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【続編連載中】Wolfhound(ウルフハウンド) ー神話に殺された狼のやりなおし  作者: 灰皮 (Haigawa Lobo)
第4章 ー 天狼の系譜編 
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81. 雪上の血痕

投稿に日が空いてしまい、申し訳ありません。

短いですが、次話と合わせて読んでいただければ幸いです。

81. Blood on the Snow


大地の脈動がようやく収まると、辺りは再び、吹雪の駆け抜ける静けさだけに包まれた。

念には念を入れよ。更なる揺れが襲って来る予兆は、もう無いか。

狼に狙われる鼠のように息を潜め、脅威が去ったことを確認すると、俺はようやく四肢を踏ん張って立ち上がり、分厚く覆い被さった雪の中から身体を曝け出した。


「ぶぁはぁっ…」


想像以上に重たく、息苦しかった。第二波が来ようものなら、喩えこの巨体であろうと押しつぶされ、窒息していたかも分からない。


“い、今のは…?”


突如として起きたそれは、地平を襲った大雪崩だった。

雪の津波、とでも言えば良いだろうか。俺の身体をも容易く押し流すほどの勢いで、辺りを覆いつくしていったのだ。

今まで体験したことの無いような冬の怒りに、俺は成す術も無くその場に身を屈めて(うずくま)った。


傷ついた同胞を最も安全に(かくま)う方法は、彼の身体ごと自分の大きな口の中に入れておくことだった。

心の底からやりたくなかったが、やむを得ない。咄嗟に用意できる防護網は、これぐらいしかなかったのだ。

うっかり呑み込んでしまったらどうしようと思うと、気が気でなかったのだが、そんな逡巡を許さないほどに、事態は差し迫っていたのだ。毛皮に包まれた彼を乗せた舌に、何の味もしなかったことがせめてもの救いだと言えた。


“大丈夫かっ…Sirius…?”


避難させた口の中は、大層居心地が悪かっただろう。

何の前触れもなく周囲を暗く覆った上に、狭く湿った隙間に長時間押し込めてしまったな。


“苦しかったよな…もう、脅威は去ったぞ。よく頑張った…”


不安のあまり、俺は何の根拠もない会話を続けようと言葉を繋ぐ。

こいつは、本当によく頑張った。もう一度だけで良い。俺にその力をみせて、安心させてくれないか。

尻尾をちょっと振るだけで良いのだ。それもしんどいか、ならば瞼をぴくりと動かし、半目を開くだけで良い。


“……。”


恭しく吐き出して雪の中に横たえたSiriusは、俺の呼びかけにぴくりとも応じない。

お前をほんの少しの間だけ食べるぞと詫びても、彼は俺の口元で獲物のようにぶら下がったままだった。

口の中で、毛皮の温もりを感じるまでは、俺は本当に手遅れとなってしまったのではないかと息も出来なかったほどだ。


俺は、吹雪に幻影を見せられているに違いない。

本当は、目の前に横たわるSiriusは溌溂と眼を光らせ、俺を悲しませまいと可愛らしく喉の奥で哭いているはずなのだ。




Teusを背中に乗せたまま、大雨の中を巣穴まで走った日のことが思い出される。

暗闇の中で力尽きた姿が彼と重なり、心底ぞっとする。


あの男のことを、雨宿りとして口の中に入れる勇気は無かったと思っている。

それは今になっても同じことだ。俺は彼に、自分から頬をすり寄せるだけで精いっぱいであり、あれが俺に出来る、最大の勇気だったと思っている。

俺はそれ以上のことをした。Siriusを救う為ならば、何の躊躇も無かった。

彼が紛れもなく狼であったからだ。


俺は、彼を巣穴まで連れて行くことだけを考えて、ヴァン川の畔まで駆けてきた。

猛吹雪の魔の手が届かぬところで、あいつにそうしたように丸く彼を包み、時折食事を与えてやれば、きっと大丈夫だと、信じていたからだ。


Siriusが、Teusよりもか弱いはずがない。

彼は、俺の手によってきっと息を吹き返す。

急がなくては…こうしている時間も惜しいほど、命の灯火に猶予はない。



“Sirius……。”


いくら己を急き立てても、俺は一歩も動けずにいた。

ある予感が、俺の目の前を、暗く覆いつくしていたのだ。




俺には、この狼は救えない。




この足に刻まれた、醜い傷跡が、それを物語っている。




“……申し訳、ありません…。”




俺は一言だけ詫びを入れてから、彼の首元を咥えて拾い上げた。

もう、聞こえてなどいないのだろう。




この吹雪は、天災なんかではない。

分かる、俺が生きてきた中でも、こんなことは初めてだ。

これだけ杜撰に世界を呑み込んでおきながら、木々の一本だって、裂かれ、倒されてはいないではないか。


耳を澄ませれば、辺りは何事も無かったかのように、静寂を保っている。

呑み込まれたのは、どうやら俺達だけだったようだ。


それが意味することは、何だろうか。

今まで目にしてきた神の奇跡が示すことは、たった一つだ。




俺は心の底から、人間の友達が出来たことを、感謝すべきなのだ。

だって、何もできないから。

俺は、彼のような、素晴らしい狼になんて、なれなかった。


僅かに貴方に達したような、そんな夢を見たような気がしています。

浅くて、儚い夢でした。

ずっとそこで、一緒に微睡んでいたかったほどです。


ごめんなさい。Sirius。

私は、人間を頼ります。





「……帰って来た、のだな…?」




「Teusよ…。」




引き返さねばなるまい。

俺も、そちらへ向かおう。


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