#6 大大名とその姫
「ねえ、アツ。朝食に何食べる?」
「妾は、朝は赤味噌と決めておる。異論は認めぬ。」
「好きだなあアツは、よくあんな塩辛いスープ、飽きずに毎日飲めるよね……」
戦が終わって10日。今、駆逐艦0710号艦にてタカサカ城の近くの平野の只中にいる。妙に馴れ馴れしくなったエミール殿と、遠慮がなくなった妾のやりとりが続く。
「相変わらず、仲がいいわね。」
「あ、艦長。」
エミール殿は右手を額に当てる独特の礼「敬礼」をする。妾はこちらの流儀で、頭を下げる礼をする。
「夫婦お揃いで、これから食事?」
「はい、食堂に向かうところです。」
「そう。じゃあ、ちょっと付き合ってちょうだい。」
「は?艦長にですか?」
「そうよ。いくら艦長と言ったって、私だって食事くらい摂るわよ。人間なんだし。」
「はあ、では、ご一緒させていただきます……」
途中でばったり出会ったセレスティーヌ艦長殿と食事を共にすることになった。
「今日は地上に行くのよね、エミール中尉。」
「はあ、またマチナガ公に呼ばれてまして……でも、今日はこの艦にも来ますよ、マチナガ公。」
「そうだったわね。この艦でマチナガ公を宇宙にお連れすることになってるのよね。大丈夫かしら?私が艦長で。」
「いやあ、大丈夫でしょう。私でさえなんとかなってるんですよ。艦長ならば、問題ないでしょう。」
艦長殿が懸念されるのは分かる。いくら艦長とはいえ、女子である。地球278の者ならばともかく、相手は最強の戦国大名。彼らの常識が通用するか?
エミール殿と妾は複座機に乗り込む。マチナガ公をお迎えに上がるためだ。
「バット1より0710号艦、これより発艦する。」
「駆逐艦0710号艦よりバット1、直ちに発艦せよ。」
無線機のやりとりの後に、我らを乗せた複座機はアームと呼ばれる物の怪のような腕によって外に出される。そのままエンジンを点火して、腕から離れ力強く飛び出す複座機。
歩けば2刻はかかるナガヤ城までの道のりも、この複座機ならばあっという間に着いてしまう。マチナガ公を乗せる哨戒機と共に、ナガヤ城の天守閣側に降り立つ。
「おおっ!待っておったぞ!」
えらく上機嫌なマチナガ公が現れる。エミール殿は敬礼を、妾は会釈にて迎えた。
妾も艦内では街で買った服を着るようになったが、今日はマチナガ公のお出迎えである。紅の着物にて参上する。
「マチナガ公にはご機嫌麗しく、恐悦至極にございます。」
「なんじゃ?お主はあの駆逐艦とやらで地球278の文化とやらに染まっていたのではあるまいか?」
「恐れながら、ここは帝の在わす地上なれば、この地の習いに従うのが礼儀にございます。」
「ふーん、相変わらず硬い女子よの……まあ良い。宇宙とやらに上がれば、そうも言ってられぬじゃろうて。」
などと言いながら、マチナガ公は哨戒機に乗り込まれた。
駆逐艦0710号艦に着く。エミール殿と妾は哨戒機に先立ち着艦する。マチナガ公は領内を視察したのちに着艦するため、我らは出迎えの準備のため、マチナガ公の乗る哨戒機が降り立つ第2格納庫へと向かう。
第2格納庫では、艦長以下20名の尉官達が控えていた。特にセレスティーヌ艦長は緊張気味。なにせ、女子など策略も道具としか見ておらぬ世界より参られるマチナガ公と初対面である。女子の艦長に対しどのような態度に出るのか、我らも全く読めぬ。副官である男性の少佐殿をそばに置いて、マチナガ公の到着を待つ。
やがて、哨戒機が降りてきた。腕に捕まれ、格納庫に入ってきた。
格納庫の扉が開き、エミール殿ら尉官らが哨戒機の扉の前に整列する。艦長はその間を通り抜け、扉が開くのを待ち構える。
哨戒機の扉が開き、マチナガ公が姿を現した。
「マチナガ殿に、敬礼!」
この隊列の長である副長殿の号令で、皆一斉に敬礼をする。艦長も敬礼して、マチナガ公を出迎える。
「お、お待ちしておりました、マチナガ殿!私はここの艦長をしております、セレスティーヌ大佐と申します!」
艦長殿は、なんだかいつもより硬直しておられる。無理もなかろう、相手は天子様がおわす神代の島の54か国の内、24か国を手中に収める屈指の大大名。その威圧感は、初めて会うものにとってはあまりにも重い。
「なんじゃ、お主。」
マチナガ公は、セレスティーヌ殿に向かっていぶかしげな顔をする。まさか、女子が艦長であることを見て、何か申すつもりであろうか?
