死なない恐怖
どうも、初めましての人は初めまして。お久し振りの人はお久し振り。
今回はホラー短編小説を描きました。
久し振りのホラーで、ちょっと無理矢理な所もあるかも知れませんが、描いていて楽しかったので自分なりに満足しています。
拙い文章ですが、どうぞよろしくお願いします。
最近、立川蘭子は恋人の須崎辰巳の様子の変化に気が付いた。
蘭子は地元の美大に通う大学生で、辰巳は商社の営業部で働く社会人だ。当然と言えば何だが、価値観に齟齬が生まれるのは仕方ない事だと割り切っていた。
しかし、最近は特に辰巳の様子が可笑しくなって来ていた。
目に見えて分かる。
会社のバスケ部に所属していた事もあり、高身長で筋肉質な体躯に、快活な性格と人好きするような彼であったが、何が原因か分からないがバスケ部を辞めてからは、いつも寝不足で眼球を充血させ、イライラと何かに急かされているかの様に眉間に皺を寄せる姿を見るようになった。
明らかに異常である。
そんな辰巳の身を按じ、蘭子は会社を休んで療養した方が良いとそれとなく促した。が、それを聞いた辰巳は、形相険しく蘭子に罵声を浴びせかけた。
ショックだった。
罵声の内容もそうだが、付き合って今まで怒った事の無い彼が怒鳴り散らす様子に、どうしようもなくショックを受けた。
それでも交際を続けていたのだが、ある日のデートでの事、彼は蘭子にこんな事を言った。
「蘭子は良いよな……絵の才能があるから、見た物を思いのまま描く事が出来る…………俺は絵の才能なんて無いから、彼女の美しさを残す事が出来ない…………」
これを聞いて、蘭子は辰巳の異常さよりも他の女と浮気しているのではないかと疑った。
彼の言う彼女とは何者か分からないが、実直な彼が浮気をしている事は信じられなかった。
その日は、彼が唐突に立ち去った事でデートは終わりを告げた。
それから蘭子は何度となく彼をデートに誘おうと携帯に電話を掛けたり、メールを送ったりしたが、彼の反応は皆無だった。そして会社にも出勤せず、無断欠勤を続けアパートの部屋に引きこもったまま出て来ないと、彼の両親から連絡を受けた。
一体、彼の身に何が起こっているのか。浮気相手に関係があるのか。
蘭子は彼の母親と共に、彼のアパートを訪れる事となった。
彼のアパートは家賃が安い代わりに古びた四畳程の狭い部屋だった。彼の部屋に上がる事は何度かあったが、内装は簡素でスポーツ関連のグッズやポスターが貼ってあるだけであった。若者の部屋にしてみれば、物寂しいものである。
休日、彼の母親と駅で待ち合わせして、彼の部屋へ足を運んだ。彼の部屋は駅から近く、歩いて五分もなかった。
「無断欠勤なんて、小学校の頃から皆勤賞だったのに信じられないわ。仕事で嫌な事でもあったのかしら? 蘭子ちゃん、何か知らない?」
「さぁ? 私も何度も連絡を取ろうとしたんですが、応答が無くて…………」
そんな事を話している内に、辰巳の住むアパートに辿り着いた。
古びた木造建築のアパートである。
すると、アパートの前には数台のパトカーと救急車が停まっており、刑事ドラマで見るような黄色いテープで規制線が張られていた。
蘭子は彼の母親と顔を見合せ、アパートの規制線の前で佇む警官に声を掛けた。
「あの、201号室に住む須崎辰巳の母なのですが、何かあったのですか?」
「201号室? ち、ちょっと待っていて下さい」
警官は慌てた様子で規制線を潜り、アパートの古びた鉄製の階段を掛け上がって行った。
そのまま警官は二階の階段に近い部屋、201号室に入って行った。どうやら辰巳の部屋で何か事件が起こり、警察が駆け付けたようだった。
