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-絞首台の執行人- 第四章


 来は繁華街にいた。人が押し寄せて来る。人口密度が高過ぎるのだ。

 例えば植物が一所ひとところに密生していて、それを求めて草食動物達が群がって来るとする。当然ながら、その草食動物を捕食する為に、肉食動物達も群がってくる。

 草食動物も肉食動物も、食欲を満たす為に一所に集まるのだ。


 これを都会に当てはめてみる。植物は施設で、草食動物は人間、肉食動物は企業だ。

 しかし施設は、実は草食動物を捕らえる為に、肉食動物が仕掛けた罠なのだ。

 捕らえられた草食動物の方は、罠だという事にも気が付かず、さも自分でその場所に来る事を選択したかの様に錯覚している。そして企業が仕掛けた罠の中で、人々は快感し満足する。

 つまりは欲が、都会の人口密度を上げているのだ。

 尤も、無欲な人間ばかりになったら世界中の経済活動は止まってしまうのだが。

 これは来が、企業コンサルトをしていく中で学んだ事の一つだ。


――それにしても腑に落ちない。


 留衣が学校にいたと言う事は、上野麻季の首吊りは他殺の疑いがある、という事である。

 しかし携帯に連絡が来ないという事は、未だ殺人事件と断定されていないという事になる。留衣の様子から察するに、事件に繋がる手懸かりは無かった様だ。


 来は考えながら、人気の無い路地に入った。

 東京の臭いがする。乾いた様な、湿った様な、独特の空気の感覚だ。

 これは東京特有のものだろう。アメリカでも都会に住んでいたが、こんな臭いは感じた事が無い。

 何とも表現し難い、この異様な空気にもやっと慣れてきた。


 来は喧騒を離れて行く。

 次から次へと何本もの路地を曲がり、やがて広間に出た。


 視線の先には白い小綺麗なビルがある。シンプルだが三階建ての宮殿の様な外観で、随分と横に長い形をしている。

 白い壁と、透明だけれど空の青を反射している窓ガラス。

 来は徐に、その建物に足を踏み入れた。


 路地裏は、春の気配すら感じさせない殺風景な灰色だ。それとは対照的なこの白いビルに入る度、来は違和感を覚えずにはいられない。

 ここに来る様になってから一年と半年が経つが、その違和感は未だ消える事は無い。


 ビルに入ると、正面に階段が待ち構えている。

 階段を二十段程上がって右に折れると、やはり真っ白なドアに突き当たる。

 ドアには黒い文字で『CRI 犯罪研究事務所』と記されている。

 ここがCRIの事務所である。


 この事務所には看板が無い。大通りにも面しておらず、およそ目印になる物も見当たらない。

 最初にこの場所に連れて来られた時には、迷路なのかと思った程だ。


 ドアを開けると直ぐに、事務所として使われている大部屋が広がっている。その奥には応接間として使われている部屋があり、更に奥には二階へと通じる階段がある。

 直接二階の部屋には入る事が出来ない、何とも変な造りのビルなのである。


 一階は駐車場になっている。大きな車でも軽く四台は駐車出来る程の広さだ。

 路地だらけのこの場所に、果たして車が侵入出来るのかと疑問に思うが、来が歩いて来た反対側の通りは比較的広い道なので、車でこの場所に来る事も可能だ。


 二階には、寝泊りが出来る2DKの施設が整っている。

 仕事が忙しく家に帰る事が出来ない時は、ここに泊まるのだ。

 高級志向の留衣は、この二階のインテリアを全てアンティーク調に統一している。金や銀の賑やかな装飾が施され、まるで中世ヨーロッパの宮殿だ。


