#4 戦艦の街と左薬指のリング
妾がこの駆逐艦に来て、3日が経った。妾には軍服が合わないため、城から着物を取り寄せて、それを着ることにした。やはりここの服は着慣れない。ただ、下着だけは着心地がいいので使っている。
それはともかく、この3日で妾も成長した。時計の時刻が読めるようになり、食堂でも妾自身で注文できるようになった。
「妾は今日、食事を摂りませぬ!」
「ええっ!?ど、どうしたんですか、アツさん!どこか身体の具合でも悪いんですか!?」
「いや、冗談でございますぞ、エミール様。」
「冗談」の技量も、少しは向上したと思われる。
さて、昨日のことであるが、マチナガ公に呼ばれナガヤ城に出向いた。着くや否や本丸御殿に通され、そこでマチナガ公の現れるのを待っていた。
それにしてもこの本丸の大広間の装飾は、豪華絢爛というほかはない。亀と鶴が描かれた金屏風に、竹林を行く虎の描かれた金箔張りの襖。奥には、地球278から贈られたガラスの壺が置かれていた。
「いやあ、待たせてしもうたな。」
マチナガ公が現れた。一段高い座について、エミール殿と妾を手招きする。
「本日はお招きいただき、恐悦至極にございます。妾は……」
「アツ殿、硬い挨拶は抜きにいたせ。それよりもじゃ、お主らにぜひ渡しておこうと思っておる物があるのじゃ。」
そう言ってマチナガ公がエミール殿に渡したのは、扇子であった。開くと、そこにはムカデと、カタバミの葉に流れる川を描いたマチナガ家の家紋が描かれている。
「こ、これは……」
「わしが戦の際に持っている扇子じゃよ。わしがこれを持って戦に臨んで、これまで負けたことがない。縁起のいい扇子じゃて、お主らの婚儀の祝いに贈ろうと思うてな。」
「いや、そんな大事な品、いいのですか?頂いても。」
「ああ、もうわしには不要の品じゃ。お主らに譲る。」
「しかし……」
「お主が言うておったではないか。これより先は、この地上での戦はないと。むしろお主の方が戦に合うことがあるやもしれぬ。持ってゆけ。」
「は、はい、ありがたくいただきます。」
そう言って、エミール殿はその扇子を受け取った。
その扇子は今、エミール殿と妾の住むこの部屋の机の上に飾られている。どこで見つけたのか、扇子を飾るのにちょうど良い台があったらしい。
「いやあ、スマホスタンドがこの扇子を飾るのにぴったりだなんて、すごい偶然だなぁ。しかしこの絵柄、なんとかならないのだろうか?」
エミール殿はこのムカデの絵柄が苦手らしい。ムカデは身体を斬られても動くことができる虫ゆえ、古来より戦さ場では縁起が良いとされる虫。妾も本当のムカデは苦手であるが、絵柄であれば妾は特に気にはならない。
さて、エミール殿からいよいよこの駆逐艦は今宵、宇宙へ出ると言われた。補給を行うためだと申しておる。妾は初めて宇宙という場所に行くことになる。
宇宙とはどのようなところであろうか?空へ高く昇ったその先にあると聞いているが、エミール殿によれば、上も下もない場所だという。もはや何を言っているのかわからない。
「いやあ、久々の補給だ!アルテミシア少尉、戦艦ソーヴィニヨンに着いたら、俺と一緒に映画でも行かない?」
「はあ?セレスタン中尉と?なんの冗談ですか。」
セレスタン殿の冗談はいつ聞いても冴えておられる。さすがは妾の『冗談道』の師範だ。
「エミール様!映画というものに妾と一緒に行きませぬか!?」
「はあ、いいですよ。行きましょう。」
だが、同じことを妾が言うと冗談ではなくなるらしい。どう言うことだ?