「妙に硬くはござらぬか?もっと自然体でよいぞ。」
「は、はい。お心遣い、ありがとうございます。」
「わしはマチナガ ヒデヒサと申す者。しばらく世話になるが、よろしゅう頼む。」
艦長が女子であることを特に意に介すことなく、軽く一礼をするマチナガ公。それを見たセレスティーヌ艦長は、にこりと笑う。
「では、艦橋までご案内いたします。お連れ様もご一緒に、私について来て下さい。」
哨戒機から降りてきたのは、マチナガ公だけではない。今回、もう一人マチナガ公と共にやってきた者がいる。
それは、マチナガ公が娘タツである。マチナガ公の3人目の娘で、東国一の麗人と謳われ、マチナガ公が特にお気に入りの姫君である。
妾も会うのは初めてだが、確かに美しい。いかようにすれば、あのようなマチナガ公からかような美人が産まれ出るのか、皆目見当がつかぬ。
整列するこの艦の男子どもも、タツ殿の姿に目を奪われている。こちらの男にもこの姫は美しいと感じるらしい。妾は他の尉官達と共に、タツ殿の後ろをついて行く。
艦橋に到着し、マチナガ公とタツ殿は用意された椅子に座る。此度は妾は客人に座席を譲るため、後ろにてエミール殿共々立って艦橋にいることとなった。
「これから宇宙というところに参るのであるな。」
「はい、本艦はこれより上昇し大気圏離脱を行います。離脱時にはけたたましい音が響きますので、ご注意ください。」
艦長はそう述べると、早速いつもの調子で号令をかける。
「これより当艦は大気圏を離脱し、アステロイドベルトに向かう。機関始動!両舷微速上昇!」
「機関始動、出力20パーセント、両舷微速上昇!」
ごぉんごぉんという低い音が鳴り響き、駆逐艦0710号艦はゆっくりと浮き始めた。妾にとっては2度目の宇宙への旅路。だが、マチナガ公とタツ殿にとっては初めてのこと。この大きな艦がゆっくりと浮き始めるのを見て、驚きを隠せない様子だった。
「はぁ……かように大きな城のようなものが、こうもあっさりと浮き上がるとはのう。」
そう言ってマチナガ公は立ち上がり、窓のそばに行く。
マチナガ公は興味津々なご様子であるが、タツ殿は不安げな面持ち。座ったまま、周りを見回している。
妾もその気持ちがよく分かるゆえ、タツ殿のそばに参り、手をそえる。
「タツ殿、大丈夫にございます。妾のような者でさえ、何事もなく過ごすことのできる艦でございますゆえ、安心してお待ちくださいませ。」
「わ、分かった。じゃが、妾は城外はおろか、国の外に出ることが初めてであるゆえ、落ち着かなくての。」
「ここには米や味噌といったなじみのものや、牛肉といった変わったものまで、実に美味しい食事がございます。宇宙へ着きましたら、ぜひご賞味くだされ。」
「なに!?ここには美味いものがあると申すか!?」
「妾もここに来たばかりの頃に、あまりの食べ物の豊富さと美味で感無量にございました。きっとタツ殿もお気に召すものと存じます。」
不安というものは、美味い食べ物によってかき消されるもの。食事の事を聞いたタツ殿は、先ほどまでの不安げな表情が一変し、妾の手を握り返してきた。
その間もどんどんと高い場所へと行く。妾が初めて宇宙へと参ったときは夜であったため、まるで周りが見えなかった。が、此度は昼間ゆえに周りがよう見える。下は雲が点々とまき散らされた地上が見え、空は昼間だというのに暗い。
「規定高度4万メートルに到達しました!」
「了解。ではこれより、大気圏離脱を開始する。両舷前進いっぱい!」
「機関最大出力!両舷前進いっぱーい!」
艦長の言葉を航海士と呼ばれる者が復唱する。と同時に、けたたましい音がこの艦橋内に響き渡る。
戦慣れしているマチナガ公は、この程度の音は気にならぬようで、窓の外を流れる景色を眺めてはしゃいでおられる。が、タツ殿はそうではない。
「ななな何事ですの!?何ゆえかくも騒がしいのですか?」
「タツ殿、宇宙というところは極めて高い場所ゆえ、この駆逐艦が力を振り絞って参らねばならぬのです。しばしの間、我慢なされませ。」
「うう……何ゆえこのようなところに父上は妾を連れて参ったのじゃ……」
がたがたと震える壁や椅子、会話もままならぬほどのけたたましき音。タツ殿はマチナガ公によって大切に育てられたと聞く。かように喧騒な場所など訪れたことがないのであろう。
何かの拍子に、突き上げるような揺れが起こる。妾ですら驚くその揺れ、無論タツ殿も驚き、声をあげて横に立つ者にしがみつく。
「……大丈夫ですか?タツ姫様。」
それはこの駆逐艦の副官を務める、ベルナール殿であった。
「あ、いえ、つい取り乱してしまい、申し訳ありませぬ。」
「構いませんよ。私も初めて宇宙に出た時は、姫様と同じで驚きの連続でした。じきに慣れますよ。」
ベルナール殿は姫様に微笑むと、何事もなかったように正面を向く。タツ殿は、なにやらバツの悪そうな顔でベルナール殿の方を見ている。
「そろそろエンジン音が小さくなりますよ。」
ベルナール殿がそういうと、確かにあのけたたましい音が静かになっていった。タツ殿は徐々に冷静さを取り戻したようで、椅子から立ち上がって窓の方に向かう。
ちょうど目の前には、月が見えていた。あのゴツゴツとした穴だらけの灰色の地面を見て、タツ殿はベルナール殿に聞く。
「あの大きくあばたな岩肌のあれはなんじゃ?」
「ああ、あれはあなた方が『月』と呼ぶものですよ。」
「ええっ!?あれが月と申すか!?あまりにも醜き肌、誠にこれが月だと言うのか!?」
妾も初めて月を見た時は同じ思いをしたものである。タツ殿は、初めて見る月の真の姿に驚いている。
「いやあ、月にも驚きじゃが、地球と言う我らが住みあの青い球にも驚きじゃわい。話には聞いておったが、誠にわしらは球の上に暮らしておったのじゃな。」
えらく上機嫌なマチナガ公だが、月の姿を見て驚くタツ殿に向かって話す。
「タツよ、どうじゃ、宇宙というところは?」
「誠に奇妙なところにございます。真っ暗な闇の中に、灰色の醜き肌の月。なんと恐ろしく寂しき場所でございましょうか。」
「うむ、そうじゃな。そなたはあまりに世間を知らなさすぎる。宇宙という場所はおろか、戦さ場すら知らぬ。だがタツよ、この世のほとんどはかように闇の世界だと聞いておる。そして、これより先の世はこの闇の世界を介した人の交流が盛んにおこなわれることになる。なれば、その世界の真の姿をその目でしかと焼きつけよ。」
「ち、父上……かように寂しきところを見よと仰せですか!?」
「寂しき場所ばかりではない。闇の中には光もあるものよ。そうじゃ、ええと、お主、何と申す?」
急にマチナガ公はベルナール殿を差す。
「はい、私でしょうか?」
