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16-6

 隠し部屋での身体の不具合は、そこを出てからも時々シエルを蝕む。

 大広間に戻る間、シエルは現実と夢の間をたゆたう様な浮遊感に苦しめられた。



 やっとの思いで広間前の扉に着くと、待ち構えていたハドリーが駆け寄って来た。


「シエル様、どうしたのですか? 酷い顔色ですね!?」


「体調が凄く悪くて……立ってるのもやっとなんです……」


 息も絶え絶えにそう訴えると、ハドリーは眉根を寄せ、心配そうな表情をした。


「もうこちらは大丈夫ですので、お帰りください。ルパートさんを呼んできます!」


「はい……」



 ほどなくして現れたルパートは、常ならぬシエルの様子に目を丸くした。


「シエル様? どうしたんですか?」


「分かんない。自分が自分じゃない様な感覚なの……」


「やばそうですね……」


「ルパートさん、シエル様を連れ帰って早く休ませてあげて下さい」


「了解です。ハドリーさん申し訳ありませんが、後の事はお願いします」


「勿論です」


 ルパートに支えられ、ミッドランド家所有の自動車に辿り着く。

 ショールに包んだ冊子を胸に抱きしめ、シエルはグッタリと後部座席に座り込んだ。


「『自分が自分じゃない様な感覚』と言ってましたけど、憑依されてるような感じなんですか?」


「そんな感覚なのかな。気を抜くと、意識が薄くなるの……。曇りガラスから外を覗いているような……」


「怖いですね。少しだけ我慢してください。魔術で操られている可能性もあるので、タウンハウスでアルマ様に診てもらいましょう」


「うん」


 今夜の夜会にアルマも来ていた様だったが、すぐに帰って行ってしまった。遠目からは血相を変えた様に見えた。何か重大な事があったのかもしれない。


 自動車はいつもより速く走行し、15分も経たずミッドランド家の屋敷まで戻って来た。車を車庫に入れるルパートよりも先にエントランスに入ると、執事が慌ただしく動いており、シエルの姿を見ると駆け寄って来た。


「シエル様! その様な青い顔をしてどうしたのですか?」


「ちょっと体調が悪いの。おばあちゃんは?」


「アルマ様は長期外出の為の準備をしております」


「嘘……。何で急に?」


「理由はきちんとお聞きしておりませんが、魔術師協会の件の様でした」


「部屋に行って聞いてみる」


 体調を気遣う執事に適当な事を言い、二階のアルマの部屋前まで行く。扉をノックすると、中から「誰?」とアルマの余裕の無い返事が聞こえた。


「おばあちゃん、シエルだよ。体調がおかしくて、魔術の影響の所為かもしれないから、出発前に診てもらえないかな? 急いでるなら無理しなくてもいいけど」


 シエルがそう言うと、中からガチャリと扉が開く。アルマの美しい顔は蒼白だった。その只ならぬ様子

に息を飲む。


「おばあちゃん、何かあったの?」


「中に入って。貴女達、少しシエルと2人にしてちょうだい」


 室内で、アルマの旅の準備をしていた侍女やメイドは目礼し、足早に部屋を去って行った。


「ごめんね。急いでそうなのに」


「いいのよ。貴女が優先だから。それより体調がおかしいと言っていたわね。どうしたの?」


「身体が、自分の意志じゃないのに、勝手に動く時があるの。私、誰かに魔術でもかけられてるの?」


 アルマ一度大きく目を見開き、溜息を吐いた。


「貴女、過去の事はどの位覚えているのかしら?」


「過去? どうして急にそんな話……?」


「貴女の父親が殺された後、わたくしと会うまでの記憶はある?」


 アルマに問われ、背中に変な汗が流れる。実のところ、その辺の記憶が抜け落ちていた。父が死んだあと、アルマとの出会うまでの期間を思い出せない。気づいたらローズウォールのカントリーハウスで寝ていて、季節が2つ程過ぎ去っていた様だった。

 見知らぬ少女に祖母だと名乗られ、一緒に住む様になった。今思えば、異様な状況だ。


「無い……」


「わたくしが貴女と初めて会った時、貴女はとても高圧的だった。……そして私よりも遥かに魔術の知識に詳しかった」


 アルマの眼差しが、シエルを通して別の誰かを見ている様に感じられる。


「おばあちゃんにとって、今の私が偽物……?」


「違うわ」


 本当に彼女はシエルを本物だと思っているのだろうか? シエルはアルマの言葉に疑念を抱く。思えばいつも彼女はシエルに過剰な期待をしていた。その期待が、シエル本人では無く、時々身体を乗っ取る誰かに向いているという事はないのだろうか?