「ところでエミール様、映画とはなんなのでございますか?」
「あれ?映画のこと、知らないで誘ってたんですか?ええとですね、映画というのはテレビやスマホよりも大きな画面で見る動画ですよ。」
最近、妾はエミール殿のスマホを借りて、動画なるものを見せてもらうことがある。手のひらに乗るほどの大きさのあの小さな板の中に、野山の風景や料理を作る様、それに宇宙にあるという大きな光る雲の映像もあった。
風景ばかりではない。人が様々な場面での生き様を演じる「ドラマ」と呼ばれる動画もたくさんある。
妾が特に気に入っているのは、「時代劇」と呼ばれるドラマ。先日、エミール殿のスマホで見せてもらったのは、少し派手な着物の御館様が現れて、民を騙し財を蓄えんとする悪い奉行や役人、商人らを懲らしめるという話。
だが、そのドラマに出てくる連中は、あろうことか主君であるその御館様にたくさんの兵を差し向けて命を奪おうとする。だが、御館様は自ら刀を振るって多勢の兵を次々となぎ倒し、最後にはその親玉を倒す。父上でさえも、あれほどの兵に囲まれたら命はないであろうと言うに、このドラマの御館様はいとも簡単に倒してしまわれる。そのあり得ぬ光景が、たまらなく面白くて思わず見入ってしまう。それにしてもこの御館様は、こう毎度毎度、臣下の者に裏切られている様子。自らの治世のあり方を省みた方が良いのではないか?
そのドラマのようなものが、食堂にある大きなモニターよりも大きな画面で見られるというのだ。妾も惹かれぬわけがない。ぜひその映画とやらを見たい。
今宵のうちに宇宙に旅立ち、明朝には戦艦というところにたどり着くとエミール殿は言う。
「ところでエミール様、『戦艦』とはなんでございましょうか?」
「ああ、この駆逐艦よりもずっと大きな艦で、その戦艦に寄港しこの艦は補給を受けるんですよ。で、その補給作業の間、我々は戦艦内にある街に行って、そこで息抜きをするんです。」
「街?街とは、民が暮らす場所があるというのでございますか?」
「うーん、暮らす場所というより、商店がたくさん並んだ場所と言った方がいいですかね。街の中には、本当にいろいろなものが売ってますよ。せっかくだし、アツさんの私服やスマホもそこで買いましょう。」
「妾に、スマホでございますか?よろしいのですか、そのような高価なものを……」
「いいですよ。みんな持ってますし、スマホのアプリを使えば、ここの文字も覚えられます。持っていると何かと便利ですよ、スマホは。」
何と、妾のスマホをエミール殿が買ってくださるという。いつもエミール殿に借りていたので、妾専用のスマホを頂けるのはありがたい。
妾はまだここの文字が読めぬ。ところどころ分かる要にはなってきたが、音声読み上げ機能と申すものを使い、なんとか読み取っているのが現状である。文字を習うことができるアプリというのがあるそうだが、その戦艦の街に行かねば手に入らないと言う。
その戦艦へ行くために、ついに宇宙へ出る。妾は今、エミール殿と共に艦橋にいた。
すでに日は暮れており、周りはすっかり真っ暗だ。ただ、ぽつんと空に半月が見える。
徐々に空高くに登っているらしいが、真っ暗でまるで分からぬ。ただ、半月が同じところに光り続けているのが見えるのみだ。
「高度4万メートル到達、僚艦の701から709号艦も規定高度に到達!」
「よろしい。全艦、大気圏離脱を開始する!機関最大、両舷前進いっぱい!」
「機関出力最大!両舷前進いっぱーいっ!」
セレスティーナ艦長殿の掛け声とともに、艦橋の中が急に騒がしくなる。ゴォーッというけたたましい音が鳴り響く。複座機も凄まじい速度で飛ぶ際に大きな音を立てて飛ぶが、あれをさらに大きくしたような音だ。
けたたましい音が鳴り響くや否や、窓の外に青くて丸いものが見えてきた。それがエミール殿に何度か見せていただいた「地球」だと分かった。
だが、スマホやタブレットのような小さな画面で見るのとは大違い。妾が初めて目にしたその地球は途方もなく大きい。この漆黒の闇の中に彩りを添えた存在で、侘び寂びを感じさせる。
だが、その地球もすぐに通り過ぎてしまい、窓の外には真っ暗な宇宙というものが見えるだけとなった。上を見ても下を見ても闇が続くのみ。エミール殿の言われた「上も下もない」とは、かようなもののことを申しておったのか。ようやく妾は合点がいった。
しばらくすると、月の脇を通り過ぎた。古に「欠けることのない月」と自身の権勢を比喩した貴族がおられたが、見ればこの月、表は丸くあばたな紋様が無数に広がる場所であった。地球を離れて見れば、我らが地球がかくも美しく、月が興ざめなるものであると知る。都の貴族らはこの地球の姿を見て、如何様な俳句を詠むであろうか?
