#5 天空分け目の大戦(おおいくさ)
エミール殿との幸せの余韻に浸る間も無く、大急ぎで駆逐艦に戻る。妾とエミール殿は、艦橋に入った。
「乗員は全て乗艦!いつでも発進できます!」
「了解、では戦艦ソーヴィニヨンの管制室に連絡。ロック解除、直ちに離艦すると。」
「はっ!直ちに!」
艦内は慌ただし。皆が持ち場にあるモニター画面を見つつ、何かを叫んでいる。
「離艦許可、出ました!」
「発艦します!両舷後退微速、ヨーソロー!戦艦内ドックより離脱!」
「レーダー起動!当艦後方、7時方向、距離300のところに移動中の艦艇あり。衝突に注意されたし!」
つい先日、妾は城攻めを経験したばかりというのに、再び戦さ場に来てしまった。なんという巡り合わせか。
「達する。艦長のセレスティーヌだ。現在の状況を知らせる。この星域の第8惑星軌道付近に敵の一個艦隊を哨戒艦が発見、この星系の地球に向けて進軍中との報を受けた。現在、距離2300万キロ、あと5時間ほどで接触予定。今後は食堂および各部屋のモニターにレーダー画面を表示するので、そこで各自状況確認せよ。現時刻を持って、駆逐艦0701から0710号艦は戦闘態勢に移行!艦内哨戒、第一配備!」
艦長より今の情勢が伝えられる。だが、妾は彼らの戦の習いを知らぬ。これより先に何が起きるのか、妾はエミール殿に聞いた。
一個艦隊とは、すなわち駆逐艦が1万隻、戦艦が30隻の集団である。敵が一個艦隊で攻めてきたため、こちらも同数の1万隻で迎え撃つ。互いに30万キロという距離まで接近したところで両者の大筒が届くようになるため、そこで戦が開始されるという。
宇宙という広大なところで、しかも地球と月ほどの距離を隔てての戦い。槍や刀などものの役にも立たない。ひたすら大筒を撃ち合うことになる。
敵方である連盟の狙いは、我が地球に取り付き、連合との同盟締結を阻止することだという。その意図を挫くため連盟の艦隊を退ける。これがエミール殿の艦隊の勝利条件である。
それにしても、これほど大きな駆逐艦が双方合わせて2万も対峙する戦。つまり、駆逐艦だけでも200万もの兵がいて、互いにぶつかり合う大戦。マチナガ軍10万など、この宇宙においては取るに足らぬ数だ。
「ところで、1万もの艦艇が撃ち合うと、どのようになるのでございますか?」
「いやあ、それがね。私は宇宙での戦闘を経験したことがないんですよ。紛争宙域の近くでもない限り、滅多に起こらないことだから、一生のうちに一度経験するかどうかというレベルなんだよ。この艦のほとんどの乗員は、未経験なんだよ。」
「ええっ!?戦の経験がないと申されますか!戦知らずばかりで、一体どうやって戦うのでございますか!?」
「その辺は大丈夫。普段より戦闘に備えて訓練は続けているからね。訓練通り、戦うだけだよ。」
「エミール様は、戦では何をなさるのですか?」
「私の出番はないかな。昔はもっと短い距離で戦っていたらしいから、その頃なら我々戦闘機隊も発進して応戦してたんだけど、今は30万キロの距離を隔てて撃ち合う時代だからね。光の速さでも1秒もかかるような遠い場所にいる敵の艦隊を航空機で攻撃するなんて、無理だよ。」
なんと、エミール殿は戦に参加されないという。ただ、場合によってはある役割を与えられることもあるため、戦闘中も控えてはいるそうだ。
戦闘まで、あと1時間まで迫った。艦橋の窓越しに外を眺めても、敵方の姿は見えない。この宇宙の戦では、敵が近づいたと言っても、人の目では見えぬほど遠くにいるのだ。
「総員、船外服を着用せよ!」
艦長の指示で、皆一斉に船外服と呼ばれる服をまとう。この服は、全身を包む不格好な衣服であるが、この漆黒の宇宙空間に投げ出されても7時間の間は息が続く服であり、いざというときに備えて皆着るのだそうだ。
この服によって知ったのだが、宇宙というところは息ができない。この身のまま投げ出されればすぐに死んでしまうほどの、過酷な場所であるというのだ。それ故に外に投げ出ても死なぬよう、このように分厚い服を着なければならないのだという。
妾は船外服を着せてもらうため、アルテミシア殿に一時連れ出される。着物のままでは着られぬため、街で買ってもらった服を着てからこの不格好な衣服を着ることになった。
「アルテミシア殿も、戦は初めてであるか?」