 しかし三階の事務所には、何の変哲も無い事務用の机と椅子が置いてあり、豪華絢爛とは程遠い。

 同じ建物内にある部屋だとは思えぬそのギャップにも、来は違和感を覚えている。

 この建物の全てにおいてのプロデューサーは留衣だから、留衣は余程のシュルレアリストなのでは無いかと来は思っている。


 事務所に入ると、サングラスを掛けて無精髭を蓄えた怪しげな男が座っていた。

 肩より少し長めの金髪を結びもせず、何処かの売れないミュージシャンの様な風貌だ。


「よう、来。今日は早ぇな」

 その怪しげな男は、来を見ると嬉しそうに話しかけた。

「うん。今日、昼迄だったんだ。学校」

 来はそう言うと男の横にある自分のデスクの椅子に座り、この髭の男を見た。


 暗武整くらたけせい――。

 それが彼の名前である。


 CRIの一員で、やはり来と同じ様にアメリカで留衣に出逢い、CRIに入ったらしい。

 『元FBIの心理分析官プロファイラー』という大層な肩書きを持っていて、ここでは主にプロファイリングの仕事をしている。

 『プロファイラー』というのは、簡単に言うと、科学に基づき現場の様々な状況から犯人像を導き出す、という所謂予想家で、近年の犯罪捜査では特に採用されている。

 一見こんな風貌でも、この男の頭の中には膨大な過去の犯罪者心理や行動パターンデータが整理されて入っているのだ。犯罪大国アメリカの負の遺産である。


「ああ。今留衣が抱えてる件、お前の学校なんだってな。首吊りだっけ?」

「そう。学校で留衣に会ったよ。友達いんのにスゲー面倒だった」

「ははは。留衣、お前の姉貴って事になってんだっけ? あれは姉じゃなくて『兄』なのにな。はははは」


 そう。留衣は男なのである――。

 世間で言う所のオカマだ。

 警視庁にいた頃は男だったのだが、CRI設立と共に女になったらしい。


「今日も学校一厳しい体育教師が、あの外見に騙されてたよ」

「あははは。そりゃいいや」

「笑い事じゃないよ。まったく」

 来は溜め息をつきながら、学校での疑問を思い出した。

「ねえ。留衣が学校に来たって事は、自殺じゃ無かったって事だろ? 上野麻季」

「上野?」

「ん、だから俺の学校の」

「ああ。首吊りの子か。正確にはな、自殺か他殺かまだ分からんの。警察の方では自殺で片付ける予定だったらしいんだが、うちの監察医大先生がな――」

 整が、奥の応接間を親指で指した。


 応接間の入り口には、背の高い白衣を着た男が立っていた。

 髪が少し乱れている。応接間にあるソファーで、寝ていたらしい。

「おぅ。やっと起きたな、大先生」

いたる、いたんだ。また徹夜?」

 格と呼ばれたその男は気だるそうに歩き、来の隣の席に座って項垂れた。

「医務院から帰ろうとしたら、お前の学校に呼び出されて寝てない」

「え? 格も来たの? 会わなかったね」

「お前らが体育館に集められてる時に、検死だったからな」


 『検死』というのは、異常死体が見付かった時、死因の特定をする為に医師が行う死体見分である。

 異常死体というのは、医師の診療や立ち会い無しに死亡した人の事で、この検死を行う医師を『監察医』と言う。

 白衣を着たこの男、綛谷かせたに格はその監察医であり、CRIの四人目のメンバーである。

 元々は、監察医務院で常勤として働いていたのだが、やはり留衣の誘いでCRIに入ったらしい。

 来はその経緯を詳しくは知らないのだが、格は優秀な監察医の為、医務院の方でも手放さず、結局今はCRIの仕事をしながらの医務院の非常勤で落ち着いている。その為かなりの多忙で、寝ている暇が無いという事もしばしばあるのだ。


