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序章(9)

 ゆっくりと、シファは森の中を歩いていた。フードのついた外套を羽織り、顔を見えなくした状態でうろうろと何かを探すようにさまよう。なにせ、彼は一部界隈では有名すぎるほど有名で、あまり顔を見られてはならないのだ。居場所がバレてしまったら、それこそ国中から兵士や傭兵が押し寄せてくることになる。彼の首を取るためだけに。


 そんな彼は森のあちらこちらを歩き回り――ふと、立ち止まった。じっと目の前の空間を見つめたかと思うと、すぐさましゃがみこみ、腰の高さまである雑草の根を掻き分ける。

 果たして、そこには一人の少女がいた。緩やかなウェーブのかかった亜麻色の髪に、病的なまでに白い肌、痩せこけた四肢、そして特長的な薄灰色の貫頭衣。シファはじっと彼女を見つめると、体を抱き寄せ、貫頭衣の前襟から少女の胸元を覗き見た。真っ平らな両胸の中央、その少し下には何重もの円と、その内側にところどころ紋様が加えられたものが描かれていた。魔法紋だ。そっと触れれば、それはほのかに熱を発している。


 魔法紋とは、魔法を作用させる対象に刻みこむことによって、魔法の使用を補助するものだ。特殊な配合をした液体で紋様を書き、魔法を使うことによってそのものに定着させる。対象は人でも物でもなんでも良く、時折魔具に応用されていた。

 それが、彼女の体に描かれている。つまり、この少女は常に何かしらの魔法をかけられている状態だった。おそらく、指定の空間では魔法を使えなくさせるものだろう。〝塔〟の魔法使いには全員刻みこまれているものだ。


 そう判断しながら、シファは魔法紋に触れ、自らの魔素を送り始めた。これを消すことなど、彼にとっては造作もないことだった。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 アルファードはあくびを漏らしながら森の中を散策する。正直すごく暇だ。眠たくなるのも必然だろう。

 もう一度大きなあくびをしながら、視線を頭上へ向けた。さわさわと揺れる木の枝と、赤く染まりつつある空。あと一時間もすれば日が暮れ、あたりは闇に包まれることだろう。そうなってしまえば捜索が困難になってしまう。はぁ、と、今度はため息をついた。


 緊急事態だからと、ミルヴィナとともに十人ほどの一般兵を連れて森へやって来た。少しぶらついていると、すぐに〝塔〟から抜け出したと思われる三人組の後ろ姿を見つけ、亜麻色の髪の少女を生け捕りにしようとしたのだが、別の少女に邪魔されて、捕まえなければならなかった少女はどこかへ飛ばされてしまった。殺した少女にそれほど魔法の才能はなかっただろうから、あまり遠くに入っていないはず。しかし、三時間ほど経っても少女は見つからなかった。


 正直、すごくめんどくさい。探索も今すぐやめたい。というかなんなんだよあの宰相。少女は絶対に生け捕りにしろとか言うくせに理由は教えてくれないし、そもそも少女が二人だったことも把握していなかったし……。

 ぶつぶつ心の中で愚痴をこぼしながら、アルファードはダラダラと探索を続ける一般兵たちを眺めた。あまり真面目そうでないのは、見つからなかった場合はどうせアルファードが非難されると知っているからだろう。魔法使いのくせにそれなりの地位にいるため、一般兵たちからは嫌われている。その意趣返しとしてこんなふうにゆっくりと探しているに違いない。ああ、もう、なにもかもがめんどくさい。ミルヴィナがいればそれなりに働いてくれるだろうが、彼女は用事のために王城へ帰ってしまった。たぶん戻ってこない。


 はぁ、とため息をつく。早く見つけないとな、と思いながらあたりを見回し――ふと、魔素が揺れる感覚がした。どこかへ吸い寄せられているような気配。おそらく魔法が使われている。

 口端をつり上げ、アルファードは一般兵らをその場に残し、駆け出した。一般兵が魔法使いと戦うのなら、それなりの準備が必要な上、特殊な魔具も用意しなければならない。しかし今回は戦うことを予定していなかったから何も準備はしていなく、つまり彼らはただの足でまといだ。置いていくのが最善策だろう。


