#3 宇宙船内の奇妙な文化
「バット1より駆逐艦0710号艦へ。これより帰投する。」
「駆逐艦0710号艦よりバット1へ。了解した、直ちに帰投せよ。」
ヒィーンという甲高い音とともに、複座機は浮き上がった。
もう何度も経験している光景だが、今回だけは違う。妾はもうこの城には帰っては来ない。
空高く浮かぶ、あの駆逐艦と呼ばれる大きな船に参るのだ。
「駆逐艦0710号艦よりバット1、第1ハッチ開放、回収準備よし!送れ!」
「バット1より駆逐艦0710号艦へ!了解、直ちにアプローチに入る!」
駆逐艦の上に、大きな扉が開いている。その扉に向かって飛ぶ複座機。
奥から大きな腕のようなものが出てきた。その腕の先に向かって、この複座機はゆっくりと近づく。やがてその腕はこの複座機を掴み、扉の奥へと入ってゆく。
扉が閉まる。複座機のおさまったこの大広間に灯りが灯され、明るくなる。しばらくすると、奥の小さな戸が開き、何人かの人が出てくる。
思えば、妾はエミール殿以外の宇宙から来た人にまだ会ってはおらぬ。どのような人々がここにはいるのか?妾は歓迎されておるのか?不安がよぎる。
「さ、アツさん。着きましたよ。降りましょうか。」
「承知いたしました、エミール様。」
「そんなに硬くならなくてもいいですよ。この艦は自由な場所、男女の格差なんてものはありませんから。」
男女の格差がないと申すエミール殿。どういうことだ?エミール殿のこの言葉の意味が今ひとつ飲み込めない。ともかく妾は、複座機を降りた。
数名の人々が、戸の前に整列していた。皆背筋を伸ばし、エミール殿がする額に手を当てるあの独特の礼をしている。その間を通り抜け、こちらに向かってくる1人の人物がいた。
それは、見るからに女子だ。40歳ほどのこのお方、もしやこの船のお局様であろうか?
我らの前にたどり着いたその女に、エミール殿はいつもの右手を斜めに額に当てる独特の礼を行い、こう言った。
「ただいま帰還いたしました、艦長!」
「ご苦労。こちらが、アツ姫殿であるか?」
「はっ!そうです。」
「お初にお目にかかります。私はこの駆逐艦の艦長をしております、セレスティーヌ大佐と申します。」
この女子、お局様どころではない。もっと偉い人だ。妾は察した。だが、ここにいる者達の中で、このセレスティーヌ殿がもっとも偉いと申すのか?妾は混乱する。
「わ、妾はアザミ家当主、ナガマサが娘、アツと申します。」
「あなたが昨日、エミール中尉と婚礼の儀を行なったという方ね。報告には聞いていたけど、本当に可愛らしい方ね。あなたの乗艦を我が駆逐艦0710号艦一同、歓迎いたします。」
すると、戸の前に整列した全員が、妾に向かって礼をした。この規律正しい動きに、妾は驚く。
「さ、こんな殺風景なところは出て、まずは会議室に行きましょう。エミール中尉の報告も聞かねばなりませんし。」
そう言ってそのセレスティーヌ殿は、エミール殿と妾を手招きしてこの広間を出た。
狭いが小綺麗な通路が続く。ここは中だというのに、とても明るい。しばらく歩くと、会議室と呼ばれる広い部屋に通される。
そこには、机と椅子と呼ばれるものが並んでいる。いずれも見たことのないものばかり。どうやら、この椅子に座るらしい。
「では中尉、今日の報告をお願い。」
「はっ!本日、1030(ひとまるさんまる)にマチナガ公の陣に到着、アツ姫殿との会見を行なった後に、マチナガ公を複座機に乗せて飛行、1100(ひとひとまるまる)に哨戒機到着、その後、主計科により交易品のサンプルの運び出しを行い……」
エミール殿の口ぶりは、まるで城主を相手にしているようだ。ということはこのセレスティーヌ殿は、ここで一番偉いお方なのか?