「そうじゃ、そなた確か、ここの副官と申したな。」
「はい、副官を務める、ベルナール少佐と申します。」
「ベルナール殿、我が娘を案内せい。」
「は、はあ……よろしいですが、いかんせんここは宇宙のただ中。案内するといっても、食堂くらいしかございませんが。」
「よい、その食堂とやらへ娘を連れて行ってくれ。」
「はあ、分かりました。」
「頼んだぞ。ではタツよ、ベルナール殿と共に行くがよい。」
「はい、父上。あの……ベルナール様、よろしくお願い致します。」
というわけで、ベルナール殿はタツ殿を食堂に連れて行くことになった。
「なあ、エミール。」
「なに?アツ。」
「あの2人、どこかお似合いだと思わぬか?」
「そうかな?なぜ、そう感じたの?」
「なんとなくじゃよ。」
特にこれといって理由はござらぬが、なぜかあの2人の行く末が気になった。おそらく、マチナガ公はわざとベルナール殿にタツ殿を押しつけたのであろう。マチナガ公は戦国武将ゆえに、何を狙ってのことかは大体想像がつく。
だが、そのようなマチナガ公の思惑とは別に、タツ殿も先ほどベルナール殿の身体を掴んだあたりからどことなく気にかけている様子だった。わりと懐は深そうなお方ゆえに、感じるものがあったのであろう。
「なあ、エミールよ。ベルナール殿には妻はおるのか?」
「いや、いないよ。というかこの艦に乗る男で妻がいるのは、私だけだよ。」
「そうであったな。しかしこれほど男子がおりながら妻を持たぬものばかりとは、なんと由々しきことか……」
「仕方がないよ、宇宙に出れば女性はほとんどいないからね。地上に降りる機会もあまりないし、未婚の男ばかりになるのはしょうがないよ。」
かようなことをエミール殿と話しながら、我らも食堂に向かうことにした。ベルナール殿とタツ殿の様子も気になるが、何よりも妾も腹が減った。そこで艦長殿に一礼し、我らも食堂へ行くため、艦橋の出入り口へと向かう。
「おい、エミール殿。」
その我らを、マチナガ公が呼び止める。
「はい、何でしょう?」
「わしを食堂とやらへ案内せい。」
「は、はい。よろしいですよ。では、こちらへ……」
エミール殿とマチナガ公、そして妾の3人で食堂へと向かう。艦橋を出てすぐのところにあるエレベーターに乗り込む。
「なんじゃ、この狭い部屋は。」
「ああ、これはですね、下の階へ行くためのエレベーターというものですよ。」
「エレベーター?下の階?どういうことじゃ。」
「行けば分かりますよ。」
そういってエレベーターの扉を閉じる。再び扉が開き、先ほどとは違う光景が出てマチナガ公は驚く。
「なんじゃ、この仕掛けは?一体、どうなっておるのか?」
「はあ、ですから下に降りたんですよ。」
「そうなのか?わしゃ階段など使っておらんぞ。」
エレベーターは静かに降りるゆえ、下に動いたとはどうしても思えぬらしい。ここに来たばかりの時の妾のようだ。
洗濯部屋であの物の怪のような腕がせっせと働いているのをまじまじと見つめるマチナガ公と共に、我らは食堂に向けて歩く。食堂前で止まり、メニューが映されたモニターの前にたどり着いた。
「ここで食べたい料理を選ぶんです。アツはいつも赤くて塩辛いスープばかりを頼んでますね。」
「なんじゃ、赤味噌を馬鹿にするでないぞ。マチナガ様とて赤味噌を所望されるに相違ない。」
「何をゆうておる。わしは白味噌じゃ。」
「は?白味噌と申されますか。かような味噌では味が薄うございますゆえ……」
「赤は辛すぎじゃ。わしは白がちょうどええ。」
「さ、左様にございますか。では、こちらのメニューに白味噌がついてございます……」
なんじゃ、マチナガ公は白味噌好きであったか。米の取れる豊かな土地をたくさん所有しておられる大大名ゆえ、やせた土地向きの赤味噌などわざわざ口にされぬようだ。
食堂に入ると、先にこちらへ向かったベルナール殿とタツ殿がカウンターにて並んで待っていた。
「タツ殿は何を頼まれたのじゃ?」
「うむ、妾は白の味噌とご飯、それにマリネ風サラダにソーセージと申すものを勧められたので、それを食すところじゃ。」
は?味噌汁にサラダ?それにソーセージという豚肉の腸詰めを食べると言われるか?大丈夫なのだろうか、そのような組み合わせで。
食べ物を受け取り、ベルナール殿と一緒にテーブルに向かうタツ殿。馴染みのある味噌汁とご飯に加え、見たことのない食べ物に心躍らせている様子であった。
さて、妾はと言えばいつもの赤味噌汁にご飯、それにブフ・ブルギニオンと申す牛肉の赤ワイン煮を頼んだ。戦艦ソーヴィニヨンで牛の肉を食べて以来、妾はこの牛肉にはまっている。
料理をトレイに入れてテーブルまで運ぶ。エミール殿とマチナガ公も料理を持って席に着く。マチナガ公は何を頼んだのかと見れば、白味噌汁にご飯、それにおろし醤油のステーキ肉とポテトフライという組み合わせを頼まれたようだ。
一方、エミール殿はと言えばサラダにパンに……やや、またしてもエスカルゴを頼んでおる。
「エミール、そなたは本当にそのカタツムリが好きじゃの。それほど美味いのか?」
「なに!?カタツムリじゃと!?かようなものが食えるのか?」
妾だけでなく、マチナガ公もカタツムリと聞いて驚く。エミール殿は反論する。
「一度食べてみれば分かりますよ。美味しいですよ、これ。」
毎度言われるが、さすがに妾は食べる気は起こらず。だが、マチナガ公は興味を抱いたようだ。
「面白い、かようなものまで食べ物にするとは、さすがは進んだ文明じゃな。どれ、一つ食うてみるか。」
「えっ!?食べますか、エスカルゴ。」
「なんじゃ?アツ殿には勧めておいて、わしにはくれぬと申すか?」
「いえ、そんなことないですよ。お一つどうぞ。」
マチナガ公は、ついにカタツムリに手を出す。殻の穴に箸を突いて中を出して食べる。
「……ん、美味いではないか。なんというか、この味と食感はサザエのようであるな。にしても、この周りにある黄色いものは何なのじゃ?これがまたなんとも言えぬ味を出しておる。」
「それはですね、発酵バターというものです。牛乳から作られるものですよ。」
「うむ、そうであるか。しかしカタツムリに牛の乳とは、誠に変わったものばかりを使っておるな。」
そういうとマチナガ公は、ステーキ肉を食べ始めた。
このやり取りを見た妾も、そのエスカルゴを食べてみたくなる。
「なあ、エミール、妾にもそのエスカルゴを一つ貰えぬか?」
「えっ!?アツ、とうとう食べる気になった?いいよ、一つあげるよ。」
そう言ってそのカタツムリを一つ頂く。
箸を使い、中を取り出す。食べてみると、干し鮑のような風味がした。