蘭子と彼の母親は、嫌な予感に苛まれた。
彼の様子の異常さや連絡に応答しない様から、まさか彼が自殺したのかと不安で一杯になった。
暫く立ち尽くしていると、201号室の部屋から刑事らしきスーツ姿の男性が二人出て来て、蘭子と彼の母親の前まで来た。
「須崎辰巳さんのお母様でいらっしゃいますか?」
刑事の一人が丁寧な口振りで問い掛ける。
「はい、あの、息子に何か…………?」
「詳しくは署の方で。どうぞ、車に乗って下さい。そちらの方は?」
「あの、須崎の恋人です…………」
「そうですか。貴女のお話も伺いたいので、署の方にご一緒して下さい」
「わ、分かりました…………」
蘭子は辰巳の母親と共にパトカーに乗り込み、地元の警察署に足を運ぶ事になった。
こざっぱりとした部屋に通された二人は、先程の刑事から驚愕の言葉を聞くことになった。
「非常に申し上げ難いのですが、須崎辰巳さんは人を殺しました」
これには血の気が引く感覚に襲われた。
ちらりと辰巳の母親を盗み見てみると、顔面蒼白になって続ける刑事の言葉など聞こえて無いようだった。
「被害者はここから離れた高校に通う女子高生で、数日前から捜索願いが出されていました。この方なのですが、ご存知ありませんか?」
刑事は学生証を取り出し、蘭子達の前に提示した。
目を見張る様な美少女であった。
黒髪をロングに伸ばし、白い肌に焦げ茶色の瞳、人形のように美しい少女だった。
蘭子は当然知りもしない少女で、辰巳の母親は心ここに在らずと言った感じに虚空を眺めていた。
「知らない子です…………」
蘭子はやっとの思いでそう答えた。
「須々木聖という少女です。ご存知ありませんか?」
「知りません…………」
本当に知らない子だった。
しかし、心当たりが無い分けでは無い。
あの最後のデートで、辰巳が言った“彼女”とはこの女子高生では無いだろうかと思った。だが、その時の蘭子にはそれを伝えるだけの精神力は無かった。
それからの事は、ほとんど覚えていない。
刑事は辰巳が精神鑑定に掛けられる事や、女子高生の死因について語っていたように聞こえたが、ほとんど頭に入って来なかった。
それから数ヶ月間は、大学生活も私生活も辛い日々が続いた。
女子高生殺人事件は狭い地元では大事件であり、各雑誌社や新聞社、テレビでも大々的に取り上げられた。出来るだけ見ない様にしていたのだが、ふとした瞬間に目に付いてしまった。
曰く、“女子高生バラバラ殺人”と報道されていた。
また、殺人犯の恋人という事で、仲良くしていた友人や家族にさえ避けられる様になってしまった。
一度、辰巳に面会出来ないか刑務所を訪れた事があったが、彼は精神錯乱で精神科病棟に入れられたそうだ。結局、彼に会うことは出来なかった。
本当に辛い日々が続いた。
やがて時が経ち、誰もが事件の事を忘れ去ろうとしている頃の事だった。
辰巳の母親が、唐突に自殺してしまった。
彼が殺人罪で逮捕された事が相当精神にきていたようで、一ヶ月程前から入院していた事は知っていた。しかし、自殺するとは思いもよらなかった。
何故なら、一度面会に行った時は、衰弱しているようだったが顔は明るかったのだ。
蘭子は腑に落ちない感覚に見舞われながら、彼の母親の葬儀に参列した。その席で、彼の父親である初老の男性にどういう状況だったのか聞いた。
「妻は一時期は精神も安定して退院も視野に入れられる程だったんだけど、突然急変してね。毎日、うわ言のように“あの子が来る。あの子が来る”って言ってたんだ」
「あの子?」
「息子が殺した女の子、と言っていた。相当、精神をやられてしまっていたんだろう」
辰巳の父親は涙ぐみながら語ってくれた。