「暇さえあれば、何処ででも寝るからな。格は」

 整がニヤニヤしながら、からかう様に言った。

「暇な時に寝て、何が悪い」

 格はだるそうに、首を左右に振っている。

「そんな風に節操無く寝てっと、襲われちまうぞ? なあ来」

 整はそう言うと、ゲラゲラと笑った。


 眉目秀麗――。


 格にぴったりの言葉があるとすれば、多分この言葉だと来は思う。

 黒くてさらさらの髪、整った顔、スッと伸びた長い手足。おまけに背も高い。誰もが振り向くと思われるこの外見の持ち主なのだから、整の言う事も一理あるだろう。

 実際、医務院が所属する学会は、法医学または監察医の志望者を増やす為、医大の特別講師に格を送り込んでいる。月に一度の講義だが、この容姿のお陰で法医学を専攻する学生も増えているのだという。


 しかし、格は俗に言う変わり者なのだ。

 生きた人間には全く興味が無い。笑った事さえ無い――少なくとも来は一度も見た事が無い――。

 そんな格が女性に興味を持つ事など当然ある訳も無く、二月のバレンタインデーには、チョコレートを差し出す学生達を片っ端から

「そんな事に現を抜かす暇があったら、もっと勉強しろ」

 と、一刀両断したのだと留衣に聞いた。

 その話を聞いた整は、女子大生のチョコを貰わないなんて勿体無い、と笑っていた。


 この整の容姿は、格とは正反対である。

 決して悪くは無いのだが、格が清潔感に富んでいるとしたら、整は野生的――とでも言ったら良いのだろうか。

 更に言うと性格も正反対だ。整は女好きである。よく笑うしフェミニストだ。

 この二人の共通点は『CRIに所属している事』と『タバコを吸っている事』以外に何も無い。


「寝ている相手を襲う様な卑劣な奴は、俺の周りじゃお前位なもんだ」

 格はまだだるい様で、今度は首を上下に振りながら言った。

「何だ格ちゃん。俺に襲われたくてここで寝てたの?」

 整はまたふざけて笑った。しかし格は真顔で返す。


「冗談はヒゲだけにしろ」


「ヒ――ヒゲは関係ねえだろうが!」

 来はたまらず吹き出した。

「わ、笑うかな? 来君! 笑うかな?」

「だって、ウケんだもん」

 来は、そう言って腹を抱えた。

「そりゃ笑うだろ。悔しかったらヒゲを剃れ」


 これが格の口癖である。

 整の顔を見ると一日に一回は必ず言う。その言葉を聞くと、整は必ずこう返す。


「剃るもんか!」


 全く、仲が良いのか悪いのか、子供なのか大人なのか分からない。

 でもこの二人の会話くちげんかは、来の楽しみの一つである。仕事が無くてもここに足を向けてしまうのは、この二人の会話が聞きたいからなのかもしれない。


「あら。随分と楽しそうね」


 ドアが開いた。

 留衣が学校から帰って来たのだ。


「あ、おかえり留衣。収穫は?」

 笑いが収まった来は、振り返って留衣を見た。

「うーん。無きにしも非ずってとこかしら」

 留衣はそう言うと、持っていた封筒の一つを格の前に差し出した。

「解剖の結果が出たから、チェックお願いね。格」

 格は何も言わずにそれを受け取ると、早速中身を見始めている。

「それから、こっちは今回の事件の資料」

 留衣は、もう一方の封筒を来と整の間に置いた。


「で、他殺なの? 自殺なの?」

 そういえば自分はまだ、この事件について何も知らない。

 来は留衣に問いながら、整と一緒に封筒を開いた。


「明白なのは、上野麻季が校門近くの木で縊死いしした事。手首も切っていたが、それは直接の死因では無い事。アルコールが体内から検出された事――なのよね。未成年の飲酒は法律で禁止されてるし、今は厳しく規制されているから、未成年がアルコールを入手出来る先は限られてる。今、そこを洗っているわ。」

 自分の席に座りながら、気重そうに留衣が言った。


「手首も切ってたの?」

 首を吊った事しか知らされていなかった来は、格の方に身を乗り出して解剖の鑑定書である死体検案書を覗き込んだ。


「そう。手首の動脈が、綺麗に二本切れてたわ。一応逡巡創しゅんじゅんそうもあったから、自殺の所見ではあるけれど――ご丁寧に手首を水に入れて死んでたのよね。そこを格が指摘したのよ。不自然だってね」