その月もすぐに通り越して、再び上下のない漆黒の闇の中に入る。あれほどの大きく美しき大地の球も、この無限とも言える闇の前では、大河に飲まれる1枚の花びらのようだ。
山桜も 千歳の松も 望月も 葉金の山の 一珠の露
妾の脳裏に短歌が浮かぶ。葉金山とは、西の山地にある黒い山のこと。美しき山桜も、帝の象徴とされる千歳の松も満月も、この宇宙というところでは葉金山の黒い岩肌にぽつりとついた一滴の露も同じ。我らが想いを抱いてきたあの美の多くも、この宇宙の闇に比べれば何と小さく儚き存在であろうか。なお、葉金山という言葉に「儚さ」の意もかけてある。
「さて、もう安定軌道に乗ったみたいです。夕食食べて、お風呂に入って寝ますか。」
故郷の地球を離れて世の儚さを想う妾とは違い、エミール殿はあっさりとしている。別に地球の儚さなどどうでもいいことのようだ。
「エミール様は青き地球とこの漆黒の闇を見て、何かお感じになりませぬか?」
「えっ!?そ、そうですね、青いなあ、暗いなあって思うくらいですかね?」
……まったく、我が主人には、風流というものを感じ入る文化がござらぬようだ。妾は少し興冷めする。
「もっとも、宇宙というところはこんな真っ暗なところばかりではありませんよ。ここから地球278に行く途中にある大星雲があるんですけど、これがとてつもなく大きくて綺麗な場所なんですよ。いつかアツさんにも見せてあげたいですね。」
エミール殿がこのようなことを言い出した。星雲というもの、妾もスマホの画面で見たことがある。確かに綺麗だが、いささか撒き散らしたような美で風情がない。あれの実物を見ると、また違う感じを抱くというのであろうか?
なお今宵の夕食は、ラタトゥイユというものを頼む。トマトと呼ばれる赤い野菜を用いて作る汁に、ズッキーニという瓜やナスといったの野菜を薄く切って煮た食べ物。エミール殿が食べている食べ物で、妾が少し気になった食べ物である。
やや酸っぱ味のある汁が様々な野菜に染み込み、独特の味わいを作り出してはいる。エミール殿の食べるものは脂身の多いものが多くて苦手であったが、これならば妾でも食べられる。
風呂場には、アルテミシア殿が先におり、物の怪の腕にて身体を洗っている。妾もこの物の怪には慣れてきた。妾が洗い終わる頃には、アルテミシア殿は湯船に入っている。
「あーっ!久しぶりの街だわ!どこに行こうかなぁ!」
上機嫌なアルテミシア殿。それほどまでにその街とは楽しきところなのであろうか?
「アルテミシア殿。妾はその戦艦というところには初めて参るのだが、いかなるところであるか、御指南頂きたい。」
「うーん、そうねえ。とても賑やかなで、面白いところよ。」
「賑やかな?都のようなところでござるか?」
「そうね、都がどんなところか知らないけれど、いろいろなものが売ってるお店があって、ついつい買っちゃうのよ!先回は2週間ほど前になるけど、プティ・バトゥーの新作のシャツが出てたから、思わずゲットしたのよ!それにオーシヴァルリーのカバンまで買っちゃって、それから……」
もはや何を話しておるのか分からぬ。だがそこには多くの商人がおり、店を開いていることが分かる。着物を売る店もあるだろうか?
