4-9
屋根に手をかけ、体を持ち上げる。
(普段から懸垂しててよかった!!)
これでよじ登れなかったら、恥をかいただろう。
屋根の上に立つと、やはり風圧が凄い。
ジャックは素早く移動するルートを確かめた。
炭水車に飛び移り、石炭が積まれた所を歩いて渡り、運転室へと移ればいいだろう。
その間にトンネルに入られたら、煙で窒息や転倒死も普通にあり得る。
グズグズしている暇はない。
ジャックが炭水車に飛び移ろうとしたとき、屋根の上に大きな影が通りすぎた。
(なんだ……?)
一瞬だけ太陽の光が遮断され、周囲が薄暗くなった。
影が通り抜けていった方向に目をやると、巨大な鳥の様な黒い生き物が林の中に突っ込んでいくのが見えた。
(鳥か?でも鳥にしては相当でかい……)
嫌な予感がしてきた。
飛び移るのをやめた方がいいのだろうか?
「ジャックさん、まだいますか!?」
列車内からシエルが呼び掛けてきた。
「シエル、今何かの影が通りすぎた……」
「その件で、おばあちゃんが車内に戻るように言ってます!」
「分かった」
登って来る時に使った窓にまた足をかけ、車内に身を滑り込ませた。
「今のでかい影、あれは一体なんなんだ!?」
「私達もその影を見ました。おそらく、魔獣なのではないかと……」
「何でよりによってこんな時に……」
「こんな時だからよ。わたくし達を魔獣を使ってでも始末したい方々がいるの」
アルマは受話器を電話機に戻しながら、ジャックの問いに答えた。
「魔獣を使って?あいつらを使役する事なんて出来るんですか?」
「普通なら出来ないわ。だけど、ケインズの話が正しいなら、モス卿は魔獣をシエルの暗殺の計画に組み込んでいる。仲間に魔獣を操る事の出来る知識を持つ者がいるのかもしれないわね」
「私もモス卿に暗殺の話を持ち掛けられ、それに乗るふりをして情報を仕入れただけなので、詳しい事は存じ上げませんが……」
モス卿はケインズの事も抱き込もうとしていたらしい。
ジャックはモス卿の外堀を埋めていくようなやり方に不快感を感じた。
「あなたはその情報をわたくし達に売り込み、自分の株を上げようとしたのね?」
「ええ、商売人としてはこの手の情報を売り、信用を上げておくほうが、今後の取引の事を考えると有益ですので」
ケインズは悪びれることなく、シレっと答えた。
「嫌いじゃないわ、そういう考え方。感情より利益で動く人間の方が付き合いやすいわ」
「では交際してください」
「そっちの『付き合う』じゃないわよ。というか、わたくしはは50歳オーバーなの、熟女好きにしても程があるんじゃなくて?」
50歳以上には全く見えないアルマにそうに言われ、ケインズは肩をすくめた。
アルマはそんなケインズを無視して、ジャックとアルマの方を向いた。
「1号車と2号車以降の車両を切り離すわ」
「どうしてです?」
「魔獣の狙いをこの1号車だけにさせた方がいいと思うの。2号車以降と充分に距離がとれたらルパートにこの列車を停めるように今電話で伝えたわ」
魔獣がシエルが乗った車両がどっちなのか判別できるだろうか?
と疑問に思いつつも、取りあえずジャックは従う事にした。
「わたくしとケインズさんは2号車に乗りましょう。ケインズさんは最寄り駅へ線路沿いに歩いて行って、後続の列車を発車させないように連絡してちょうだい。わたくしは2号車以降の車両全体へ防御魔術をかけてからこの1号車を追いかけるわ」
「え、おばあちゃん大丈夫なの?」
アルマはシエルにニッっと笑ってみせた。
「大変なのはあなた達よ。わたくしが戻るまで自分達で持ちこたえなきゃいけないんだから」
「私は簡単に死なないわ。刺客のおっさん達もしょうがないから守ってあげる」
シエルに守ると言われた刺客たちは複雑そうな顔をして俯く。
事態の深刻さを理解し始めているのかもしれない。
「俺も、どれだけ役に立てるか分からないけど出来る限りの事はやります」
ジャックはアルマとケインズの3人で1号車と2号車の境まで行く。
ケインズが2号車の扉を開くと、2号車の乗客達はざわめいた。
「ジャックさん、シエルの事、頼んだわよ」
「はい」
ジャックはアルマの目を見て、しっかりと頷いた。
「わたくしは、もしかしたらあなたはモス卿に協力するんじゃないかと思ってた」
「え!?」
「仕事で関わりのある上司に言われたら、不本意な事にも手を染める人間はいるわ。上司も同僚もいる場で選択を迫られ、それを跳ね返したという事はあなたの心は強いのね」
「別に特別な事はしてないです。俺は後で後悔する事が嫌だと思っただけで」
「20代は判断力が十分に身についてない時期ではあるけど、後の人生に大きく影響する選択を迫られる機会が多いわ。考えても分からない事は、ただ単純に自分の価値観に従った方がその後寝ざめよく過ごせるかもしれないわね」
「でも今日の事で俺はもしかしたら除隊になるかもしれませんね。でもニートもいいかもしれないと考えてます」
「職がなくなったら、わたくしが紹介してあげる。さて、車両を切り離さないと」
アルマが車両の連結部分に杖をかざし、目を閉じる。
真っ赤な魔法陣がネジ連結器とリンク連結器の上に現れた。
(どうするつもりなんだ……?)