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序章(8)

 何十回――下手したら何百回目となる魔法を使ったとき、突如光が差しこんできた。それは暗闇に慣れてしまった目には眩しく、エルカは慌てて目を瞑る。しかしいつまでもこのままではいけないと、ゆっくりとまぶたを押し上げた。

 明滅する視界に、青い空が映りこむ。揺れる木々の枝葉や地面に生える雑草も見え、まだ十分に視界が戻っていないにも関わらず、エルカは駆け出した。石につまづき、転げそうになりながらも、急いで駆け上がる。


 穴の外に出て立ち上がれば、そこは見たこともない場所だった。いつも遠くから見るばかりだった〝木〟が目の前にあり、そっと手を伸ばせば触れられる距離。地面にも〝草〟や〝花〟があって、どこからか聞いたことのない鳥の鳴き声も聞こえてきた。


 ――外に、出たのだ。


 その実感が湧き上がり、血液とともに全身を巡る。胸に形容しがたい感情が溢れ、どうしてだか視界が滲んだ。なにかが頬を伝う。だけどそれを拭う気にもなれず、エルカはただただその場の光景を見つめていた。

「エルカ」と呼ばれた。振り返ると、いつの間にか穴から出てきていたロットとニノが、興奮した様子でこちらを見ていた。ひどく嬉しそうに、頬を真っ赤に染めながら、ニノが口を開く。


「外、だね」

「――うん、外だね」


 喉の奥から声を絞り出して、頷いた。外。外だ。念願の、外。涙が止まらず、よりいっそう視界が揺らいだ。

 だけど、このままではいられない。


 目元を押さえ、深呼吸をする。新鮮な空気が肺を満たし、ほんの少しだけすっきりした。気持ちを落ち着け、涙を拭い、エルカは二人を見る。二人とも、同じように真剣な面持ちを浮かべていた。顔が青白く、よくよく見れば指先が震えている。きっと緊張しているのだろう。なにせ、ここは外だ。誰も私たちを守ってくれないどころか、むしろ魔法使いだと知れば襲ってくると思われる場所。恐怖を抱いてしまっても仕方のないことだろう。

 そう思いながら、エルカは口を開く。


「行こう」


 それを聞いた二人は頷き、走り始めた。初めての外。それをたっぷりと味わうことなく、急いでその場を離れる。追っ手は放たれていることだろう。さすがに現在地は知られていないだろうが、なるべく早く離れて、〝塔〟から遠ざかりたかった。

 そのときだった。


「土よ肥え、草よ捕らえろ」


 静かに、朗々と言葉が紡がれる。その声はロットよりも落ち着いた、男のものだった。「えっ」と、エルカは思わず声を漏らす。知らない声。つまり、この場には自分たち以外にも誰かがいる、ということで――。

「うわっ」と、ロットの声が聞こえた。慌てて振り返る。ロットが下を見ながらなにやらもがいていた。彼の視線を追えば、そこには雑草に捕えられたロットの足があった。地面から伸びた草が、どうしてだか彼の左足の膝近くまで伸び、絡まっている。


 ありえないことだった。あたりにある草は、長くても足首ほどまでしかない。それなのに、突然草が伸びて足に絡まるなんて、そんな魔法みたいなこと……。

 そう、魔法だ。魔法を使ったに違いない。もしかして、魔法使いがロットを捕らえた?

 けれど、どうして魔法使いが、仲間である私たちを――?


 次々と疑問が浮かぶ。頭が混乱して、まとまらない。エルカはただその場に突っ立って、どうにかして雑草から足を解放しようとするロットを見つめ続けることしかできなかった。


「エルカ」と呼ばれた。ニノだ。彼女のほうを見れば、こちらに向けて指を伸ばし、震えていた。あたかも、なにかを伝えようとしているかのように。

 恐る恐る、エルカは背後を振り返った。遠くから近づいてくる見たこともない男たちが視界に入る。その腰には、昔絵本で見たことのある〝剣〟があった。既に鞘から抜き、手に持っている人も。


 逃げなきゃ。そう思った。だけど足はまるで棒にでもなってしまったかのように動かないし、何よりロットは未だ自らを捕らえる植物と格闘している。置いて行くなんて、そんなの嫌だ。三人でずっと一緒にいたかったから逃げ出したのに、意味がなくなってしまう。


