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13-2

 手の平の唇の感触と、彼女の髪から香るシナモンの様な甘い匂いに意識が集中してしまいそうで、ジャックは焦って手を放した。


「ジャックさんのお母様、ごゆっくりって言ってましたけど、サロンに戻らない方がいいって事でしょうか?」


「それは違うと思う……」


 冷静な風を装って、ジャックはデスクチェアに投げておいたYシャツやジャケットを羽織った。


「そうなんですか? 私は2人の方が話しやすいから、ここの方がいいかなって思ったんですけど」


2人で気まずくないのかと、シエルの方をチラリと見るが、彼女はもうこの状況に慣れてしまった様で、棚に飾っているチェスボードの観察を始めていた。

 ジャックは自分だけ気まずかったのかと面白くない気分になる。

 

 こちらの世界では、ジャックがいなかった日数は3日程度らしいが、ジャックは実質3週間程度こちらにいなかったわけで、シエルに会えなかった時間はかなりのものだ。ほんの少しの物足りなさを、埋めたくなるようなる感覚は衝動的な間違いを起こしてしまいそうで恐ろしい。

 それを振り払おうと、素っ気なく出来る程にガキでもないのがまた辛い。



「下に行って、朝食をこっちに持って来てもらうように頼んでくるから」


「髪を拭かなくてもいいんですか?」


「自然に乾きそうだからいいよ」


 せっかく冷水を浴びたのに、あまり意味をなしてない。

 冷静になろうとワザとゆっくり階段を下りると、ちょうど悪く、エントランスの花をチェックするアイリーンに出くわしてしまった。

 盛大に顔を歪めたジャックを、アイリーンは意地の悪い顔で笑った。


「シエルさん、あなたが居なくなっていた間に、ウチにわざわざ状況の説明に来てくれたのよ」


「そうだったんだ」


「いい子よね。あの子になら、あなたを婿にやってもいいと思うわ」


「婿!?」


「ブライアンがこのまま見つからなかったら、親戚筋から後継者を探すのもいいかもしれないわね」


 アイリ―ンの頭の中には訳の分からない将来設計が出来つつあるようだ。ジャックはついて行けないものを感じ、逃げる事にした。


「勝手に想像していればいい。それよりメイドの誰かに俺の部屋まで2人分の朝食を持ってくるように伝えてくれないか?」


 さっき執事にサロンに持ってくるように伝えてしまったので、少し申し訳なさがあるものの、この状態のアイリーンを交えて3人で食事をする気分でもない。


「いいわよ。伝えてあげるわ」


 一人で盛り上がっているアイリーンを見て、ジャックは逆に冷めてくる。


(そんな簡単な話でもないだろ……)


 王位継承権を持っているシエルは当然婿探しをするだろうが、相手になるのはもっと爵位的にも上の人間のはずだ。魔力の有無も問題になるだろう。

 

(なんか窮屈だな)


 過去の時代にいた時は忘れていた、身分だとか立場だとかに再び縛られる感覚に、ウンザリしてくる。

 

 新聞を貰ってから部屋に戻ると、シエルが室内をうろついていた。


「別に見ても面白い事なんか無いだろ」


「そうですか? 私あまり他人の私室に入る事が無いので面白いですよ。結構片付いてますね」


「ああ、部屋に物を貯めるのが嫌いなんだ。部屋が汚い奴も嫌いかな。カラスとかみたいに収集癖のある人間は軽蔑してる」

「……」


 すぐに返って来るかと思った返事が返って来ない。

 不思議に思い、シエルの顔を見ると、その表情は深刻そうなものに変わっていた。


「どうかしたか?」


「いえ、別に……」


 悪い事でも言っただろうかと、自分の言葉を思い返すが、普通の事しか伝えてないはずだ。


「まぁ、いいや。で、今日ウチに来たのって、さっき言ってた2人の方が話しやすい事に関係するのか?」


「そうです。別に聞かれても問題無いのかもしれませんけど、念の為」


「ゆっくり話せるから、2人の方がいいかもな。ソファに座って話そう」


「はい」


 再び並んでソファに腰かけると、執事がワゴンに朝食を乗せて部屋に入って来た。

 ローテーブルに音もたてずにセッティングする彼に、ジャックは振り回した事を詫びる。

 執事は、問題ないと伝え、しずしずと部屋を出て行った。ウチには勿体ないくらいの出来た執事である。


「どうぞ」


「おいしそうですね。いただきます」


 嬉々としてクロワッサンに手を伸ばす様子が小動物めいて可愛らしい。

 そのまま観察していたくなるのだが、あまりノンビリしていると、出勤時間に遅れてしまう事に気付き、ジャックもサラダにフォークを刺した。


 過去に飛ばされてた時は、新鮮な野菜はほとんど食べれなかったので、そのシャキシャキした触感を楽しむ。


(やっぱ食い物がうまいって大事だよな)

 

 美味しそうにクロワッサンを頬張っていたシエルだが、ハッと姿勢を正した。


「あ! 話! ええと……、聞きたい事とか話したい事が凄く沢山あるんですよね。まずジャックさんがいなくなっていた三日間の事を教えてください!」


 その慌てふためき様にジャックは小さく笑った。


「食い物に集中して、話す事忘れてただろ?」


「だって、何か久しぶりに食べ物が美味しく感じるんです」


 その感覚はちょっと共感出来る。

 バーデッド家のシェフは腕のいい人間だが、一緒に食べる相手によっても、味は変わるような気がする。


 シエルの空いたグラスにオレンジジュースを注ぎながら、ジャックは口を開いた。


「俺は過去の時代に飛ばされてたみたいなんだ」


「過去に? 私はてっきり、宇宙の果てに飛ばされてしまったのかと思ってました」


「それは流石に生きて戻って来れない気がするな」


「どうなんでしょうね。で、過去はどうでしたか?」


「今の時代より、だいぶ魔獣が多かった。それこそあの状況で良くあれだけの人間が生き延びてるなと、感心するくらいだった。ここまで魔獣が減ったのって、奇跡的だと思う」


「アースラメントの古い文献では、古代王が魔獣を異世界から呼びつけているんじゃないかとの考察が記されているみたいです。彼が生きた時代、魔獣の個体数が最大になり、死後の時間経過と共に固定数が減少していってると考えていいかもしれません」


「それは、ハロルド・アースラメントも言ってたな」


「え!? ハロルド・アースラメントって……。ジャックさん、アースラメント朝の黎明期にタイムスリップしてたって事です!?」


「そうだったみたいだ。古代王にも会えたよ」


「驚きです……」


「俺もまだ信じられないけど、昨日フェンリルと戦った時、向うで得た力を使えたんだ。だから俺が体験した事は全部本当なんだと思う」


「力? ジャックさんは何を体験してきたんです?」


「神獣を一体倒してきた。タローンという名前だったな。シエルが以前住んでたローズウォールのカントリーハウス付近に封印されてた奴だ」


「タローンはエクスカリバーを封印する為、一度解き放たれたらしいですね。ローズウォールや周辺地域を壊滅させた後、東に渡って、再封印されたと伝えられてます。それを倒したって事は、歴史が変わったのかな」


「どうだろうな?」


「まぁ、ジャックさんが飛ばされたのがパラレルワールドという可能性もあるので、何とも言えませんね」


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