寝る前に、エミール殿にも聞いてみた。
「明日、エミール様はどこへ行かれるおつもりですか?」
「えっ?ああ、戦艦寄港の話ね。そうだな、まずアツさんの服やスマホを買い揃え、美味しい食事を食べて、映画を見て、それからスイーツでも食べに行って……」
「美味しい食事など、ここの食堂もなかなかではございませぬか?」
「いやあ、食堂なんて比べ物にならないほどいいお店がいっぱいあるよ。戦艦ソーヴィニヨンの街には、美味しいワインと肉料理が楽しめるところがあってですね、あ、アツさんもきっと気に入りますよ。」
エミール殿はかように申しておるが、話ばかりでは想像ができぬ。百聞は一見に如かず、一度この眼で見ぬ限りは妾には分かるまい。だが、エミール殿もアルテミシア殿も楽しみにしている様子。きっと妾も気に入るところなのであろう。今から楽しみでござる。
翌朝。この窓も日の光も入らぬ駆逐艦の部屋の中で刻を知ることに、妾も随分と慣れてきた。朝の6時という時刻きっかりに目が覚める。
エミール殿はいつも寝坊気味である。妾が起こさねばずっと寝ておいでだ。武家の娘の主人なれば、御天道様が昇るのに合わせた生活をしていただかなくては困る。
……のであるが、今朝は珍しく、妾と同じくして起きる。
「よし!朝だ!今日は街で買い物だ!アツさんとデートだ!!」
朝からすこぶるお元気にあらせられる我が主人。気合い充分なのは結構なことでござるが、いつもと違う朝にかえって妾の方が驚いてしまう。
「エミール様、今朝はいかがなされました!?よもや早起きの化身にでも祟られたでございますか!?」
「あははは、今朝の冗談は冴えてますよ、アツさん!」
いや、冗談を申し上げたつもりはござらぬ。あまりの変わりようについ妾は心配になっただけでござるのだが。
いつもよりもご機嫌よろしき我が主人。どう考えても、戦艦の街へ参ることが原因と思われる。それほどに楽しき所なのでござろうか。
「戦艦ソーヴィニヨンまで、あと30万キロ。到着まで20分!」
「両舷前進最微速、進路微修正。戦艦ソーヴィニヨンの司令部に入港許可を。」
「了解、入港許可を申請いたします。」
「面舵2度、両舷前進最微速!」
「戦艦ソービニヨンより返信!『第18番ドックに入港されたし』です!」
艦橋では、慌ただしいやりとりが行われている。ここにいる皆は窓の外ではなく、自身の前に置かれたモニターを凝視しており、時に艦長より求められて何かを応えている。だが、その意は妾にはさっぱり分からぬ。
しばらくすると、窓の外には岩山のごとくごつごつとしたものが見えてきた。エミール殿は、あれがこれから立ち寄る戦艦ソーヴィニヨンだと申しておる。
あのような無骨な禿山に、エミール殿やアルテミシア殿が心を躍らせるような街があると申すか?妾には到底信じられなんだ。妾は古の物語にある竜宮の神殿のようなものを思い浮かべていただけに、この戦艦というものの姿にひどく幻滅する。
が、近づくにつれてその幻滅は驚愕へと変わる。この戦艦という禿山は、あまりに大きい。近づいても近づいても、まだたどり着かぬ。もはや妾の目には戦艦の岩肌しか見えておらぬというに、まだ取り付くことすらかなわぬ。何という大きさなのか?
「第18番ドックへ接近中、距離140。誘導ビーコン捕捉。」
「艦首右に0.2度。両舷停止。繋留ロックへ接続。」
「両舷停止!ロック捕捉!」
ガシャンという大きな音がして、駆逐艦の動きが止まる。どうやら、戦艦に着いたようだ。
「船体ロック確認!全て正常!エアロック接続を開始します!」
再び何かがこの船に当たったようで、もう一度ガシャンという音が響く。その直後に、セレスティーヌ艦長殿が何やら皆に語り始める。
「達する、艦長のセレスティーヌだ。これより当艦は、艦隊標準時で1530(ひとごーさんまる)より、翌 0200(まるふたまるまる)までの10時間半、補給のためこの戦艦ソーヴィニヨンに停泊。その間はこの戦艦への乗艦を許可。各員、発艦30分前までに帰艦されたし。以上。」
そうセレスティーヌ艦長殿は述べると、艦橋の皆は一斉に立ち上がって出口に殺到する。
「では、我々も行きましょうか、アツさん。」
妾はエミール殿に連れられて、艦橋を出る。エレベーターを使い一番下に降りる。そこには、壁に大きな穴が空いており、そこを狭い通路が伸びているのが見える。こんなところに、通路などあったのか?
