第十四話 馬車の旅もまったりしてていいよね。
「ただいまー」
「ただいまですにゃ」
『ぐぎゃっ』
ルードたちが戻ると、隣の倉庫からエリスが顔を出した。
朝見た以上の笑顔で二人を迎えてくれている。
「どう? 綺麗でしょ? クレアーナに手入れしてもらったのよ」
ふさふさした三本の尻尾と、綺麗に手入れされた耳を見せてご機嫌のエリス。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま。クロケット様。これで、私をモフモフされるのが減ってくれたらいいのですが」
いつも以上に手間がかかったのだろう。
クレアーナが困った顔で苦笑をしていた。
「あら? クレアーナをモフモフするのは別腹なのよ」
「勘弁してください……」
屋敷の居間では仕事を終えて先に帰っていたリーダとイリス、イエッタも一緒にお茶を飲んでいた。
「お帰り。ルード、クロケットちゃん」
「お帰りなさいませ。ルード様。クロケット様」
「お帰りなさい。ルードちゃん、クロケットちゃん」
「うん、ただいま」
「ただいまですにゃ」
『ぐぎゃっ』
クロケットはルードにけだまを預けてキッチンへ。
ルードの目を見るクロケット。
その目に頷いて返事をする。
そのやりとりには『いつもありがとう』『どういたしましてですにゃ』。
こんな会話が含まれているのだろう。
ルードは皆の傍に座り、けだまを膝の上に乗せて一息つく。
リーダとイリスにエヴァンスとの会談の内容を伝える。
ルードは一度シーウェールズに戻ると伝えた。
エリスとクレアーナは、村でのコメの収穫と流通の調整などが残っているからと暫くこっちにいる予定だそうだ。
商会の支店であるここが安定したら戻るから、できたらアルフェルたちと一緒に帰ってほしいと言われる。
エリスの提案にルードは喜んで頷いた。
イエッタはシーウェールズに残したローズが心配だから帰る。
リーダはエリスたちの様子を見てから後で帰ってくる。
義理のような関係とはいえ、妹のようなエリスが無理をしないか心配なのだろう。
ただこの国であれば、クレアーナと今のエリスなら大丈夫だろうとリーダは太鼓判を押してくれる。
エヴァンスの評価も含めて、リーダはこの国を気に入ってくれているようだ。
今回シーウェールズへは、ルードとクロケット、イリスがアルフェルたちについてゆっくり帰ることになった。
家族会議のような話し合いは次の一言で終焉を迎える。
「晩御飯できましたにゃっ」
「「「「「「ぐぅ……」」」」」」
『ぐぎゃっ』
けだまは言ってる意味はわからなくとも、クロケットの声に反応したのだろう。
▼
「ルード君。よろしく頼むね」
「はい。アルフェルお父さんとの旅は初めてですね」
「何ていうか、守られてばかりというのは申し訳なく思うんだけどね」
「大丈夫ですよ。ねぇ、マイルスさん」
ルードは出立前の馬車のチェックをしているマイルスに話を振った。
マイルスはルードの声に気づいて振り向くと、踵を鳴らして敬礼をする。
「はいっ。ルード様たちを守るのが自分たちの勤めですので」
「いや、僕たちがいれば獣は寄ってこないからね。心配なのは盗賊くらいだけど、出てきたらイリスが……」
「呼びましたか? ルード様」
荷の積み込みを手伝っていたイリスがこちらを向いた。
リカルドとシモンズが二人がかりで抱えている同じ荷を、片手でひょいと運んでいる。
「いや、イリスがいると安心だなーって話してたんだ」
「えぇ、お任せください。皆様には指一本触れされませんので」
右肩に荷を抱えたまま、恭しく腰を折る。
「自分たちの役割って……、何でしょうね」
「あははは」
苦笑いをするマイルスとルードだった。
荷の積み込みも終わり、エランズリルドを出ることになった。
ルードやイリスにとっては僅かな時間でたどり着く距離だが、馬車での移動は初めてになる。
ここからおおよそ二日ほどかかると聞いている。
心地よい揺れと、馬車の車輪が刻む音。
間もなくこの地域も冬が訪れる。
日差しは暖かだが、風が少し冷たく感じる。
