第二十二話 キャメリア大・激・怒。
キャメリアは、屋敷に入るなり大声をあげて、中にいるであろう使用人へ怒鳴りつけてしまった。
ルードにもわかるように、玄関ホールへ慌ただしく気配が集まってくる。
侍女の黒い服を着た女性が四人集まってきた。
皆フェンリラのはずだ。
髪の色が多少違うとはいえ、緑色なのだから。
そのフェンリラの女性たちはビビっていた。
真紅の侍女服を着て、真紅の髪とこめかみから額の方へ伸びた白い角を携えたキャメリアが目の前にいる。
四人のフェンリラの前で、彼女はマジギレしているのだから。
『私はルード様の侍女になりましたキャメリアと申します』
淡々と自己紹介を終える。
四人を左から順に、一人一人睨みつけながら。
再度口を開いた。
『ここはどなたのお屋敷でしょうか?』
『ここは次期国王様になられるルード様の、お母君のお屋敷ではないのでしょうか?』
『貴女たちは誇り高きフェンリラではないのですか?』
『私はフレアドラグリーナ。炎帝飛龍の末裔です。私はメルドラードという小国の女王陛下付きの侍女をしていました。たった五年ですが』
なるほど、キャメリアは侍女として経験をしっかり積んできたのだ。
だからエミリアーナは彼女を推したのだろう。
『私はまだ十九歳です。貴女たちよりも幼い小娘です』
『ですが、この国の最重要人物のお屋敷だというのに、この体たらくは何ですか? 貴女たちは無給で働いてくれているのですか? 違いますよね?』
やっと『違います』『お給金をいただいています』などの声が返ってくる。
『お給金をいただいているのであれば、貴女たちはプロに徹しなくてはなりませんよね? 誰も見ていないからといって、手を抜けばすぐにわかるのです。侍女の仕事を舐めないでいただけませんか?』
『すみません』という声がぱらぱらと返ってくる。
『私はルード様に、この命尽きるまで仕える覚悟でやってまいりました。自分の敬愛するご主人様が使う屋敷なのですよ? あのような荒れた玄関を見せてどうするのです?』
『すみません』と返ってきた瞬間。
『申し訳ございません。ではありませんか? この屋敷で働くつもりがあるのであれば、私が一からお教えしましょう。よろしいですね?』
「「「「はいっ」」」」
ルードはしまったと思った。
キャメリアは間違いなく、クレアーナ寄りの女性だ。
どうりでクレアーナと仲良く話をしていたわけだ。
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キャメリアは僅かの時間で、屋敷の侍女たちを掌握してしまった。
確かにこの屋敷の玄関先には、芝のような植物が植えられている。
ぱっと見、ルードには違いがわからなかったが、もしかしたらクレアーナも同じように怒鳴りつけたかもしれないのだ。
クレアーナのことは、パン工房でのあの一件でルードも震え上がった。
まだキャメリアの方が若い分、優しいのかもしれない。
ややあってイリスが戻ってきた。
屋敷に入ってきたとき、イリスも機嫌が悪かった。
「ルード様、ただいま戻りました。報告の前に少々お待ちいただけますでしょうか? ここにいる侍女を全て解雇してまいりますので」
「あ、それ、キャメリアが思いっきり怒鳴っちゃったよ」
「なるほど。そうでしたか。やはりキャメリアさんはクレアーナさんと同じ……」
「やめて、そんなおっかない話……」
「はい?」
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イリスの報告は、キャメリアの音声言語との違いを一言ずつ書き出してほしいというフェリスの要求だったのだ。
キャメリアが戻ってくると、ルードは流し続けた魔力を解放した。
「キャメリア、『あ』って言ってくれる?』
『あ(ぎゃ)』
「イリス、どう?」
「大丈夫です。次お願いします」
このように一言ずつ、イリスが細かに書き留めていった。
イリスがへとへとになって全て書き終わったあたりで、リーダとイエッタが屋敷についた。
「お帰り、母さん。イエッタお母さんも」
「ルード、驚いたわ」
何やらリーダが興奮して戻ってくるのだ。
「ん? どうしたの?」
