第四話 引っ越しも落ち着いて。
ルードが今日、十五歳になった。
実はクロケットの誕生をも、一緒に祝うことになっているのである。
クロケットが生まれたのはルードと同じ冬の日だったという。
だが、クロケットが生まれた村では日付の概念がなかったため、結構いい加減だったらしいのだ。
一緒に住むようになってから、どうせだからと一緒に祝うことになっていたのだ。
クロケットも今日で二十歳。
猫人の寿命としてはまだまだ子供なのだが、成人して二年目ということになる。
だが、今日はタバサの工房の初顔合わせだったりするのだ。
だから祝うのは夜にしようということになった。
タバサの工房は朝から慌ただしく動いていた。
前の工房の三倍はあると思われる広さの建物。
もはや工房というより、工場と言ってもいいかもしれない。
職員用の事務室として用意された部屋には、もうケリーたちが来ていた。
「おはようございます。ルード様」
「おはよう。ケリーさん。もうタバサさんには会った?」
「いいえ、まだなんです。もう仕事を始められているとは聞いていたのですが」
遅れてタバサが入ってきた。
「あ、ルード君おはよう」
「あ、タバサさん。おはよ。もう始めてたの?」
「だって、遠心分離の装置壊しちゃったからね。どうしても早く作りたかったのよ」
「あ、このお姉さんが僕の家族で錬金術師のタバサさんです。こちらが、ケリーさん。学園の研究室の室長さんです」
「ルード様、元、です。初めまして。ケリーエイラ・メルムライトと申します。ルード様に拾っていただきました、ただの研究者崩れです……」
「はっ。も、申し訳ございません」
タバサは反射的に仰向けになり、目を瞑ってお腹の上に手を乗せる。
忘れていた、服従のポーズをとってしまったのだ。
「ああああ。そうだった。タバサさん。あのね、タバサさんがここの責任者なんだから、それはまずいってば……」
「そんなこと言ったって、ルード君のときだって我慢してやっと慣れたんだからね」
「いいから立ってって。皆、唖然としてるからさ」
確かにこの国の人は皆フェンリルとフェンリラだ。
お互い礼をすることはあっても、服従のポーズをされるのは初めてなのだ。
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タバサがやっと落ち着いた。
服従してはいけない立場だと言い聞かせてなんとか理解してくれたのだ。
「あのですね。錬金術師の方は、私たちの憧れでもあるんです」
「いえいえいえ。私なんて……」
「あのね、タバサさん。僕と同等の魔法の制御するんだから。もっと自信もってってば」
「ルード君は本気出してないでしょ? 聞いてるのよ。エリスさんのときのことを」
「あー、あれは、その。ごめんなさい」
「それに、フェリス様からも聞いてるんだからね。ルード君はこの世界でも有数の魔法使いだからって」
「あー。なんで言っちゃうかなぁ。僕そこまでだって思ってないのに」
「謙遜はしすぎると嫌みになるわよ。次期国王なんでしょ? もっと自信持ちなさいって。ルード君に教えてもらったこの制御方法はね。あたしの自慢でもあるんだから」
「うん。わかった」
「よろしい」
タバサはルードの頭を撫でている。
さすがにケリーは驚いていた。
本当の意味でタバサは家族なんだということを。
「そういえばケリーさん、装置などに詳しい人っているかしら?」
「あ、それなら。ジェミルナ」
「はい。ケリー教授」
「あなた、その教授ってやめてよ。もうそんなんじゃないんだから……。それより、どう? あなたの専門は確か」
「はい。構造力学ですが」
「なら詳しいわね。この子を使ってあげてくれますか?」
「ならね。これなんだけど……」
タバサはもう仕事モードになっている。
「じゃ、タバサさん。僕行きますね。皆さんも夜、僕の家に来てくださいね。家族が僕とお姉ちゃんの誕生を祝ってくれることになってますから」
「はい、お邪魔させていただきます」
研究者一同も「はい」と言ってくれた。
ルードはタバサの工房を後にする。
ルードは工房を出ると、入り口でイリスが待っていてくれた。
「ルード様、お疲れ様でございます」
「ありがと。エリス商会に連れていってくれる?」
「はい。では、馬車にお乗りください」
「うん。おねが……、あれ? お姉ちゃんとけだまも一緒だったんだ」