今にして思えば、葬儀の席で不躾な質問をしてしまったと後悔している。辛い時期に、辛い質問をしてしまった。
彼の母親は、息子が犯した罪を自分の事のように悔やんでいた事から、あの少女の幻覚を見てしまった、と蘭子は理解した。無理からぬ事であると思う。
やがて葬儀も終わり、更に月日が経った。
そんなある日、雨の降り頻る気持ち悪い空模様の日の事だった。
蘭子は一人きりで部屋に籠り、デッサンをしていた。
ふと、人の視線のようなものを感じた。辰巳が事件を起こしてから、好奇と嫌悪の視線を浴びる事は多かったが、最近は少なくなって来ていたのだが、この視線はどちらの感じでも無かった。どちらかと言うと、監視しているかのような視線だった。
慌てて周囲を見渡すが、人影らしきものは発見出来なかった。と、不意に先程まで感じていた視線が無くなった。
「疲れてるのかな…………」
事件が起きてからというもの、精神を張り詰めていた事から良からぬ妄想を抱いてしまったのだろう。
そう自分を納得させ、蘭子はデッサンに戻った。
それから何時間が経っただろうか。
デッサンに夢中で、いつの間にか日は落ち、夜の帷が降りて悪天候もあって真っ暗になってしまっていた。
「いけない、早く帰らないと」
蘭子は荷物を手早く纏めると、足早に部屋を後にした。
昼から続いていた雨はまだ降り頻っており、鞄に容れていた折り畳み傘を差して大学を出た。バケツをひっくり返したような大雨に横風が強く、傘は最早意味を為していなかった。
「立川蘭子さん」
大学の門を潜り抜けたと同時に、不意に横合いから声を掛けられた。
聞き覚えの無い、豪雨の凄まじい雨音にも関わらずよく通る綺麗な女の声だった。
蘭子は声のした方を振り向く。
瞬間、血の気が引く感覚に襲われた。
「やっと会えましたね」
少女が立っていた。
腰まで伸ばした黒髪や真珠のように綺麗な白い肌、昔ながらのセーラー服を雨でずぶ濡れにさせた少女。
まるで人形のように端正な顔立ちをした女の子。
蘭子は刑事に見せて貰った時に一度だけ目にした、辰巳が殺したとされる少女がそこには立っていた。
「私、ずっと貴女にお会いしたかったんです。辰巳さん、私と付き合っていながら、心の何処かにずっと貴女の事を気に掛けていて…………」
蘭子は悲鳴を上げたかも知れない。
その時の事はよく覚えていないのだ。気が付けば傘を放り捨て、鞄のスリングを握りしめ走っていた。
「貴女の事が邪魔で邪魔で仕方なかったんです。辰巳さんの心に落ちた小さな汚点。でも、その汚点が私への愛を邪魔して…………」
背後から声が聞こえる。
どれだけ走ろうと、一定の距離を保ったまま声が着いてくる。
蘭子は無我夢中で走り、大通りでは逃げ切る事が出来ないと思い路地に入り、いり組んだ道を無茶苦茶に走った。
「別れてって言っても別れてくれなかったんです。可笑しいですよね? 貴女より、私の方が綺麗で美しいというのに」
しかし、声は着いてくる。
やがて路地は袋小路に入ってしまい、蘭子は絶望に足を止めた。
「でも、辰巳さんは貴女と別れないというのに、私を誰にも渡したくないって言ったんです。あの人、疑心暗鬼になってました。私は辰巳さんのものだって言っても、私が他の男と浮気するんじゃないかって恐れていたんです。滑稽ですよね? 自分は浮気していても、人には浮気させないなんて。そして、あの人は私を他の誰にも盗られないように、私を殺しました」
蘭子は錯乱していた。
あれだけ走ったというのに、蘭子は息も絶え絶えで倒れ込みそうになっているというのに、少女は変わらぬ調子で話し掛ける。
嫌だ、もう聞きたくない。
