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序章(3)

 魔法使いである子供はみな、十一になるまで教育係である魔法使いの女性たちから様々なことを教えられる。たとえば魔法の使い方。たとえば魔法使いが差別される理由。たとえば――。




 エルカとロットはニノと合流すると、すぐさま食堂へ向かい始めた。人の流れに沿って、上へ上へと足を動かす。作業をするための大部屋は、眠るためにある部屋とは違って地下にあり、食堂は地上一階にあるのだ。大部屋が地下にあるのは、この〝塔〟の中で唯一魔法が使えるよう設定され、またたとえ魔法を使って反乱を起こしても人ごと埋めてしまえばそれで済むから、だと言われている。この建物の壁は魔法を無効化するため、穴を掘って抜け出すこともできない。反逆を起こせば、待つのは死だけだ。だから反逆を起こすなんて愚かなこと。そう言われてきた。

 だけど……。


 ニノとロットが話しているのを聞き流しながら、エルカは考える。だけど本当に、反逆を起こすのは愚かなのだろうか? こうして家畜のように搾取されているにも関わらず、決して抗わないことのほうが愚かなのではないのだろうか? そんなことを思ってしまう。


 ふるふると首を振った。そんなことはない。エルカやニノにたくさんのことを教えてくれた女性も、決して抗ってはならないと言っていた。そうでなければただ痛めつけられるだけだと、自らの体を抱きしめながら、悲しげに目を伏せて。

 だからこれでいいはずなのに……。


「エルカ?」


 声をかけられ、慌てて思考の海から浮かび上がった。首を右に向ければ、ロットとニノが心配げにこちらを見ている。そんな表情に、ひどく申し訳ない気持ちになった。こんなおかしな(・・・・)ことを考えて、あまつさえ心配をかけてしまって……。

「なんでもないよ」と言って、笑みを浮かべる。二人に、この気持ちを話すつもりはなかった。自分の考えの方がおかしいことは、分かりきったことだったから。


 二人はなにか言いたそうにしていたが、顔を見合わせ、結局黙りこくった。話す気がないのを感じとったのかもしれない。おそらく、よほど思いつめない限りはそっとしておいてくれるはずだろう。そのことがありがたかった。

 胸が温かくなって、「ねぇ、」と呼びかけようとしたときだった。


 バチン! と、痛々しい音があたりに響き渡った。


 聞き慣れてしまった音に、エルカの肩がぴくりと跳ねた。思わず立ち止まる。後ろの人に迷惑になると思われたが、近くにいた全員が立ち止まったため、そんなことはなかった。

 あたりにざわめきが広がる。あの音は鞭で地面を打ちつけた音だ。つまり、誰かが〝お偉い様〟を怒らせ、鞭を振るわれてしまったに違いない。


 推測が廊下で飛び交う。すると再度鞭のしなる音が聞こえてきた。その音を聞くたび、近くにいる者が全員、自身が打たれているわけではないにも関わらず肩を跳ねさせてしまうのは、おそらくかつて打たれた、もしくは打たれているのを見た経験からだろう。ここにいる人々はほぼ全員、〝お偉い様〟の不満のはけ口としてそういう暴力を振るわれた、またはそれを見た経験があった。

 今日は誰が失敗したのだろう――そう思ったとき、まるでそれに答えるかのように怒声が耳に届いた。


「謝罪くらいしろよ! この、魔法使い風情が!」


 ――魔法使い風情。その言葉に、沈鬱な空気があたりに満ちた。息ができないのでは、と思ってしまうほどの苦しさが胸に押し寄せ、エルカはきゅ、と胸元で手を握りしめた。そう、私たちは魔法使い風情。あの人たちよりも下の存在。

 そう思ったとき、か細く、注意しないと聞こえないほど小さな声で、「……すみません」と女性の声が聞こえてきた。謝罪の言葉。しかし、〝お偉い様〟の不満は消えないらしい。バチン! と鞭の音がした。それと同時にうめき声もわずかに鼓膜を揺らす。どうやら体に当たったようだ。

「ああん!?」と〝お偉い様〟の叫び声。


「聞こえねぇよ!」

「……すみません」

「ああ!?」

「すみません!」


 悲鳴のような声だった。気迫に怯え、これからなにをされるのだろうかと恐怖していることがありありと伝わる声。もしかしたら今まさに、彼女は涙を流しているのかもしれない。

 そんなことをエルカは静かに思った。対象とされた女性には同情するけれど、それだけ。たとえ涙を流していようとも、それは結局他人事で、この人混みを押し分けて女性の前に立ち、自らがあらがおうとは思わなかった。


 ……家畜のようだ。ここにいる人々はみな、〝お偉い様〟に怯え、従い、搾取されるだけの存在。それを家畜と言わずして何と言おう?