 留衣は、手首を切る仕草をして見せた。

 『逡巡創』というのは、俗に言う『ためらい傷』だ。自殺する際に付ける、致命的では無い傷の事を言う。


「水に入れたって? どうやって?」

 来は訝かしんで眉をひそめた。屋外の水気の無い所で、水の中に手を入れて死んでいるというのは一体どういう事だろう。


「低めの幹に、膝を付いた状態で首を吊ったの。手はバケツの中よ」

「バケツ?」

「そう。わざわざ下に水を張ったバケツを置いて、その中に手を入れたって訳。手首切っても傷口が直ぐ塞がっちゃうから、自殺者はよくお風呂で自殺するでしょ? 傷口を水に浸して血が固まるのを防がないと、確実に死ねないのよね。まあ、リストカットは致死率五%以下だから、本当に死にたいならこの方法は使わないでしょうけど」


「自殺なら、余程死にたかったんだろうな。二重自殺だ。何処かから情報を仕入れたな。素人が思い付きで、手首をバケツに浸したとは思えんし」

 整が鼻を撫でながら言った。

 彼が鼻を撫でるという行為をする時は、頭の中のデータを検索している時である。

 目はしっかりと、留衣から渡された資料を見つめている。頭の中で、これに似た事例を探しているのだろう。


「それはここから得た情報よ。彼女のロッカーに、これと同じ本が入っていたわ」

 留衣の手には、一冊の本が握られていた。

「あ。自殺マニュアルだ」

 自殺マニュアル本の中でも、特に有名な本だ。この本には自殺の方法や場所の説明が、事細かに解説されている。この本が出版された当時は、本に添った自殺が多発していたらしい。

「十年以上前に出された本なのに、まだこんなのを見ている子がいるのね」

 ぱらぱらとページを捲りながら、留衣は目を細めた。

「手首も、この本に書いてある通りの場所を切ってるのよね。水に傷口を浸すってのも、ここに指示されてるわ」


「酒を飲め、とも書いてあるだろう」

 今まで沈黙していた格が口を開いた。恐らく格もこの本を読んで内容を覚えているのだろう。

「ええ。切る前に、血の巡りを良くする為に飲めって書いてあるわ」


「それにしては、血中アルコール濃度が高過ぎる。2.56だぞ。そんなに飲んだら、血行が良くなるどころか血圧が低下する」

「そうなのよね。でもこの本には、アルコールの量についての記載は無いわ。勘違いして沢山飲んだ可能性もある」

「血中濃度2.56って言ったら、ウイスキーだと450mlは必要だぞ?」

 格は他殺を疑っているらしい。眉間にしわを寄せ、尚も検案書を睨みつけている。

「まあ、無いとは言えないだろう。死のうとして酒の力を借りるのは、よくある話だ。度が過ぎても不思議は無い」

 そう言うと整は鼻を擦るのを止め、自分の手首を見つめていた。今度は自殺者の立場で考えているのかもしれない。


 プロファイラーというのは、只単に過去の情報や事実の分析をするだけでは無い。犯人の割り出しには、直感や勘の類も重要になってくるのだ。自分自身を犯人と同調させ、被害者とも同調させる。頭の中で事件の再現を何度も行い、双方の気持ちに深く入り込む事でプロファイリングは完成するのだ、と整に聞いた事がある。

 今、整はその作業に入っているに違いない。


 留衣が顔を上げて時計の方に目をやった。

「四時か――。五時から捜査会議なのよね。時間が無いわ。まとめましょう」

 留衣はそう言うと、ホワイトボードを持って来た。


「まず、上野麻季は電気コードを首に巻いて縊死した。場所は彼女の通う学校の、正門近くの桜の木の下。手首も切って、バケツに浸していた。電気コードとバケツは、学校の備品だったわ。彼女のクラスの物。手首を切ったのはカッターナイフよ。現場に、彼女の血の付いたカッターが落ちていた。生活反応があるから、首を吊る前に切った事になるわ。でもこれは死因じゃない。死因は頸部圧迫による窒息死、つまり首吊りの方ね」