「ああ、その通路はついさっき繋がったんですよ。これをくぐると、この戦艦ソーヴィニヨンの中に入ることができるんです。」
左様であったか。どおりで見たことのない通路のはずだ。妾はエミール殿と共に、この通路を通る。
「お、夫婦そろって街にお出かけですか?」
幾人かの同志達がエミール殿に話しかけてくる。ここではよほど奥方の存在は珍しいのであろうか?妾の方を見てくる。そこで、エミール殿に聞いてみた。
「珍しいですよ、もちろん。そもそも軍船には女性自体が少ないですからね。我が艦は艦長が女性ということもあって比較的多い方ですけど、それでも100人中15人ですからね。」
「なんと、それは少のうございますな。その15人を奥方にする男性は皆エミール殿のように、かように声をかけられるのでございますか?」
「いや……15人中、結婚しているのはアツさんと艦長のセレスティーヌ大佐だけですよ。」
「なんと、婚儀を交わしたものはセレスティーヌ殿と妾しかおらぬのですか!?他の女子は……」
「ああ、独身ですよ。もっとも、艦内で付き合っている人がいる人もいるかもしれませんが。」
ここにいる女子らは、主人について来たというわけではないようだ。エミール殿が言うには、ここの女子らは軍人として志願し、この駆逐艦で働いているとのことだ。
その中でもっとも地位が高いのは、艦長であるセレスティーヌ殿。主人も軍人をしているそうだが、別の艦の砲撃長をやってるそうだ。位としては、妻であるセレスティーヌ殿の方が上だそうだ。
妾はなんだかくらくらしてきた。ここは本当に男子と女子の区別がない。我らに当てはめれば、艦長をするセレスティーヌ殿は、まるで女子が大将をやるようなものだ。我らの国では、そのようなことは到底考えられない。
ところで、セレスティーヌ殿には子供がおるそうだ。歳は17で、息子だという。今乗り込んだこの戦艦ソーヴィニヨンにいるようで、高校生という身分だそうだ。高校生というものがよくは分からぬが、元服前の手習い所に通う者という意味でござろうか?
世継ぎと別々に暮らすことは戦国の世ではよくあることだが、主人とも離れて暮らさねばならぬとはなんとも不憫な世継ぎだ。17といえばすでに元服を済ませていてもおかしくない歳。セレスティーヌ殿を継いでこの艦長になるのであれば、この艦に乗り込ませて世継ぎとして育てねばならぬのではないか?
ところがエミール殿によれば、艦長とは世襲制ではないという。あくまでも実力、人望、そして武功によってお上が艦長を定めるそうだ。何という厳しい組織であるか。これでは、お家安泰などままならぬではないか!?
「いやあ……我々にはお家といった類のものはないですよ。実力、人望のあるものが軍では上に立たないと、軍の組織としての力が発揮できませんからね。これはこれでいいんですよ。」
エミール殿はこの厳しい状況をなんとも思っておらぬようだ。いやはや、それにしてもここの武人の感覚に、妾はまだついてゆけぬ。エミール殿の元に嫁として来てしまったが、大丈夫だろうか?