「……なるほど、では相変わらず、あなたはそのマチナガ公に訪問を要請されているのですね。」
「はい、どういうわけかなかなか手放してはもらえませんで。」
「そりゃあそうでしょう。銃をぶっ放して相手を脅したのに、その銃をあっさりと差し出し、しかもその相手から刀を突きつけられても平然と応えたんでしょう?それだけ肝の座った人物、私だって手放さないわよ。」
「どうしましょうね。このままずーっと、マチナガ公と付き合うことになるんでしょうか……」
「それだけの覚悟がなくてどうするの!大体あなた、そのマチナガ公の陣の脇で銃で脅したのよ。結果的にいい方向に進んだから良かったものの、あれはちょっとやり過ぎな行為だったわね。下手すりゃ懲罰ものよ。」
「はい、すいません。」
「謝らなくてもいいわよ。その代わりと言っては何ですが、その奥さんをちゃんと面倒見てあげなさい。こんな殺風景な艦に乗る羽目になって、彼女が一番不安なんだから。」
「はい、了解いたしました。」
「ところでアツ姫さん。」
「は、はい!」
「あなた、本当のところ、どうなの?」
「何がでございますか?」
「このエミール中尉のことよ。この星の風習で妻にされたようだけど、ここではそんな風習に遠慮することはないわ。好きであればそのまま妻としてやっていけばいいし、好きでもないなら別れてもいいのよ。」
「いや、妾はそのようなことは……」
「私達の星では、両方が納得しないと結婚しちゃいけない文化なのよ。それに結婚したからと言って、男に気を使わなくてもいい文化なの。お家のためとか、人質とか、そう考えているのなら考え直した方がいいわよ。」
妾は驚いた。セレスティーヌ殿の仰ることは、まるで我らの習いとは異なる。男女の両方が納得しなくては成り立たない婚礼など、考えたこともない。
「セレスティーヌ殿の仰ることは、妾にはよく分かりません。妾は戦さ場にて生死の境をさまよった身なれば、ここに参ったのもそれ相応の覚悟を決めてのこと。今さらエミール様との婚儀を解消する気はございませぬ!」
「ああ、気持ちは分かるわよ。そうね、ちょっと聞き方を変えましょうか。あなた自身は、このエミール中尉をどう思ってるの?」
「どうと申されましても……」
「航空機を操れてカッコいいとか、マチナガ公の前でクールに振舞ってしびれる!とか、そういうの、感じたことはないの?」
「か、艦長!なんてこと聞くんですか!」
「何言ってんのよ、女が男を見定めるのは当然のことよ。大事なことだから聞いてるの。」
「あの、妾はエミール様と共にマチナガ公の元へ参りました。兵に囲まれた時も動じず、喉元に刀を突きつけられても豪胆にマチナガ公と張り合っておいででした。まさに賞賛すべきお振る舞い。ですが……」
「何か他に、あるの?」
「エミール様はずっと妾の手を握って、妾を兵や家臣、それにマチナガ公から庇ってくださっておりました。妾はそれがとても心に響いております。」
「なーんだ、エミール中尉、あなたちゃんとこのアツ姫さんの心を掴んでるじゃないの!」
「いや、いざという時には携帯バリアで守らねばと、アツさんを引き寄せていただけでして……」
「守ろうとしてたのは同じじゃない!いやあ、あんたも男ねえ!見直したわ!」
何故だかセレスティーヌ殿とエミール殿が盛り上がっている。左様に面白き事を妾は申したのであろうか?
「では、エミール中尉。これより彼女にここでの生活を教授しなくてはいけませんね。お風呂など、女性にしかできないことに関しては、すでに私からアルテミシア少尉にお任せしてます。それでは、本日の任務はこれにて終了とします。」
「はっ!エミール中尉、アツ殿と共に下がります!」
起立していつもの独特の礼をするエミール殿。妾も深々と頭を下げる。そしてこの部屋を出た。
「はあ~……あの艦長、どうも苦手だわ~。」
ため息をつくエミール殿。妾はエミール殿にセレスティーヌ殿のことを聞いてみた。
「エミール様、先ほどのあのセレスティーヌ殿とは、どのようなお方なのです?」
「ああ、セレスティーヌ艦長はこの駆逐艦の最高責任者ですよ。ついでに言うとセレスティーヌ艦長はこの空域にいる、駆逐艦0701号艦から0910号艦の10隻のチーム艦隊を仕切る指揮官でもあるんです。」
「は!?10隻を仕切る指揮官!?セレスティーヌ殿がでございますか!?」
なんと、エミール殿によれば、セレスティーヌ殿はこの大きな船を10隻も動かせるお方なのだと言う。
「そうとは知らず、妾は無礼な態度で臨んでしまいました。セレスティーヌ様とお呼びせねばならなかったのですね。次にお会いする時にはお詫びいたさねばなりません。」
「いや、アツさん。別に無礼なことなんてしてないから大丈夫ですよ。あれでいいんですって。」
ここはよく分からないところだ。女でありながら、あの大きな駆逐艦を10隻も従えているかと思えば、エミール殿がかような身分のお方に振る舞う礼儀は、わりとあっさりしている。礼ひとつとっても、座して頭を下げるでもなく、ただ額に手を当てるだけの礼。ここの文化が今ひとつ理解できない。
エミール殿に連れられて、妾は通路の奥に向かう。奥には勝手に開く引き戸がついた小さな部屋があり、その中に入る。
このような狭い部屋に入り、何をするにであろうか?エミール殿のこの不可解な行為に、妾はただ従う他ない。
その部屋の引き戸の横の辺りを何やら押しているエミール殿。すると引き戸が閉まり、2人きりになる。ゴーッという音がしたのち、再び引き戸が開く。
その部屋を出て、妾は驚いた。ここは先ほどとは異なる場所。一体、どのようにして別の場所に移動したのであろうか?
