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ジャックは西ヘルジア王国南部を領地に持つバーデッド子爵家の次男として産まれた。
ファミリーネームと爵位の名称が違うのは爵位が領地名と紐づけされているからだ。
次男という特に期待される事もない立ち位置で22歳になるまで自由気ままに生きてきたのだが、ジャックを取り巻く環境はこの2年程で大きく変わりつつあった。
兄の失踪から端を発し、子爵家には次々と不幸が続いた。
所有する鉱山の爆発事故、タウンハウスへの放火事件、家令の着服。
連日の様にゴシップ紙に面白おかしく書かれ、ジャックは好奇の目に晒された。
更にジャック自身にも大事件が起こった。
付き合っていた令嬢に二股をかけられている事が発覚したのだ。
ジャックは情けなくも浮気相手に敗北し(もしかしたらジャックの方が浮気相手だったかもしれないが……)、ゴミの様に捨てられてしまった。
酒に逃げ、所属する陸軍王室師団の仕事を無断で休むことが続いた。
時には乱闘騒ぎを起こし、警察沙汰まで発展することもあった。
ジャックの人生はそのまま転落していくかのようだったが、父が倒れた事でようやく現実を直視できるようになる。
ベッドで眠る疲れ切った父の顔を見ると、胸の中で確かな動揺が広がった。
父は物心ついた時からジャックに暖かな言葉をかける事はなかった。
しかし、ジャックが潰されないよう盾になり、ただ一人戦い続けていたのだった。
その事にジャックはようやく思い至った。
変わろうと考えたジャックが最初にとった行動は、所属している王室師団の上官と同僚に頭を下げる事だった。無断欠席を繰り替えす事で、防衛の為の人員配置を変えたり、ジャックの代わりに休暇申請を行うなど余分な仕事が増えたはずだ。
最悪クビも覚悟していたが、上官が所属する合唱団のコンサートを必ず聴きにいくという約束一つで許してくれた。
同僚達も、噂を聞いてジャックに同情していたらしく、再び迎え入れられる。
ジャックは真面目に軍務を果たす傍ら、将来家業を継ぐ為の勉強も始めた。
兄が無事に帰ってくる保証はどこにもない。
ジャックがこのような努力を初めてから1年程たつ頃、母が珍しく部屋に現れた。
ジャックはノックをして自室の扉を開けて入ってきた母の姿に、まず驚いたし、その腕に山のような書類を持っていた事にまた驚いた。
このような肉体労働をしている姿を初めて見たのだ。
「母さんどうしたんだよ?」
ジャックは母から書類の山を受け取り、ソファに座るように促した。
ソファに座る事を拒み、母は扉の前から動かない。
「あなた最近勉強を頑張っているそうね」
「悪いか?」
「息子の向上心を喜ばない親はいないわ」
「まーそうかもな。で、この書類は何?」
ジャックの瞳と同じ色の澄んだ青は強い光を放っていた。
変に緊張し始めたジャックが母から目を反らすと、母は口を開く。
「ブライアンの部屋にあった資料よ。この前部屋の掃除をしている時に見つけたの。子爵家に関して詳しくまとめられているものも入っているようだから、暇な時にでも読んでちょうだい」
ブライアンとは兄の名前だ。
母は兄の身辺整理でも始めたのか?
「勝手に読んでいいのか?」
「弟の役に立つ方があの子も喜ぶでしょう」
用は済んだとさっさと部屋を出ていく母の背中を眺めながら、ジャックは首をひねる。
これは母なりにジャックを認めたという事なんだろうか?
渡された書類をテーブルに置き、ペラペラと紙を捲っていく。
”資金管理表”
”鉱山採掘量”
”新規事業案リスト”
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なるほど、読みごたえがありそうだ。
どの資料も綺麗に角が揃えられ、細い紐でまとめられていたが、束になったレジュメを指ではじき、ページ数をいっきに先送りさせると、ちゃんとまとめられてなかった紙が床に落ちた。
拾い上げて、内容を確認する。
”ゼロポイントエネルギー実験場候補調査報告書”
ジャックの見慣れない単語だ。
東西に分裂する前の旧ヘルジアの地図には赤いインクで大小様々な模様が記されている。
赤いマークがおそらく実験場候補という事なのだろう。
この赤いマークの中の一カ所にジャックは覚えがあった。
デスクの引き出しから子爵家が現在保有する鉱山のマップを取り出し、地図と照らし合わせてみると、1か所だけ完全に一致している場所がある。
(これは2年前に爆発事故があった鉱山じゃなかったか?)
当時マスコミにも取り上げられた大事故は多数の死者を出しており、安全義務を怠ったとして子爵家は世間からバッシングを受けた。
世間の関心が薄れた今でも被害者との裁判は続いている。負ければ多大な慰謝料の支払いは避けられない。
他に関連する資料がないか確認するも、それらしきものはない。
ジャックはこの地図に奇妙なひっかかりを覚えながらも、その日は母に渡された書類の整理を優先した。