第二十三話 ウォルガードの野菜や肉の秘密。
その晩、夕食をとった後、ルードは今日経験したことを話す。
ルードの力は獣だけにとどまらず、鳥にも効果があったと。
「ちょっといいかしら?」
「うん」
イエッタはルードの目を覗き込む。
ルードが見た熊と鳥の目から何かを辿れないか。
それを試しているのだろう。
「これは面白いわね。その熊さん。お母さんみたいよ。小さな子熊が近くにいるわ。鳥さんも、同じね。餌を与えに戻っていた途中だったみたいね」
「それは悪いことしちゃったな。っていうか、そこまでわかるんだね」
「えぇ、私も驚いたの。獣人や人間以外からも目を通して知らないことを知れるなんてね」
ルードの頭をぐりっと撫でる。
「ほんと、ルードは面白いことを考えるわね」
「えぇ、実に興味深いです。鳥はわたくしたちを怖がっていない。フェンリル、フェンリラは飛べないから、ですか……。きっとこの国の人たちも知らないことだと思いますよ」
「そうね。わたしも考えたことはなかったわ」
キャメリアがお茶を入れながら何か言いたげだった。
「キャメリア、どうしたの?」
『はい。あの、鳥なんですが。私たちからも逃げたりはしませんね。避けられることはありますけれど』
「そっか。狩猟対象でなければ。殺気を感じなければ逃げない鳥も多いんだね」
『えぇ、そうだと思います』
「ところでキャメリア」
『はい。なんでしょう?』
ルードはずずっとお茶を飲んだ。
入れてもらったお茶が冷めると悪いと思ったのだ。
「ん。あのね、今日、不便じゃなかった?」
『フェンリラの侍女さんたちですね?』
「うん」
『大丈夫ですよ。こちらからの意思の疎通はうまくいきました。ただ、報告を受けることができないのが、難点でしたね』
侍女たちも身振り手振りで、キャメリアに何かを伝えようとしてくれたそうだ。
言葉が通じなくてもそこまでできるのだ。
「凄いね、キャメリアは」
『いいえ。これが仕事ですので』
そう言いながらも少し照れている感じがする。
何故なら彼女は横をぷいっと向いてしまったからだ。
▼
翌朝、イエッタとイリスの不満が爆発した。
仕方なくルードが朝食を作ることになる。
キャメリアは知っていたが、侍女たちは、ルードのその料理に驚いている。
なにせ、次期国王のルードが自ら料理をするのだ。
そんなことは聞いたことも見たこともないだろう。
彼女たちはイリスの実家に雇われていた。
元とはいえ雇い主である公爵家当主が料理をするようなものなのだ。
慣れた手つきでほいほいと料理を完成させていく。
宮廷料理などに出るような見栄えのいいものではないが、とてもいい匂いのするもの。
「よっし。キャメリア運んでー」
『はい。かしこまりました。お願いします』
「「「「はいっ」」」」
「あははは……」
『パンのモフモフ堂』にでもいるような気分になってしまった。
「ふぅ……。やはり朝はお味噌汁よねぇ……」
「えぇ。このような贅沢に慣れてしまった自分の身体が悩ましいです……」
イエッタとイリスはとてもいい笑顔だ。
その反面、リーダはぼうっとしたままルードにごはんを食べさせてもらっている。
「ほら、母さん」
「あーん……。ん、おいし」
ウォルガードに来たからといって、やはり朝は苦手なのだろう。
ウォルガードの王女、『食っちゃ寝さん』は健在なのであった。
「じゃ、イリス。ルードをお願いね。わたしは、建物を見てくるわ」
「はい。お任せください」
リーダは朝食後、やっと目を覚ましたようだ。
そのままルードの研究施設に使える建物と、エリス商会に使える建物を探してくれることになっている。
「ルード、行ってくるわね」
「うん、いってらっしゃい」
ルードの額にキスをすると、颯爽と屋敷を出ていった。
「さて、僕たちも行きますかね。イエッタお母さんは今日も図書館?」
「えぇ、我はそうですね。学園に隣接されているので、そこまでは一緒ですよ」
「そっか、じゃいこっか。キャメリア、行ってくるね」
『はい、行ってらっしゃいませ。ルード様』
キャメリアたちに見送られながらルードは屋敷を出る。
屋敷の入り口に見覚えのある馬車が停まっていた。