「え、エミール様!ここは一体……」
「ああ、食堂に行くため、エレベーターで降りただけですよ。」
えれべーたー?しょくどう?なにやらまた謎めいたことを言うエミール殿。だが、妾はただエミール殿についていくしかない。
なにやら不思議な仕掛けが並ぶ部屋がある。ガラスの窓越しに見えるその部屋の中には、壁につけられた腕がなにやら衣装のようなものをたたんでいる。まるで物の怪のようなその不気味なものに気にすることなく、エミール殿は歩く。
たくさんの机と椅子が並んだ部屋が見えていた。その入り口には、大きなテレビモニターが置かれている。
「お!エミール、こちらもしかしてお前の奥さんか!?」
見ず知らずの男がエミール殿に話しかけてきた。だがこの男、どこか無礼な話しぶりだ。
「そうだよ。今日からこちらに住むことになったんだ。よろしく頼むよ。」
「へえ~、いいなあ、お前は。イケメンの俺ですら長らく恋人とは無縁だというのに、お前はいきなり奥さんかぁ。」
「あまりでかい声でしゃべらないでくれ!恥ずかしいだろう……」
エミール殿も迷惑している。やはり、無礼千万な男のようだ。だが、妾も武家の娘。如何に無礼な御人であろうとも、挨拶馳せねばなるまい。
「妾はアザミ家当主、ナガマサが娘、アツでございます。この度はエミール殿の妻としてこちらに参った次第。今後とも、良しなにお願い申し上げます。」
「ああ、俺は、いや私はエミール中尉の同僚で、セレスタン中尉と言います。砲撃科所属、歳はエミールと同じ、26歳でございますよ。」
「丁寧なご挨拶、痛み入ります。」
「いえいえ、こちらこそ。もしエミールに飽きたら、ぜひこのセレスタンのところにいらしてくださいまし。」
さりげなくこの男、自分のところに輿入れするよう誘いをかけてきおった。妾は応える。
「もしセレスタン殿にも、わが身を顧みず、刃を向けられても平然とマチナガ公と話す度量がおありであれば、考えてやってもよろしいですが?」
これを聞いたセレスタン殿は血相を変えて応える。
「いいえ、滅相もございません!どうかエミール中尉殿と仲良くお過ごしくださいませ!」
そう言って、この無礼な男は去っていった。
「あー…行っちゃったよ……」
エミール殿はあのセレスタンと申す無礼な男が立ち去るのを見届ける。
「なんでございますか、あの無礼なお方は。」
「ああ、ちょっとお調子者なやつだけどね……でも、いいやつなんだよ、ああ見えても。」
「左様でございますか。では次にお会いした時にはお詫びせねばなりませぬ。」
「いや、いいよ、別に。」
さて、無礼な男が去った後に、エミール殿からこの食堂のことを伝授していただく。
「まずはこのモニターにある料理を選ぶ。で、料理を選んだら、奥のカウンターでその料理が出てくるのを待つ。出てきたらそれを受け取り、開いているテーブルでそれを食べる。それだけですよ。」
「じゃが、この絵からは一体どのような料理か分かりかねる。何なのじゃ?これは。」
「ああ、これはこの食堂で一番人気の鴨肉のコンフィ。2番目が白身魚のポワレ。そして3番目がエスカルゴ。」
「エスカルゴ?まるでサザエの壺焼きのようなこれは一体、何でございます?」
「ああ、カタツムリですよ。」
妾はそれをきいて驚いた。
「か、カタツムリとは、あの雨の時に葉の上を這いつくばる、あのカタツムリのことでございますか!?」
「ええと、そうだけど……食用のカタツムリというのがあって、これはなかなかいけますよ。」
なんと、エミール殿らはあのカタツムリを食べるのだという。なんと由々しき事か。
「ま、まあ、アツさんの口に合うものを食べればいいんじゃないでしょうか?」
そう言ってエミール殿が選んでくれたのは、筍ご飯と味噌汁。このような料理もあるのか。妾はそれを食べることにする。
トレイと呼ばれるお盆のようなものを持ち、料理が出てくるのを待つ。一体、奥がどうなっているのかと覗いてみると、ここにも腕だけの物の怪の類が動いていた。一体あれは、何であろうか?
出てきたのは、紛れもなく筍ご飯と味噌汁であった。だがこの味噌汁、白い。米麹の味噌であるのは間違いない。都でしか飲めない、高価な味噌だ。それにご飯も白米を使用している。なんと上品な食事であるか。
テーブルに運び、椅子に座ってそれをいただく。まずは味噌汁。妾の国で作られているのは赤い味噌。やせた土地しかない我らが国では、大豆しかまともに収穫することができない。それゆえ赤く塩辛い赤味しか作ることができない。
だがこの白味噌は甘い。信じられないほど上品な味だ。筍ご飯との組み合わせはまた格別で、未だかつて味わったのことのない贅沢な味わいだ。
だが、妾は赤味噌の方が恋しい。生まれてこの方、赤味噌しか口にしたことがない。その味に慣れてしまったゆえ、この白味噌は妾には合わぬ。白味噌汁を口にしながら、妾はつい愚痴ッてしまった。
「ああ、妾にはこの白味噌は贅沢に過ぎる。赤味噌がよかったかのぉ……」
「えっ!?赤味噌の方がよかったですか!?ええと、ありますよ、確か。」
エミール殿が思わぬことを口にする。なんじゃと、ここにもあるのか、赤味噌が!?