 留衣が、現場の写真を次々とボードに貼っていく。


「アルコールも摂取している。飲んだのはウイスキー。これも現場に飲みかけのボトルとグラスが落ちていた。血中アルコール濃度は2.56mg/ml。その他に目立った外傷は無いわ。首を吊る時に付いていた膝の擦過傷さっかしょう位ね。死後硬直、死斑しはん、角膜混濁度かくまくこんだくど、直腸温度から死後十時間から十一時間以内。発見時が午前六時だったから、前日の午後九時から十時に死んだという事になるわね」


「前日の彼女の足取りは?」

 来が口を挟んだ。


「前日、彼女は一旦自宅に戻っている。親に見付からない様に、自分の部屋の窓から外出しているわ。親には体調が悪いから、早く寝ると言っていたそうよ。午後七時にはベッドに入っていた。だから両親は朝まで気が付かなかった様なの。自殺を思わせる物は、彼女の学校のロッカーに入っていた自殺マニュアル本のみで、自宅にも学校にも遺書は無かった。トラブルを起こしていたという話は出ていないわ。携帯やパソコンの記録も、不自然な点は残っていなかった。友人との交流も、差し障り無くしていた様だったし。クラスメイトや両親、教師からは、自殺の理由として『成績が落ちていた事』が挙げられていたわね」


「それは俺も確認してる。この間のテストでは、彼女は十番内に入って無かったよ」

「何だ来、知ってる子なのか?」

 手首を見つめていた整は、ふと顔を上げた。

「いや、知ってるっつーか、話はした事無いよ。見た事あるだけ。成績良かったから、名前とか貼り出されてたし」

「どんな子だった?」

「目立つ様な子では無かったよ。地味な子だった」

「制服はどうだった?」

「制服?」

「そうだ。ちゃんと着てたか?」

「え? うん。着崩しては無かったと思うよ」

「そうか――」

 整は、また下を向いて手首を見始めた。


「そうね。自殺だとしても通るこの状況だけど――」

「不自然な点が多すぎる」

 留衣の言葉を遮る様に、格が立ち上がった。

「まず、血中アルコール濃度の問題。それから手首を切る必要性と、バケツまで用意した周到さがあるのに、自殺前に便所に行ってない点。そのマニュアル本にも書いてあるだろう。『失禁したく無ければ、便所に行っておけ』と。でも彼女はそれを実行していない」

「誤って酒を飲みすぎて、動けなくなった可能性も否めないわ。2.56っていったら歩行が困難な状況よ。判断力の低下だってあるわ」

「いや、そんなに目立つ場所で、身出しなみに気を使っている様な若い女の子が、果たして失禁をよしとするかな?」

 整が、手首を見つめたまま言った。

「2.56は中度から強度酩酊めいてい、つまり人によっては意識混濁の症状もあるだろう。もし彼女が酒に酔わされて、潰れていたんだとしたら?」

 格が更にたたみかけた。


「自殺の場所もおかしいよ」

 来も付け加えた。

「成績が落ちて自殺したんだとしたら、そんな目立つ場所で自殺しないだろ。普通」

「うーん。私が戻る前に話しを聞く事が出来たクラスメイトは半分だったから、残りの半分の子を今、所轄の担当刑事が聴取してるわ。そこで別の理由が出て来るかもしれないし――」

