8-5
ジャックはがジロリと睨み付けると、シエルは半笑いで目を反らした。
「これはなぁ、深い事情があるんだよ! 別に通常業務で掃除ばかりやってるわけじゃないぞ!」
「ほんとですか~? 妙に様になっているから、慣れてるとしか思えますけどね」
ニタニタと笑うシエルが憎たらしい。
ジャックはモップとバケツを床に置き、シエルの頬をつねり上げた。
「どこまで伸びるか試してみようか?」
「いひゃい!! セクハリャはやめてくらはい!」
(セクハラってなんだ! 失礼だな!)
さらに伸ばそうかと思ったが、涙目で見上げて来る表情に、うっ……となり、シエルの頬から手を離す。
「で? 話ってなんだよ」
「う……頬が痛くて、喋れません」
「悪かったよ。掃除用具を片付けてくるから、ちょっと待ってろ」
頬を抑えるシエルに罪悪感が湧いてきた。少しの間1人になって冷静になろう。
しかしモップとバケツを拾い上げて、ドアを出ると、何故かシエルもついて来る。
「私も行きます! ここで待っててもつまらないので」
「勝手にしろ……」
2人並んで廊下を歩く。無言でも気まずくならないのは、正直かなり楽だったりする。
シエルの方を見ると、まだ手で頬を擦っていた。
この少女と一緒にいると、自分がだんだん変わっていっていくような気がしている。今まで女性の頬をつねるなんて暴挙を働いた事なんて無かった。それがいいのか悪いのかは分からないが……。
庁舎の裏口から外に出て、野外に出る。
蛇口から勢いよく水を出し、モップについたホコリを流す。
「モップって洗うものなんですね」
シエルは目を丸くしながらジャックの行動を見守っていた。
「使い終わったら洗っておかないと、次に使うときにモップについたホコリをそこら中にまき散らす事になるだろ? 誰かが洗っておかなきゃいけないんだよ」
「初めて知りました」
普通に考えて、貴族が掃除用品の扱いを知っているわけがないので、知らないのはしょうがない事だ。ジャックも王室師団に入団しなかったら、こういう事は知らなかったかもしれない。
モップの水気を軽く切り、庁舎の外壁に立てかける。明日の朝には乾いているだろう。
「そうやって労働している姿、新鮮ですね」
「こんなの普通だ。さて、戻るか」
「あ、はい!」
バケツをロッカーに戻し、ようやく仕事を終えた気になったジャックは、シエルがどうやって庁舎に入れたのか気になってくる。というか一人で来るのは普通に考えて危険だろう。モス卿の事もあったのに。
「シエルはどうやってここに入って来れたんだ? 守衛を通る時に何も言われなかったのか?」
「あ、実はここに来る前にバーデッド子爵家に寄って、ジャックさんのお母様に紹介状を書いてもらってたんです」
「え……、あの人に……?」
嬉しそうに紹介状を見せるシエルを茫然と見下ろす。
「ジャックさん、昨日私の家に忘れ物しましたよね? ジャックさんのお母様にお渡しして帰ろうかと思ったんですが、何故か手渡しするように言われて」
シエルはバッグの中から小さな小箱を取り出した。
「あ! それ君の家に忘れてしまったのか」
シエルは蓋をそっと開け、中の宝石を晒した。
すると、二人が立つ廊下の一角に青白い光が満ちる。
宝石は小箱の中で、何故か発光していたのだ。
「綺麗ですね。なんていう鉱石なんですか?」
「いや、俺も知らない。光を放っているところも今初めて見た」
「そうなんですか? 私が見るとずっと光っているんです。不思議ですね」
青い宝石は、彼女に所持してほしいのだろうか?
ジャックが見た時とは違う反応を見せる石は、運命の持ち主に渡った事を喜ぶかのように、青白く明滅を繰り返していた。
母もこの少女の手の中で明滅する宝石を見たんだろう。
そのうえでジャックに直接届けさせたような気がしてくる。
「母さんは他に何か言ってたか?」
「私とジャックさんの関係を聞かれました。友人だと言っておきましたけど……」
「そうか……、悪いけど、その宝石を暫く預かってくれないか?」
「え!? こんな高価そうな物を? 後々になって借りパクとか言い出しませんよね!?」
「……言わないから」
この少女は自分の事をなんだと思っているのか?
ちょっと溜息をつきそうになってしまう。
◇
シエルを受付前で待たせ、ジャックは素早く帰宅の準備を済ませた。
通りすぎる同僚達がなんだか微妙な目で自分を見ている気がするが、気にしない。
駆け足で受付の前に戻ると、シエルはニコリと笑いかけてきた。
「これから博物館行きませんか?」