「では明日の朝は、赤味噌にいたしましょう。今日はその白味噌で我慢してください。」
「か、かたじけない……エミール殿の国に輿入れしたと言うのに、我が国のものが恋しくなるなど……武家の娘としてなんと覚悟のないことか……」
「いや、いちいち気にしなくてもいいですって。ここは思ったことを口にするのは自由ですから。どんどん言ってください。」
なんとも懐の深い、優しいエミール殿であろうか。妾の愚痴を気にも留めず受け止めてくださる。さすがはマチナガ公に認められるだけのお方だ。
「あら、エミール中尉。女性連れとは珍しいですね。」
見知らぬ女性が、妾の前に現れた。そして、妾の横に座る。
「アルテミシア少尉。すでに艦長から聞いてご存知だろうに。」
「あはは冗談ですって、もちろん知ってますよ。こちらの方がエミール中尉の奥様である、アツ姫さんですね。」
そういえば艦長殿が、妾の身の回りのことを教えてくれる女性として挙げていた人だ。妾はアルテミシア殿に挨拶をする。
「妾はアザミ家が当主ナガマサが娘で、アツと申します。此度はエミール様に輿入れし、この駆逐艦に参った次第。今後とも、ぜひ御見知りおきいただきとうございます。」
「ご丁寧なご挨拶、ありがとうございます。私は主計科のアルテミシア少尉と言います。この後、お風呂のご案内をいたしますね。」
こちらの方は丁寧な言葉遣い、品の良さを感じる。いずこかの武家の娘であろうか?
「そういえばさっき、セレスタン中尉とすれ違ったんですけど、顔色が悪かったですよ。何かあったんですか?」
「ああ、ちょっとねぇ……アツさんとやりあっちゃってね。」
「あら~セレスタン中尉、いけませんねぇ。よりによってエミール中尉の奥様に声をかけちゃったんですか?」
「そうなんだよ。それでアツさんからちょっと、きついことを言われちゃっててね……」
「そうですか。いや、いい気味ですよ、まったく。女だったら誰でもいいとばかりに声をかけるあの見境ない態度、これを機会に改めるべきです。」
どうやらあの下品な男は、他の女性からも嫌われているようだ。妾のあの言動に、アルテミシア殿も同意してくれているようだ。
食事が終わり、しばらく妾はアルテミシア殿と共に行動することになった。
「では、これよりお風呂に参りますね。その前にアツ姫さんのその服装。どうにかしないといけませんねぇ。」
「妾のこの着物が、どうかしたと申すか?」
「ええ、ちょっとここでは動きづらいですね。ちょっとこちらに来てもらっていいですか?」
妾は食堂の横にある、小さな部屋のところに連れていかれた。
「あのお、アルテミシアです。ええとですね、女性士官用の軍服を2着ほどください。そうですねぇ、Sサイズでいいかな?あ、あとついでに下着も。」
小さな窓から奥にのぞき込み、話をしているアルテミシア殿。そこで衣装を2着受け取っていた。
「では、お風呂に参りますね。お風呂はですね、ここから2つ上がった階にあってですね……」
そういいながらアルテミシア殿も、あのエレベーターと申す小さな部屋に入る。
エミール殿と同じく、引き戸の横を押している。引き戸が勝手に閉まり、しばらくして戸が開くと、また違う場所に出てきた。
「女性用のお風呂はこちらですよ。」
妾はアルテミシア殿についていく。同じような扉がずらりと並ぶ不思議な通路を超えて、大きな入り口に着いた。
「さあ、お風呂に着きましたよ。入りましょうか。」
そう言って妾はアルテミシア殿に手を引かれ、入っていく。
そこは小さな部屋。かごがいくつか置かれており、奥には不透明なガラスで覆われた扉が見える。
「ではその着物を脱いでもらってですね、このかごに入れるんです。」
「左様か。ここに入れればよいのじゃな?」
「あれ?アツ姫さんって、もしかして下着をつけていないんですか?」
「下着?なんじゃそれは?」
「こういうものですよ。」
アルテミシア殿が服を脱ぐと、胸と腰のあたりになにやら小さな布でできたものがついている。こやつらは、弓道の胸当てとふんどしのようなそれを、下着と呼んでいるらしい。
「デリケートな場所ですから、付けておいた方がいいですよ。さっき主計科でもらっておいたので、付けてくださいね。」
「かたじけない。」
アルテミシア殿は、何かと気が利く女子だ。他に妾のために服も手に入れてくれた。こやつとは、仲良くやれそうだ。
裸になり、風呂場に入る。そこには大きな湯船がある。これほど大きな湯船を、妾は初めて見る。てっきり蒸し風呂だとばかり思っていたが、想像以上に大きく贅沢な造りの風呂場であった。
「湯船に浸かる前に、まずは体を洗いましょう。当艦では水の消費を抑えるため、身体はロボットに洗ってもらうようになってます。」
「ろ、ろぼっと?なんじゃ、それは。」
「見ればわかりますよ。では私の真似をして、ここに立ってくださいね。」
なにやら壁から何かが出っ張っている場所に来た。ここでアルテミシア殿は、手をまっすぐ横に伸ばす。
「この状態で、右足の前あたりにあるこのペダルを踏みます。すると、ロボットアームが出てきて体を洗い始めます。あとはしばらく、じっとしていれば勝手に洗ってくれますよ。アームが引っ込んだら、そのまま湯船に浸かってくださいね。」
そう言ってアルテミシア殿は足元にある黒い板のようなものを踏む。
すると突然、壁からまたあの物の怪が出てきた。妾は一瞬、ぎょっとするが、アルテミシア殿は特に気にすることなく物の怪に身を任せている。
全身、泡まみれとなったアルテミシア殿。物の怪の腕に身体をいじられているというのに、一向に気にする様子がない。本当に大丈夫なのか?