妾の住むところは海より遠く離れた地であるがゆえに、サザエというものを食したことがない。ここで手に入る海産物は干物のみ。干し鮑も、父上が戦の前に戦勝祈願で備えたものを頂いたことがあるくらいだ。
そういえば、父上はどうしておるのであろうか?先日、父上にお会いしたが、なにかと忙しそうであった。その時もマチナガ公の重鎮達と話し込んでおった。いずれにせよ、元気でいらっしゃるようで何よりだった。
「ところでの、アツ殿よ。」
「はい、なんでございましょう?」
「そなた、エミール殿に嫁いで20日ほど経つが、どうじゃ、ここでの生活は。」
「はい、皆さまにはよくしていただき、食べるものにも不自由なく暮らしておりまする。」
「そうか。では、ここの文化をどう思っておるか?」
「文化……にございますか。」
「先よりエミール殿と親しげに話しておるではないか。武将に嫁いだ女子とは、随分と違う態度に出ておるなと思うてな。」
「いや、これは宇宙での戦さ場にてエミールとの約束でございまして……」
「何も責めておらぬよ。むしろ、それを見られて安心した。ここの文化ならば、タツを任せられると思うた次第じゃ。」
「は?タツ殿を任せる!?どういうことにございますか?」
「なあに、あそこでタツと共に座っておるベルナール殿の元に嫁がせようかと思うてな。」
「ええっ!?べ、ベルナール少佐にタツ殿を!?」
「なんじゃ?何かおかしなことを言うたか?お主だって、武将の娘を妻にしておるではないか。」
「あ、いや、そうですけど……また急に、なぜ。」
「今後のことを考えると、やはり地球278の武人とのよしみが必要じゃと思うてな。元よりタツの嫁ぎ相手を探すために参ったようなものじゃからな。」
「はあ、そうでございますか。」
「お主はどうなのじゃ?アツ殿を妻にもろうて。」
「最初は突然の話で、しかもあまりに風習が違うので戸惑っていましたが、今はこの通りですよ。可愛い妻です。」
マチナガ公に「可愛い妻」と言われてしもうた。我が主人は、臆することもなくかように恥ずかしい言葉をしゃあしゃあと言ってのけるところがある。それを聞いた妾は、少し恥ずかしくなる。
「わっはっは!そうであるか。お主がそうなら、タツも上手くいきそうじゃな。」
妾は少し離れた場所にいるタツ殿の方を見る。ソーセージを頬張りながらベルナール殿と談笑しておられるようだが、ここから見ても誠に良いお顔だ。
さて、食堂を出た後に早速マチナガ公はタツ殿とベルナール殿のところに行く。2人の前で、突如こう言い放った。
「タツよ、今日よりこのベルナール殿の妻となれ。」
これを聞いたタツ殿は、意外にも動じることなく応える。
「はい、父上の仰せのままに。」
むしろ動揺したのはベルナール殿の方であった。出会ってまだ半刻ほどしか経っておらぬというのに、いきなり妻とされてしまった。
「あ、あの!マチナガ殿!」
「なんじゃ?」
「いきなりタツ殿が妻と言われましても……」
「不満か?これでもタツは東国一の美女と謳われた自慢の娘ぞ?」
「いえ、不満とはもうしませんが、タツ殿の意思も確認せず急に決めちゃってもよろしいのかと……」
「よい。わしが決めた。」
妾もマチナガ公のなさることに特に異論はござらぬ。だが、この艦の者にはこの感覚が分からぬようだ。
「ベルナール少佐、大丈夫ですよ。先輩の私がちゃんとサポートしますから。」
「妾も微力ながらご助力致す。風呂と冗談を指南致すゆえ、大丈夫でござる。」
エミール殿と妾も間に入る。せっかくの婚儀の話。しかも相手は大大名。断るなど言語道断である。
「風呂は分かるが、『冗談』とはなんであるか?」
「夫婦仲を円満にするための言葉遊びと心得くだされ。公家の歌詠みのようなものにござるよ。」
「そ、そうであるか。アツ殿、これからはその『冗談』も含め、指南のほどよろしくお頼み申す。」
こうしてベルナール殿とタツ殿はめでたく結ばれた。再び食堂に戻り、艦内の手の空いた者を集め、小さなコップを盃に見立て、りんごジュースをお神酒の代わりとし、簡単な婚儀が執り行われる。神主の代わりは、艦長殿が務めることとなった。
軍礼服に身を包み待つベルナール殿。そこに、マチナガ公に手を引かれ、白無垢に身を包んだタツ殿が現れた。
それにしてもマチナガ公、ちゃっかり白無垢を持ち込んでおったとは、随分と用意がいい。本当に最初からこれが目当てであったのだな。
盃を交わし、夫婦となったベルナール殿とタツ殿。タツ殿は艦長殿に深々と頭を下げる。
「改めて、マチナガが娘、タツにございます。今日よりお世話になり申しあげます。」
婚儀が滞りなく終わると、そのまま立食パーティーとなった。つい先ほど食べたばかりだが、妾はフライドポテトなど軽いものを食べる。
「いやあ、副長殿、あんな美人の奥さんと一緒になるとか……どうなってるんだ!?一体。」
「エミール中尉だってそうだぜ。いいよな……俺もお嫁さんを迎えたい。」
艦長殿は少しぼやき気味だ。
「めでたいことなのよ!それはそうなのだけれど、いいのかしら?こんなに簡単に結婚を許可して……」
妾の近くには、セレスタン殿とアルテミシア殿もいた。
「はあ~……すごい美人だなぁ、ベルナール少佐の奥さん。」
「なによ、私と一緒で後悔してるの!?」
「いやいや、そのようなことはないですよ。」
「でもそうねぇ……私こそベルナール少佐にしておけばよかったかしら?」
「ええ~っ!?」
それを聞いたタツ殿は、妾の元に来る。
「あの女子、もしや我が主人を狙っておるのか?」
「いや、タツ殿。アルテミシア殿のあの言葉は本心にあらず。あれが『冗談』というものじゃ。」
「『冗談』……であるか?」
「あのように婚約者であるセレスタン殿の心を揺さぶり、己へ振り向かせておるのじゃ。アルテミシア殿は『冗談』道の手練れ、ゆめゆめお忘れなきよう。」
「なるほど、冗談とはそのようなものであったか。さすがは戦に赴く船の中。油断ならぬな……」
早速、この艦の洗礼を受けるタツ殿。ここに来たばかりの頃の妾のようである。
「ところでアツ殿。他に気をつけねばならぬものはござらぬか?」
「そうですな……ここはロボットという物の怪が多数働いておりまする。」
「も、物の怪!?」
「腕だけで黙々と働くものでござるよ。ここに来る途中にいくつかご覧になられたであろう。」
「確かに、この食堂の奥にも奇妙な腕を見たが、あれは物の怪であったか。」
「じゃが心配は要らぬ。ここの物の怪は忠実なる下部なれば、堂々としておれば悪さはせぬようだ。」
「さ、左様か。心してかかることにしよう。ところで……」
「なんでござろう?」
「その、夜の交合は、いかにすべきであるか?妾も武家の娘、作法は心得ておるのだが、ここでも通用するものでござるか?」