 どうしよう、と思って、だけどなにもできずにいると、「ニノ、エルカ」とロットが呼んだ。彼は悲しそうな、苦しそうな笑顔を浮かべ、諦めたように足の雑草から手を離してこちらを見ていた。


 嫌だ。そんな感情が湧きあがり、エルカは衝動的に彼のほうへ一歩足を踏み出した。けれどもう一歩踏み出す直前、手首が掴まれる。振り返らなくても、ニノだと分かった。彼女はエルカの手首を引っ張ると、そのまま敵だと思われる人々とは反対方向へと駆け出す。ロットから離れる。


「ニノ!」と叫んだ。彼を置いて行くなんて、嫌だ。だけどその気持ちは彼女も一緒なのか、「分かってる!」と返される。その声は震えていて、エルカはハッ、と我に返った。よくよく手元を見れば、彼女の手は震えていて、青白い。それも当然。ニノは、ロットのことが好きなのだ。こうして逃げることが辛くないはずがない。


 ああ――と、心の中で嘆く。外に行けば、自由になれると思っていた。追っ手がかかるだろうけれど、きっとなんとか(のが)れて、三人で幸せに暮らせると思っていた。それなのに、すぐに見つかってしまって、ロットも見捨てて……。

 涙が溢れてきた。エルカは空いた左手でそれを拭うと、前を向いて走る。今はそれしかできなかった。ロットを助けに戻りたいけれど、それでは結局三人とも捕まってしまう。殺されてしまうかもしれない。そんなのダメだ。


 ――だけど、このまま逃げたとしても、これからはどうすれば……?


 そう思ったときだった。鋭い風が顔の横を通り過ぎ、髪を揺らした。亜麻色のそれが視界の半分を覆い隠す。その隙間から、なにか細長い棒のようなものがニノの背中に突き刺さるのが見えた。硬直する体。なびく髪。ゆっくりと、彼女の体がかたむいた。

「ニノ!」と、叫んだつもりだった。だけど自分の声は何も聞こえない。いや、世界から音が消えていた。風に揺れる草木の音も、背後から近づいてくる足音も、何も聞こえない。


「エルカ」と、ニノの口が動いた。「逃げて」とも。それに、エルカは首を振る。逃げたくなんてない。ここで逃げて、それでどうすればいいの? それくらいなら、この場で、二人と一緒に死にたい。そっちのほうが幸せだ。

 すると、ニノは困ったような表情を浮かべた。子供のわがままに、どう対応していいのか分からないような顔。確かに、この願いは子供のわがままのような、明らかに正しくないものだろう。感情を抜きにして考えれば、ここは一人で逃げるのが正しいって、すぐに分かる。だけど、それでも……。


 ずっとニノの顔に向けていた視線を上げる。剣を()いた男たちがこちらへ向かってきていた。あと数秒もしないうちに着くだろう。そして二人して捕えられて――と、そこまで考えたときだった。手首を掴まれる。見下ろせば、ニノが手首を掴み、悲しげな笑顔を浮かべていた。唇がなにかを紡ぐ。

 そして――エルカの視界は暗転した。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「エルカ……」


 目の前から消えた親友の名前を、ニノは呼んだ。しかし声が返ってくることはない。当たり前だ。自分が別の場所へ転移(・・)させたのだから。

 ふっ、と自嘲する。本当は魔法を上手く使える。エルカには使えない魔法も、言葉を紡ぐ必要があるものの、きちんと使うことができた。それがひどく後ろめたい。彼女たちを裏切っていたわけではないけれど、ずっと嘘をついていたのだから。


 そのとき、髪の毛を掴まれた。耳元で、彼女をどこにやったのかと尋ねられる。ワーワーうるさい。顔をしかめていると、さらに頭を持ち上げられた。背中にひきつるような痛みが走る。刺さっているのはおそらく矢だろう。毒が塗られているのか、ひどく体が重たく、指を動かすのもやっとだ。魔法が使いづらい。……諦めるしかない。

 エルカ――。心の中で、ここにはいない彼女に呼びかける。あなたは私の、いえ、私たちの――。




 数時間後。そこには一人の少女の死体だけが残されていた。頭と胴体が切り離されており、絶望を色濃く残した表情で、その瞳は虚空を見つめていた。

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