妾はその黒い板を踏むことに躊躇する。これは物の怪を呼び出す、怪しげな仕掛け。だが、これを踏まねば風呂には入ることができない。
だが、妾も武家の娘。物の怪ごとき恐れてなんとするか。そう思い立ち、妾もその黒い板を踏んだ。
すると突然、壁から白い腕が出てくる。おぞましいことに、この腕は妾の身体を濡らし始め、そして胸といい尻といい髪の毛といい、まさぐり始める。なんという屈辱であるか。
体中に白い泡が湧き始める。これは一体、なんであろうか?ともかく妾は物の怪の腕に囚われたまま。全身をくまなくまさぐるこの腕は、なかなか妾を離してはくれない。
最後に妾の身体にお湯をかけて泡を消すと、その物の怪の腕は壁の中に引っ込んでいった。あれは一体、何であったのか?妾は湯船の方に向かう。
それにしても、まだエミール殿にこの身体を触れさせてもいないというのに、物の怪にまさぐられてしまった。なんということか。しかしそのおかげか、身体が妙にさっぱりとしている。肌もなぜかすべすべしており、髪も軽くなった気がする。
アルテミシア殿は先に湯船に入っていた。こやつも物の怪に触られておったはずだが、特に気にするそぶりもない。この船の者らは平気なのだろうか?
「いやあ、やっぱりお風呂は最高よねぇ~!気持ちいいわぁ~!」
物の怪にまさぐられることが到底気持ちの良いことだとは思わないが、この湯船は確かに気持ちいい。妾の知る風呂とは、腰の辺りまでしか湯がなく、昇る湯気で身体を温めるというものだ。しかし、ここの湯船は肩まで浸かることができる。
「ところでアツ姫さん。」
妙ににやついたアルテミシア殿が、妾の顔を覗き込むように見る。
「な、なんであるか、アルテミシア殿。」
「あのね、姫さんって、エミール中尉のことどう思ってるんですか?」
セレスティーヌ殿にも似たようなことを聞かれたが、ここの女子は、かように男子のことが気になるのであろうか?
「アザミ家とその家臣、そして民は、エミール様の勇気ある御振舞によって救われた。ゆえに妾はそのエミール様の妻となり、我らの国とこちらの星との縁を取り持つため参った次第じゃ。」
「ふうん、そんなこと言っちゃって。聞きましたよ、エミール中尉が大軍を率いたお殿様から刀を突き付けられて、なおも動じずその殿様と張り合ったとか。そんな男気に、アツ姫さんも惹かれたんじゃないですか?」
「確かに妾もそのエミール様の剛胆さに惹かれもうした。じゃが、それよりもエミール様は妾を常に背中に寄せて、妾を守ろうとしてくれての……」
「へえ~!あのエミール中尉が、そんな気配りを!?それは意外!やさしーぃ、エミール中尉!」
なんだか先ほどの品の良さはどこへやら、急に下品な娘になり下がったアルテミシア殿。そのようなことを聞いて、どうするつもりであろうか?
風呂から出ると、妾は下着というものをつける。胸当てはちょっと胸の大きさが合わず、明日また選びなおすことになったが、ふんどしの方はちょどよい大きさであった。しかしこの下着と申すもの、やや窮屈だ。何故このようなものを着るのであろうか?
妾はアルテミシア殿に連れられて、エミール殿の部屋に向かう。エミール殿の部屋の前で、アルテミシア殿は扉の横の突起物を押す。
「ああ、アルテミシア少尉にアツさん。」
「ああじゃないですよ。ちゃんと連れてきましたよ、アツ姫さん。」
「ええっ!?あの、アツさんの部屋って、別にあるんじゃないの?」
「何を言ってるんです!お2人は夫婦ですよ!?エミール中尉の部屋と同居に決まっているじゃないですか!」
「いや、そうだけど、ちょっと不味くない?他の乗員の目もあるし。」
「艦長でさえ公認するご夫婦、今さら隠してどうするというのですか!?では、アツ姫さんは確かにお渡しいたしましたよ。もし部屋が狭いようなら、広いところに転居できるよう主計科の方で手配しますので。では、ごゆっくり。」
そう言ってアルテミシア殿は妾をエミール殿の部屋に入れ、扉を閉めて行ってしまった。
急に静かになった。この部屋で、エミール殿と妾だけになった。妾も胸の鼓動が高まるのを覚えた。
「……あの、アツさん。2人きりに、なっちゃいましたね。」
そういえば妾は、さきほどアルテミシア殿から頂いた軍服と申す服を着ている。一方、エミール殿は先ほどまでの格好とは異なり、白っぽい柔らかな衣服に身を包んでいる。
「エミール殿、その白い装束はなんでござるか?」
「ああ、これは寝間着ですよ。さすがに軍服では寝られませんから。」
「左様か。なれど妾にはこの軍服という服しか頂いておらぬ。こんなことであれば、妾の寝間着を城から持ってくるのであったな。」
ところで、ここの寝床は変わっている。一段高い場所に布団が敷かれていて、そこで寝るようだ。エミール殿はその寝床の上に座っている。
「エミール様、妾もそこに座ってよろしいか?」
「はい!も、もちろんです!どうぞ!」
やはりエミール殿も緊張しているようだ。だが、夫婦の契りは交わさなければならない。妾は服を脱ごうとする。が、困ったことにこの服、脱ぎ方が分からぬ。
「エミール様。この服は一体、どのように脱げばよろしいのか?どうにもここの着付けの作法が分かりませぬ。」
「へ?そうなの?」
「エミール様が脱がしてくださいませ。」
「ええっ!?私がですか!?」
「何を今さら驚かれるのでございますか?妾はエミール様が妻にございますぞ!妻の身体に触れることくらいで、何を恐れておるのですか!?」
「は、はい、じゃあ、行きますよ……」
エミール殿は妾の服に手をかける。
