3-2
ブライアンに案内され、路地の中に入る。
路地の両脇に立ち並ぶ建物は随分と昔の時代のものもあり、ジャックは歩きながらタイムスリップしたかのような気分になってくる。
メインストリートからさほど離れてないのに、喧騒が遠くに聞こえ、路地は異様な静けさに包まれていた。
腕輪はいつのまにか冷えていた。
エクスカリバーを所持したものの、何がどうなってるのかさっぱり分からない。
「兄貴、どこまで行くつもりだ?」
「まぁこの辺まで来たらいいかな」
2軒の住宅の間にあるマロニエの木の横でブライアンは立ち止まった。
木の葉の影がブライアンの顔に落ち、女性的な顔立ちをより繊細に見せた。
(失踪した人間てもっと小汚いもんじゃないのか?)
兄がもし生きて発見されたなら、服がボロボロで髭がボーボーに生えているんじゃないかとジャックは勝手な想像をしていたが、実際のブライアンは人から借りたブカブカの服を着ているジャックより小綺麗なくらいだ。
「2年間どこにいたんだ……」
ブライアンは、隣国の東ヘルジア共和国へ私用で行き、その帰りに消息を絶った。
この西ヘルジア王国と東ヘルジア共和国は今では停戦状態だが、長い間戦争していたため、失踪当時は拉致されたのではないかという憶測が飛び交った。
ブライアンが貴族の嫡男という事もあり、両国間では現在外交上の緊張感が高まっていた。
「俺はこの2年間ずっと眠っていたみたいだね……」
当事者はブライアンのはずなのに、本人はのほほんとしている。
「眠っていた……?」
「ああ、目が覚めてから今日で一週間目くらいかな?まだ日中出歩くと立ち眩みがして辛いんだ。」
実際今もブライアンは立つのが辛い様で、傍にあったベンチにどさりと座った。
「何でそんなに長く寝てたんだ?病気なのか?」
「違う違う。僕は事故で死にかけて半分天国に飛び立ってたんだよ」
何が楽しいのかジャックには分からないが、ブライアンは声を上げて笑う。
もしかすると馬鹿にされているんだろうか?
「もっとちゃんと説明してくれよ!」
「はいはい」
ブライアンは昔からジャックをからかい、一人で笑い転げる様な人間だったので、まだジャックの疑いは晴れない。半眼でブライアンの顔を見下ろすと、ジャックと同じ澄んだ青い瞳が見上げてきた。
「1週間前、ノースフォールの病院で目を覚ました」
「ノースフォール?」
ノースフォールはこの国の北東に位置する州で、ノースフォール公爵家の領地になる。
東ヘルジアとはやや離れているので、ジャックは違和感を覚えた。
「2年前に瀕死状態で路上に倒れていた俺を、通りかかった地元の人が見つけて病院に運びこんでくれたらしい。放置されてたら死んでたんだろうな。この空白の2年間で俺自身に起きた事はこのくらいしか知らされてない。笑いたくなるだろ?」
フロッグコートの袖から覗くブライアンの両手の皮膚には痛々しいケロイドが見えた。
「災難だったな……。生きて再会できてよかった。でもなんで病院から警察に連絡がいかなかったんだ……。ウチは警察に届け出ていたから、兄貴の所在がすぐつかめたかもしれないのに」
「さあ?もしかしたら連絡が行っても放っておかれたのかもしれない。この国の地方行政は適当だからな」
失踪事件の事は国内では大きな事件として取り扱われた。ブライアンの顔写真は新聞に載り、一躍有名人になったはずだった。
それなのに、運び込まれた病院の人間が誰一人として身元の見当もつかないなんて事があるんだろうか?騒ぎになったのは王都だけなのか?
「王都に帰ろう。親父も母さんも兄貴の帰りを待ってる」
「それは出来ない」
ジャックはブライアンの言葉が信じられなかった。
この2年間失踪し、周囲を心配させたというのに、何故帰還を拒むのだろうか?
「ウチが窮地に立たされている事は知っているのか?」
「もしかして鉱山事故の事か?」
「そうだ……。今でも裁判は続いている。次は最高裁だ……。採掘業は元々は兄貴が管理していたんじゃないか。戻って親父を手伝ってくれ!」
「その必要はない」
「兄貴……」
「世間では、バーデッド子爵家の管理上の問題で炭鉱での炭塵爆発が起こったと言われていると聞いたが、あれは炭塵爆発なんかじゃない」
「ずいぶんハッキリと言い切れるんだな?」
「あの一帯は元々は国の求めに応じて科学実験の為に貸す予定だった。事故が起こった日から考えても、実験時のトラブルだろう。充分な人払いが出来ていなかったのは、馬鹿としか言いようがないが、ウチは巻き込まれただけだ。そのうち科学省が揉み消すさ」
実験という言葉で、数日前に母から受け取ったブライアンの資料の中にあった1枚のレジュメを思い出した。
「ゼロポイントエネルギーの実験か?」
「何で知ってるんだ?また俺の部屋にコッソリ入ったのか?」
ジャックはこの言葉にギクリとした。
まだ10代前半の時、兄の部屋にこっそり忍び込んだジャックは部屋の中でポルノ書籍を見つけた事を思い出したからだ。ポルノ書籍は検閲の対象物だし、チラ見した挿絵もなかなかのもので、当時は幼かった事もあり、刺激が強かった。しかも部屋の主が帰ってきて鉢合わせしてしまったので、余計に……だ。
「入ってねぇ!母さんが兄貴の部屋から持ってきたんだ!」
「つまらないな。またジャックが忍びこんでもいいように新作を仕込んでおいたのに」
母はブライアンの部屋に入った時、ポルノ書籍を見つけたのかもしれない。数日前にジャックの部屋に訪れた母の眼差しが異様に厳しかった事を思い出し、ジャックは寒々しくなった。
ブライアンは百面相をするジャックにプっと吹き出した。
「冗談はさておき」
「冗談!?」
ブライアンを一発殴ってやろうと拳を握りしめるが、ニヤついた顔を引き締めたのを見て、許すことにした。
たぶん真面目に語る気になったのだろう。