「まあ、大丈夫ですよ。このまま働けば給料ももらえるし、戦闘なんて滅多にないし、平穏無事に行けば、私とアツさん、それに子供2人くらいがつつましく生きていけるだけの収入は確保できますよ。」
うーん……武人として生まれたならば、一国一城の主、さらには天下人を目指すのが常だと思うておったが、エミール殿はそれほど欲はないようだ。
左様なことを聞きながら歩いていると、広い場所に出た。天井が高く奥行きもある場所であるが、何もない。ただ、奥には大勢の人がいる。
そこはガラスの窓のついた引き戸が何枚も並んでいる場所。その引き戸の一つ一つに人が並んでいる。皆は一体、何故かような場所で並んでおるのであろうか?だが、エミール殿と妾もその列の一つの後ろに並ぶ。
『まもなく、電車が参ります。扉より離れてお待ちください。』
どこからか女子の声がする。電車とは一体、何のことであろうか?そう思った矢先に、ガタガタという音が聞こえてきた。何事かと思えば、引き戸の向こう側に銀色の大きなつづら箱のようなものが走り込んでくる。そのつづらはゆっくりと止まり、引き戸が開く。皆は開いた戸のその奥へと進んでいった。
「何でございますか、これは?皆、この長細いつづらに入ってどうなさるおつもりなのですか?」
「ああ、この電車に乗って街に行くんだよ。これに乗ってしばらく走ると、こいつは戦艦の中の街の前まで我々を連れて行ってくれるんだ。」
なんと、電車と呼ばれるこの銀色の細長いつづらのような箱が、妾とエミール殿らを街に導いてくれるという。不思議なつづらだ。
真っ暗な坑道のようなところを走っては、時々明るい場所に出る。そのたびに人がたくさん乗り込んでくる。つづらの内は、すっかり人だらけになった。
「次の駅ですよ。もうちょっと我慢してくださいね。」
エミール殿が妾を励ましてくれる。こやつ、根は優しい。武将としてはいささか覇気がないが、妻としては実にありがたい男だ。
暗い坑道を抜けて、これまでよりも一際明るい所に出た。エミール殿が妾の手を握る。
「着きました。ここで降りますよ。」
扉が開くや、このつづらの中にいる者は皆一斉に扉より出る。妾もエミール殿に引かれて扉を出た。
大勢の人にまみれながら建屋の中を歩き、外に出る。その光景に、妾は声を失う。
幾重にも重なる床に、まるで天守閣のごとき高い建物が立ち並んでいる。一つ一つには透明なガラスでできた壁でできており、中が透けて見える。その店により服や鞄に料理、その他見たことのないものがそこには並べられていた。
道には、牛や馬もないのに走る牛車が勢いよく走っている。静かで、しかも速い。なんなのだあれは?
エミール殿に連れられて街を歩く。外の無骨な姿からは想像できぬ綺麗で豊かで不可思議な街には、妾の目を惹きつけて止まぬものだらけだ。
「ここは400メートル四方、高さ100メートルの空間に、4層構造の街が作られてるんです。まずは……そうですね、朝食もまだですし、何か食べましょうか?」
そういえば、今朝はまだ食事をしておらぬ。エミール殿に連れられて、食堂へと参る。
が、ここは様々な食堂がある。駆逐艦の食堂はあらゆる料理を扱っておったが、ここの食堂は店により扱う料理が違うという。しかも、銭を取るそうだ。これでは駆逐艦の食堂の方がよいではないか。
「いやいや、ここの食事は美味しいですって。駆逐艦の食堂なんて比じゃないです。まあ、食べてみればわかりますよ。」
そういってエミール殿と向かったのは、ステーキという厚い牛の肉を焼いて出してくれるという店であった。
それにしても、牛を焼いて食べるのか。美味いのであろうか?もっとも、駆逐艦の食堂でもエミール殿は何度も牛の肉を食べておった。が、妾にとっては実に奇妙な体験だ。
店に入り、エミール殿と共に席に着く。しばらくすると、黒く分厚い鉄板の上に置かれたステーキ肉と申すものが運ばれてくる。鉄板はまだ相当に熱く、近づくと熱を感じる。
ステーキにかけるタレを選べと申すので、妾はなんとなく馴染みのある大根おろし醤油というものを選んだ。店の者がそのタレをかけてくれる。
エミール殿に倣い、フォークと呼ばれる槍のようなものを刺して肉を止め、ナイフと呼ばれる短刀を用いて程よい大きさに切る。それをフォークにて口元に運ぶ。
うむ、思いのほか美味い料理だ。えも言われぬ豊潤な味が、妾の口の中に広がる。やや脂身の味が強いものの、大根と醤油がそのくどさを打ち消して、旨味のみを口の中に残してくれる。
確かに、食堂など比ではない味だ。 エミール殿のいうことも分かる。食堂の料理の味も確かに良いのだが、どこか冷徹さを感じる。だが、ここの料理には何気に心がこもっておるような、そんな印象を受ける。
食事を終えると、再び外に出る。たくさんの店、たくさんの人の中をかき分けるが如く進むエミール殿と妾。その着いた先は、スマホを売る店であった。
スマホといっても、多様である。エミール殿の持っている黒いもの以外にも、白や紅、藍色、山吹色のものまである。大きさも様々で、あまりの多様さゆえに、妾は困惑する。
「アツさんには、この辺りがいいですね。我々の文字を学習するためのアプリが入っていたり、音楽や動画が充実してますよ。」
エミール殿の勧めるスマホを買うことにした。妾は今着ている着物に合わせて、紅色を選ぶ。
それを持って、とある店に行く。先ほど食べたばかりだというのに、また食べ物屋に寄ることになった。まだ腹は空いておらぬ。これから一体、何を食べるというのか?