「イエッタさんたら、司書の人を集めて目を覗き込んだのよ。そしたらね、蔵書のありかを全て把握しちゃったのよね」
「あれくらいであれば、我は容易いのですよ。この国はいいですね。力を全力で使っても、まったく疲れないのですから」
「うん。ここの魔力は濃いからね。僕も今作業が終わってね、魔力を使い始めたけど。まったく疲れないよね」
気が付いたら目の前からキャメリアが消えていた。
するとすぐに茶器を持って現れたのだ。
『お疲れ様でございます。お茶を用意させていただきました』
キャメリアは、流れるような手つきでお茶を用意してくれた。
「あら? キャメリアちゃん。ありがとう」
「いい香りね。キャメリアさん。ありがとうございます」
『いえ、これが私の仕事ですので』
「あれ? イリスは?」
『先ほど出ていかれましたけれども』
「あ、フェリスお母さんのところね」
きっとさっさと帰ってこないと怒られるのかもしれない。
ルードはそう思ってしまった。
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キャメリアはとにかくよく働く。
いつ休んでいるのかルードも心配になってしまうくらいだった。
彼女が休んでいるときは、ごはんを食べているときくらいだろう。
それと同時に、イリスがちょっとだけ忙しそうに動き回るようになった。
きっとキャメリアに触発されたのかもしれない。
ただ、ごはんのときだけはイリスもキャメリアも仕事をしないようにしてもらっている。
『ふたりは家族なんだからね』というルードの言葉に逆らえないのだろう。
イエッタは今朝から王立の図書館へ行っている。
彼女は知識欲が強く、おそらくは見えない部分の補完をしているのだろう。
イリスは今、学園で調整をしているらしい。
ルードが前に言っていた『研究職』のあたりをつけているらしいのだ。
明日にはルードを学園へ連れて行き、その帰りに王城でフェリスに会いに行く予定になっている。
リーダは珍しく王城へ用事があるからと朝食後に出てしまった。
キャメリアは侍女たちの教育があるからと、忙しそうにしている。
そんなことから、ルードはいまぼっち状態。
イリスからこの国の通貨に交換してもらっていたから、昨日とは違って懐に余裕はある。
適当にお昼ごはんになりそうなものを買ってから、森に出かけることにした。
キャメリアはかなり頭がいい。
言葉が話せなくても侍女たちに指示ができるように、ある程度予測してイリスに必要な文字を書いてもらった。
その横に彼女の使う言葉で文字を書き、それを使って侍女たちに指示をするらしい。
だから、ルードには散歩にでも行ってきてほしいと言われてしまったのだ。
森に着くと、ルードは左目に魔力を流した。
とあることを確認するために『こっちに来て座れ』と支配の力を使った。
すると見覚えのある熊のような獣がこっちへやってくる。
目を見ると、凄く嫌そうにしている感じが見て取れた。
「あ、お前見たことあるな。あぁ、駄目か。よしっ」
ルードは右目にも魔力を流した。
「どう? 僕の言ってることがわかる?」
『おまえ、きらい』
「おぉー。言ってることがわかる。名前は?」
『なまえ、なんだ? おまえ、きらい』
「あははは。とことん嫌われてるんだね、僕って」
ルードは昼食代わりに買ってきたもののうちの、果物を熊にあげてみた。
「ほら。食べな」
熊はふんふんと匂いを嗅いで受け取った。
もう一度匂いを嗅ぐと、ぱくっと食べ始めた。
『あまい。うまい。おまえ、きらい』
「あははは。警戒はしてないっぽいけど、嫌いなんだね」
『もっと、くれ。おまえ、きらい』
「なんだそれ? ほら、もう一個」
今度は受け取ると匂いを嗅がずに食べ始めた。
『あまい。うまい。おまえ、きらい』
「とことん嫌われてるなー。前にやりすぎたかな? よく憶えてるもんだね」
『おまえ、すこし、きらい』
「おっ。評価が変わったっぽい」
熊は自分の手についた果物の果汁を舐めていた。
ルードは左目から魔力を解放してみた。
熊はまだ座ったままだった。
ルードは『お願い』をしてみようと思った。
「ちょっと立ってみてくれる? 嫌だったらいいよ」
『…………?』
熊はその場から立ってくれた。
「お? 言葉が通じてるみたいだね。君はどこから来たのかな?」
