84. 総帥の召集 5
84. Patriarch's Bidding 5
長老様の足取りは鈍く、それ故一人語りは淀みなく続いて行った。
Teus殿もまた、一族の栄華を彩るご立派な使命を帯びているのでしょう。
それに、辟易しているようにも、見受けられます。
ああ、軽口を叩いてしまいました。ご無礼をお許しください。
貴方様が何故、遥々このような地まで足を運んで下さったのか。そんなことはお尋ねいたしませんとも。
ですが、きっとお分かりになっている筈です。
そのようなお力を持っていると、驕ると。
神様と呼ばれる者達は、実に様々な力を有しておいでです。
鳥のように空を舞って見せたり、身に纏うようにしてものを浮かせて従える者。
悲劇的で厭世的な予言者に、死の淵から人々を救い得る癒し手。
お心当たりが、おありですか。
一人や二人では、無いでしょう。
そんな中に、ヴァン族を率いる神々の中でさえ、群を抜いて崇められるほどの力を持って産まれた神様がおったのです。
彼らは…なんと申し上げればよろしいでしょうか。
世界を…渡り歩く力を持っていたのです。
「……。」
ええ、Teus殿。
そう言ったことが、出来たのでございます。
俄かには信じ難いことです。
そして、このようにお思いでいらっしゃるかも知れませんね。
そんな神域の業が許されようと、何の意味も無いと。
使い手は持て囃され、英雄として送り出されるだろうが、やっていることは、
反吐が出るくらいに後ろめたい。
そうではございませんか?
「うっ…ぐぬ…」
「ゴルトさんっ!?」
それまでも何度か脚を取られていたが、長老様は突然身体をSkaに預けて倒れ、呼吸を荒げながら胸を抑えた。
「はぁっ…むうっ…んん…はぁっ…」
「もう歩かれない方が良いです。私が負ぶって行きますから…」
本気で心配になった。危篤を告げられながらも、我が身を顧みず外出すると言って聞かなかったのだろう。
このまま歩かせるのは、自ら寿命を縮めるようなものだ。とても黙って見てなどいられない。
自分が駄目ならば、せめてSkaの背に乗せて貰ってはどうでしょう。
「ありがとうございます。ですが…どうか、お許しください。」
「どうか彼との散歩を、私目に続けさせてください。」
「それが、Skylineの願いなら…」
「私は…私は、応えたい。」
……。
「……Teus殿。私は、貴方様を一目見て、狼のことが気になって仕方が無いのだと確信いたしました。」
「え…?」
「貴方様は、そのお力を、きっと狼を殺すために使わない。」
「…兄と、同じであると。」
私の兄は、言ってみれば、ヴァン神族を治めるに相応しい人物として期待されておりました。
次期、族長と言えばよろしいでしょうかな。そのような身分を与えられた上に、類まれな奇跡を有していたのでございます。将来は嘱望されていたのだと、思っています。それぐらい、稀代の才能と目されておりました。
自慢の兄でございました。
英雄などに微塵の興味も無い癖に、冒険に出掛けるのが大好きでございました。
私は気が小さいものですから、とてもヴァン川を渡って森の中を探検するなど、考えられませんでした。
周りの者たちも、それを心配するどころか、寧ろ奨励していたように思います。
もうヴァナヘイムの周辺の狼たちは、みな大河の向こう側へと逃げ出してしまったからでしょう。
彼が狼の住処を見つけ、きっと狩りを成功させることだろうと見守っていたのでございます。
ですが…兄は、そんなことは致しませんでした。
それどころか、巣穴を見つけてこんなことを言いだしたのでございます。
狼たちと一緒に過ごして見たいなどと!
ああ、兄はきっと貴方様と同じことを考えていた。
どうして、彼のことを理解しようと思わなかったのでしょう。
一緒になって覗いてみようと、仲間に入ってみようと思わなかったのでしょうか。
私は、もう老い先の短い嗄れ者です。ですが、未だにそんな冒険に誘われることを、夢見ます。
ですが、幼い私は只々、怖かったのでございます。
私は兄のその向こう見ずな行い、それ自体にも恐れを抱いておりました。
しかし、他の神々を震え上がらせるような、もっと恐ろしい噂が、ヴァナヘイムに立ち込めていたのでございます。
……とある狼の伝説が、鉄の森へと降り立ったのです。
我々が疑わないぐらいに、狼狩りが慣習として、文化として横行するようになってからのことです。
ある時から、ヴァン川を渡った先へ、狩りに出かけた者たちが、口を揃えてこう叫ぶようになりました。
「狼が、狩れない。」
と。
その理由を、初めは誰も理解できずにおりました。
どれだけ丹念に足跡を追ってみても、まるで此方の足取りを掴めているかのように、姿を晦まされてしまう。
罠を張り巡らせても、寄り付かないどころか、修復できないほどに壊されてしまう。
何故だか分からない。けれども、侵入者の行動は全て予測され、あらゆる手段が無為に終わってしまうのです。
そして最も恐ろしいことは、立ち入った全員が、無傷で森を出て来ることなのです。
手掛かりも掴めぬまま道に迷わされ、疲れ果てたにも拘らず、彼らはそこにいる気配だけを残し、沈黙していたと言います。
彼らを殺しに来た人間たちに、一切の危害を与えず、返してしまう。
この森の狼たちは、我々を完全に凌駕していたのです。
なぜ、こんなことが起きるようになったのか?
ある狩人が、その元凶の痕跡を見つけたのだと、当時は話題になったかと記憶しております。
ええ、それは大騒ぎでございました。
とんでもなく大きな足跡に、一匹のものとは思えない糞。
大木に警告を込めて付けられた、特大の斧で引っ掻いたような傷跡。
そして、狼の遠吠えに混じって紡がれる、ぎこちない人間の言葉。
森の中で、多くの者が、その声を耳にしました。
「そ、それって……!」
俺は、反射的に叫ばずにはいられなかった。
やはり、この方は、知っていたのだ。
「ええ、その通りでございます。」
「……ヴァン川に大狼が、現れたのです。」