「初めてだよ。もう怖くてね、震えちゃってるよ。でも私、戦闘中も仕事あるから、怖いなんていってられないけどね。」
「そういえば、アルテミシア殿は主計科でござったな。戦の最中で、何をなされるのです?」
「大忙しよ。艦内は砲撃でうるさくて無線じゃ会話にならないことがあるから、艦内の伝令係をしたり、戦闘が長時間に及ぶ時にはサンドイッチをたくさん作って配って回らないといけないの。後方だからって、やることはたくさんあるのよ。」
そうなのか。主計科でも大忙しであるのか。
「ちなみに一番大変なのは、セレスタン中尉のいる砲撃科。なにせ宇宙の戦闘は艦砲の撃ち合い、彼ら砲撃科がこの艦の運命を握っているんだからね。責任重大よ。」
「はあ、左様に重大な役目を担われているのですか、セレスタン殿は。」
「そうよ、普段は冗談ばかり言ってる男だけど、この時ばかりはそんなこといってられないわ。耐えられるのかしらね、あの男。」
アルテミシア殿がぶつぶつとセレスタン殿のことを愚痴っておられる。アルテミシア殿はセレスタン殿のことをあまり好んではおらぬ様子だが、気にはなるようだ。
艦橋に戻ると、突如艦長がエミール殿を呼んだ。
「エミール中尉!司令部より航空隊発進準備の命令が出た。直ちに格納庫にて待機せよ。」
「了解しました!でも、どうして航空隊の発進準備をするのでありますか?」
「哨戒機を使いスパースレーダーを展開する為らしい。それで、わが艦隊全艦の航空隊に発艦準備命令が出ているのだ。」
「ですが、それは哨戒機の役目では?我が複座機は何をするんでしょう?」
「護衛だ。敵は来なくとも、ここは小惑星帯のそばだから小さな隕石が衝突せんとも限らない。哨戒機周辺からデブリを排除するというのが主な任務だ。」
「了解しました。ではエミール中尉、複座機にて発艦準備に入ります!」
格納庫に向かうエミール殿に、妾はついていった。
「エミール様!戦で何かをされるのですか?」
「いや、大した任務じゃないよ。すぐに帰ってくるから、アツさんは艦橋で待っていてくれればいいよ。」
そういうとエミール殿は、突然足を止める。そして妾の前に立ち、ヘルメットを取り始めた。
自分のヘルメットを取ると、今度は妾のヘルメットを外し始める。何をされるのかと思いきや、突然エミール殿は、妾に接吻をする。
思いもよらぬエミール殿の行動に妾は一瞬驚くが、すぐに主人の行為を受け入れる。妾もエミール殿になされるがまま、しばしの間、接吻を受け入れた。
エミール殿の顔が離れ、妾の顔をじっと見つめてくる。妾もエミール殿の方をまじまじと見る。エミール殿が口を開く。
「アツさん、私が戻ってきたら、私のことを『エミール』って呼び捨てにしてもらえます?」
「いや、エミール様は妾の主人、そのようなことは……」
「ここは男女の差なんてないんだよ。私は長いこと、そういう文化で育ってきたから、アツにも対等に接してもらいたいなぁ。」
「さ、左様にございますか、エミール様がそうおっしゃるならば……」
「『エミール』、だよ。」
「は、はい!エミール……」
突然のエミール殿の申し出に、妾は従った。しかし、なんだか妙な気分だ。武人であり、我が主人であり、あのマチナガ公に気に入られるほどのお方を「様付け」なしでお呼びするなんて、妾にはまだ抵抗があった。だが、エミール殿は妾の言葉を聞いて、にこりと笑う。
「じゃあ、そういうことだから、約束だよ!アツ!必ず帰ってくる、それまで待ってて!」
エミール殿も妾の名を、それまでの「さん付け」ではなく呼び捨てをされた。そして格納庫の中に入っていった。
妾はエミール殿の突然の行動と申し出に、ついぼーっとしてしまった。頭の中でエミール殿の言葉を反芻しながら、ゆっくりと艦橋に向かって歩いていく。
その途上、妾はセレスタン殿と一緒にいるアルテミシア殿を見かける。
その時のセレスタン殿は、ヘルメット越しでもわかるほど、珍しく神妙な面持ちであった。彼はアルテミシア殿の前に立ち、何かを言い出そうとしているところだった。
「アルテミシア少尉!」
「はい、なんですか?セレスタン中尉。」
「俺はそろそろ、砲撃管制室に向かう。戦闘が終わるまでは、出られなくなるだろう。」
「そりゃそうですよ。これから砲撃戦やるわけですからね。」
「それで、その前にどうしても君に言いたいことがあるんだ。」