「それは大丈夫じゃ。文化は違えど、男女のすることには大して違いはござらぬ。じゃが、そのためには風呂へ毎日入らねばならぬ。」
「なに!?毎日風呂に入る……じゃと!?」
あまりに違う文化での生活に、不安を覚えるタツ殿。だが、すでに妾という者がおるのは幸いであった。すぐに慣れるであろう。
エミール殿はマチナガ公に捕まっておる。婿のベルナール殿と共に、マチナガ公の自慢話でも聞かされておるようだ。
「アツ殿とタツ殿。フライドポテト、もっと食べます?」
「ジュースをおつぎしましょうか?」
すでに艦内の者とは仲が良い妾の元には、このように他の乗員達が声をかけて来る。タツ殿も戸惑ってはいるが、このパーティーの終わりがけには、彼らとも馴染んできた。
パーティーも終わり、妾と
「さて、タツ殿。風呂に参ろうか?」
「毎日入るのであったな。
「そういえば、風呂にも物の怪が出るゆえ、妾が指南いたそうぞ。」
「なんと、風呂にも物の怪がいるのでござるか……分かった。よろしゅう頼む。」
「そういうわけであるからベルナール殿、タツ殿を風呂場にお連れ申す。」
「ああ、よろしくお願いします。」
「風呂より出たら、タツ殿を部屋まで連れて参るので、部屋の番号をお教え願いたい。」
「ええっ!?やっぱり一緒の部屋になるの?」
「当たり前でござろう。婚儀も終わり、夫婦となられたのでございますぞ。妾とエミールも同じ部屋で暮らしておるではござらぬか。」
「は、はあ……そうでございますね。いや、変なことを言った。気にしないでくれ。おい!エミール中尉!」
「はあ、なんでしょう?少佐殿。」
「……いろいろ教えてもらいたいことがある。ちょっと部屋まで付き合え。」
「はあ……分かりました。」
そういうとベルナール殿は我が主人を連れて、そそくさと去っていった。
「では、我らも参りますか。」
「よろしく頼む。じゃが、何も用意しなくて良いのか?」
「いや、主計科というところでいろいろ頂いてから風呂場に行かねばならぬ。案内いたすゆえ、ついて参れ。」
妾はタツ殿を連れて、食堂のそばにある主計科の窓口に行く。
「あら、アツちゃんにタツちゃん。姫君が2人揃ってどうしたの?」
アルテミシア殿が出てきた。
「これよりタツ殿を風呂場に連れて行くゆえ、タオルと下着を頂きたく、参った次第じゃ。」
「あー……そうだったね。そういえばアツちゃん、ここに着たばかりの時は下着着てなかったもんね……ちょっと待ってて、いくつか見繕うから。」
そう言ってアルテミシア殿は奥に行き、タオルと下着をくれる。
「じゃあ、あとはお願いね。それからタツちゃん、分からないことがあったら私に聞いてね。」
「かたじけのうござる。いずれ『冗談』というものについていろいろと御指南頂きたく、お願い申し上げる。」
「えっ!?『冗談』を指南するの!?」
主計科に寄ったついでに、タツ殿とアルテミシア殿との顔合わせもできた。着物姿の2人は、そのまま風呂場へと向かう。
「このカゴの中に着物を入れ、そのまま身一つで風呂場に入るのじゃ。」
「分かった。じゃが、物の怪はどこにおるのじゃ?」
「今は潜んでおる。大丈夫じゃ、妾に任せよ。」
2人で風呂場に入っていく。だがタツ殿、物の怪と聞いて少し警戒気味であった。
「ここには大きな湯船があるのじゃが、ここに入る前にまず身体を洗わねばならぬ。そのためにまず物の怪を呼び出し、身体を洗ってもらうのじゃ。」
「なんじゃと!?物の怪に身体を洗わせるのか!?」
「ここの決まりだそうじゃ。だが、大人しくしておれば害はなさぬ。こうやって洗ってもらうのじゃよ。」
妾は物の怪の腕の出るところに立ち、腕を横に伸ばして足元のペダルを踏む。
壁より腕が出て、妾の全身を洗い始める物の怪の腕。それを見たタツ殿は一瞬仰け反るものの、妾と同じように腕を横に伸ばし、足元のペダルを踏んだ。
髪も身体も綺麗になったところで、2人湯船に入る。かように大きく深い湯船に入るのは、さすがの大大名の娘といえども初めてのことであったようで、満足気な様子であった。
「はあ~っ、なんと心地の良い湯船じゃ……このようなものがこの世にあったとは、妾も驚きじゃ。あの物の怪にはひやりとさせられたが、確かにあの物の怪は、かくも綺麗に洗ってくれるものよ。」
「であろう?見た目は恐ろしいが、良い仕事をしてくれる。ここは本当に奇妙な仕掛けが多いが、どれもうまくできておる。この先もいろいろと覚えるが良かろうて。」
妾はタツ殿に、ここの便利な仕掛けの話をする。まずは時計、これを覚えることは必須だと話しておいた。
「時計と申すものは、何であるか?」
「今が何刻であるかを示すものじゃ。明六ツは6時、昼の九ツは12時、暮六ツが18時と覚えておけばよい。」
「なにゆえ時計というものを知らねばならぬのか?」
「タツ殿、今が何刻か分かるか?」
「……あっ!そういうことにござるか!」
「そうじゃ。ここはお天道様がまるで見えぬ。時計を頼りに過ごすほかないのじゃ。」
「うう、飯は美味いし、風呂は心地よいが、不便なことも多いのじゃな……」
そのほかのことはゆくゆく覚えるとして、とりあえず風呂より出る。脱衣所で身体と髪を拭き取り、アルテミシア殿が用意した下着のいくつかを試す。
それにしてもタツ殿の胸は大きい。妾の胸当てよりも大きなものが必要となった。下着をつけたところで、妾はタツ殿を洗面台の前に連れて行く。
「部屋に戻る前に、髪を乾かさねばならぬぞ。このドライヤーというものを使うのじゃ。」
「どらいやー?何であるか、これは。」
「暖かき風を出し、髪を乾かすものじゃ。」
「わざわざ乾かす必要はあるのか?」
「ある。妾は一度、横着をしたら、翌朝にまるで山姥のような乱れ髪になってしもうた。エミールのやつが腹を抱えて笑いおってな……夫とは言え、気を許すではない。隙を見せぬためにも、このドライヤーというものは忘れてはならぬのじゃ。」
「さすがは城攻めを経験された武家の娘。その心意気、あっぱれにございますな。なれば妾も気をつけることに致す。」
神妙な面持ちでドライヤーを使う妾とタツ殿。だが、さらさらと流れるように心地の良い自身の髪に触れて、まんざらでもない様子であった。
「ではベルナール殿とタツ殿。エミールと妾はこれにて部屋に戻りまする。」
「あ、ああ。ご苦労様です。」
「では少佐殿、私はこれで。頑張ってくださいね。」
「ああ、エミール中尉。いろいろと参考になる。ありがとう。」
にこやかなタツ殿に比べて、ベルナール殿はややこわばった表情だ。かように美しき姫を嫁にできて、なにゆえあのように緊張しておるのであろうか?