 留衣は再び席に戻ると、肘を置いて頬杖を付いた。


「いじめ自殺の場合は、自分の苦しみを関係者に見せ付ける為に、学校で自殺する人間が多いが、他殺ならどうだ」

 格も椅子に座った。

 珍しく整に、意見を求めている。


「犯人がいるとしたら、目立つ場所に死体を置くのは、自分の力を見せ付けたい自己顕示欲の強い人間、または、その場所に死体を置く事で、自分が何らかの利益を得る事の出来る人間だな。今回の場合は、自殺に偽造しているから後者だ。前者の場合は、相手を支配した形跡を残す筈だからな。この犯行は予謀犯による物だ。自殺に見せる為、本を買っておくなど事前に計画をして犯行に及んだ。偶発的に犯した犯罪なら、こんな偽造は出来ない筈だ。自殺を思わせる物が自宅に無いという事は、学校に出入り出来る人間、学校関係者と見るのが妥当だな」


 整は手首から目を離し、ホワイトボードを見ながら早口で一気に口を動かした。

 ぶつぶつと、独り言を言っている様な感じに近い。自分の中で犯人との同調を始めながら、格の問いに無機質に答えたのだ。

 格も頷いている。


 そして、暫く沈黙が流れた――。


「いいわ――。犯人がいると仮定しましょう」

 留衣が沈黙を破った。


 犯人像の特定。

 ここからは整の領域だ。


「まず――何らかの要因があり、上野麻季を殺害する計画を立てる事にする」

 一点を見つめ考え込んでいた整が、ぽつりと口を動かし始める。

「要因はまだ不明なのでここでは置いておくが、恐らく、学校で殺害する事で何らかの利益を得る、または思惑があった事は確かだろう。校内は警備システムが働いているから、システムが及ばない校外の校門近くを選ぶ。次に『自殺に見せかけた殺人』を実行する事を思いつく。どんな自殺に見せかけるか。自分で本を買い、自殺の方法について調べる。そして、一番自然なのは首吊りだという結論に至った」


 整はコツン、コツン、と指で机を叩きながら、更に続けた。


「次に彼女を、どうしたら思い道理に動かせるか考える。他殺の証拠は残せないから、無理やり自殺させる事は出来ない。弱みを握って支配するか? いや、抵抗でもされたら元も子も無い」

――意識を失わせる他、方法は無い――。

 整が顔を上げて、ゆっくりと呟く。

「形跡が残らない方法で意識を失わせるなら、酒に酔わせれば良い。彼女に酒を飲ませるには、彼女に自分を信用させる。その間、犯人は彼女の信用を勝ち取る為に動く。そして彼女の信用を勝ち取ったとする――」


 指の音は心臓の鼓動の如く、一定のリズムを刻み続けている。

 不思議と、犯人の心音の様に錯覚してくる。


「しかし、酒を飲ませて首を吊らせる事が、果たして他殺を疑われる事にならないか、不安に駆られる。そこでマニュアル本で、アルコールに関する記述を参考にする。酒を飲んだ事を不自然だと思わせない為には、この本に書いてある事に添って自殺したのだと思わせるのが良い。この本を彼女が参考にしていた事を知らしめるには、彼女の持ち物の中にこの本を紛れさせる必要がある――。そこで自分の指紋を拭き取るか、新しく同じ本を買い、自分の指紋の付いていない本を用意した。アルコールの記述は、手首切りのページにあった。本に添う為、切る場所を覚え、手首を水に浸そうと思い立つ。勿論馬鹿では無いから、手首自殺の時にためらい傷を作るのは知っている。ためらい傷の形状を、何らかの資料で勉強する。いよいよ実行当日――」


 まるで犯人が決心する様に、整も一息ついた。


「生徒が帰るのを待って、誰も教室にいない事を確認する。電気コードとバケツを盗み、彼女のロッカーにマニュアル本を入れておく。バケツとコードを校門近くにカッターナイフと一緒に隠し、彼女を呼び出した。待ち合わせ場所で彼女と落ち合う。あらかじめ用意しておいたウイスキーを出し、一緒に飲もうと彼女を学校の近くに誘い出す。人目に付かない場所で彼女と酒を飲み、酔い潰す。――そして、彼女を抱きかかえて、桜の木の下に運ぶ」


