第十三話 こんなとき、背中を押すなら。
一晩中情報収集していたイリスは、汗だくだったため報告の前に風呂に入ってきた。
寝ていないはずのイリスなのだが、ルードに抱き着いて満喫したのか、いつもよりもつやつやした表情になっている。
一緒に食事を終え、一息ついた後に報告を始めることになった。
ルードとリーダが並び、アルフェルとローズも同席している。
「ルード様」
「うん」
「堪能させていただきました……」
「イリス、報告をなさい」
「はい、失礼いたしました。わたくしが調べた範囲ですが──」
アルフェルの商人としてのスタンスは間違っていなかったそうだ。
流通している価格に沿って、高くも安くもない価格設定をしていた。
シェアを横取りするわけではなく、あくまでも足りないものを優先して輸送したということだ。
正しい期日を守り、正しい価格設定を行っている商人たちは仕事にあぶれているわけではない。
アルフェルが昨日一喝した商人のように、良からぬ行いをしていた者たちが中心になって騒いでいたことがわかった。
「いやしかし、凄いね。イリスさんの情報収集は。一晩でここまでとは」
「いえ。ルード様の執事ですので」
イリスはルードと初めて会ったときは違っていたが、今では褒められると少々照れてしまうのだ。
「こほん。では続けさせていただきます──」
多少なりとも損をしたアルフェルを知る商人たちは、商材を変えざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
ルードが発展させたシーウェルズでの温泉まんじゅうや菓子。
エランズリルドでの菓子パンなどで両国では砂糖の消費量が上がっている。
エランズリルドの隣国でもあるレーズシモンでは、安定した安価での砂糖の仕入れが可能だった。
そこであぶれた商人たちが目をつけたのが、砂糖だったのだ。
ただ、砂糖は仕入れ値は安いが、儲けが出やすいものではない。
砂糖による加工品は嗜好品として重宝されるが、砂糖そのものは大量に摂取するわけではない。
結果、乗り換えた商人たちの不満は消えることがなかったのだという。
「──そのせいもあり、困ったことが起きていました」
「うん……」
「レーズシモンで砂糖の販売を取り仕切っている商会がございます。レナード商会と言います。アルフェル様はご存知ですね?」
「あぁ、勿論知っている。それにこの間、ローズとアミライルの三人で見に行ったからな」
イリスはアルフェルの顔を見て、少し困ったような顔をした。
「その時かもしれません。アルフェル様は商人としては有名なのです。その有名な商人が飛龍を連れていたのを、一部の商人に見られてしまったのでしょう」
「レーズシモンに入るかなり手前で、飛龍の存在を知らない人たちを刺激しないよう、歩いて入ったんだがなぁ。だが、アミライルを連れていることに関して言えば、俺は悪いことをしているわけではないからな」
「そうですね。アルフェル様は間違ってはいません。ですが、一部の商人から『羨望』や『妬み』、『恐れ』を抱かれてしまったのではないでしょうか?」
「なるほど。俺の考えが足りなかったのだろう。まだまだ甘い……」
アルフェルは腕組みをして考えてしまっているようだ。
その後もイリスの報告は続く。
砂糖の行商に最近乗り換えた商人があることないことレナード商会に訴えたのだろう。
それにより、商会長のジョエル・レナードは空路の存在を初めて知ったらしい。
イリスが調べた限りでは、商会長は商人たちの恨みつらみには耳を貸さなかったと判断している。
レーズシモンでは、砂糖の独占販売をするつもりは毛頭ないらしい。
だが、砂糖以外の交易が難しくなったと考えた商人が、我先にと砂糖を買い始めたことにより、価格の急な変動を恐れたのかもしれない。
そのため、極端な流出を抑えるためにわざと値上げ始めたのだそうだ。
それはきっと、砂糖の過剰な流出を抑えるためのものだったのだろう。
「レナード商会では、空路の情報を得るために動いているようです。簡単ですが、これまでがわたくしの調査の報告となります」
イリスの報告が終わると、ルードは俯いたまま言葉が出なくなってしまっている。
アルフェルはルードの肩に腕を回す。
「俺が浮かれてしまってすまなかったな。アミライルがいることで、可能性だけを考えてしまっていた。ただな、ルード」
「……はい」