「この服は、ここにファスナーが付いててですね。これを引き下ろすと、こうして外れます。」
「おお!このようになっておるのか。いや、かような仕掛け、初めて見たぞ。」
「で、ここのボタンを外すと服が脱げてですね……」
何故だかこの辺りから、妾は急に恥ずかしくなってきた。なんじゃこの服は、脱がされるまでの手数が多くて、焦らされるように脱がされて少しいやらしくも感じられる。
着物であれば、帯を外すだけでいけるというのに、ここの服は何故このように脱ぎにくいのであろうか?かえってこれは、羞恥の心を誘発するようだ。
ところが、服を脱いだら今度は下着が現れた。特に胸当ては妾の胸では小さ過ぎるようで、いささかだらしなく付いている。これを剥がしにかかるエミール殿。
何故この船の住人は、たかが服を脱ぐという行為にこれほど手間をかけるのであろうか?焦れったい。この焦ったさが、かえって恥ずかしさを増す。
随分と手数を踏んで、ようやく男女の交合に及んだ。妾にとって初めてのこと。しかし、これは病みつきになりそうだ。
翌朝……であろうか?今が何刻なのかが分からない。ここは日が見えぬ。部屋は真っ暗だ。
「エミール様、今は何刻にございますか?」
仕方がないので、横で寝ているエミール殿を起こす。眠そうな目で起き出すエミール殿。寝床の横の四角いものを取り出して見ている。
「うーん、地上では朝の6時過ぎですね。ちょうど日が昇る頃でしょうか?」
「6時?明け六つであるか?」
「明け六つ?何ですか?それは。」
「日の出と言えば、明け六つと呼ぶでありましょう。」
「いや、そう言う呼び方しないと思うけど……」
聞けばこの船では、時を24の時刻、60の分に分けて表しているという。日の出の時刻がいつなのかということは、季節や場所によって変わるという。
その代わりに時刻は常に一定間隔であるという。我らの時刻は、夏と冬、昼と夜では一刻の長さが異なる。日が昇って沈むまでを六つ、翌朝に日が昇るまでを六つとしているからだが、ここではそういう分け方ではない。常に一定。
ついでに言えば、時刻にもいろいろある。今、この部屋の時計は、我らの国の事情に合わせた時刻となっておるそうだが、もう一つ、艦隊標準時というものがあるそうで、こちらの時刻は今14時だという。昼の真っ盛りの時刻だというが、なぜ朝なのに昼の時刻?なぜ、時刻が2種類もあるのか?謎だらけだ。
さて、妾は服を着ようとするが、この服の着付けが分からない。再びエミール殿に着せてもらう。何とまあ、不便な服であるか。
部屋を出ると、そこにはアルテミシア殿がいた。
「ふふ~ん、エミール中尉!いかがでしたか?」
「あ、アルテミシア少尉……ええと、ちょっとお願いがあるんだけど……彼女の下着が、合っていなくてですね……」
アルテミシア殿とコソコソ話すエミール殿。どうやら妾の服のことを頼んでいるようだ。
「分かりました~!じゃあ、その辺りを含めて、アツ姫ちゃんを借りていきますね~!」
再び妾はエミール殿からアルテミシア殿に委ねられる。何であろうか、このアルテミシア殿は。エミール殿の侍女にしては、いささか主人への態度が横柄ではないか?
「じゃあ、やることやったんだし~、下着のサイズ合わせも兼ねて、お風呂いきましょう!」
「えっ……風呂に入ると申すか!?」
「そうですよ~!朝風呂も気持ちいいですよ~!」
昨日の夜に入ったばかりだというのに、また風呂に入るか?普通、風呂は2、3日置きに入るものであろう。どうなっているのか、この船は。
風呂場でまたあの物の怪の腕に身体を擦られて、おまけに胸当てをいくつもつけ直されて、ようやく風呂場から出られた。
エレベーターと申す小部屋で移動して、食堂に着く。昨日からのこの不思議な風習に振り回され、妾はすっかり腹が減った。
「あ、来た来た。アツさん、こっちですよ!」
食堂の入り口でエミール殿が呼んでいる。妾はエミール殿の元へ行く。
「さあ、今日は赤味噌でしたよね。ええと赤味噌は確か……」
入り口のモニターとやらを触って妾が所望するものを探すエミール殿。どうやら見つかったようで、カウンターへと参る。
今朝の料理は、赤味噌の味噌汁と「親子丼」。親子丼とは何だ?と思ったが、鶏と卵を用いた丼ものということで「親子丼」。それにしてもここは卵を用いた料理をいともたやすく食べられるというのか。
親子丼はこれまで味わったことのない料理であったが、それに備えられたこの赤味噌はどうか、妾は早速味わってみる。
我が城下で作られる味噌と比べると、辛さが足りない。おそらく、塩を少なめにして作られているのであろう。だが、この味は紛れもなく赤味噌だ。まだ2日しか経っておらぬ上、妾のいる駆逐艦のすぐ真下にある故郷だが、つい思いを馳せてしまう。
その故郷はまだマチナガ軍に蹂躙され、城もまだ孤立したまま。特産の赤味噌すら口にできぬ兵や民がまだ大勢いることをふと考えてしまった。妾の目頭が熱くなるのを感じた。
「ど、どうしたんですか、アツさん?何か変なものが混じってましたか!?」
妾が涙を流していたため、エミール殿が心配して声をかけてくる。妾は応える。
「いや、大事ない。ただ、妾はこうしてここで美味しいご飯や味噌をいただいていると言うのに、民や兵達は未だ味噌も満足に取れぬと考えると、つい……」
「そうですね。未だ城は大軍の只中。早くあれが解消されるといいんですが。」
そんな会話をしていると、ピピピピという甲高い妙な音がエミール殿から出ている。
「失礼。」
エミール殿が腰から黒い四角い板のようなものを取り出して、耳に当てる。何であろうか、これは?
