第二十一話 私を誰だと思ってるの?
王城の最上階のさらに上。
本来人が来ないであろう屋上で、ルードたちを迎えた人がいた。
腰に手を当てて『仕方ないわね』という表情をした少女のようなその人。
「ルードちゃんね。こんなに非常識なことをするのは、あなたしかいないと思ったわっ」
ルードに走り寄って、きゅっと抱き着いてくるこの女性。
ウォルガード王国、先代の女王、フェリスだった。
「フェリスお母さん、久しぶりです」
「えぇ。久しぶりね。大騒ぎになってるわよ。魔獣が空から降りてきたってね。なるほどねー。フレアドラグリーナかぁ……」
「知ってるの?」
「私を誰だと思ってるの?」
ルードから離れてくるっと回って笑顔を作る。
フェンリルの緑の耳と尻尾も相まって、あざといくらいに可愛いのが困りものだ。
「フェリス様……、いつのまにそんなに可愛らしく」
ルードの次に声をかけたのはイリスだった。
それも、いつもの『可愛らしいものを見る目』でだ。
「イリスエーラちゃんもひさしぶりっ。いいでしょ? ねぇ、いいでしょ?」
「はい、実に可愛らしいですっ」
遠巻きに見ていたリーダとイエッタは、少し苦笑していた。
ルードはここなら大丈夫だろうと、右目に強く魔力を流す。
ルードを中心として淡い光が包んでいった。
「あら? ルードちゃん。何かしたわね?」
「はい、ちょっとだけ。この人が、僕の新しい侍女をしてくれることになった、キャメリアです」
キャメリアは、指輪を出現させて呪文を唱えた。
光っている間に服を出現させ、早着替えを終えてしまう。
最近身に着けた特技だと彼女は言っていたが、どれだけ優秀なんだよ、とルードは呆れてしまっていた。
新しくクレアーナから作ってもらった真紅の侍女服を身にまとったキャメリアの姿が見えてくる。
彼女はスカートの裾を持ち上げて、美しく一礼をしていた。
『キャメリアと申します。フェリス様よろしくお願いいたします』
「だめだめ。フェリスちゃんって呼んでねっ」
『……はいっ?』
顔を上げたキャメリアの表情は『?』というようになっていた。
ルードはさすがに初対面では無理があるだろうと思った。
「フェリスお母さん。無理言っちゃ駄目だって。まだこっちに来て間もないんだから」
フェリスは気づいたようだ。
キャメリアの指から流れるその魔力の異常さを。
「ごめんなさいね、ちょっとしたおふざけよ。あら、その指輪がその姿に変えているのね。あとでちょっと見せてもらえるかしら?」
「うん。そのお願いで来たんだよね」
「やっぱり、何でこう。ルードちゃんは非常識なのかしらねーっ」
「フェリスお母さんにも言われたくないよ。僕……」
「そうそう。ルードちゃん」
「はい?」
「プーリーン! プーリーン!」
「はいはい。ちょっと待っててください」
ルードはそのままキッチンへ向かうことになった。
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フェリスはルードが作ってくれたプリンを食べながらルードの話を聞いていた。
「美味しーっ。やっぱりルードちゃんが作ったのが一番ね」
「ありがと。フェリスお母さん」
ルードから教えてもらったプリンのレシピを元に、王室付きの料理人に作らせたのだが、思うようなものにならなかったらしいのだ。
それはそうだろう。
たまごを割ったあと、ルードが作る場合は一切手を触れていない。
全て魔法で作り上げてしまうのだから。
「むぐむぐ。それでその指輪を複製できるかどうかなのね?」
この国の最重要人物とは思えない可愛らしさ。
そのフェリスが匙を咥えたまま、口の中にプリンを味わいながらルードに話しかけてくる。
「フェリスお母さん。食べてからにしようよ……」
「いいじゃない。久しぶりなのよ。それよりも、ほら、続き続き」
「うん。その、指輪の複製をお願いしようと思ったんだ。あとね、彼女たちの言葉。おそらくは『龍語』と言うべきだと思うんだけど」
「それを変換するものを作れということね?」
全て説明する必要ないほどに、先読みして聞いてくる。
ルードの考えることは予測していたのだろう。
「うん。どうかな?」
「そうねぇ。理論的には両方とも可能よ。その指輪も魔法が使われているみたいだし」