 走っていると、高揚感が全身に満ちていく。近づくにつれ、誰が魔法を使っているのか、誰が近くにいるのか分かったからだ。吸い寄せられている魔素の量がどんどん増えていく。それだけ大規模な魔法、使えるのはほんのひと握りしかいない。その中でも、今この場で魔法を使うとしたら一人――。


「シファ!」


 アルファードは、見えてきた背中に対して呼びかけた。人影はゆっくりと振り返り、そして厳しい表情を浮かべる。


「アル……」


 彼に向かって、アルファードは短く言葉を紡いだ。簡単な魔法の詠唱だ。口にし終わるとすぐに風の渦が両手に生まれ、それをシファへ向かって投げつけた。しかしそれはぶつかる直前、なにごともなかったかのように消え失せてしまう。シファが魔法を相殺したのだ。魔法とは、自らの魔素で大気中の魔素の効果を定義するもの、つまりは魔素の塊。同じくらいの魔素をぶつければ相殺することもできる。


 それくらいは分かっていたため、アルファードはすぐさま次の魔法を放つ。今度は火球だ。それがまた相殺される前に、次の魔法を用意して――。

 魔法が生まれ、それが消される。その繰り返しだった。しかもシファは抱き抱えた少女になにか得体の知れない魔法を施しながら、だ。余裕がうかがえる。


 チッ、と舌打ちをした。苛立ちが募る。こいつはいつもそうだ。魔法を打ち消してばかりで、まともに戦いやしない。きっと彼にとって、自分は殺す価値もない相手なのだろう。それが悔しい。どうにかして一泡ふかせてやりたい。そう思いながら魔法を放ち、今度は長い詠唱を始めた。


「燃えよ燃えよ、大火となれ。草を焦がし、木を焦がし、土を焦がし、天を染めよ。其らは大輪の花、炎の花なり。すべてを燃やし尽くし、この地に大いなる花を咲かせよ!」


 詠唱が終わった瞬間、アルファードから少し離れた空間に炎が生まれ、勢いよく燃え広がった。それはすぐさまシファと、彼に抱かれた少女を呑みこむ。

 やった、と思った。あいつに勝ったと、一瞬だけでも思ってしまった。

 しかし微かに、だけど力強い詠唱が聞こえてくる。


「水よ、天に集まり雲を作れ。陽光を遮り、雨を降らせよ。霧雨(きりさめ)細雨(さいう)涙雨(なみだあめ)。篠突く雨となり、炎を鎮めよ」


 朗々と響いた声が途切れると、すぐさまぽつぽつと頭上から雨が降ってきた。ちらっと見上げれば、いつの間にか重苦しい雲が空を覆っていて、少しずつ雨の勢いは強くなっていく。それこそ詠唱にあったように、霧雨から細雨、涙雨となり、最終的には篠突く雨となった。豪雨だ。痛いほど勢いの良い雨に思わず顔をしかめる。あっという間に、アルファードの作り出した炎は鎮静化されてしまった。


 分厚い水のカーテンの向こうでは、立ち上がったシファがこちらを見ていた。一つにまとめた長い黒髪が雨に濡れ、べっとりと肌にまとわりついている。彼はゆっくり微笑むと、口を開いた。


「今はおまえの相手をしている暇はないんだ。すまんな、アル。また会おう」


 その声は、雨が降っているにも関わらず、はっきりとアルファードの耳に届いた。申し訳なさそうな顔をしながら、シファは詠唱を口にする。魔素を集める。ここから逃げる気だろう。


「させるか……っ!」


 短く詠唱をし、手の内に風の渦を作り出した。それをシファのほうへ向けて放つ。当たるか、と思われたその直前、彼の姿はまるで幻影だったかのようにふっ、と立ち消えた。雨の勢いが徐々に弱まっていく。

 ちっ、と舌打ちをした。足でまといとなるような少女がいたにも関わらず、取り逃した。それがひどく悔しい。


「今度は絶対に捕まえてやる……!」


 先ほどまで憎き相手が立っていた場所へ向けて、アルファードは言葉を投げかけた。もちろん、返事はない。しかしそれを気にすることなく、アルファードはくるりと踵を返し、その場を立ち去った。


 ぽつぽつと微かに降っていた雨は止み、灰色の雨雲も霧散した。陽光があたりを照らす。焦げた木々とぬかるんだ地面だけがその場に残された。

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