「はい、エミールです。……はい……えっ!?」
エミール殿の顔が険しくなる。どうやらあの黒い板を使って、誰かと会話をしているようだ。
「アツさん!ついに始まりました!」
急にエミール殿が叫んだ。
「始まったとは、何がでございますか?」
「マチナガ軍が兵を引き始めたんですよ!城の周囲から続々と、マチナガ公の領地に向けて進軍中とのことです!すぐに艦橋へ来るよう、艦長からの連絡です!」
なんということだ……あの大軍勢が、ついにタカサカ城から引いたというのか?急いで食事を終わらせて、エミール殿に艦橋という場所へ連れて行ってもらう。
あのエレベーターという狭い部屋を経て、艦橋というところへ向かう。
小さな扉を抜け、艦橋という場所に入る。そこには20人ほどの人がおり、目の前には空が見える。
ガラスでできたその窓から、外の様子を眺めることができる。
「艦長!マチナガ軍は、どうなってます!?」
エミール殿が叫ぶ。よく見ると、妾の左隣の少し高いところにある椅子に、セレスティーヌ殿が座っている。
「窓の右側から地上を見よ。何が起きているか、よくわかるぞ。」
妾とエミール殿は窓の方に向かう。そこからは城の東側が一望でき、地上の様子もよく見える。
その地上を見ると、東に向かって進む長い人の列が見える。その列は、黄色の大きなムカデの描かれたのぼり旗を何本か掲げていた。
あれはマチナガ軍の旗印。つまり、これはマチナガ軍が東の平野に向かって進んでいるということになる。ついに彼らは、東方の自身の領地に向かって動き出したのだ。
もはや絶望的と思われたマチナガ軍の撤兵。城は落城寸前、城下の街も壊滅寸前である。が、ついに我らの国は全滅を免れたのだ。
妾の目からは、涙が止まらぬ。次から次へと、まるで山奥にある滝の如く流れ落ちる。
「マチナガ軍の人列は、速力5にてなおも進行。完全撤退まで、あと1時間ほどです。」
「地上の連絡員より入電!ええと……エミール中尉殿宛です。」
「私宛?読んでみてくれ。」
「はっ!『明日、ナガヤ城にて待つ。アツ姫殿と共に参上されたし。宛、エミール殿。発、マチナガ ヒデヒサ!』、以上です!」
「えっ!?マチナガ公からの通信!?私宛に!?」
ナガヤ城とは、マチナガ公の居城。エミール殿にマチナガ公の懐へ参上する旨の文であったようだ。だが、なぜそこに妾も一緒に呼ばれたのであろうか?マチナガ公の真意が分からぬ。
「どうするの、エミール中尉。」
「はあ、行かざるを得ないでしょう。返信をお願いします。電文の内容は……」
エミール殿は先ほどの文を読み上げた者に向けて、なにやら文を読み上げていた。どうやらマチナガ公に宛てた文のようだ。
それにしても、この駆逐艦には馬や伝令を走らせなくても、瞬時に文が伝わる仕組みがあるようだ。文を伝え終わると、エミール殿は再び妾の元にきた。
「とりあえず、これで我らの停戦行動は成功しました。戦は終わったんです。」
「で、あるな。長かった……これでようやく父上も安心して寝られる。」
明日のマチナガ公との謁見という大役はあるものの、妾はマチナガ軍の東に向かう長い列を見て、妾は大いに安堵する。もし明日、マチナガ公より妾の命を差し出せと言われても、喜んで差し出してしまうやもしれぬ。そんな心情だ。
マチナガ軍の撤兵を見届けたエミール殿と妾は、再び食堂へと向かう。そこには、アルテミシア殿とセレスタン殿が話している。
「いざとなれば、たとえ火の中水の中、俺は何処へでも助けに参りますよ~!」
「まあ、相変わらず調子のよろしいことで、セレスタン中尉。じゃあ早速、火の中にでも飛び込んでもらおうかしら。」
「いえいえ、まずはあなた様の部屋の中に……うげっ!?エミールと、ひ、姫様!?」
妾の姿を見て驚くセレスタン殿。
「ああ、そうだ。主砲の点検を頼まれていたことを思う出した!ではアルテミシア少尉、また後ほど!」
逃げるように去っていくセレスタン殿。一体どうしたというのであろうか?