タツ殿を部屋に送り、エミール殿と共に部屋へと帰る。妾はエミール殿に尋ねた。
「エミール、我らが風呂にいる間、何をしておった?」
「ああ、我々も風呂に行ってたんだ。少佐も前振りもなくいきなり結婚、しかも相手は姫君ということで、私とアツのことを参考に聞きたいと言ってきたんだ。食事や夜のこと、任務中のいない時間にはどうしてやれば良いかなど、いろいろとね。」
「昼間ならば心配はござらぬ。妾がいろいろと指南するゆえ、大丈夫じゃ。」
「そうだよね。今はアツがいるのだから、タツさんは安心だよね。」
「そういえば、明日はいよいよ戦艦ソーヴィニヨンに入港するのであったな。」
「そうだよ。ところがさ、私はマチナガ公の案内を頼まれてるんだ。ホテルで政府関係者との会談を済ませたら、街に繰り出したいと言ったらしい。せっかくアツと2人でデートする機会だというのに、なんとまあ不憫な……」
「よいではないか。あれほどの大名のお相手をできるなど、名誉なことではないか。」
「いや、そうだけどさ……」
エミール殿はマチナガ公の相手をするということで、少し気が重いようだ。敵地の只中でマチナガ公とやりあったほどの者だというのに、何を今さらビビっておられるのか。妾はエミール殿の背中をたたいて鼓舞しながら、部屋へと戻っていった。
さて、その翌朝。エミール殿の目覚めが遅い。以前は街に行ける日にはあれだけ早起きであったエミール殿が、いつものように鈍臭い朝を迎える。
「これ!エミール!朝でござるぞ!今日は街に行くのではないのでござるか!?」
「ううーん、眠い……」
街に行く行かぬに関わらず、日が昇ると同時に起きるのが当たり前であろう。もっとも、ここでは日は見えぬのであるが。それにしても、我が主人の目覚めはどうしてこういつも遅いのか?
主人をたたき起こした後、妾が着替えておると、エミール殿が妾に言った。
「アツ、今日は一番いい着物を着てね。」
「なぜでござる?今度街に行くときは、この服が良いと申したではないか。」
「そうなんだけど、今日はマチナガ公に付き合わなきゃいけないからね。私もほら、今日は礼服だよ。」
そう言いながら、軍礼服を着るエミール殿。なるほど、せっかく街へ行ける機会だというのに、宮使いのような役目をせねばならぬとは。昨日から憂鬱な気になるのも分かる。
部屋を出てあくびをしながら歩くエミール殿と妾の前に、マチナガ公が現れた。
「あっ!マチナガ殿!お、おはようございます。」
「うむ、今は朝で良いのだな。窓もなく、日が見えぬから、今が何刻かさっぱり分からぬ。」
「マチナガ様、たとえ窓があっても、外は漆黒の宇宙にございます。時計というものを使わぬ限り、ここで刻を知ることはかないませぬ。」
「左様か。確かにここの外は真っ暗であったな。なんと不便なところか。よくアツ殿はここでの生活に慣れたものじゃな。」
そういえば、マチナガ公に時計のことを教えた者はおらぬであろうか?よくこのお方は時計無しで、きっかり朝に起きられたものよ。
「ところでエミール殿よ、これよりどこへ参れば良いのじゃ?」
「はい、艦橋です。ベルナール少佐とタツ殿も連れて、これより戦艦ソーヴィニヨンへの入港を実際にご覧いただきます。」
「うむ。ところで、その戦艦とやらは一体、どういうところなのじゃ?」
「はい、大型の戦闘艦です。長さだけでもこの船の10倍、全長は3500メートルある船で……」
「なんじゃと!?10倍とな!?この船よりも大きいと申すか!」
「はい、なにせ街を持つほどの船ですからね。主にこの駆逐艦の補給を任務とする船ですよ。」
「いや、待たれよ。お主らはこの駆逐艦を1万隻持っておるというではないか。さらにそれほど大きな戦艦とやらは一体、いくつあるのじゃ?」
「大体、駆逐艦1千隻あたり戦艦3隻ありますから、1万隻では30隻ですね。」
「30隻か……その戦艦とやらには、どれくらいの人がおるのじゃ?」
「そうですね。兵員と民間人合わせて2万人と言われてます。」
「2万人か……それを30隻も……全部で60万人もおるのか。それに駆逐艦1万隻に100万人の軍人が必要だから……もはやそれはひとつの国ではないか!なんというものを作らにゃならぬのじゃ!わしの国だけでは到底維持できぬわ、全く。」
マチナガ公はぶつぶつとぼやいておられる。戦艦には2万人もおるとは妾も初めて知ったが、この先かような船を構えねばならぬと考えているマチナガ公にとっては、この想像以上の必要人員に頭を痛めておるようだ。
「父上!」
艦橋に向かう我らの後ろから声をかける者がいる。振り向くとそこにはベルナール殿とタツ殿がいた。
「おお、タツか。そなたも艦橋へ行くのか?」
「はい、ベルナール様と共に行くところにございます。父上も艦橋でございますか?」
「うむ。戦艦とやらをこの目で見ておかねばならぬからの。」
などと話しながら、艦橋に入る。すでに戦艦への入港準備が始まっており、艦橋内は騒がしくなっていた。
「戦艦ソーヴィニヨンより入電!第1番ドックに入港されたし、です!」
「さすがはこの星の要人を乗せているだけのことはあるな。戦艦ソーヴィニヨンの艦橋真横に入港か……」
艦長殿までぶつぶつと何か申しておる。そこに我らが入ってきたので、セレスティーヌ艦長は我らの方を向く。
「あ、皆様、おはようございます。ただいま戦艦ソーヴィニヨンへ入港するところです。」
「どこにおるのじゃ、その戦艦ソーヴィニヨンは?」
「はい、まさに目の前にあります。」
もうすでに窓一杯に、あの灰色のごつごつとした岩肌が広がっていた。それを見たマチナガ公、窓の方に歩み寄りて戦艦に見入っている。
「何という大きさじゃ……この駆逐艦だけでも驚きだというのに、何じゃこの大きさは!?こんなもの、本当にわしらも維持できるのか?」
地球278のものはあまりに大きく、そして複雑で、おまけに大勢の職人や兵を必要とする。
この戦艦ソーヴィニヨン一つを見ても、たくさんの人々の力がいることは明白だ。それが30隻。駆逐艦1万隻だけでも大変だというのに、さらにこのようなものを30隻も揃えられるものかと考えておられるのだろう。