「はあ、何でしょう?」
すると突然、セレスタン殿はアルテミシア殿の肩を掴む。
「戦闘で生き残ったら、俺と付き合ってほしい!」
「はあ!?セレスタン中尉、この期に及んで冗談ですか?」
「いや、さすがの俺も、こんな時に冗談なんか言わねえよ。」
「……本気なんですか?」
「本気です!」
急に2人は凍り付くように止まってしまう。それを見ている妾も、思わず息を殺して見てしまう。
「返事は、今すぐでなくていい。じゃあ俺、行くから!」
そのままアルテミシア殿から離れて廊下を走りだしたセレスタン殿。それをアルテミシア殿が呼び止める。
「待って!」
アルテミシア殿はセレスタン殿の元に走り寄る。
「……もしかしたら死んじゃうかもしれないし、今のうちに返事しておくわ。」
アルテミシア殿はこぶしを握り締め、セレスタン殿の胸の辺りを軽くたたいて言った。
「生き残ったらね、あなたと付き合ってあげる!だから、絶対にこの艦を守りなさい!いいわね!」
「お、おう!分かった!じゃあ俺、絶対に負けねぇわ!」
そういうとセレスタン殿は走り去っていった。
物陰から覗く妾の元に、アルテミシア殿が寄ってきた。
「あら、姫ちゃんに見られちゃいましたね、セレスタンの戦場告白。」
「戦場告白?何でござるか、それは?」
「戦闘前にね、思い残すことがないよう、想いを寄せる人に向けて告白することよ。この宇宙ではね、よくあることらしいの。でもまさか、私があの男から告白されるなんてね……」
そう言いながらも、笑みを浮かべながら妾に語るアルテミシア殿。
「そういうわけだから、死ぬわけにはいかなくなったわ。さあ!忙しくなるわよ!」
そう言ってアルテミシア殿は、妾に手を振りながら走り去っていった。
妾は思った。アルテミシア殿もセレスタン殿も、そして我が主人であるエミール殿も、全力で戦いに臨もうとしている。まさにあの時のタカサカ城のように。
だが、妾は未だ、何もしておらぬ。この戦で、妾は一体何ができるのか?
そこでふと思いたち、妾は部屋に戻った。
そこにはマチナガ公より賜った、戦勝祈願の扇子がある。妾はそれを持って艦橋に向かう。
マチナガ公はこれを戦さ場に持ち込み、数々の戦で勝利をおさめて当代屈指の大大名となったのである。ならばそのご利益、この戦にも活かさせてもらおう。妾はそう思い、扇子を持ち込もうと考えたのである。
艦橋に着くと、先ほどよりもさらに緊迫した様子であった。
「敵艦隊まで距離40万キロ!戦闘まであと20分!」
「敵、味方艦隊共に横陣形にて展開。特に動きはありません。」
「艦隊司令部より入電!『航空機隊、直ちに発進せよ!』、以上です!」
「了解した、航空機隊全機、直ちに発艦せよ!」
艦長の命令に呼応して、他の駆逐艦から哨戒機と呼ばれる、白くて四角い機体が発進していった。そして窓の右側には、黒い複座機が飛び出してきた。あれはエミール殿の複座機だ。みるみる小さくなり、航空機らは宇宙の暗闇に消えていった。
「敵艦隊まで31万キロ!戦闘開始まであと3分!」
「艦橋より砲撃管制!これより、操縦系を砲撃管制に移行する!」
「砲撃管制より艦橋!了解!艦の操縦系、いただきました!」
いよいよ戦がはじまるようだ。いくら前を見ても敵方の駆逐艦の姿は見えない。だが、そこには確実に敵がいる。
「敵艦隊まで30万キロ!射程に入りました!」
「司令部より砲撃開始の合図です!」
「艦橋より砲撃管制!砲撃開始!撃ち方始め!」
「砲撃開始!撃ちーかた始め!」
突如、ドーンという落雷のような凄まじい音と共に、青白い光の帯がまっすぐ伸びていった。ああ、あれがこの駆逐艦につけられた大筒の威力なのか。
「敵艦隊、砲撃開始!敵のビームが到達します!」
敵の姿を監視している中尉殿が叫んだ。その直後、向こうからも青白い色のビームと呼ばれる光の帯が何本も横切る。
しばらくこのビームの撃ち合いが続いた。艦内は騒がしい。妾はあのマチナガ公の放った大筒よりも大きくて恐ろしい音を出す、駆逐艦がビームを発する音に耐えていた。
「直撃弾、来ます!」
緊迫した声が艦橋内にこだまする。艦長が叫ぶ。
「砲撃中止!バリア展開!」
その直後に、今度はギギギギッという不快な音が響き渡る。目の前には眩いばかりの光に覆われて、何も見えない。もしやこの艦は、やられたのか?