「ですにゃ」
「おにーちゃん。やっほ」
「よっと。いい子にしてた?」
「うんー」
ルードはけだまを膝に抱いて客車に座る。
「イリス、お願い」
「では、参りますね」
商業地区に入る。
タバサの工房はどちらかというと、貴族街寄りにあったのだ。
エリス商会は商業地区の反対側。
それも一番外れにあった。
シーウェールズの建物の数倍はある立派な建物だった。
商会と言うより、お屋敷に近い感じ。
そこにはなんと、すでにお客さんが殺到していたのだ。
「あ、ルードちゃんー。いいところに来てくれたわ。大変なのよ。髪油が売れすぎちゃって……」
「えっ? 今、顔合わせが終わったとこだったよ」
「そんな。はい、ではご予約を承ります。はい。申し訳ございません」
とてもじゃないが、近寄れない状況だ。
フェンリラの女性が三十人はいるだろう。
皆、予約しては残念そうな顔で戻っていく。
やっと最後の女性が予約を終えて帰っていった。
「ふぅ。大変だったわ。二百個は用意してあったのに、あっという間に売れちゃったのよ」
「本当です。大変でした」
クレアーナも額に汗して荷物の移動を開始していた。
「ココマデイソガシクナルトハ、オモッテイマセンデシタ」
ぺたんと座り込んでいたラリーズニア。
「タバサさんに追加でお願いしないと駄目ね。こうなるなんて予想していなかったわ。店を開けてすぐよ。どこから聞いてきたんだか……」
「エリス様。次期国王の母君が経営しているというだけで、噂になっていましたので……」
「あー、それだったのね。おかしいと思ったのよ。ルードちゃんの知名度ってシーウェールズでもそうだってけど、ほんと、凄いわね。これでプリンとかパンとか売り出しちゃったら。ほんと、どうなっちゃうのかしら……」
「あははは。僕もわかんないや。それにママ。その耳と尻尾見たらバレるってば」
「忘れてたわ……」
ウォルガードの女性の髪より、艶があり、フサフサの毛質を知ればどこに秘密があるかはおのずとわかってしまうのだろう。
ちょっとだけ落ち込んでいたエリスの足に、けだまがひしっと抱き着いた。
彼女を見上げてにこっと笑うけだま。
「えりすまま。がんばってー」
エリスのことを『エリスママ』、リーダのことを『リーダママ』とけだまは呼ぶようになっていたのだ。
「うん。けだまちゃん。ありがと。そうよ、シーウェールズではフェンリル印にしてたけど、けだまちゃんの形をとって新しい印を作ろうかしら?」
「また、何か考えてるでしょう?」
「いいでしょう。可愛いものは正義なのよ。この翼の形にしようかしら? あぁ、それより、クレアーナ。タバサさんのところに行って、髪油の追加とプリンを急いでってお願いしてきてくれるかしら? 商品が足りないのよ」
「はい。かしこまりました」
音もなく走り去ったクレアーナ。
すぐに小さくなって見えなくなっていく彼女の背中を見つめて、ルードはぼそっと言う。
「そういえば、クレアーナって凄いんだったっけ……」
ルードは、最初にエランズリルドの貴族街に潜り込んだときのことを思い出した。
クレアーナはルードを探すために危険な貴族街をひとりで探索していた。
あのときのように追いかけられて、逃げ回る毎日だったのだろう。
もしかしたらルードが助けなくとも逃げ切ったのかもしれない。
だが、あのとき偶然助けることができなければ、エリスとも会うことは叶わなかっただろう。
今こうして、けだまを抱き上げて背中の翼をモフって悦に入っているエリスを苦笑して見守りつつ、あのとき、偶然出会えたことが幸いだとつくづく思うルードだった。
エリス商会はエリスとクレアーナ、ラリーズニアが見ることになる。
ただ、ここでフェンリラかフェンリルの従業員を雇わないといずれ破たんしてしまうだろう。
商人としての熟練者であったローズがいないのだ。
口コミというのは時に恐ろしく感じるときがある。
ついさっき予約をして戻っていった人たちが広めたのだろうか。
今もひっきりなしに商会を訪れる女性客が後を絶たない。
エリスの話では、今日店を開けるつもりはなかったのだという。
ただそこは根っからの商人体質。
お客さんが来てしまったら帰すわけにいかないのだ。
このウォルガードは、今まで他種族との交流がなかったとはいえ、老若男女含めると数千人はいるのだとイリスから聞いたことがある。