 虚しい気持ちが、心を支配する。


「残念だけど、人格を分離させ、一つを取り出すという魔術はないのよ。貴女は強く自分の意志を保ち、抗いなさい」


「……」


 アルマは何とも言えない表情をして、シエルの前を去り、開けられたトランクに荷物を水晶を詰め出した。その後ろ姿に寂しさが募る。だけど、アルマにもやるべき事はあるのだ。そこを忘れたわけではない。


「どこに行くの?」


「ホープレスプラトゥよ。ケインズにもう臨時の列車の準備をさせてる」


「え……? 忙しくて行けないんじゃ?」


「深刻な状況になっているらしいの。夜会中に連絡があって、どうやら作戦部隊のうち三分の四以上が今日死亡したそうよ」


「嘘でしょ……? 何があって、そんな……」


 今聞いた事が信じられず、シエルはアルマの顔を茫然と見た。


「安全地帯と見做されていた市街地から新種の魔獣が溢れ出しているそうよ。森での作戦決行中に、背後から襲われたと聞いてるわ」


 ホープレスプラトゥで見た異形の姿を思い出す。新種の魔獣を、その発生源を調べず、スケジュール通りに作戦を決行してしまった。それがまずかったのだ。

 ジャックは大丈夫なのだろうかと、不安で心臓が煩く騒ぐ。


「おばあちゃん、私もホープレスプラトゥに行く」


「今回は駄目よ」


「お願い!」


 食い下がろうとアルマに近付こうとしたが、何故かその場から動けなくなった。ハッとして足元を見ると、青白い術式に取り囲まれていた。


「おばあちゃん!」


「悪いけど、貴女を死なせるわけにはいかない。眠っていてちょうだい」


 白みゆく意識。シエルは必死に抗おうとするが、全てが遅すぎた。


◇◇◇


 ジャックは目の前の地獄絵図を見て、身体が震えそうになるのをなんとか堪える。

 人間の死体や魔獣の死体がアチコチに転がり、濃厚な血の臭いが漂っている。


(何でこんな事に!?)


 フンババを討伐し、休憩地点まで戻ったジャック達を待っていたのは、待機していたはずの隊員達の死体と、新種の魔獣だった。

 転がる死体が士官クラスではない陸軍の者や、下位の魔術師達だったので、実力のある者達は逃げ延びたと判断し、その場の魔獣を出来る限り殺し、生存者の捜索を開始した。

 血の跡が、森の東側から鉱山方面に続いていたため、ジャック達は追い駆け、森を抜けた。


 そこで見たのは、旧種の魔獣と新種の魔獣が争い、共食いするというおぞましい光景だった。巻き込まれたであろう隊員達の死体があちらこちらに点在する。


 それでもその中で、生き残り、必死に戦う者達を発見し、ジャック達も彼等を救出すべく、魔獣の群れとの戦闘を余儀なくされた。


 陽が暮れてから6時間以上は経つ。長時間の戦闘した事でエネルギー不足になっているからなのか、エクスカリバーを出す事が出来ず、身体には強烈な睡魔が襲う。ジャックはパリエロ副師団長達にカバーされているような状態なのだ。


「すいません。ずっと戦い続けられたらいいんですが」


「いや、お前のお陰でこちらも何とか生き延びる事が出来ている。お前が回復するまでこちらで何とかする」


「有難うございます」


 冷静さを装うパリエロの顔には滝の様な汗が流れ、既に限界が近い事が伺える。他のメンバーも似た様な状態だ。見える範囲では魔獣の姿は消えたが、再び現れたら全滅の危険がある。


(クソッ……。早くエクスカリバーを……)


――後少しの辛抱だな。


 頭の中に直接話しかけてくるようなフェンリルの声に、同情の色がある。


(頼む。フェンリル。助けてくれ。これ以上犠牲を出したくないんだ)


――実体化のためにはお前の力が必要だ。だが今お前の中のエネルギーは底をついている。戦う事など出来ない。


 フェンリルの言葉に、ジャックは強く目を瞑った。もう魔獣が現れない様にと祈るしかない。


「また来やがった!」


 魔獣の再来を告げる怒鳴り声に、ジャックは落胆した。唇を噛みながら森の方に視線を向けると、暗闇中、地を這うような動きをする魔獣が姿を現した。

 一体だけではなく、何匹も続く。

 ジャックは右手に力を込めるが、手は少し光っただけでエクスカリバーは出て来なかった。


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