第十五話 初めての国には基本に戻って。
悩み続け、凝り固まった頭を優しく解いてくれたのも、優しい母リーダだった。
人との絆で救われたと教えてくれたリーダ。
彼女に背中を押され、あれこれ考えないで現地に行ってみることにした。
飛龍による空路を始めたことで、余計な心配をさせてしまったことを謝ろう。
なぜルードが空路を始めたのか。
どんなことを考えているのか。
ルードは商人ではないが、人と人を繋ごうとする気持ちだけは同じだと思っている。
だから話してみよう。
話せばきっとわかってくれる。
昨日、そうリーダと決めたのだ。
リーダがルードの背中から抱きしめていて、お腹のあたりで両手をぎゅっとロックしたような感じになっており、抜け出すことが難しい状態。
ルードは後ろを振り返り、リーダの頬をぺちぺちと叩きながら起そうとする。
「母さん、起きて。ほら、準備しないと」
「……駄目。眠いのよ」
「じゃ、僕、ひとりで行ってくるけど」
「──っ! 駄目よっ。わたしがついてないと、ルードはすぐに泣いちゃうからっ」
珍しく飛び起きるように身体を起したリーダ。
その目はまだぽやーっとした感じなのだ。
きっと昨夜は、ルードのことが心配で眠れなかったのかもしれない。
ただ、母子の間でちょっとした悲劇があった。
リーダが飛び起きた勢いで、ルードがベッドの下に肩から落ちたような恰好で逆さまになっている。
おそらくは、柔道の裏投げのような、投げっぱなしのジャーマンスープレックスのような形で、リーダに投げられてしまったのかもしれない。
「……あら? ルードがいないわ。ん、匂いはするんだけれど……。あっ!」
ベッドの上を這いまわり、下を見たとき何やら気持ちよさそうに気絶をしているルードがそこにいた。
「まだ寒いのに、こんなところで寝ちゃって……」
ベッドから降りると、ひょいとルードを抱き上げる。
リーダはベッドに座り直すと、膝の上にルードの頭を乗せて、肌掛けをかけてあげた。
「ほんと、いつまでも子供なんだから……」
寝ているときにベッドから転がり落ちてしまったものと勘違いしてるのだろう。
そう言いながらも、リーダはとても幸せそうな表情をしていた。
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「──ひどいよ、母さん」
ぷりぷりとへそを曲げてしまったルード。
可愛いなと思いながらも平謝りしているリーダ。
「ごめんなさいね。なんかね、ルードがひとりで行ってしまいそうな気がして」
「だって、母さん起きてくれないんだもの。朝弱いのは知ってるけど、起さないと機嫌悪くするじゃない。だから起そうと思ったんだけど。言い方は悪かったと思ってるよ。だからって、投げ飛ばさなくてもいいじゃないの」
「ホント、ごめんなさい。ね、許して。ルード」
「もういいよ。怒ってないから」
「ホント?」
ルードを膝枕させながら、リーダは上から首をかしげて聞いてくる。
ルードから見ても美しいリーダが、なんだか可愛らしく見えてくるから、もう怒る気にもなれなくなっていた。
「う、うん」
「よかった。わたし、ルードに嫌われたら、もう、生きていけないわ……」
「大丈夫だって、母さんのこと愛してるから」
「そう? わたしもルードのこと愛してるわ」
こんな言葉のやり取りも、最近では少なかったのだろう。
リーダはとても満足そうな表情で、膝の上にいるルードのおでこにキスをするのだった。
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「お姉ちゃん、あとお願いね」
「はいですにゃ。どれくらいで戻りますかにゃ?」
「そんなにはかからないと思うよ。けだまもいい子にしててね」
「うんー。おにいちゃんいってらっしゃい」
「うん。行ってきます」
キャメリアがルードとリーダに綺麗にお辞儀をすると、一瞬でドラグリーナの姿になった。
先にルードがキャメリアの背に乗り、リーダを引き上げる。
リーダが後ろを向いて。
「ルードはこっちでしょ」
と、軽々と持ち上げ、自分の前にルードを座らせた。
『くすくす』と笑うキャメリア。
ルードはちょっとだけ悔しそうにしているが、背中に感じるリーダの温かさが心地よいのか、悪くなりかけていた機嫌が戻っていく感じがした。
もちろんルードにだって、リーダが少しでも明るく振舞おうとしているのはわかったのだ。
家族に見送られてキャメリアも『いってまいります』と一言。
家族の皆も、ルードが何かに悩んでいるのか、イリスから聞いて知っている。