「ルード様。さすがに徒歩ではその……」
「あ、そうだよね。イリスが言いたいことはわかるよ」
ルードに『立場を考えてほしい』ということなのだろう。
それは言われなくてもイリスの苦笑しそうな表情をみればわかるのだ。
ルードは馬車の前に立ち、イエッタに向かって手を差し伸べる。
「本当にルードちゃんは優しいわね。ありがとう」
着物を着ているイエッタがタラップを上がるのが大変なのは知っていた。
嬉しそうにルードの手を取ると、イエッタは客室へ上がっていく。
ルードも続いて入るとイエッタの向かいに座った。
「イリス。いいよ」
「はい。では参ります」
イリスは馬車を走らせる。
リーダの屋敷は貴族街ではなく、商業地区の外れにあるのだ。
商業地区を抜けて、貴族街に入るものかと思ったのだが、それを横目に通り過ぎていく。
田園風景が目に入ってくる。
「綺麗ね、ルードちゃん」
「そうだね。実りの秋は終わったのに、これはこれで凄いねー」
広大な農地が休みに入ろうとしている。
刈り入れの終わった麦が置かれ、土が見え隠れ始めているのだ。
「あのね、イエッタお母さん」
「何かしら?」
「ここの野菜も麦も、肉も美味しいじゃない?」
「そうね。驚くほど美味しいわね」
「これね、メルドラードも同じだったんだ」
ルードは橋を越えようとしていたそこにある小川を見てなんとなく言う。
綺麗で澄んでおり、魚が時折跳ねたりもする。
「もしや、魔力が?」
「うん。あっちもね大気中の魔力が多いんだ。キャメリアがここはメルドラードに似てるって言ってたからね。間違いじゃないと思う」
「確かにそうね。フェネクスは魔力が少ない地域だったわ。野菜もここほど美味しくはなかったわね。シーウェールズもエランズリルドもそうだったような気がするわ」
足を揃えて背筋を伸ばし、綺麗な出立で座るイエッタ。
そんなイエッタも腕を組んで考え事をしているように見える。
「僕ね、思ったんだ。さっき見た川の水も、この農地の土も。この周りの空気に魔力が豊富なのの同じで。そこで育った野菜も。そこで取れるものを食べて育った獣の肉もね。全て魔力を多く含んでるんじゃないかって」
「ルードちゃんは『魔力は美味しいのかもしれない』。そう言いたいのね?」
「うん。美味しくさせる要因なんじゃないかなって」
ルードの考えた仮説はあながち間違っていないかもしれない。
イエッタはそう思った。
「もしかして、フェンリルの強さと我たちの違いがそこにあるかもしれない、そういうわけなのね?」
「うん。全部じゃないかもしれないけど。僕はここで鍛錬を始めてね、伸び悩んでた力が増したような気がするんだ。そりゃ種族的な違いはあると思うよ。でも、それだけじゃないと思うんだよね」
もちろんイリスにも二人の会話は聞こえている。
リーダから聞いていた、ルードの小さいころからの異常なほどの理解力。
イリスは思った。
歴代の王の中でも特出した王になってくれるかもしれない、と。
イリスの中で、誇らしく思える気持ちが大きくなっていったのだ。
広がる田園風景の先に、大きな塔が見えてくる。
「ルード様。あれが学園のある地区です」
ルードは客車の窓を開けて、身を乗り出してその方角を見た。
「うわぁ、すっごいなー」
王城のある地域とはまた違う雰囲気。
その地区に馬車は滑り込んでいく。
王城の周りとは違い、少しモダンな感じのする建物が多い。
「ルード様、頭を出さないようにお願いします」
「何で?」
「その、目立ちますので……」
なるほど、と思った。
「うん。髪の色違うもんね」
「はい、綺麗なのですが、目立ってしまうと……。あ」
王城の近くと同じことが起きてしまっていた。
ルードたちが乗る馬車を見た人たちは皆足を止めて会釈をして、また歩いていくのだ。
これは目立ってしまうかもしれない。
仕方なくルードは窓越しに愛想笑いをしながら、手を振るしかなかった。
「ねぇ、あの方。王子様かしら? それともどちらかの貴族の跡取りの方かしら?」
「そうね。可愛らしいわー」
「えぇ。抱きしめたくなっちゃう」
女生徒から見たルードは『そう見えてしまう』のだ。
ルードはきっと人気物になってしまうかもれない。