「俺は別に商人たちを食わせるために仕事をしているわけじゃない。エリスが生まれる前から、同じことを。人々の為になることだけを考えて生きてきた。それが商人ってものだからな。お前が気に病むことじゃない」
「……僕、そんなことが起きるなんて知らなかった。アルフェルお父さんみたいな人ばかりじゃないんですね……」
「そうだな。『商人でもやるか』みたいな『でも商人』と呼ばれる輩も少なくはない。ルード、お前はひとつ勉強できたじゃないか。あいつらよりも大切なことをお前は知ってる。なぁに、あいつらも生活がかかってるんだ。文句を言う暇があったら、ひとつでも商品を売らないと金にならないことだって知ってるだろう」
「……僕の責任でもあるんです。いえ、僕がそもそもの原因を作っちゃったんです。ごめんなさい。帰って考えてみます……」
「駄目だ、考え過ぎるな。お前は悪くない」
ルードはアルフェルに力なく笑みを浮かべると、ふらりと立ち上がった。
そんなルードをキャメリアが音もなく近寄って支える。
それはイリスも追いつかないほどの速さだった。
キャメリアに支えられながらルードは屋敷を出ようとする。
本当は自分が支えたかったのだろうが、キャメリアが自分と同じように、ルードのことを最優先に考えてくれていることに安心していた。
それでもイリスは少々悔しそうな表情を正し、リーダの方を見て判断を仰ごうとしていた。
「リーダさん。ルードちゃんを」
「大丈夫ですよ、ローズさん。わたしはあの子の母ですからね」
心配そうにしているローズを見て、笑顔でそう答える。
「そうね。お願いね。うちのアルフェルが不甲斐なくてごめんなさい」
「すまない。リーダさん」
アルフェルの頭を押さえて、ローズが一緒にリーダに頭を下げる。
「大丈夫です。ルードはこれくらいのことは乗り越えてくれますよ。イリス、戻るわよ」
「はい。フェルリーダ様」
ふらふらとしたルードを抱き上げ、キャメリアの背に乗るリーダ。
イリスもリーダの後ろに乗った。
「キャメリアさん、お願いね」
「はい。フェルリーダ様」
キャメリアからは考えられないほどゆっくりと上昇していく。
揺らさないように、細心の注意を払いながら。
心配そうに空を見上げるアルフェルとローズ。
何もできなかったアミライルは首を垂れていたが、アルフェルが髪を優しく撫でる。
「あなた……」
「大丈夫だ。お前もアミライルも気にするな。ルードにはリーダさんがついてる」
三人でルードたちを見送る。
明日にはマイルスたちも帰ってくる予定だ。
密に打ち合わせをして予定を立てなければならないだろう。
アルフェルも立ち止まるわけにはいかないのだから。
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ルードは自室のベッドにうつ伏せになって考えていた。
商人の明るい部分しか知らないままその間を取り持つことを考えてしまった。
エリスとアルフェル。
シーウェルズとエランズリルドの町の人たち。
ウォルガードの商業地区の人たち。
メルドラードの人たち。
ルードが新しい菓子や物を考える度に喜んでくれていた。
美味しいを届けると喜んでくれていた。
だからこそ、時間を短縮することで人々の生活に潤いが出るだろうと考えた『ウォルメルド空路カンバニー』。
ただそれは、一部の商人への圧力と取られてしまっていることに気づいてしまった。
エリス商会とアルフェルへ余計な苦労をかけてしまった。
アルフェルは『こんなものは汚名でもなんでもない』とは言ってくれたのだが、引き金を引いたのはルードの考えなさだったのだろう。
おまけに砂糖の市場への悪影響まで与えてしまっている。
近日中に砂糖が枯渇したり値上がりしたりはしないだろうが、いずれ影響は出てしまうのかもしれない。
かといって、ルードがその値上がりをした砂糖を買い取って、元の価格で商人たちに分けるわけにはいかないだろう。
そんなことをしたら、エリスとアルフェルに間違いなく怒られてしまう。
本末転倒だからだ。
確かにアルフェルの言う通り、悪い考えを持って行商を行っている商人を助ける必要はないだろう。
だが、そうでない商人へまで悪影響を与えてしまうことが考えられる以上、見ないことにするわけにはいかないのだ。
ただ、ルードは商人じゃない。
商会を立ち上げたといっても、商人じゃないのだ。
人と人とを繋ぐための手段を考えただけ。
本来はメルドラードやフォルクスなどの遠隔地への交流を目的とした、空路の確保のために考え出しただけなのだから。