この国はとにかく広大だ。
商業地区には買い物のために訪れる人が常に溢れている。
そんな中、リーダは目立っているのだ。
どこからともなく『食っちゃ寝さんじゃないか、久しぶりだね』という言葉が聞こえてくる。
その声でリーダが来たことをルードは知ることができるのだ。
「母さん」
「ひゃっ! なんでわかったの?」
「そりゃ『食っちゃ寝さん』って声がね」
「あれ、やめてほしいのよ。何年前のことだと思ってるのかしら」
それだけ庶民的で、昔から皆に愛されていたということなのだろう。
ルードはちょっとだけ、リーダを誇りに思ってしまう。
「いいじゃない。人気者だったってことでしょ?」
「わたし、この界隈でね、名前で呼ばれたことないのよ……」
それはそうだろう。
仮にもバレバレとはいえお忍びで来ていた王女なのだから。
「だってさ、『姫様』とか『王女様』とかって言われたかった?」
「嫌ね。わたしは絶対に嫌っ」
そんな風にルードに言ってから、リーダはエリス商会に入っていった。
「えぇっ? 髪油売り切れちゃったの? 足りなくなってきたからって言ったじゃないの」
「ごめんなさい、リーダ姉さん。つい、全部売っちゃったのよ……」
リーダとエリスは本当に姉妹のようだった。
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家に戻るとフェリスが来ていた。
「ルードちゃん。プーリーン。プーリーン」
「えぇっ! もうなくなっちゃったの?」
「だって、魔力の補給に最高なのよ。疲れたときには甘いものが美味しいの」
「どれだけ魔力消費してるのよ」
「あらぁ? いいのかしらん? これ作ってきたのよ。赤い方の発展版よ。青い方も多めに作ってきたのよ? そんなこと言ってもいいのかしら?」
「ほんとっ? ごめんなさい。僕が悪かったです」
「わかればいいのよ。これはプリンと交換ね」
「うんっ。今作るから」
ルードはキッチンに走っていく。
フェリスは『まだかなー』と足の微妙に届かない椅子に座って待っていた。
「フェリスお母さん。お待たせっ」
「ごめんねぇ。急かしちゃったみたいで」
「ううん。僕、これくらいしかできないし」
「そんなことないわよ。いただきまーす。……あむ。んーっ。幸せ……」
本当に幸せそうにプリンをぱくつくフェリスを見ていると、ルードまで心豊かになっていく気持ちになる。
ただその食べる速度が問題だった。
あっという間に十個あったプリンがフェリスの胃袋に消えていくのだ。
「……ふぅ。ごちそうさま。美味しかったわよ」
「ありがと。あ、ところでさ。フェリスお母さん」
「なぁに?」
「メルドラードの女王様。けだまのお母さんのエミリアーナさんと話したことなんだけど」
「うん」
「ウォルガードと国交を結びたいって。僕もそれがいいと思ったんだけどさ。駄目かな?」
「いいわよ」
「へっ?」
「その代わりね、何が起きてもルードちゃんが責任を持つこと。あなたは今日で十五歳でしょ? それにね、あなたは次の国王になるんだから。それくらいできなきゃ駄目よ?」
「うん。そうなるとさ、調印とかってあるのかな?」
「えぇ。他種族との交流がなかったウォルガードだけれど。国同士との付き合いともなると、さすがに何もしないわけにはいかないわね」
「だったら、招待してもいい、かな?」
「いいわよ。私も会ってみたいわ。空を飛ぶ魔術……。これは楽しみね」
何やら含み笑いをしているフェリス。
一体何を考えているのだろう、とちょっとだけ不安になるルードだった。
追加の指輪をルードに渡すと『また夜に来るわね』とフェリスは帰ってしまった。
夜というのは、もちろんルードとクロケットの誕生の祝い。
ただ、その祝い事にルードとクロケットが料理を作るという矛盾したことが待っているのだ。
それは仕方のないこと。
二人の料理を家族が待っているのなら、二人は喜んで作りまくることだろう。
既にウォルガードでの素晴らしい食材集めは終わっている。
シーウェールズから持ってきた海産物も含め、豪華な料理が沢山並ぶことだろう。
「おねえちゃん、じゃ、始めよっか」
「はいですにゃ」
ルードとクロケットは手を繋いでキッチンへ向かうのだった。
今週は、明日も更新できると思います。
来週は進み具合によっての更新になると思います。