イリスが『目立ってしまう』と言っていたのはこのことなのだろう。
ルードは学園や、学校というところに通ったことがないため、イメージできなかったが、ここが学園なのだ。
そこにはルードのような年頃の少年少女もいた。
そうかと思えば、イリスのような年齢と思われる青年やお姉さんたちもいる。
思ったよりも制服を着ている人が多い。
男性は青みのあるネクタイのようなものを。
女性は緑がかった感じのスカーフのようなものを首に巻いている。
共に茶系統のシックな制服を着ている。
人によっては、タバサが着ていた白衣のようなものを羽織っている人もいた。
「へーっ。これが学園なんだね」
「そうですね。我が知っているものとあまりそん色がないように思えますね。学び舎はどこも似たようなものなのでしょう」
馬車がある屋敷のような場所で停まる。
ここが図書を扱う場所なのだろう。
イリスが客車の扉を開けた。
先にルードが降りて、イエッタに手を差し伸べる。
「あらあら。本当にルードちゃんったら……」
「はい。イエッタお母さん」
「ありがとう」
ルードの手に支えられながら、一歩一歩タラップを降りてくる。
「では後ほどお迎えにあがります。いってらっしゃいませ、イエッタ様」
「いってらっしゃーい」
「はい。いってきます」
イリスが屋敷の扉を開けると、吸い込まれるようにイエッタは先に進んでいった。
ルードは客車に戻る。
「ここから左が学生たちが学ぶ場所になります。今から向かう方向、右側が研究などを行う場所になりますね」
「なるほどねー。じゃ、いこうよ」
「はい。かしこまりました」
イリスは馬車を進める。
さほど遠くはないのだが、ルードを歩かせるわけにはいかないのだろう。
それはイリスに言われなくても、さっき女学生に目立ってしまったこともあって、ルードは自重すべきだとわかっていた。
イエッタが入っていった屋敷の数倍はある建物の前で馬車が停まる。
真っ白なその建物は正面から見ると窓が少ない。
客車のドアが開けられる。
この館の職員だろうか。
王城近くにいた人たちと同じような服装をした男性がいる。
イリスは何かを言うと、男性は馬車に乗って行ってしまう。
おそらくは馬車を預かってもらったのだろう。
「ルード様、参りましょうか」
「う、うん」
ルードは少し緊張した。
初めて入る建物。
初めて入る学園の敷地なのだ。
両開きの扉が開けられる。
この先に何が待っているのだろうとルードは期待していた。
そこでルードは肩透かしに遭う。
入り口に座る女性職員が立ち上がり、ルードたちに会釈をした。
この広い玄関ホールには、その女性ひとりしかいなかったのである。
「ありゃ?」
「ルード様、ここは学び舎ではなく、研究をする場所なのです。各自与えられた部屋で各々の目的で研究を行っているのです」
「あー、それで人がいないように見えたわけね」
「はい」
イリスに先導されて、ルードは奥へ進んでいく。
突き当りを右に曲がり、奥へと続く廊下を歩いていく。
その突き当りには扉があり、イリスが開けてくれた。
その先には十名ほどのクロケットやタバサのような若い男女。
皆、各々の服装の上に白衣を着ている。
まるでタバサみたいだった。
皆立っていて、その中央の女性が一歩前に出た。
「お待ちしておりました。フェムルード様。私がこの研究室の室長を任されています、ケリーエイラ・メルムライトと申します。どうぞケリーとお呼びください」
ケリーが会釈をすると、一同も会わせて会釈をしてくれた。
「僕はフェムルードです。イリスから聞いていると思いますが。提案があってこちらに来ました。僕のことはルードとお呼びください」
「いえ、王太子であられるフェムルード様にそのような──」
ルードは苦笑する。
仕方なく左目に魔力を流す。
大きな部屋を一瞬で白い霧が包んでいった。
『お願いです。ルードとお呼びください、ね?』
「か、かしこまりました。ルード様」
一同も『よろしくお願いします、ルード様』と声を揃えて言ってくれた。
「ルード様。それ、反則ですよ……」
「あははは……。やっぱり?」
ルードは誤魔化すように照れ笑いをした。