「うーん、エミール殿がわしと初めて会った時に、これから大勢の人材が必要となるようなことを申していたな。なるほど、今ならよう分かる。確かに、戦などやって人民をむやみに減らしておる場合ではないな。」
マチナガ公はあの陣幕での出来事を思い出しておられる。あのときエミール殿が言った言葉の意味を、この巨大な灰色の岩肌を持つ船がマチナガ公に諭てくれたようだ。
「第1番ドックより繋留ビーコン捕捉!両舷前進最微速、ヨーソロー!」
「繋留地点まで、あと100…80…60…40…20…船体固定!」
ガシャンという大きな音と共に、艦橋内が少し揺れる。
「前後ロックよろし、エアロックよろし!機関停止確認!駆逐艦0710号艦、入港完了いたしました!」
「了解。艦内放送を。」
セレスティーヌ艦長はマイクを手に持つ。
「達する、艦長のセレスティーヌだ。本艦は艦内標準時 1500(ひとごーまるまる)より、翌 1700(ひとななまるまる)まで滞在する。滞在時間が長いため、宿泊先としてホテル 『ル・フォーブル』に各員の部屋を用意してある。出港30分前までには各員、帰艦されたし。以上。」
放送を終えて、艦長殿は我々の方に向く。
「さて、皆さま。参りましょうか。」
出入り口に向かうセレスティーヌ艦長。それに我らも追随する。
エレベーターで一番下に降りる。以前もこの船に行ったときと同様に、横に扉が開いておった。
「なあ、アツ殿よ。」
「なんじゃ、タツ殿。」
「これからいずこへ参るのじゃ?そなたは一度、ここに来ておるのであろう。」
「妾がここに来たときは、電車という大きなつづらに乗って移動して、大きな街に出たのじゃ。」
「街であるか。して、そこはどのようなところじゃった?」
「なんというか、幾重にも地面が重なっており、その上には天守閣ほどの建物を使った店がいくつも並び、その間を大勢の民が歩き回り楽しんでおるのじゃ。」
「なんじゃそれは?天守閣の店に、大勢の人?要するに、我がナガヤ城の城下の街のようなものなのか?」
「うむ、あれよりもさらに人が詰まった、にぎやかなところと思えばよかろう。これよりその街に参るゆえ、すぐに分かるじゃろうて。」
あの街の様子を妾の言葉で表せというのが土台無理な話だ。百聞は一見に如かず。タツ殿も見ればわかるであろう。
「そうそう、アツさん。今日は電車は乗らないのよ。」
「なに!?そうでござるか?」
「ここは戦艦ソーヴィニヨンの艦橋のすぐ真横にある港なの。だから、街へはエレベーターで降りるだけなのよ。」
「そうなのでござるか。しかし、なにゆえ今日はそのような良い場所にこられたのであるか?」
「それは、要人であるマチナガ公を乗せているからなの。今回は特別なのよ。」
セレスティーヌ艦長が教えてくれた。なるほど、マチナガ公がおられるから、電車というものに乗る必要がないところに降りられたらしい。あの窮屈な銀色つづらに乗らなくてよいのは、妾としては助かる。
しばらく長い通路を歩き、エレベーターが見えてきた。駆逐艦にあるエレベーターよりは少し広くて静かなそのエレベーターに乗り込み、下に降りる。そして扉が開き、我々はエレベーターを出た。
そこは広間のような場所であった。絨毯というものが敷かれ、目の前には何人かの人々がいる。服装は皆礼服のようなものを着ており、街中にいる人々とは明らかに違う格好をしておる。エミール殿が妾に良い着物を着るよう言ってきたが、確かにここはこの上物の着物がふさわしい。
「ここは一体、どこなのじゃ?」
「ああ、ここは街の外れにあるホテル『ル・フォーブル』というところだよ。ここは最上階がロビーなんだ。」
「街外れであるか。ならば、そばに街はあるのか?」
「そこの窓から街が見えるよ。覗いてみたら。」
エミール殿がそう言うので、妾とタツ殿は窓の方へ行き、覗いてみた。
ああ、街だ。あの4層構造の、天守閣ほどの高さの建物が幾重にも重なるあの街が見えた。
下から見上げるのとは違い、ここから眺める街の風景は遠くまでよく見える。最上層の街が丸見えで、碁盤目状の道に建物が並んでいるのがよく分かる。
「あ、アツ殿!これは一体…」
やはりこの光景に、タツ殿は驚愕しておる。想像以上に人や物が詰め込まれた場所、まるでアリの行列のように歩き回る人々をじっと眺めている。
「これが戦艦の街じゃよ。見てのとおり、幾重にも重なった天守閣のような建物が並んでおるじゃろ?」
「うーん、我が城下の街よりも栄えておるではないか。何という街じゃ。それにしてもここはとても高いところじゃのお……」
窓から見える風景に、タツ殿は見入っておった。まさかこれほどの街があるなどとは思いもよらんかったようだ。妾とて初めて来たときはかような街がこの世にあるなど知る由もなかった。無理もないことであろう。
窓からロビーの方に目を向けると、マチナガ公のところに幾人かの人々が集まっているのが見える。セレスティーヌ殿やエミール殿も一緒だ。妾も我が主人の元に行く。
「エミール殿、皆ここで何をしておるのじゃ?」
「ああ、ここにいるのは地球278の民間企業の人達だよ。重工業や家電メーカー、資源加工業者、農場開拓会社、等々。」
「何をする者達なのじゃ?」
「駆逐艦のような船を作ったり、スマホやロボットを売り込んだり、この星から採取される資源の採掘権や農場開拓の権利を得たりするために来ているのだよ。」
「そのようなことをする職人集が、マチナガ公に会いにここまで来たのでござるか。地球278の者達は、実に熱心でござるな。」
しばらくすると、ロビーの奥のさらに広い部屋に通された。そこにはたくさんの食べ物が並んでいた。立食パーティー形式のお披露目会だとエミール殿は申す。
「皆さま、お集まりいただきありがとうございます。本日は地球807となるこの星よりマチナガ様をお迎え致しました。」
演壇の上にマイクを持った御仁がマチナガ公を紹介していた。挨拶の後、マチナガ公の前にはたくさんの人が並び、マチナガ公と順に話していた。
ベルナール殿とタツ殿は、早速料理を食べている。駆逐艦の食堂でもそうであったが、タツ殿は美味い料理を食べるときは本当に嬉しそうに笑みを浮かべる。それほどまでに美味いのか?