タバサの工房での商品開発は順調である。
最近はイエッタの思い出のものをあれこれ作り始めたおかげで、調味料や菓子などのラインナップもかなり増えてきていた。
まだ大量生産はできてはいないが、将来的にはウォルガードからの新商品の流行発信が可能のはずだったのだ。
それはとても喜ばしいことで、ルードも楽しみだったのだが、今回この事件でルードは思い悩んでしまった。
けだまですらルードの気持ちに気づいて近寄ろうとしなかったりするのだ。
ルードの部屋の入り口からそっと覗いては、クロケットの胸に逃げ込む。
『おにいちゃん、だいじょうぶかな?』と心配してくれているのだ。
ルードの屋敷にあるリビングでは、エリスがお茶を飲みながらリーダと話をしている。
リーダは心配そうにルードの様子を見にいこうとするのだが、途中で諦めて帰って来たり。
立ち上がろうとしたのだが、やっぱりやめてしまったり。
そわそわしていたのだった。
「リーダ姉さん」
「な、なにかしら? エリス」
「私だってルードのことは心配よ。私は今回、こんなことが起きるなんて思ってもみなかったんです。ウォルガードでのお客さんとのやりとりが楽しすぎて。本当に、ママ失格だと思ってます」
「そんなことないわ。エリスはルードが作ったものを広めようと努力してるじゃないの。わたしにはできないことよ」
「そうですけど、私では今のルードを助けてあげられない。私はルードに助けられてばかりで、今こうして一緒にいられるのも、リーダ姉さんがルードを助けて育ててくれたからじゃないですか」
「そんなことないわ。わたし、あの子を産んでくれたエリスには感謝してるの。ルードと出会えたのはエリスがいたからなのよ」
「ならばリーダ姉さん」
「はいっ!」
リーダの手をぎゅっと握り、真っ直ぐに自分の目を見てくるエリスの目には、ある種の迫力があったかもしれない。
珍しい声を上げてリーダはエリスの手を握り返した。
「ルードを国王にしてあげるんでしょ? なら、リーダ姉さんが全責任を負ってくれるんでしょ?」
「う、うん」
「それなら、ルードの背中を押してあげて。リーダ姉さんじゃないとできないわ」
「そんなこと……」
クロケットがけだまを左手で抱いたまま、リーダの前に膝を折って座る。
右手をリーダとエリスの手に乗せて。
「ですにゃ」
「クロケットちゃん。あなたの方が……」
クロケットは顔を横に振る。
目を細めてリーダにちょっと辛そうに微笑んだ。
「私じゃ無理ですにゃ。けだまちゃんと一緒に逃げてきちゃいましたにゃ。私もルードちゃんに助けられてばかりで、何も返せていませんが。私じゃ今のルードちゃんを助けてあげられませんにゃ……。だから、ここは『お母さんの出番』じゃにゃいですかにゃ?」
けだまも身を乗り出して、クロケットの手の上に自分の手を乗せる。
きっとクロケットの真似をしたのかもしれない。
「おにーちゃん、元気ないの」
そう言ってリーダを見上げてくるではないか。
「リーダ姉さん。あなたしかできないわ。いえ、あなたがやらないと誰がやると言うの?」
リーダはエリス、クロケット、けだまの顔を見まわす。
皆、リーダに期待しているのだろう。
最近リーダは自分が今、何をしたらいいのか悩んでいた。
ルードが大きくなり、自分で考えて行動するようになった。
ひとりで悩み、ひとりで考えて、ひとりで『ウォルメルド空路カンパニー』を立ち上げるまでやり遂げてしまった。
きっとそれは、ルードが自分の手から離れてしまったような錯覚を起こしてしまったのだろう。
リーダが生きてきた時間から考えたら、ルードはまだまだ歩き始めた子供みたいなものだ。
悩んでいるなら背中を押してあげなければ駄目だ。
ルードはリーダと出会ったときから。
寂しいときはリーダの首元に顔を埋めて泣き。
楽しいときはリーダの背中に乗ってはしゃいでいた。
ルードはこれまで、リーダの背中を見て育ってきたのだ。
リーダだってそうだ。
こうしてルードの背中を押すことを許してもらえていることに。
自分はルードに何も返せていないことに気づいてしまったのだから。
「わたし、ちょっと行ってくるね。わたしが悩んでる暇なんてなかったのね。エリス、クロケットちゃん、けだまちゃん。ありがとう」
リーダは順番に抱きしめると、ゆっくりと立ち上がる。
綺麗でかっこいい女性じゃないといけない。
こんな自分でも期待されている。
ぎゅっと握った拳に力を込めて。
ルードの背中を押しに、階段を上っていくリーダだった。




