0.プロローグ
0.Prologue
これは、とある神話の一場面だろう。
目の前には巨大で、堅牢な檻が雪原にただ一つ、聳え立っている。
夜だ。月の光の弱い、曇り空だった。
薄く雲を被った白い月は、今にも消えかかりそうなくらい細く、鋭い。
空は漆黒のまま、絶望の上に成り立った秩序を黙って見下ろしている。
その中を落ちていく雪の屑を、風は気分で好きなように玩んでいた。
落葉のようにされるがまま。
ゆっくりと、意味もなく揺り動かされ、また雪原の一つへと還っていく。
そして時折舞い上がる突風は、地に覆い被さった欠片を身に纏い、白い騎兵となって俺の身体を突き抜ける。
…この感覚、前にも感じたことがある。
近づくと、檻の中の怪物は、俺に向かって威嚇の唸り声を上げた。
この檻の中には一匹の怪物が捕らわれている。
狼だ。
鎖と鉄枷で縛り上げられ、身動き一つとれぬまま。
もう目は絶望しか映そうとしない。
狼は怒りを込めて呟いた。
お前を喰い殺してやる、と。
復讐だけを夢見て、それだけを生きる糧として。
喰い殺してやる。
場面は変わり、またある一つの情景を映し出す。
今度は戦禍の後日に立たされていたらしかった。
石造りの神殿のような建物の数々は、中世のとある国を彷彿とさせたが、恐らく違うのだろう。
人の気配を全くと残さない、重く垂れこめた曇り空の下の惨劇。
夥しい数の死体の最期は様々だ。どれも見ただけで恐怖を覚えるほど、酷い。
たった一匹で、こんな情景を創り出したのだとすれば、それは何が故だろう。
殺して、殺して、それでもまだ飽き足らず、喰い殺し続けた。
…この感覚もまた、これもまた覚えている気がする。
そしてまた、目の前には巨大な狼がいる。
だがこの狼もまた、死を迎えようとしていた。
心臓に突き刺さった一本の大きな剣。もう助からない。
狼は、苦しそうに呟いた。
お前を喰い殺してやる、と。
飽くなき欲求に飲まれて、それを生きる糧として、死を前にしてもまだ。
お前を喰い殺してやる。
しゃがみこんで、倒れた狼の目をのぞき込む。
最初は、殺意のある眼で俺を睨んでいた。
だが、すぐに縋るような目つきへと変わり、しまいには子供のように泣き出した。
痛いよお…。
弱いのだ、こんな一生だったから。
後悔を、しているのかい。
嫌だ、死にたく、ない…。
なぜ?
殺すんだ…。俺が、喰い殺す…んだ!
どうしても、なの?
絶対に、喰い殺すん…だ…。
そうか…。
雨が降り出した。
狼は泣き止まない。痛くて、苦しくて、もがいていた。
やりなおさない?
…?
俺は残念ながら、君の運命を変えてやることが出来ないんだ。
だけど…
…それじゃあ、もう一度、聞きに来るから。
その時、答えを聞かせて。
狼は嬉しそうに、目を閉じた。
一度きりの人生を、どうか。楽しんで。