が、すぐに光と不快な音は消えて、正常に戻る。どうやらバリアと申すものが敵のビームを跳ね返してくれたようだ。妾とこの艦の乗員らは、一命を取り留めた。
だが敵の砲撃はその後も何度も直撃を繰り返す。その度にあの不快な音が艦内に鳴り響く。ただでさえやかましい砲撃音に加えて、この命を削るような不快な音は何とかならぬのであろうか?
しかしこの艦の乗員らは淡々と自らの役目をこなしている。時々鳴り響く命を削るあの音を聞いても、たじろぐことなくその場にとどまり役目を果たす。
エミール殿やアルテミシア殿によれば、この艦にいるほとんどの者が戦を経験していないという。だがどうであろうか、皆は周りに動じず、自らの役割をこなしている。皆、覚悟のほどが違う。それに引き換え、戦さ場を知る妾の方が狼狽しておる。妾は、なんと覚悟のない女子であろうか。
「航空隊のスパースレーダー展開開始、順調に機能!敵艦の正確な位置と運動方向が割り出せます!」
「よし、航空隊も頑張っているぞ。これに乗じて一気に敵艦を葬る!砲撃の手を緩めるな!」
このセレスティーヌ艦長殿は、案外熱いお方のようだ。この調子で先ほどからずっと叫んでおる。
しばらくの間、砲撃が続いた。妾もあの大きな音に慣れ始めた。周りの者と同様に、周囲を見渡すほどの余裕が生まれ始めたのだった。
そんな時だ。突如、この艦橋に不穏な空気が流れ始める。
「スパースレーダー、応答ありません。通信が途絶した模様。」
「なんだ!?何が起こった!?」
「分かりません、戦艦ソーヴィニヨンも現在、原因を確認中。」
エミール殿がいる航空隊が展開するスパースレーダーという仕組みが、機能しなくなったという。今、レーダー担当の者が戦艦に向けて原因を聞き出そうとしているところだ。
「戦艦ソーヴィニヨンより入電!航空隊、ロスト!」
「なんだと……!?こちらの通信機とレーダーでも確認しろ!」
「ダメです!応答ありません!機影確認できず!航空機隊、ロスト!」
「通信機とレーダーの故障ではないのか!?もう一度確認せよ!」
「いえ、戦艦ソーヴィニヨンとのデータリンクでも確認しました!航空機隊、完全にロストです!」
突然、妾の目の前が真っ暗になった。彼らが、航空隊が消えたと申している。つまりそれは、我が夫であるエミール殿の乗る複座機も消えたということになる。
この広大な闇の中で、妾はようやく心を通わせ始めたばかりの主人を失うことになったというのか!?戦国の習いとはいえ、あまりにも短い夫婦生活ではないか。
信じられぬ。まだ妾はエミール殿と出会って10日も経っておらぬ。死を覚悟した戦場から妾達を救い出してくれたエミール殿が、この戦さ場に消えたとは到底受け入れられぬ。戻ってきたら、共に対等に呼び合おうと約束をしたではないか。その約束を守らぬまま死出の旅路についてしまうなど、妾は許した覚えはない。エミール殿も必ず帰ってくると言って、出かけたではないか。
涙がぼろぼろと出てくる。いくら頭の中で叫べど、妾にはなすすべがない。妾にできることといえば、ただ戦勝祈願の扇子を握り締めることくらいだ。
そうだ、扇子。この扇子にすがれば、状況は一変するのではないか?なにぶん、百戦百勝のあのマチナガ公より託された扇子だ。今はこの扇子の御利益にすがるほか、ない。
そう思い妾は扇子を広げた。表には、ムカデの絵とマチナガ家の家紋が描かれている。だがその裏を返すと、マチナガ公の花押と共に、4つの文字が書かれていた。
『至誠通天』
「至誠天に通ず」、曇りなき心で念じた想いは、必ず天に通じる。そう書かれていたのだ。
マチナガ公はこの扇子を戦さ場の戦勝のお守りとして持ち歩いたと語っていた。その扇子に書かれた言葉がこれである。およそ、戦さ場に持ち込むものに書かれる言葉とは思えぬものであった。