けど、少女はずっと語り掛けてくる。
人間ではない。
そんな思考が、蘭子を更に恐怖させた。
「けど、けどね、私はそんな辰巳さんがいとおしいんです」
蘭子は耳を塞ぎその場に座り込んだ。
すると、段々と声が近付いて来て、最後には蘭子の耳元で「愛しているんです」と言った。
少女の言葉と吐息が顔に掛かった瞬間、蘭子の中で何かが弾けた。
気付いた時には鞄からデザインナイフを取り出し、大声を上げながら少女の腹を刺していた。
「え?」
感触があった。
服、肉、内臓を引き裂く感触。
ナイフを引き抜くと、少女の白いセーラー服が血で赤く染まった。
「痛い……痛い痛い痛い、痛い!」
殺せる。
それが分かった刹那、ナイフを逆手に持ち替え、少女に体当たりを掛けて押し倒していた。
そして、ナイフを振り下ろす。
何度も、何度も、何度も。
奇声を上げているのが自分でも分かった。
少女の端正な顔が苦痛で歪む。
殺せる。殺れる。
だったら死ね。死んで二度と現れるな。
そう胸中で繰り返しながら、蘭子はナイフを振り下ろし続けた。
やがて少女が動かなくなると、蘭子はナイフを放り捨て、道の端にあったブロックを手にして再度少女に股がった。
そして、少女の顔めがけてブロックを何度も振り下ろした。少女の端正な顔が潰れて何か分からなくなっても、ブロックを振り下ろす手を止めなかった。
「あはははははーーーー! 死ね! 死ね! 死ね!」
うろ覚えだが、蘭子が覚えているのはここまでだ。
立川蘭子は、間も無く殺人の現行犯で逮捕された。駆け付けた警官の話では、少女の顔がぐちゃぐちゃに潰れても尚、蘭子はブロックを振り下ろし、雨にも関わらず自分の体を少女の血で真っ赤に染めていたそうだ。彼女は警官に取り押さえられてからも、意味不明な単語を連呼して精神錯乱の状態であったという。
やがて彼女は精神科病棟に入れられた。責任能力が無い状態であった事や、錯乱した精神状態が元に戻らない事から裁判にはならなかった。
一つ、警察では腑に落ちない件があった。
それは立川蘭子が殺した少女の死体だ。
身元を示す物を何も所持していなかった少女は、失踪人の可能性がありDNA鑑定に掛けられた。すると、驚くべき鑑定結果が出た。
それは、少女のDNAが何ヵ月も前に須崎辰巳に殺された少女、須々木聖のDNAと完璧に一致したという事だ。
あり得ない、と誰もが思った。
須々木聖は殺された後、四肢を切断され無惨な状態で発見された。駆け付けた救急隊員も少女の死亡を確認し、司法解剖も行われた。
生きているなんてあり得ない。
では、この少女は何者なのか。
立川蘭子に聴取しても、精神に異常をきたし全く話にならない。須々木聖の両親に話を聞いた所、両親も娘は火葬して丁重に弔ったと言っていた。
やがて、この事件は触れてはならないものとなり、警察は内々で処理した。マスコミには、行きずりの殺人と説明し誤魔化した。
それからの立川蘭子はと言うと、来日も来日も同じ絵を描き続けていた。
真っ白なキャンバスを、真っ赤な絵の具で、それでいて丁寧に同じ絵を描いていた。
「あの子が来る……あの子が来る…………」
立川蘭子は描き続ける。
須々木聖の惨死体を。来日も、来日も。
それを眺める少女があった。
天鵞絨のような黒髪を腰まで伸ばし、真珠のような透き通った白い肌をし、人形のように端正な面持ちをした少女。
須々木聖は、自分の殺された姿を、柔和な面持ちで眺めていた。
この小説は、伊藤潤二著『富江』に触発されて描きました。
所々、似ているところがあると思いますが、お気付きの際はニヤニヤしながら読んで下さると幸いです。
では、ありがとうございました。