 そっと目を伏せ、こぶしを握りしめる。情けない。悔しい。どうして私たちが……。

 その思考を遮るかのように、〝お偉い様〟の声がした。


「はん! そんなので許せるかよ! ――ああ、そうだ、夜、俺らの部屋に来い。それで這いつくばって許しを乞うのなら、処分を考えてやらなくもないな!」


 ははははは! と、優越感に溢れた声が響いた。女性が何か言っているようだが、笑い声にかき消されて、エルカたちのところにまでは届いてこなかった。何度か鞭を振るう音がした後、笑い声は徐々に遠ざかり、……そしてすすり泣く声だけが残された。

 しばらくして、徐々に人々が動き始めた。そして三十秒後には、まるで何もなかったかのようにみんなが思い思いに話し出す。


 ロットとニノも、そうだった。少し青ざめながらも、先ほどの女性と〝お偉い様〟のやりとりとは全く関係ない話をする。あたかも魔法使いを見下した、あの笑い声を振り払うかのように。

 やがて、列が乱れた。左側に押しやられていく。どうやら何かを避けているようだ。そう思って右側を見ると、廊下の隅で少女が泣いていた。エルカたちよりも一、二歳年上だと思われる彼女は、自分の体を抱きしめ、友人たちの励ましの声など聞かず、ただただ怯えたように涙を流しているだけ。


 胸のうちに、怒りが湧き上がってきた。――このままでいいはずがない。意思を無視され、ただの道具のように扱われ、人としての尊厳を踏みにじられる。今回は別の子が標的になったけれど、それが自分やニノ、ロットに向かうときだってあるだろう。そうなったら、果たしてこの生活にたえられるのだろうか? ――無理だ。絶対に反撃してやる。復讐をしてやる。殺してやる。

 しかし、そんなことできるのだろうか?


 そう思ったときだった。ふと、視線がある一点に吸い寄せられる。

 そこは他となんら変わりないように見える、薄汚れた壁だった。くすんだ灰色で、どこにも異常はない。そう見えた。

 けれどどことなく違和感を覚え、エルカは首をかしげる。何かがおかしい。


 その不安は食堂に着き、固いパンを食べても拭われることはなく。


 午後の〝作業〟のため再度地下の大部屋へと向かいながら、考えた。いったい何がおかしいのだろう。分からない。分からないけれど、時間が経つにつれ、早くあの場所に行かなければならないような気がしてきた。そわそわとして、落ち着かない。

 だから――決めた。

 エルカは人混みの中で立ち止まる。


「エルカ?」


 ニノがこちらを振り返った。その顔には不安げな色。心配をかけてしまうことに申し訳なさを感じながら、だけどはっきりと、エルカは告げた。


「先に行ってて」


 それだけ言い残して、くるりと(きびす)を返す。視界の中では大勢の人々が迷惑そうな顔をしていたけれど、お構いなしに来た道を戻り始めた。もちろん、走って。


「はっ!?」

「エルカ!?」


 ロットとニノの、驚いたような声が響く。だけど脇目を振らず、止まることをせず、エルカはあの場所へ向かった。人混みをかき分け、向かう。


 その場所にはちょうど誰もいなかった。もうすぐ〝作業〟の時間であるため、魔法使いも〝お偉い様〟も、既に大部屋に移動し終えているのだろう。自分も早く向かわなければ。

 そんなことを思いながら、手始めに違和感を覚える壁に手を触れてみた。何もない。だけどなんとなく、その壁に向かって魔法を使ってみると――。


 ピシリ、と、小さなひびが壁にできた。それを見て、エルカの気分は高揚する。

 ――ここから抜け出すことができる。そんな確信が胸のうちに芽生えた。

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