9-7
――ピシャ……
ジャックは頬に落ちてきた水滴を拭い、溜息をついた。
松明すら備え付けられてない牢の中は、密度の濃い暗闇が支配し、視覚が制限されている分聴覚に意識が集中する。
人の気配が全くなく、時折聞こえてくるのはどこかから落ちる水滴の音や、小石が落ちるような小さな物音だけだ。
先ほどハロルドからの魔術を受けて気を失い、その間どうやらここに運び込まれたようなのだ。電撃の影響からか、体が酷くだるく、横になっている姿勢から起き上がるのが辛い。上から落ちて来る水滴を避けるために動くのすら億劫に感じる。
「誰もいないのかよ……」
独り言は誰にも拾われない。
このまま放置され続け、殺される可能性に思い至り、ゾワリと恐怖が這い上がってくる。
「……っ」
力を入れ、身体を起こし、目の前の格子を手で掴む。
掴むとザリザリとした物が手に付き、格子の金属が錆びついているのが感じられた。
「クソッ……」
何度も、何度も蹴る。
耳障りな金属音が響き渡るだけで格子は歪む事もなく、ジャックの脱走を阻んだ。
(こんな時、魔術が使えたら……)
考えても仕方がない事を考える。
ついでにシエルの顔を思い浮かべ、苦いような思いが生まれた。
両親や友人、失踪した兄色々思い出すのに、シエルを思うとやたらと焦燥感を感じた。
自分が今いる世界、時代、場所、何一つ分からない。
おまけに閉じ込められている。
二度と会えないのかと思えば、考えない方が気分が楽になるかもしれない。
――カサカサカサ……
微かな物音が独房の中に響いた。
(ゲ……ネズミか?)
以前不衛生な任務地の厨房で出くわして以来、ジャックはネズミという生き物が大嫌いになっていた。
――……カサカサ……カサカサカサ
音の主は容赦無くジャックの方に近寄って来る。
(なんでこんな時に! こっち来んな!)
――カサ……
素早い足運びはちょうどジャックのいる目の前で止まった。
「ププ……」
暗闇でよく分からないが、足元付近にいる生き物は笑い声を漏らしたように聞こえた。
「マジ ワラエル ツカマッテルシ!」
(この声は!)
「ヨウム!?」
目を凝らすと足元に居る生き物が鳥の形をしているのが見えてきた。
「オッス!」
「助けに来てくれたのか!?」
ジャックは孤独感から解放され、ヨウムを抱きしめたいような気分になった。
まさに暗闇の中の希望だ。
「ッテ オモウジャン? プクク……」
「思うけど……」
「オレノ タチバ カンガエテ ミテ?」
ヨウムは格子の前で反復横跳びを始めた。
「オモリハ モウ ムリ! オマエ ミステル!」
どういう訳かヨウムはジャックに分かれを告げに来たらしい。
このまま立ち去られたらたまらないと、ジャックは焦りを感じる。
「ええ!? 酷くないか? この牢から出すだけでも!」
「バッグ キュウクツ ツカレテル ムリ!」
ヨウムはどうやらジャックのバッグにコッソリ入り込み、一緒にここまで来てしまったようだ。
それだったら一緒に行動をしたらいいじゃないかと思うのに、ヨウムは見捨てて自由を取る方を選んだのだ。
「俺と君の間柄だろ!」
「セイケン |デ キレバー?」
シエルがいない時に出せない事を知っているだろうに、無茶ぶりしてくるこの鳥が憎たらしい。
「出したくても、出せないんだよ……」
「ムノウ ヤツ! タメシモシネー」
(確かに、そうだよな。人に頼る前に自分に出来る事は全部試してみないとだ……)
別れを告げに来たはずのヨウムは立ち去る事もなく、ジャックを煽り続ける。
そのつぶらな瞳は、ジッとジャックを見つめ、何かを期待するようだ。
無理かもしれないが、ヨウムの期待に応えたい、という思いが生まれる。
「そのまま見てろよ」
前方に拳を付き出し、目を閉じる。
(頼む……エクスカリバー! 俺に力を!)
数秒の間が有った。
(やっぱ……無理なのか……)
そう思った瞬間、握りしめた手の中から小さな光が生まれた。
白き光は瞬く間に大きくなり、暗闇の中で目もくらむような眩しさを放った。
光は徐々に剣を形作る――エクスカリバーの形成だ。
「え……、何で出せたんだ」
光の収まった聖剣は、不思議なほどジャックの手になじむ。
どうして出せたのかは分からない。でも今この瞬間、聖剣が自分のものだという実感を未だかつてないくらいに感じられた。
「ヨウム、下がっててくれ。この格子を叩き切ってやる」
ジャックはヨウムがヒョコヒョコと横にづれるのを確認した後、聖剣を格子に向かって大きく振った。
――スパリと、振った軌跡のままに格子は切れ、ガラガラと鉄の棒が落ちる。
「相変わらず、凄い切れ味だな」
牢を出て、周囲を見渡すが、見張りはいない。
「ミンナ カイギ」
ヨウムは用心深く、誰もいないタイミングを見計らって助けに来てくれたらしい。
あまりに口が悪いので誤解しそうになるが、ヨウムはきっと優しい鳥だ。
ついて来いとばかりに羽ばたき、飛たつヨウムに頬が緩む。
石を積んで造られた階段を上ると、陽の光に目が焼かれた。
「眩し…‥」
壁に大きく穿たれた窓から見える空は青い。
太陽の位置的にそろそろ昼に近いかもしれない。
ジャックは、牢から脱走で来た開放感から空の美しさを噛みしめた。
視線を下に向けると、この建物の傍には赤土がむき出しになった小路が引かれていた。
そこを汚れた身なりの老人がヤギを連れて歩く。
ここは貧しい地なのかもしれない。