だがこれを見て、妾は思う。もしこの戦さ場で夫であるエミール殿が帰らぬ者となれば、それは妾の真心が足らぬということになる。逆に言えば、本当にエミール殿への真心あらば、必ずやエミール殿はここに戻る。この扇子は、そう言っているように思えた。
けたたましい砲撃音が鳴り響く中、妾は念じた。妾はあの方とこの先もずっと共に歩みたい。戦国の習いではなく、彼らの習いの夫婦生活というものを、妾は知りたい。傍らにエミール殿の笑顔を見ながら、子を育て、共に老いていきたい……
「戦艦ソーヴィニヨンより入電!ロストしていた航空隊を発見!」
そう念じた矢先であった。突如、エミール殿達の航空隊が見つかったという叫び声が聞こえる。
「なんだと!?一体、どうなっているのだ!?」
「どうやら、小惑星の陰にいたようです。航空隊との通信およびスパースレーダーも復帰しました!」
これは奇跡であるのか、それとも宇宙の戦さ場ではよくあることなのか、分からない。だが、ともかくエミール殿らは健在であることが分かった。妾は思わず、この扇子を授けてくださったマチナガ公に感謝する。
それにしても、つい8日前には妾らを殺そうとしていた相手に、まさか感謝する事になるなどとは考えたこともなかった。それほどまでに今、この世は大きく変わりつつあるということなのだろう。昨日の敵は、明日の友。激変の世でなければ、あり得ぬことだ。
だが、同時に思う。変わりゆくものがあれば、変わらぬものもある。至誠天に通ずというこの格言は、この先も活き続ける事であろう。戦国の世を終わらせるために戦っていたと言われるマチナガ公が、なぜこの言葉を携えて戦場に赴いたのか、今は分かる気がする。
こうして3時間ほどの長きにわたり、敵との撃ち合いは続いた。扇子の神通力のご加護か、幸いにも我らは生き残った。
「敵艦隊、後退を開始します!」
「司令部からの命令は?前進か?それとも待機か?」
「10分は追撃し、その後は後退せよとのことです。」
「そうか、ならばあと10分だ!ここが踏ん張りどころ、最後の力を振り絞って撃ちまくれ!」
艦長の檄に応えて、皆奮戦する。そして10分の後に、砲撃がやんだ。
それまで耳をつんざくほどの大きな音が鳴り響いていたというのに、急に静かになった。レーダー担当が敵方までの距離を読み上げる声だけが時折響く。
「敵艦隊、さらに後退し距離65万キロ。すでに全艦反転し、増速中です。」
「現在の戦闘経過が司令部より送られてきました。敵艦隊の撃沈数、240隻。味方艦隊は183隻。双方とも損耗率は2パーセント程度。」
あの撃ち合いで、味方が180隻あまりも失われたというのか。なれど、総数は1万隻。そう考えればこれは少ない数に見える。
だが、その180隻にはそれぞれ100人もの人々が乗っていた。つまり、1万8千もの兵が失われたということになる。彼らの中には、妾やセレスタン殿にアルテミシア殿と同様、約束を交わした者もおるやも知れぬ。そう思うと、生き残った妾はやや複雑な思いだ。
しばらくすると、艦長よりこの不格好な船外服を脱ぐよう言われた。妾はアルテミシア殿に付き添われて服を脱ぐ。
「ところでアツ姫ちゃん、船外服の下に着ているこの服、どうしたの?」
「ああ、これでござるか。戦艦の街にてエミール様……あ、いや、エミールに買っていただいたものじゃ。」
「へぇ~っ、いいなあ、なかなか似合ってるよ。私も今度、セレスタンに何か買ってもらおうかしら?」
戦の終わりが見えてきて、アルテミシア殿にも心の余裕が見えてきたようだ。たわいもない会話をする妾とアルテミシア殿。
「そうだ、さっき整備科の人から聞いたけど、姫ちゃんの旦那さん、今帰投中らしいわよ。もうすぐ着くんじゃないかしらね。」
「なに!?まことでござるか?」
「第1格納庫に向かった方がいいわよ。そろそろ着いてるかもしれないわ。」