が、ここでは茶と菓子のみを食べるところだとエミール殿は言う。エミール殿は珈琲を、妾は抹茶を頼む。
席に座り、先ほど買ったスマホを取り出す。初期に仕込みをせねばならぬようで、エミール殿が何やら妾のスマホを弄っている。
「さて、初期設定は終わりました。アツさんが大好きな時代劇をたくさん落としておきましたよ。ここをタップして動画アプリを起動するとですね……」
妾に寄り添い、懇切丁寧に指南してくれるエミール殿。妾はエミール殿の傍で、不思議と心の奥底が暖かくなるのを感じた。
この感覚、妾がまだ幼き頃、今は亡き母上に抱かれた時に感じたのと同じである。言いようのない心地よさを、妾はエミール殿から感じていた。
顔の表が熱くなるのを感じる。なんであろうか、この感覚は。もっと具体的に言えば、エミール殿へもっと寄り添っていたい、そういう想いが沸き起こる。エミール殿に嫁入りしてから、かような感覚に襲われるのは初めてだ。
「……大丈夫ですか?アツさん、なんだか顔が真っ赤ですよ?それにさっきからボーっとしているようですけど。」
エミール殿が声をかけてくる。妾はとっさに応える。
「ああ、いや、なんでもございませぬ。なんと申しますか、その、エミール殿に寄り添われると、なんだか顔が熱くなるのです。」
「えっ?そうなんですか?は、離れた方がいいです?」
「いや、むしろエミール様に寄り添っていたいのです。もっと近う寄ってもよろしいですか?」
「そ、そうなんですか?いいですよ、これでいいです?」
側から見れば、なんとぎこちない夫婦だと思われていることであろう。それから2人は互いに寄り添ったまま、急に言葉を交わすことなくジーっと座り続けている。
沈黙を破ったのは、エミール殿のこの一言であった。
「あの、アツさん。」
「はい、なんでございましょう?」
「何か冷たいもの、食べますか?」
この店にはアイスと呼ばれる、甘くて冷たい菓子があるという。エミール殿曰く、女子ならば間違いなくその味に惚れるという。そこで妾は、早速そのアイスとやらを頂くことにした。
バニラアイスという、少し黄色味がかった白いアイスが妾の前に置かれる。さじを使い、これをすくって食べるのだという。
一方のエミール殿のアイスは、何やら妙に青い。空の青さとはやや異なる青で、その青の中にはさらに黒いものがぶつぶつと混じっておる。チョコミント味と申すものだそうだ。
早速、妾はバニラアイスを食べる。さじですくい取り、口に運ぶ。すると冷たくて甘い味が口の中に広がってきた。
かように美味い菓子がこの世にあったのか。アイスとはすなわち氷のようなものであるが、これが口に中で溶けてじわっと広がるため、甘さが程よく舌の上に残り、美味しさをより強調するようであった。
「美味しいでしょう?このアイス。私のチョコミントも一口食べてみます?」
「よ、よろしいのでございますか?」
「いいよ、じゃあ一口、どうぞ。」
エミール殿のさじに乗せられたチョコミント味のアイスを、妾は頂いた。
およそこのアイスは食べ物の色をしておらぬゆえ、正直言ってそれほど味に期待をしておらなんだ。が、その読みは見事に裏切られる。何という爽やかな香り、甘み、それに苦味であろうか?このような味の組み合わせが、まさか美味さにつながるものとはこれまで想像したこともござらぬ。
「嬉しそうですね。美味しいです、アイスは?」
妾は思わずにやけてしまったようで、エミール殿もそんな妾を見て笑みを浮かべる。まるでエミール殿におちょくられているようで、何やら妾は急に腹が立ってきた。
「エミール様!妾のアイスもお食べ下され!」
さじでバニラアイスをすくい取ると、エミール殿に差し出す。
「えっ!?いいんですか?」
「エミール殿は我が主人なれば、妾のものを食べるのは当然のことにございます。何をためらう必要など、ございましょうか?」
「そうですか?では、遠慮なく頂きます……」
妾のさじに食いつくエミール殿。するとエミール殿の顔もにやける。してやったり、である。
「どうでございます、これもまた美味でございますか?」
「うん、美味しいよ。いや美味しいというより、幸せだなぁ。」
エミール殿はこれを「幸せ」と表現なされた。先ほどから妾も感じているこの気持ちは、もしかして「幸せ」と申すものであろうか。
母上が病に倒れて急死し、それ以来、武家の娘として様々な作法を学んできた。いずれ他の大名家との縁をとりなすため、戦国の世の習いとして女子の振る舞いを叩き込まれた。主君のために尽くし、如何なることにも耐えよ。もし嫁ぎ先と我がアザミ家が仲違いとなれば、その時は人質である我が命はない。戦国の世の武家の婚儀というものは、そういうものだ。
ところがここは、女子を人として見てくれている。女子が艦長という重職に就くことができる。今こうして主人が妾と共にいて「幸せ」を感じることができる。我らの抱いてきた常識と比べて、何という違いであろうか?