 心臓は早鐘を打ち始めた。心拍数が一気に上昇する。


「用意していたコードを幹に結び、バケツに水を汲む。飲んだウイスキーのボトルとグラスを無造作に置き、後ろから彼女を抱きかかえる様にして、カッターで手首を切る――。そしてコードに彼女の首を掛け、手首をバケツの中に入れ、彼女から――手を放す」


 指の音がピタリ、と止まった。

 整が小さく息を吐く。


「辻褄は合う。マニュアル本の指紋の鑑定は?」

 整の同調行為が終わると、格が直ぐ様口を開いた。

「もう照合は終わってる筈よ。連絡取ってみるわ」

 整はまだ腕を組み、資料と検案書を見ながら考えている様だった。

 こうして何度もイメージして、犯人像を作り上げていくのだ。


 留衣が携帯に手を掛けた時、事務所の電話が鳴った。

 格が受話器を取る。

「誰から?」

 格の眉間にしわが増えたのを見て、留衣が携帯を下げた。

「ああ。分かった」

 格は電話を切ると、早口でこう言った。

「生徒数人が、上野麻季と山本充という教師が付き合っているという噂を、聞いた事があると言っているそうだ」


「は?」

 来はポカンと口を開けた。

 山本充というのは、来達のクラスでも生物を教えている『幽霊』教師だ。今日もその姿を見た。

 しかし、そんな噂は聞いた事も無い。


「それから指紋の照合だが、マニュアル本からは不特定多数の指紋が出たそうだ。上野麻季の指紋も見付かっているが――手首を切る項目のページからは、彼女の指紋は見付かっていないそうだ」

「他殺か」

 整が呟いた。

「これから、その山本充という教師に尋問だから、至急学校に来いと言っていたぞ」


 格の言葉を聞き終わらない内に、留衣は整の目の前から検案書と資料を奪い取ると、素早く外出の支度を整えた。

「来、情報は?」

 早口で、留衣が叫ぶ。

「山本充は目立たない生物教師。三十代前半。生徒達に、幽霊って呼ばれて無視されてる。騒いでいる生徒に注意もしないで、淡々と授業をしてチャイムが鳴ると足早に帰っていく。でも今日の山本充の様子はいつもと違ったよ。大きな声で生徒達を怒鳴った。そんな姿初めて見たよ」

 来も、釣られて一気に言った。

「あんたは、上野麻季と山本充の噂は知ってた?」

「いや、聞いた事も無い」

 来が首を大きく振りながら答えると、留衣は少し微笑んでこう言った。

「いいわ、十分な情報よ。整、一緒に行くわよ」

「はい? 俺、他の事件抱えてんですけど?」

 急に自分の名前が出たので、整は面食らってうろたえる。

「あんたしか嘘を見破られる奴いないでしょうが! 忘れた訳じゃないでしょ! 私達の座右の銘!」

 三人は、無表情で口を揃えて唱えた。


「――俺達の辞書に『完全犯罪』という言葉は無い」


「分かってるなら早くしなさいよ! クビにするわよ!」

 留衣はそう言うと、颯爽とドアから飛び出して行った。カツカツと高いヒールが階段を降りる音が聞こえる。

「マジかよ」

 整は渋々上着を手にした。

「いってらっしゃい」

 格が整に見送りの言葉を送った。

「まったく。ウチの女王様は人使いが荒すぎだよ。じゃあな。来」

 整の呼びかけで、来は我に返った。

「あ、うん。いってらっしゃい」


 金髪の後姿がドアから出て行くのを見ながら、来は考えていた。

 上野麻季と山本充が交際しているとは、夢にも思わなかった。あまりの衝撃に言葉も出ない。


――山本充が犯人なのだろうか。


 来は今日の山本充の姿を何度も頭の中で再生していた。



【キャラクター紹介画像1】

挿絵(By みてみん)


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