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「難しい話だな。シエルもワームホールから魔獣が現れるのを見た事はないっていう事か?」
「ワームホールが開くのも見た事がないです」
魔獣から都市を守るために障壁を貼ったり、魔獣討伐をするのが魔術師の大きな役割であり、どこからともなく現れる魔獣の発生の源が分かれば、仕事が大幅に減るだろう。
シエルにとって、ワームホール発生の阻止は人生をかけてやりたい事業でもあった。
今はもう叶わないかもしれないが……。
ジャックは一度シエルの傍を離れ、借りていた鍵を寺院の係員に返却しにいった。
結局何事もなく戻ってこれたので、先ほど少し警戒してしまって申し訳なくなる。
「これからどこか行きたい所はあるか?」
「ええと……、アストロブレーム博物館って近いですか?」
「ここからすぐだな。行こう」
「え、でもジャックさん仕事は?」
「いいよ。適当に誤魔化すから」
「うーん……」
「あ、そうだ。もう一個聞きたい事あるんだ」
そう言ってシエルを見下ろすジャックの目は、ローズウォールの街で一緒に昼食をとった時のように、揺れている。今から言われる事が、ジャックが一番聞きたい事なんだろう。
「何でしょう?」
「人間が魔獣の様になったりする事ってあるのか?」
「聞いた事はないですね……。でも……いえ、やっぱ言うのやめておきます。たぶんこの質問はいい加減に答えたらダメだと思うから……」
「聞かせてほしい……。思いつきで全然かまわないから」
シエルは自分が考えた想像が、本当に人に聞かせていい物なのかをもう一度考え、慎重に言葉を選んだ。
「話半分に聞いてください。例えばなんですが、ワームホールを通る時、人間と魔獣が一緒に取り込まれ、ワームホール内部で量子レベルまで分解されたとすると、出てきてそれらが再構築されるときに、両者が融合される事も……いや、やっぱないですないです。忘れてください!」
話している途中にジャックの顔色が悪くなっていくのを目の当たりにし、シエルは慌てて取り消した。
「ごめんなさい。こんな話、やめておけばよかった」
「いや、促したのは俺だから……」
2人の間に気まずい沈黙が降り、シエルはこっそり溜息をついた。
重い沈黙の中寺院から続く小道を進むと、広場に出た。
広場の奥に異国風の神殿を模した博物館が見える。
アストロブレームが誇るこの博物館は、約100万年から現代までの文化を網羅する遺物を展示していて、その収集や維持管理の資金はなんと宝くじを元にしているため、入場料は無料なのだ。
博物館の中には実はシエルの亡き父が寄贈した物もあり、シエルは昔から観に行きたいと思っていた。
広場をジャックと並んで歩いていると、前方から赤いドレスの女性が侍女を引き連れて歩いて来るのが見えた。綺麗に手入れされた黒い髪のとても美しい人だ。
シエルがその女性に目を奪われていると、隣から小さなうめき声が聞こえてきた。
「やばい………、博物館はまた別の日にしないか?」
「え?別にかまいませんけど、急にどうしたんですか?」
「会いたくない奴が来たんだ。逃げよう」
ジャックはシエルの手を掴むと、来た道を戻ろうとする。
(手が!)
先ほどの謎の動揺を思い出したシエルは内心慌てた。
「あら、ジャックさん奇遇ね!」
後方からよく響く女性の声がジャックを呼ぶので、無視するジャックの代わりにシエルが振り返った。 博物館側から歩いて来ていた赤いドレスの女性が二人を追いかけて来ていた。
「ジャックさん、呼ばれていますよ!止まりましょう!」
「止まったら終わりなんだ!」
「どういう事ですか?」
ジャックはシエルが呼び掛けても足を止めない。
それどころかさらに足を速めて、競歩並のスピードで進むので、引っ張られているシエルは付いて行くのが辛い。
「止まりなさい、ジャック!!」
赤いドレスの女性はヒステリックな声を上げ、静止を命じる。
シエルはだんだん気まずくなってきて、ジャックの手を引いて、足を止めた。
「無視は良くないですよ。あの方が話したがっているのに!」
「ごめん……!」
「ジャックさん!」
ジャックはシエルの手を放し、全力で走り出した。
シエルは未だかつてこれほどまでに速く走る人間を見た事が無かった。
(人間てこんなに速く走れるんだ!)
シエルが感心して見つめていると、その横を赤い残像が通りすぎた。
「逃げるんじゃないわよ!」
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