エミール殿が帰ってくると聞いて、妾は格納庫に向かう。入り口には、整備科の人達が待機していた。
「ああ、姫さん。ご主人の複座機、もうすぐ帰ってくるよ。今、格納庫は開放中で入れないけど、機体を収容してエア注入が終わればすぐに会えるよ。」
整備科の一人が妾に今の状況を話してくれた。しかし、もうすぐ帰ると分かっていても気になって仕方がない。妾は今か今かと、扉に着いた小さなガラス窓をのぞき込んでいた。
あの黒い蛾のような複座機が格納庫に入ってきた。ハッチがゆっくりと閉まり、シューッという音が鳴り響く。格納庫内に空気を流し込んでいる音だ。
扉についている明かりが赤から緑に変わると中に入ることができる合図だが、これがなかなか緑に変わらぬ。妾はやきもきしながら色が変わるのをただじっと待っていた。
やっと緑に変わった。妾は扉を開く。エミール殿は透明なガラスの殻を開いて、まさに下に降りようとしているところだった。
「あれ?アツ。随分とお早いお出迎えで。」
人の気も知らないで、能天気なことをのたまうエミール殿。妾ははしごを降りてきたエミール殿に駆け寄り、服の胸元を両手でぎゅっとつかむ。
「エミール!妾は心配したのでござるぞ!航空機隊が見えなくなったと言われて、目の前が真っ暗になり、その時に妾は……」
涙が出てきた。申し上げたき言葉は多けれど、感情が高ぶり嗚咽して声が出なくなる。するとエミール殿は妾を抱き寄せ、こう言った。
「ただいま、アツ。ほら、約束通りちゃんと帰ってきたよ。私は今まで約束を破ったことが、一度もないんだ。」
周りには整備科の面々がおられるが、周りの目などお構いなしに妾を抱きしめてくれる我が夫。この整備科の者らは、いつもであればエミール殿と妾を茶化すことが多いのだが、このときばかりは違った。
「…いいなぁ、俺も奥さま、欲しいなぁ。」
概ね、このようなことを言って、じーっと2人を眺めていた。
さて、妾とエミール殿はそろって食堂に向かう。戦艦ソーヴィニヨンを発して以来9時間近くたつが、その間何も食べておらぬ。戦も終わりなれば、そろそろ食べるものを食べねば身が持たぬ。
食堂に向かう途中、セレスタン殿とアルテミシア殿が立っているのが見えた。お互い向かい合い、何かを言いたげな顔で見つめ合っておった。
「約束だ、アルテミシア少尉。この艦を沈めなかったぜ!」
「たいした男ね、普段からこうだったら、もう少し早く付き合ってあげたのに。」
そんな会話が聞こえてきた。が、2人は妾とエミール殿がいるのに気づき、互いの顔をそむけてしまった。
「あれ?いつの間にそういう関係になってたの?」
エミール殿は、セレスタン殿に向かって話しかける。バツの悪そうな顔をして、セレスタン殿は応える。
「いや、その、なんだ。生き延びた者同士、この先も長く充実した人生を歩もうという話をしていたのだ。」
「なんだ、そうなのか。じゃあ、我々も混ぜてもらおうかな。」
「は?」
エミール殿はそういうと、唖然とするセレスタン殿とアルテミシア殿の前で妾を再び抱き寄せる。
「アツ、次に街に行った時には着物を買ってあげよう。あそこにも着物を作る店があってね。」
「そ、そうでござったか!?では、エミール様……あ、いや、エミールの好きな柄の着物を仕立ててもらおうかの。」
たわいもない会話だが、セレスタン殿とアルテミシア殿はあきれた顔をしてこちらを見る。
「あーっ!いいよな、夫婦は!」
「ほんとですよ!ずるいです!」
「何言ってるんだ!夫婦だろうが恋人同士だろうか、生きてる限りは自由だ!遠慮することはないさ!」
とエミール殿が言ったものだから、再びセレスタン殿とアルテミシア殿は向き合った。恥ずかしさから顔を赤くする2人だが、それでもにこやかな笑顔で向き合っていた。
妾は再び戦を乗り越え、生き延びることができた。あの落城寸前の日から9日目、再び命あることを喜び合うことになった。