「いかがなされたのか、セレスタン殿は?これより火の中に飛び込んで行かれるのか?」
「アツさん、本当に火の中に飛び込むわけではないですよ。あれは、冗談ですから。」
「ジョウダン?何でございますか、それは?」
「ええっ!?冗談という言葉、アツさんところには無いんですか!?」
エミール殿から「冗談」という言葉の意味を教えてもらう。ふざけて話す、戯れた会話や態度のことだと聞かされる。
「そのようなことを話して何になるというのですか?それではかえって信用を落とすだけのことではありませぬか?」
「いや、そうばかりでも無いよ。なんていうかなぁ……まあ、一種の潤滑油のようなものですよ。人間関係を円滑にして、上手くやれるようにするためのテクニックというか、そういうものですよ。」
結局、エミール殿のいうことはよく分からなかった。ただ、城でも兵達や民がふざけた会話をして笑いあっているところを見かけたことがある。あのようなことを言っているのか?
これまでは武家の娘として、そのような戯れとは無縁であったが、ここでは周りと上手くやるために「冗談」というものを極めなくてはならない。
しばらくすると、エミール殿は職務のため、格納庫という場所に向かった。妾は部屋で待つよう言われたが、特にすることもないので、この駆逐艦という場所をもっとよく知るために部屋の外を歩いていた。
すると、向かいよりセレスタン殿が歩いているのが見えた。
「ああ、アツ姫様ではありませんか。あれ?エミールのやつは何処へ?」
「エミール様は所用にて格納庫というところに出かけております。妾はその間、この辺りを散策しておるのでございます。」
「はあ、そうですか。」
「そうだ、セレスタン殿。ひとつお願いがございます。」
「えっ!?お願い?俺に?」
「貴殿に『冗談』というものを指南していただきたいのですが。」
「ええっ!?『冗談』を指南!?」
「これまで武家の娘として、真剣勝負で生きて参ったため、そのようなものを心得ておりませぬ。ぜひご指南を。」
「ううん、急に冗談を言えと言われてもねえ……」
セレスタン殿は困った様子。だが、今のところ冗談というものを最も心得ているのはこのセレスタン殿のようだ。妾はセレスタン殿の言葉を待った。
「ええと、姫様は俺のこと、どういう風に見えます?」
「うーん、信用ならぬ男というか、つかみどころが分からぬ者というか…」
「……ストレートだねえ。じゃあ、そんな男が『実は俺、信用できる男なんだぜ!』と言ったら、どう思います?」
「単なるたわけですね。何を言ってるのかと。」
「うう……これほどまでに直撃を受け続けるとは……俺ってばそこまでダメ男なの!?」
妙にオロオロしていて、セレスタン殿を見ていると可笑しくなってしまう。
「あ、笑った。ほら、面白いでしょ?まあ、こうやって明らかにおかしなことを言って笑いを誘うことを冗談というんだぜ?」
「あ……なるほど。そういうものでござったか。妾にも分かった気がいたします。」
「それにしても、君って笑うと可愛いね。」
「セレスタン殿、今のも冗談でございますか?」
「まさか!女性を褒める時は本気、嘘偽りはございませんよ。冗談にもルールがあって、自分を笑い飛ばすことはしても、相手を下げずむようなことはしちゃあダメなんですよ。それじゃあ、笑いが取れない。」
「そ、そうでござったか。まるで俳句のようなものでございますな。」
「まあ、そんなものかな?とにかく、『冗談』のことなら任せてくだされ。俺がきちんと指南致しますよ。」
「あら、珍しい組み合わせですね。何をしていらっしゃるんですか?セレスタン中尉殿。」
そこにアルテミシア殿が現れた。
「おう!今、俺はこちらの姫様の指南役としていろいろと教えているところ何でございまするよ!」
「はあ?指南役?何の冗談ですか、セレスタン中尉。」
「いや、今のは本当だって!アツ姫様、なんとか言ってやってくださいよ~!」
この2人の会話もなかなか面白い。なるほど、『冗談道』を極めれば、こうも人間同士が面白おかしく話せるようになるのか。妾も精進せねば。
部屋にいると、エミール殿が帰ってきた。
「いやあ、やっと終わりました。じゃあ、アツさん、食事にでも行きませんか?」
早速、妾はセレスタン中尉の教えを試してみる。
「エミール様、妾はこれより城に帰らせていただきとうございます!」
「ええっ!?ど、どうしたんですか、アツさん!私、何かしちゃいましたか!?」
「いや、冗談でございます。」
「じょ、冗談!?」
「セレスタン殿より伺いました。冗談というものは、人の関係を円滑にするために有効な技であると。」
「いや、そうですけど、今のは冗談きつくないですか?いやあ、焦った焦った……」
なにやら右往左往するエミール殿の姿が滑稽で、ついおかしくなってしまう。
「……あれ?アツさん、笑ってます?そんなに面白かったですか?」
「いやあ、エミール様のその慌てるお姿が、可笑しくて可笑しくて……」
「アツさん、笑顔が可愛いですね。いいですよ、その笑顔。」
「左様ですか、エミール様。いやはや、冗談とは良いものにございますな。」
「……さっきのはちょっと、勘弁して欲しいですけどね。」
戦が終わり、地上にもようやく平穏な日々が戻ろうとしていた。妾も、この駆逐艦での暮らしに馴染まんと悪戦苦闘しておるが、エミール殿にも周りの者達ともようやく話せるようになってきた。
ここでの暮らしは奇妙な風習や仕掛けで戸惑うばかりであるが、何かとやっていける兆しが見え始めた気がした。