だからこそ、いつも通り送りだすことに決めたのだろう。
仕事に行っている者は見送ることなく。
今屋敷にいたクロケットとけだまだけの見送りだった。
上空に飛び上がったキャメリア。
ルードは彼女に行き先を告げる。
「キャメリア、シーウェルズにお願いね」
「はい。かしこまりました」
風を切って大空を飛ぶ。
リーダは先日、シーウェルズに来たときにこの感覚を始めて味わった。
「キャメリアちゃん。本当に素晴らしいわ」
「はい。ありがとう、ございます?」
「ルード、絶対に空の旅を止めちゃ駄目よ。こんなに爽快で素晴らしい景色。これは人の心を豊かにするわ」
山頂からの景色ですら霞んでしまうこの絶景。
リーダの足ですら敵わないこの速度。
『速さ』の代名詞はこれまでフェンリル、フェンリラだった。
そのリーダですら、ウォルガードとシーウェルズの間は走って二晩かかる。
それがあっという間に着いてしまうではないか。
リーダはそれだけでも、内心感動しまくっていたのだった。
キャメリアたちフレアドラグリーナは別格。
本来ならば幾月も幾年もかけて移動する、まだ見果てぬ場所を訪れることもできるのだから。
ただ、いつまでも感動に浸っている余裕はない。
リーダはルードのサポートを完璧にこなすという自分に課した使命があるからだ。
シーウェルズに着くと、ルードはエリス商会に顔を出そうとした。
だが、商会の扉は閉ざされている。
三人はアルフェルの屋敷に回ると、ローズとアミライルの姿もそこにあった。
「アルフェルお父さん。お店、どうしたんですか?」
「あぁ、ルード。おはよう」
「おはようじゃないですよっ。閉まってるじゃないですか? また何かあったんですか?」
「おいおい。そんなに心配するなって。店な。二、三日休むことにしたんだ。周りの人に迷惑かかっちゃまずいだろう? 嫌がらせっていうのはな、人が見てるところでしかやらないもんだ。その間に、物資を届けることに集中すればいいだけだって」
「そんな……」
「なに、わざわざ来てみて、店が閉まってたら。そいつらも来るだけ損するってもんだ。そのうち諦めるだろうよ。その間、俺たちはあちこちで待ってる人のために働けばいいんだ。そうだろう? あはははは」
そう言いながら、笑顔でルードのあたまをがしがし撫でるアルフェルは強いと思った。
悩みまくっていたルードと違って、人々の生活のことを最優先で考えている。
背中を押されて再起動したルードとは格が違ったのだ。
アルフェルのおかげで、余計に立ち止まっている暇はないと。
人々の幸せを考えるなら、突き進むべきだと、改めて教えられたように感じた。
「アルフェルお父さん」
「ん? どうした?」
「僕、レーズシモンに行って、ジョエルさんという人に会ってみようと思うんです」
「そうか。本当にお前は真っすぐなんだな。ここに俺に会いに来たということは、何かを聞きに来たんだろう?」
「はい。レーズシモンのことを教えて欲しいんです」
ルードはアルフェルから、彼が知りうる限りのレーズシモンの情報を教えてもらう。
レーズシモンは土地柄、塩が不足している。
エランズリルドと同じように、魚は川のものだけ。
魚介類の交易はされていないだろうと。
ルードはこの間の騒動のお詫びも兼ねて、エリス商会のある道に立つと。
「皆さん、お久しぶりです。ルードです」
ただでさえ周りの商店や商会の人たちはエリス商会を心配し、ルードの姿が見えても声をかけないように気を使ってくれていたのだろう。
ルードが声を上げたことで、エリス商会に起こっている不安が軽くなったのかもしれない。
『ルード君』『ルードちゃん』と、顔見知りの人たちがルードの周りに集まってくる。
「あの、皆さんにお願いがあります。皆さんのお店でなるべく多く、営業に差し支えない程度で構いません。塩、魚介類、それと皆さんが作った温泉まんじゅうを僕に売ってくれませんか?」
ルードが申し出たのは、仕入れではなく購入。
あくまでも、レーズシモンに持っていくのは物資ではなくお土産なのだというルードの考えだ。
ルードの呼びかけで皆が商品を持ち寄ってくれる。
「この女性は僕のお手伝いさんです。彼女から代金を受け取ってくださいね。キャメリア、引き換えに商品を受け取ってくれる?」
「はい。こちら代金です。ありがとうございます」
受け取ると同時に荷物を『隠して』しまう。
今までルードが沢山の『不思議』と『美味しい』を広めてきたから、人々はあまり驚いてはいないようだ。
それと同時に、ルードはかなりの『高位の魔法使い』として認識されているのだ。