「えっ? 見ただけでわかるの?」
「私を誰だと思ってるの? 魔法に関してだけ言えば、私に不可能はないわ」
さすがはウォルガードの魔法の権威というべきだろうか。
イエッタから教わった変化の祝詞を、いともあっさりとアレンジしてしまう。
それくらい魔法のセンスと知識があるのだろう。
フェリスは少しだけ難しい表情をルードに向ける。
「ただね。問題があるのよ」
「どんなものですか? 僕にできることなら何でもやりますよ」
ルードはテーブルに両手をついて、フェリスの言葉を待った。
「あのね……」
「はい」
凄く困ったような表情で、絞り出すような声でさも切実そうに。
「……プリンが食べられないの」
「はい?」
「ルードちゃん、いつこっちに引っ越してくるのよ。待ってても全然連絡くれないし……」
腕の力が抜けて、『ずべっ』とルードはテーブルに伏せてしまった。
「そのことですか……」
「そうよ。あなたが私にね、こんなに美味しいものを教えたのがいけないのよ。エランズリルドの一件はもう終わったのでしょう?」
「はい。報告が遅れてしまってすみません」
「いいのよ。失敗するわけないと思ってたからね。それで、ルードちゃん。いつこっちに越してくるの?」
「そうですね。この指輪と言葉の問題が解決したら、ここにエリス商会を移すつもりなんです。そうすれば、ここを起点に各国へ行けますからね」
フェリスはキャメリアの傍に歩いていくと、彼女の指輪してる手を両手で握った。
「キャメリアちゃんと言ったわね? ちょっとじっとしててね」
フェリスは目を瞑る。
彼女の口元がゆっくり動いているようにも見えるのだが。
それはルードにも聞き取れないほどの高速詠唱を行っているためだった。
ルードにすら、もうただの音にしか聞こえない。
どれだけ長い詠唱を行っているのだろうか。
ふと、フェリスが口を噤んだ。
詠唱が終わったのだろう。
そのときフェリスの両手がぽうっと赤く光っていく。
その光から何やら模様のようなものが見えているような気がする。
それをフェリスは読み取っているようだ。
「そう……。これはかなり複雑ね。へぇ、そんな方法があるのね。ふんふん。これはやられたわ。なるほどね。うん、だいたいわかったわ。ありがとうね、キャメリアちゃん」
『は、はい。どういたしまし、て?』
フェリスは自分のいた席に戻った。
「ルードちゃん」
「はいっ」
「『つくり』はだいたい理解したわ。んー……」
ルードを呼んでから目を瞑り、思案を始めるフェリス。
「時間、かかりますよね?」
心配そうにフェリスを覗き込むルード。
彼女の目がぱちっと開いた。
「そうね。明後日まで時間ちょうだい。多分できると思うから」
「えっ? 明後日?」
「そうよ。私を誰だと思ってるの?」
「そうでした。『僕の』フェリスお母さんですからね」
「そうよ、『ルードちゃんの』私だからよ。あ、五個くらいづつでいいかしら?」
『僕の』と『ルードちゃんの』という意味は、信頼しきっている。
信頼に答えられるから、そういう意味なのだろう。
「はい。お願いします」
「じゃ、これから工房に籠るわね。あとでイリスエーラちゃんに必要なものを言っておくからお願いね。あと、プリンなくなったら作って持ってきてね」
ルードの頭をぐりぐりと撫でてから、フェリスはイリスの服を掴んで引きずりながら部屋を出ていく。
あのイリスが逆らえない対象なのだ。
「ルード様ぁ。そのっ、ごはんまでには戻れる、と思いますので……」
「うん。わかったよーって、あー、行っちゃった……」
『あの、ルード様。指輪というと、もしや?』
キャメリアはルードに聞く。
ルードは笑顔で彼女の想像以上の答えをあげた。
「うん。その変化に必要な指輪とね、言葉の壁を乗り越えるもの。かな?」
『……はい?』
落ち着いた感じのイメージがあるキャメリアも、さすがに素っ頓狂な声をあげてしまった。
イエッタはリーダに連れられて、学園の書庫へ寄ってから屋敷に戻ると言っていた。
そういうことならと、ルードはキャメリアを連れて町を歩いて屋敷へ戻ることにした。
『あの、ルード様』
「ん?」
『フェリス様はお幾つくらいの方なんでしょう?』
「あー、普通思うよね。フェリスお母さんの二つ名知ってる?」