妾はここにくることができて、本当に良かった。これも全てエミール殿のおかげ。妾はこの少し頼りなげな主人に感謝すると共に、それ以上の何かを感じ始めた。
この後、2人で映画というものを見た。妾にあわせて時代劇を見ることになったのだが、スマホの画面で見るのとは大違い。驚愕すべき仕掛であった。
その映画には悪い代官が登場する。町人に難癖をつけては金品をせしめ、場合によっては殺しもするという、悪逆非道な振る舞いをする腹立たしき者である。かようなものが臣下におれば、直ちに評定衆を集め沙汰を下すのが普通であるが、何とここの殿様はその臣下の元にわずかな手勢で乗り込む。無論、最後にはその代官は金にものを言わせ、集めた大勢の家来を使い、あろう事か自身の主君にさし向けるという暴挙に及ぶ。が、その連中を一人残らず倒し、最後に成敗と称してその代官を斬る。
荒唐無稽な話であるが、どういうわけかこれがなかなかにして面白い。それにしても、映画のその大きな画面ゆえに、目の前で代官の差し向けた家来達を次々に倒すその場面では、まるで妾もその修羅場に放り込まれているような錯覚を覚えた。やはりスマホとは、迫力が違う。
映画を終えて、今度は服屋に行く。そこで妾の私服を何着か買ってもらう。
艦内で貸してもらった軍服はどこか動きにくく、硬い服であった。が、ここの服は柔らかくて着心地がよい。店員に任せて、何着か見繕ってもらった。
その後、再び近くの茶菓子屋にてエミール殿と向き合う。そこでエミール殿は突然、妾の手を握る。
「あの、アツさん。今さらこんなことを言うのは変なのですが、私、アツさんのことを一生大事にしたいと思ってます。だから、これを受け取って欲しくて。」
そう言ってエミール殿が取り出したのは、銀色の小さな輪であった。
「さっきの店で指輪があったので、ついでに買ったんです。これをお互いの左手の薬指にはめるんですよ。夫婦がいつまでも互いを愛し合えるように、その証として互いに指輪をはめ合うというのが、我々の結婚の証なんですよ。」
そう言って、エミール殿は妾の左手薬指に、指輪をそっとはめる。
「じゃあ、アツさんも私の指にこれをはめて頂けますか?」
そう言われて渡された指輪を、エミール殿の左手薬指にはめた。
簡易ながら、これがここでの婚儀の習いだという。すでに我らの流儀で婚儀を交わした後ではあるが、改めて妾はエミール殿の妻になったのだと感じた。
そんな指輪のやり取りを終えて、暖かい抹茶を飲んでいたその時。
急に、街中にけたたましき音が鳴り響いた。妾にはその音の意味は分からぬが、何かが起きたことを悟った。それを聞いたエミール殿も、険しい顔をして立ち上がった。
続いて街中に、声が響く。
『敵艦隊捕捉、こちらに向けて進軍中との報が入りました!街中にいる駆逐艦乗員は直ちに乗艦して下さい!繰り返します!街中にいる駆逐艦乗員は直ちに乗艦して下さい!』
それは、宇宙での戦の始まりを告げる知らせであった。