82. 霜噛み
82. Frostbite
怒りに身を任せ、我を忘れる。
そのことに、俺は良い味を覚えてしまったようだ。
顧みれば、どうして今まで、そのようにしてこなかったのだろうと思う。
幾らでも、こんな感情が湧いて良いときはあった。
両親に見守られながら、檻の中へと引き摺られていくとき。
ようやく俺を受け入れてくれると思えた大狼を、喰い殺したとき。
待ちに待った、自分の一生を終わらせてくれる神様が、期待外れだと悟ったとき。
俺は、怒り狂うというより、哭いた。
一匹とは、そういうことだ。
俺には、溢れそうでどうして良いかも分からない感情を、ぶつける相手がいなかった。
自分が精一杯に声を張り上げても、無駄だと知っていたのだ。
ぶつけたい、という衝動は、随分と勝手であるなと我ながら思う。
ひょっとすると、皆はそれを堪えられていて、自分にはその力が欠けているのかも知れないな。
だが、幾年も触れ合うことを断たれると、その欲求は恐ろしく溜まるのだ。
日々のやりとりで、少しずつ満たされていたならば、俺はきっと、そうは思わなかった。
では、どうしていたか。
俺は、尾を垂れて、涙を零していただけだ。
分かって欲しいようなこの気持ちは、そもそも、誰かに送り届けるべきものであるのか。
それすらも、自信が持てなくなるような日々。
二度と逢うことは叶わない、朧げな二人と、大狼の影。
みんなは、俺の中で、ずっと笑ってくれるだけで。
でもそれなら、それで良いや。
俺は彼らにそれ以上訴えるのを止め、また悲しい気持ちが込み上げて泣き出すまで、丸くなって眠るのだ。
「俺はぁぁっ…ロキィッッ…俺は、お前のことが……嫌いだあ゛ぁっ……大っ嫌いだぁぁぁっっ!!!!」
俺は、本質的に変わってしまった。
痛いだとか、苦しいだとか、憎いだとか。
吠え猛っても仕方がないようなことを叫んだなら。
感情をぶつけ合っても良いと思える相手が、傍にいて。
そして何かが返って来ると、期待するようになってしまった。
“フーッ…フーッ…ヴヴゥゥゥゥ……ゥゥゥ…ヴア゛アッッ…アア゛ア゛ッッッ…!!!”
俺は傲慢にも、一匹ではないなどと、思うようになった。
遠吠えをしたならば、それに応えようとしてくれる、群れ仲間がいる。
俺は、幸せになってしまった。
俺は、履き違えているのか?
どうして、誰も、応えてくれない?
Teus、Ska。お前達は、苦しくないのか?
同じ気持ちで、いるのだろう?
俺には分かる。TeusもSkaも、俺の大事な友達でああるから、わかるのだ。
さあ、一緒に吠えよう。
吠えようぜ?
さもなくば、また俺は、
また、哭いてしまいそうだ。
「ウゥッ……うぅ……あぁぁっ……。」
場の冷めきった空気に、俺は夜空を仰ぐ力さえも失い、項垂れる。
そうか。
誰も、俺の下手くそな遠吠えには、答えてはくれぬか。
そうだよな。
「……っ!?」
「Fenrir……?」
「Fenrirっ…!!…Fenrir!!」
……?
「Fenrirっ…見てっ!!」
何だ…?
一体、何に気が付いたと言う…
「Siriusがっ…!!」
……!?
彼がその名を口にしたことで、全身に鳥肌が立ち、堪らず震え上がる。
呆然としていた俺は、その光景に大きく目を見開いた。
奇跡が、起きていたのだ。
「なっ……?」
俺の耳障りな遠吠えに、たった一匹だけ、応えたやつがいた。
見れば、もう眼を醒まさないかと思われた若い狼が、
弱々しく鼻先を擡げているではないか。
マントの中で、微かに尾が動く。
“……?”
彼の灯火は、まだ失われてなどいなかったのだ。
「「Siriusっ……!!!」」
Teusと俺は同時に叫び、動揺を抱えたままにその様子を覗き込む。
「そんな、ことがっ……!」
Teusの処置は、適切であったということだろうか。
分厚いマントに丁寧に包まれたSiriusは、俺が奔走する間に失ってしまった体温を再び取り戻すのに一役を買ってくれたらしい。
或いは、その毛皮に同胞の匂いを嗅ぎ取り、意識を取り戻したのかも分からない。
大狼では、とても与えられぬ感覚だっただろう。
「ああ、まだだ……まだ生きてる…!」
その言葉を耳にしただけで、瞳の奥が滾り、涙が零れだす。
「Siriusっ!!…Siriusがぁっ!!」
「Siriusが、まだ生きていたっ…!!」
そんな周囲の興奮を他所に、唯一、彼の覚醒を奇跡と捉えていない者がいた。
Skaだ。
父親にとって、息子が目を醒ますことなど、必然であったのだ。
“ああ、そうだよ。パパが分かるかい?”
“うん…。”
“パパはここで、隣で一緒に寝ているからね。”
“よく頑張った。”
当たり前だ。Siriusは、僕の可愛い家族のうちの一匹なんだから。
Siriusは、必ず僕が傍にいてやるだけで、息を吹き返すに決まっている。
僕がこうして、優しく頬の毛皮を舐めて、温めてやるだけで。
君は、弱い狼なんかじゃない。
こんなところで、眠ってしまうはずが無いんだ。
でもね、僕がいくら頑張っても、僕のお陰なんかじゃないんだ。
Sirius、君が頑張ったから。
君が一生懸命、戦ってくれたから。
君は眼を醒ました。
“ぱぱ…”
Siriusはにっこりと微笑むと、父親の愛情にもっと触れ違った。
震える口元から青ざめた舌を覗かせ、鼻先に触れようとする。
“やっと…あ、え……た”
“ああ、寂しかったね……。”
Skaは、自らも鼻面を差し出してそれに応えた。
“ぱぱも、ずっと会いたかった。”