『あっち。おまえ、すこし、きらい』
熊は来た方向を見た。
「あー、もしかしたら本能的に嫌ってるのかもしれないね」
『…………』
ルードはちょっとだけ近づいてみた。
すると、熊は踵を返して歩いていってしまった。
「またねー」
『おまえ、すこし、きらい』
「あははは。そっか、嫌いって、本能的に怖いってことなのかもしれないね」
ルードはその場に座って、買ってきた果物を食べた。
珍しいものだったから買ってみたのだが、熊は普通に食べていた。
「あ、ミカンの味がする。へぇ、見た目は黄色いリンゴなのに、味は違うんだ……。こういうのもあるんだね」
やってみるもんだ。
獣の言葉かどうかはわからないが、気持ちはすくなくともなんとなく理解できたし、こっちが言っていることを理解してくれていたようだ。
「それにしても、獣でも前のことを憶えてるのかな? まぁ慣れるかそうでないかの違いもあるんだろうねー」
ルードの身体がちょっとだけ震えた。
それはそうだろう。
もう秋も深い。
ここはシーウェールズよりも寒い地域のようだから。
『狐狗狸ノ証ト力ヲココニ』
ルードは狐人状態になり、軽く飛び上がってみた。
確かにちょっとだけ人間の姿よりは力が上がる。
ルードは試したいことの確認がとれたから、屋敷に戻ることにする。
そのまま走り出し、軽く飛んでみた。
やはりフェンリル化するよりは若干落ちる。
だが、これはこれで顕著に効果はでているようだ。
ルードは以前、リーダと一緒に来た公園を訪れた。
芝生のようなところでごろんと寝っ転がる。
この芝(厳密には違うのだろうが)は綺麗に同じ長さに刈られている。
前に来たときも感じたが、この公園はゴミひとつ落ちていない。
きちんと管理されているようだ。
キャメリアが指摘したことは、きっとこのことなのだろう。
深く息を吸うと、緑の香が心地よく鼻腔をくすぐる。
キャメリアやイエッタが言っていた通り、この国やメルドラードでならルードも全力を出しても倒れる心配はないはずだ。
ということは、人間の住む地域は魔力が少ない地域だということなのだろう。
ルードはふと思った。
もし、クロケットがこの国で生活をし、魔力の使い方を学べば、魔法が使えるようになるのではないかと。
試してみる価値は十分にあるだろう。
この世界にはフェンリルや狼人などを怖がる獣もいれば、怖がらない獣もいる。
前にシーウェールズで魔力の使い方の特訓をしているときに、目の前によく現れていたウサギに似た獣はルードを怖がっていなかった。
空を見上げると、上空には鳥のように見えるものが飛んでいる。
あれはフェンリルを怖がらないのだろうか。
それとも、空を飛べるアドバンテージをもって、空を飛べないフェンリルを避けて通ってるだけなのだろうか。
これもイエッタの血筋なのか、『知りたい』と思ってしまうと気になってしまう。
ルードは左目に力を多めに込める。
あの鳥に向かって意識を集中する。
『こっちに来てくれる?』
するとその鳥は、さーっと降りてくる。
ルードの目の前まで飛んでくると、ルードのお腹の上に留まった。
『よんだ?』
「うん。忙しいところごめんね」
『だいじょぶよ。それで、なに?』
「うん。聞きたいことがあるんだ。君はさ、僕たちフェンリルが怖い?」
『こわくないよ。だって、とべないでしょ?』
「あーやっぱりそういうことなんだね」
『それだけ?』
「うん。ありがとう。助かったよ」
『それじゃいくね』
その鳥は上空へ羽ばたいていった。
「なるほどねー。怖がる必要がないものもいる、と」
天敵以外は近寄らなければいい。
なるほど、と思った。
だが、この力はいい。
ルードの探求心を満たしてくれる。
人間や、獣人。
フェンリルですら知りえないことを知ることができるかもしれない。
この力があったからこそ、けだまに。
キャメリアやエミリアーナに出会うことができたのだ。
ルードは右目と左目に手をあてる。
「お兄ちゃん。エルシード。ありがとう」
ルードはそう呟くと身体を起した。
二人の力のおかげで、まだ見ぬ人と出会えるチャンスがあるのだ。
右手をぎゅっと握る。
そのとき『きゅるる』とお腹が鳴った。
「あ、果物だけじゃ足りなかったみたい。帰ろっと」