『はい。確か『消滅』と、エミリアーナ陛下が』
「それね、実は千年くらい前の話なんだよね」
『はいっ?』
「たぶん、この世で一番怖い人のひとりなはずだから」
『そ、そうですね。エミリアーナ陛下と同じくらいなのね……』
キャメリアはそんな感じで認識しようとしていた。
貴族街を抜け、商業地区に入ったときだった。
ルードに声をかける人がいた。
「よっ、久しぶりだね」
「あ、この間はどうも。すっごく美味しかったですよ」
串焼き屋のおやじさんだった。
もちろん学園時代のリーダに、不名誉なあだ名をつけた張本人。
「そうかい。ほれ、これも持っていきな」
「あ、僕お金持ってこなかったんですよ」
「いいから持っていきな。食っちゃ寝さんにはお世話になったからね」
「僕、近いうちこっちに越してくる予定なんです」
「そうかい。なら今のうちにお得意さんになってもらわないとね。ほれ」
「すみません。いただきます」
「食っちゃ寝さんにもよろしく言っといておくれよー
「はいー」
ルードは近くのベンチに腰掛け、一本をキャメリアに渡した。
「はい。これすっごく美味しいんだよね」
『いただきます。ところで『食っちゃ寝さん』とは、どなたのことです?』
「あー、母さんのことだよ」
『えっ? リーダ様は確か』
「うん。ここの王女だったんだよね」
『なんという……』
一国の王女に対して、あまりにもフランクな物言い。
キャメリアは、リーダがそれだけ庶民に好かれている王女だったのかと、感心してしまう。
考え事をしながら、串焼きを口元へ持っていくと、メルドラードの国にもあった匂いを思い出す。
ひと口かじった瞬間、口の中で味が爆発した。
『むーっ! はぐっ、はぐっ……』
一気に食べきってしまう。
「あはは。美味しかったでしょ?」
『はい。何という肉なのかわかりませんが、メルドラードの国にあった肉とは正反対ですね。上品な脂身が、とても。美味しかったぁ……』
「あのさ。これ、僕の推測なんだけど」
『はい』
「ここってね、メルドラードと同じくらいにね、大気中の魔力が濃いんだよ」
『そういえば、ここに近づくにつれて疲れがなくなっていく感覚がありました。王城に降り立ったあたりで、疲れが全く残っていませんでしたね』
「うん。そこでね、肉も野菜もそうなんだけど。美味しさって含有する魔力も影響してるんじゃないかなって、思うんだ」
『確かにそういう仮説はメルドラードにもありました。ですが、私を含め国の人々は他の環境と比較することができませんでしたから』
「うん。だからね、あとでゆっくり調べようと思うんだ。ここの水もそうだと思う。土に含まれる魔力も桁が違うのかもしれない。メルドラードは『飛ぶ』ことにその魔力を使うじゃない? ここウォルガードは『力』に使うんだと思うんだ」
『ルード様はそんなにお若いのに、博識なのですね』
「あ、僕ね、けだまと十二歳くらいしか違わないんだよ」
『本当ですか? でしたらもうじき十五歳ですよね? 私の五つ下じゃないですか』
「へ? お姉ちゃんと同い年?」
「あら、そうだったのですか。私、クロケット様と同い年だったのですね』
そういえばキャメリアの年は聞いていなかった。
なんとも不思議な巡り合わせもあるもんだ、とルードは思った。
リーダの屋敷についた二人。
「ここがね、母さんの屋敷なんだ」
『ということは、こちらに越されるということでしょうか?』
「当面はそうなるかな。その姿だと大きく見えるでしょう?」
『はい。確かにそう見えま……、あの、すみません。ルード様』
「ん?」
『こちらのお屋敷は、どなたかが管理なさっておられるのでしょうか?』
「うん。いるはずだけど」
『申し訳ございません。私、少々大声になりますが、お気になさらないよう、お願いいたします』
「へ?」
キャメリアはスカートの裾をつまんでルードに一礼をする。
その姿は少々ぎこちないが、きっとクロケットかクレアーナから教わったのだろう。
つかつかとルードよりも先に歩いていき、屋敷の扉を音もなく開ける。
ルードもキャメリアに続いて屋敷に入ったのだが。
『やる気がないのであれば、この屋敷から出ていきなさいっ!』
大声をあげたキャメリアに、ルードは驚いてしまった。




