、

貴方に向かって手を伸ばすしかない。



遠隔転送は、何の準備もなしに行うのは危険です。

下手をすれば、対象を目的地と此処で切り離してしまう。

ご存知かと思われます。


だが、大丈夫だ。

彼等は、親友同士、心を許しあっている。

なら最後のその瞬間まで、じっと運命(さだめ)を受け入れてくれる。

そう信じて、私はダイラス兄さんに合わせて、手を伸ばした。



そうしたら…!


ああ、何と言うことでしょう。

あの大狼も、取り合いっこを心得ておったのです。


ヴァナヘイムに留めんとする私に対抗して、あの大狼は動いたのです。


ぐいと兄さんの腕を掴んで、引っ張った。


私の描いた円環から、兄さんを引っ張り出してしまった。







…本気で兄のことを殺そうとしたのか?


私は今でもそう思っております。

皆もそう悼んでいるに違いない。




ですが、殺したのは、私です。

私が、転送術を、誤った。


兄さんの体を、真っ二つに切り裂いた。




結局兄さんは、彼のことが大好きだった弟と、それから大狼と一緒に残ったのです。




その意味が分かりますね?

私は、人間も、狼さえも、殺してしまった。

もう、どちらでさえもありません。

どうぞ、たとえば怪物であると(なじ)って下さいませんか。




はあ、ようやく、心の内を吐き出せた気が致します。

そうもっと感じられるよう、仰ってください。

私は、間違っていたと。

なんでも欲しがりすぎた。欲深な偏屈であったと。





長くて、苦しい、偽りの一生に終止符を打ちたく思います。


思い返せば、心を宿し代えるとは、いやはや狂っている。





人が変わったようだ。そう思われなければならなかったのです。

世継ぎは弟が行うこととする。その形式的な真意こそ、前面に押し出さなくてはならなかったのです。

今となればそんな事情も垣間見えます。他の一族に台頭されては、決してならなかったのでしょうな。

弟の人やなりが相応しいものであるかは、吟味されませんでした。

形式上はそう扱われているだけに過ぎませんからね。

ええ。言ってみれば、私は取り残された哀れな弟を演じた、兄という名の操り人形です。


そして、そうである事を望んだ弟なのかも。




…色々と苦労致しました。

どんな演技も、こなして見せなくてはいけませんから。

勇敢で、少しばかり先を見通すことを面倒臭がる人柄も、

人前で変人であることを厭わぬ覇気も、

神族の長として、皆を率いるさだめも、覚悟も、


全部、ずっと一緒にいてくれた兄さんのふりでございます

私なら、きっとできるからと

兄は、兄さんは、そう言って

大狼の前へと立ちはだかったのです。



一番大変だったのは、私は ‘狼が大好きな振り’ をしなければならなかったことです。

今からは、想像もつかないかもしれませんが、彼らの頬に手を寄せることすら、初めは震えが止まらなくて…。

食べさせるための肉塊を切らさぬよう、いつも袋の中に手を突っ込んでおりました。

兄さんは、言葉の通じぬ彼らとどうやって意思疎通を図っていたのだろう。

お別れする前に、もっと話を聞いておけば良かったと後悔しました。

全ては、手探りだったのでございます。


…尤も、情が移るまで、時間はかかりませんでしたがね。

やはり双子の兄弟だ。

何でも同じでいたがるものだし、ちょっと違っていたくもある。


彼が言う共存とは、何だったのでしょう?


Teus殿。これが、私なりの未来でございます。

ですがきっと、兄さんは狼達のことを、こんな風に手の届くところで可愛がるつもりでは無かったのかも、とも思うのです。


それで良いと思うのは、私がすっかり心をダイラス兄さんになりきれなかったからでしょうか?


ああ、長話にも、疲れて参りましたね。


しかし、ようやく辿り着くことが出来ました。


さあ、参りましょう。

Teus殿。



兄を失い、王となった翌々年のことでございます。

彼らとの外遊にも慣れ、周囲の視察が日常的になってようやく気が付きました。

こんな辺鄙な中腹にぽつねんと、このような廃墟が送り飛ばされていたのでございます。


誰の仕業か?それは私にも分からぬことでございます。

しかし、兄さんは…いいえ、何でもございません。



きっと、ダイラス兄さんが、頑張ってくれたから。




「…娘は帰ってきた。」





よもや大狼の仕業ではありませんよね?

そんなにも、私に罪の色を知らしめたいのですか?









ええ、その娘こそが、




貴方様の婚約相手


狼に育てられた仔にございます。


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