「エミールよ、我らも負けてはおれぬ。早速何か食べるとするぞ。」
「はいはい、アツ。じゃあ、この辺りから食べてみるかい?」
「なんじゃ、この料理は?」
「これはローストビーフ。そしてこれはクリームコロッケ。これにサラダとスープを組み合わせて食べると美味しいよ。」
「赤味噌はないのか?」
「いや、さすがにないでしょう……」
とエミール殿は申しておったが、赤味噌汁はあった。白米と白味噌汁と共に端の方に置かれておった。妾はそれを椀に注ぎ、口にする。
妾の頭の中に、何かが走ったような感じがした。これは、まぎれもなく妾の生まれ故郷、ナガツの国の赤味噌汁である。この塩加減、そして味噌汁の色合い、これは妾のよく知る味噌である。
駆逐艦の赤味噌汁も確かに赤味噌であるが、塩加減は薄く、色もやや明るい。やや黒ずんだこの色こそが妾のよく知る赤味噌である。まさかこのような場所で出会えるなど、思いもよらなんだ。
思わず、涙が出てきた。妾は故郷より遠く離れても、故郷の味は忘れられぬのであると悟ったのだ。
「あれ!?アツ、どうしちゃったの?何か変なものでも食べちゃったのかい!?」
「い、いや、エミールよ。懐かしい味の赤味噌汁があったので、思わず故郷を思い涙してしまっただけじゃ。」
「えっ!?この味噌汁、アツの故郷のものなのかい?主計科のやつら、わざわざこれを取り寄せたんだ。」
そういってエミール殿もその味噌汁を注いで口にする。
「うーん、とても塩辛いね。だけど、なんというかこの味噌汁、塩辛く濃厚な味の中に、なんとも言えない香りを感じるね。何だろうか、この味は。」
エミール殿もこの赤味噌が気に入ったようだ。痩せた土地から採れた大豆を用いて、1、2年もかけて漬け込んで造り上げる味噌である。不味かろうはずがない。
ローストビーフと赤味噌とご飯を堪能する妾の元に、タツ殿が現れる。
「なあ、アツ殿よ。このあと街に行くようじゃが、何をすれば良い?」
「そうじゃな。まずは『スマホ』を手に入れるのじゃ。妾も初めて街に来た時に、エミールに買っていただいた。タツ殿も、ベルナール殿に買ってもらいなされ。便利な道具じゃ。すぐに使いこなせるほうがよかろうて。」
「そのスマホというものは、一体なんじゃ?」
「ああ、これでござるよ。」
そう言いながら、妾のスマホをタツ殿は見せた。
「……そういえば、ベルナール様も持っておいでであったな。なんなのじゃ、この黒い板は?」
「この板はな、分からぬことを聞けば教えてくれる、好きな時に音楽を奏で、動画というものを見せてくれるのじゃ。地球278の者達は我らとは異なる文字を使っておるゆえ、これを使い文字を学ぶこともできるのじゃよ。」
「なんじゃそれは?いろいろでき過ぎて、よう分からぬものじゃな。」
「なんにせよ、これからの生活になくてはならぬものゆえ、手に入れるのじゃ。使い方など、あとでどうとでもなろう。」
「他に、何をすれば良い?」
「ううん、そうじゃな。妾は以前来た時には、映画というものを観た。」
「映画?なんじゃそれは?」
「大きな画面にて観る動画じゃよ。妾は時代劇というものを観たのじゃが、なかなか面白いものであった。」
「左様か。スマホに映画……これだけで良いのか!?」
「そういえば、指輪も頂いた。」
「指輪?なんなのじゃ、それは?」
「こちらの婚儀の証らしい。ほれ、かように左手の薬指にはめるものなのじゃよ。」
「この銀色のものか?よく分からぬが、婚儀の証となれば、大事なものに違いない。妾もベルナール様にかけあってみるとしよう。」
するとタツ殿は、ベルナール殿の元に向かう。ベルナール殿はといえば、エミール殿と話しておった。
「やあ、タツ殿。今、エミール中尉に街でどう過ごせば良いか聞いていたところなんだ。」
「妾もアツ殿にいろいろとお聞きいたしました。それで、ベルナール様にお願いしたき儀がございます。」
「えっ?何?」
「妾にスマホと映画、それに指輪を頂きたく存じます。」
「は?指輪?」
突然タツ殿が指輪の話をしたため、ベルナール殿はエミール殿に指輪のことを尋ねていた。エミール殿も左手を見せながら、あの時のことを話しているようであった。
そういえば、あの時はすぐに戦が始まり、大急ぎで駆逐艦に戻ったのであった。今度こそもう少しゆっくりと街にとどまりたいものだ。
「いやあ、大勢の者に囲まれて大変じゃったわい。しかし、おかげで良い話もたくさん聞けた。ではエミール殿よ、街に参ろうではないか。」
マチナガ公があの大勢の者達の列から解放されて、こちらにやってきた。
「はい。ですが、よろしいのですか?私よりも上層部の者が案内する方が、もっといいところへ行けますよ?」
「いや、今回はやめておこう。わしはどちらかというと、庶民の暮らしを見たいのじゃよ。」
「そうですか。では、ご案内致します。」
そういうとエミール殿と妾はマチナガ公を伴い、街へと繰り出す。
街に出ると、マチナガ公は矢継ぎ早に店や人々のことを尋ねる。これはなんという店か、なぜにここは女子ばかりがたむろしておるのか、などなど、目を引くものは片っ端から聞いていた。
また、マチナガ公のスマホも買う事になった。大大名に相応しく、黒光りの下地に金の文字の書かれた大きめのものを購入された。
映画にも行った。以前観たのとは違う時代劇であったが、こちらもなかなか面白い話であった。相変わらず家臣に裏切られる将軍様の話だが、将軍自らが剣を振るい、最後には将軍家のご威光でその家臣一同がひれ伏すというものであった。
だが、マチナガ公は映画を観ているという訳ではなさそうであった。確かに映画を観ているのだが、どちらかというとその周りの観客に関心があるようだ。
「いやあ、ここの民はかようなものを楽しむのであるな。」
「はい、食べ物に映画、スポーツにゲーム。いろいろな娯楽がありますよ、ここは。」
「ところで、ここの店の主人は、どのようにしてここに店を構えるのか?やはり、市座や問屋衆のコネを使い、上納金を納めねば店は開けぬのか?」
「いや、そんなことないですよ。賃貸料はかかりますが、コネなんて要りません。私がその気になれば、ここに店を出すことだって可能ですよ。」
「そうか。ここの商売は自由なのか。やはり、商売の自由というのは繁栄の礎なのじゃな。」
マチナガ公は、自らの領地に商売の自由を認めていた。これまで多くの場所で商売の自由を掲げて、実際にそれを実現してきた。それゆえ、マチナガ公の居城であるナガヤ城下の街は都を凌ぐといわれるほどの繁栄ぶりだ。
その繁栄をはるかに超える街が、この真っ暗な宇宙に浮かぶ大型の船の中にあるのだ。マチナガ公の関心がなかろうはずがない。
「マチナガ様は、城下にもかような街を築くおつもりでありますか。」
「当たり前じゃ。どうやったらあのように大きな船を1万隻も維持できるのか、ずっと悩んで負った。それがこの街を見て分かった。これほどの賑わい、これほどの財力。この街の賑わいこそが、あれほどの大軍を支えることのできる力の源。これこそが、わしの一番求めていたことなのじゃよ。」
どうやらマチナガ公は、この先のことに思いを巡らしておったようだ。駆逐艦1万隻に戦艦30隻、そこにいる160万人もの民と兵をどうやって支えるかと考えていたらしい。その答えを、この街に見出したようだ。
このマチナガ公の見立てが、この先の我らの星にいかなるものをもたらしてくれるのか?このとき、地球807と名付けられた我らの星の運命はマチナガ公に委ねられたことを、妾は悟ったのであった。