そのルードが連れているお手伝いさんなら、それくらいしてもおかしくはない。
そう人々も思っているのだろう。
あっという間にかなりの数の『お土産』が集まってしまった。
ルードはぺこりと頭を下げ。
「ありがとうございます。いずれエリス商会も営業を再開すると思います。そのときはまたよろしくお願いしますね」
やはりルードはシーウェールズでは人気者なのだ。
拍手や歓声が上がっている。
皆に手を振りながらルードはリーダが待つアルフェルの屋敷に戻っていく。
キャメリアは人々に深々とお辞儀をしてからルードの後をついてくる。
屋敷についたルードは、楽しそうにローズと談笑しているリーダに声をかける。
「母さん。『お土産』買ったよ。じゃ、行こうか」
「そうね。ローズさん。心配しなくてもいいわ。ルードが失敗しそうになっても、わたしがついています。きっといい結果になると思いますよ」
ローズからしたら、ルードは娘のエリスの息子。
心配していないわけがないのだから。
それでもリーダの笑顔でその不安は吹き飛んでしまう。
ルードを支えると本気になったリーダの表情には、一切の迷いなどなかったのだから。
アルフェル、ローズ、アミライルに見送られてキャメリアは空高く上昇していく。
出る前にアミライルもキャメリアの手を握り、何かをお願いしていたのをルードは知っていた。
同僚でもあり、侍女長として頑張っているキャメリアは。
「ルード様は、私たちの旦那様ですよ? 何を不安になっているのです。リーダ様も一緒なのです。きっと大丈夫ですから」
そうアミライルにかけていた声はルードの耳にも入っていた。
ルードは改めて身を引き締める。
そんなルードをリーダは後ろから優しく抱きしめる。
「好きなことを好きなだけやりなさい。あなたのお尻はわたしが拭いてあげるんですですからね」
「うん。母さん。キャメリア、行こう」
「はい。ルード様」
シーウェールズを飛び立ち、まずはエランズリルドを目指す。
景色が変わっていくと同時に、雪が深くなっていくのがわかる。
エランズリルドを通り過ぎたあたりで、リーダがキャメリアに声をかける。
「キャメリアさん。降ろしてくれるかしら?」
「あの、まだ目的地前ですが?」
「いいの。あなたの姿を見られてしまうと、余計な刺激をすることになってしまうのよ」
「なるほどです。かしこまりました」
キャメリアは街道に降りた。
ルードが最初に降りて、リーダの手を取り降りる手伝いをする。
「ありがとう、ルード。優しい子ね」
ルードの頬にキスをすると、リーダはルードをぎゅっと抱きしめる。
ルードを解き放つと、リーダはウィンクをして。
『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』
緑色の美しく長い毛を携えた、フェンリラの姿へを変わったのだ。
「ルード、乗りなさい」
ルードはさっきの『刺激をしたくない』というリーダの言葉の意味を理解していた。
「久しぶりだね、母さん」
「そうね。ほら、キャメリアさんも」
リーダがキャメリアを振り向き、フェンリラの姿。
その奥にある優しい眼差しで彼女を促すのだが。
「あの。私のようなものが、よろしいのでしょうか?」
「キャメリアさん。あなたはルードの侍女であり、家臣でもあるのですよね?」
「はい。生涯お仕えする心構えでございます」
「それならば、ルードの執事であるイリスと同じ。あなたもルードの家族。わたしの家族でもあるのですよ」
「で、ですが」
「キャメリアさん」
「はい」
「あなたは真面目で、曲がったことが嫌いで。いつもルードが何をするのか考えて行動してくれます。助かっているのですよ。それにね、あなたはクロケットちゃんと同い年。家族のあなたは、わたしの娘みたいなものなのです。娘が遠慮してどうするのですか?」
ルードがキャメリアに手を伸ばす。
「ほら。キャメリア『お姉さん』」
キャメリアは目をぎゅっと瞑って、再び目を開ける。
その真紅の瞳は嬉しそうに輝いていた。
「はい、ルード様。リーダ様。お言葉に甘えさせていただきます」
「本当に、キャメリアさんは固いんですから……」
「あははは」
ルードとキャメリアを乗せたリーダは雪の残る街道をひた走る。
この街道はレーズシモンに続いている。
これからはある意味ルードの戦い。
リーダは背中を支えるだけ。
キャメリアはいつも通り、ルードに付き従う。
余計なことをすることはないが、常にルードの指示を待てる場所にいるつもりだ。
こんなに心強い二人に一緒に来てもらった。
ルードが頑張らない理由はないのだった。