ルードとイリスがいるせいか、獣の気配はまったく感じられない。
ルードとクロケットはアルフェルの馬車の後ろに乗って、並んで座っている。
こうしてゆったりと進んでいく旅は悪くないと思った。
「ルードちゃん」
「んー?」
「気持ちいいですにゃね?」
「そうだねー」
クロケットはけだまを膝に抱いたまま、ルードの肩にこてんと頭を乗せる。
その重みもルードにはとてもくすぐったく、心地いいものだった。
「大好きですにゃ」
「うん。僕も──。って何を言わせるの」
「うにゃぁ……」
風は冷たいが、寄り添っている側のところは温かい。
ルードはつられて言ってしまったことで顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。
それを見たクロケットは俯いて赤くなっていた。
「若いっていいねぇ……」
「アルフェル殿……」
「これっ、アルフェル。せっかくいい雰囲気だったのに。駄目でしょう」
「あ、すみません。イリスさん。イエッタさん」
アルフェルはイリスとイエッタに注意されてしまう。
特にイエッタはアルフェルの義理の母なのだ。
彼女の優しさも、厳しさも十分知っている。
最近はルードのことを溺愛していることも、妻、ローズから聞いていたのだ。
彼もルードのことは息子のように可愛く思っている。
だからこそ、つい冷やかしてしまったのだ。
「たはは、やっちまった……」
イリスの『仕方ないですね』という表情。
『まったく男はこれだから』というイエッタの苦笑した表情。
二人からしたら、アルフェルも悪戯好きな少年みたいなものなのかもしれない。
手綱を握りながら少しだけ首を垂れて、落ち込んだアルフェルだった。
一日目は何のトラブルもなく街道沿いの宿場町へたどり着いた。
ここはアルフェルがエランズリルドに店を構える前から馴染みのあるところだという。
宿も馴染みの場所。
馬車を預かる設備がきちんとしている、規模が大きく小奇麗なところだった。
人数分の部屋をとると、アルフェルはルードに言葉をかける。
「私はマイルスたちを酒場で飲ませくるから、ルード君はゆっくり休んでくれるかな?」
「はい。今日はお疲れさまでした」
「うん。ルード君とイリスさんがいてくれたおかげで、獣も寄ってこないから比較的楽だったよ。来るときもリーダさんがいてくれたから同じように楽をさせてもらったし。本当にフェンリルの存在って凄いよねぇ」
「そんなことないですよ」
ルードの頭をくしゃりと撫でてから男らしい笑顔で。
「私には息子がいなかったから、息子と旅をするってこういうものなんだね。いいものだ。楽しいよ」
「はい。ありがと……。明日もあるんですから、飲みすぎないようにね。アルフェルお父さん」
ルードもアルフェルとフェイルズのことは父のように思っている。
父親とはここまで大きくなった息子にはべたべたしてこないものなのだろうか。
それはそれでとても心地いいものに感じる。
「あぁ。ほどほどにしておくよ」
ルードに背を向け、笑顔でそう答えるアルフェル。
ルードは用意された自分の部屋に戻った。
扉を開けると中で待っていたのは、テーブルについて悲痛な表情をするイエッタだった。
「ルードちゃん、あれが切れちゃったのよ……」
「イエッタお母さん。あれって、これでしょ?」
ルードは鞄からパンをふたつ。
それと、粒あんの入った瓶を取り出す。
ナイフで切れ目を入れると瓶の蓋を開けて、中にある小さなコテであんこを分厚く塗っていく。
『炎よ』
左手にパンを持ち、右手に火を熾してあんとパンの表面を軽くあぶる。
香ばしい匂いと、あんの焼けた甘い匂いが部屋に漂っていく。
イエッタが持ってきた皿にふたつ置いてできあがり。
「これで今晩、持つ?」
「ありがとう。ルードちゃん大好きよ」
「ほんと、大げさなんだから……。晩ごはん食べられなくなっても知らないからね?」
ルードはきゅっとイエッタの胸に抱かれて、苦言をぼそっと言う。
「大丈夫ですよ。これは『おやつ』なんですから」
「あのねぇ……」
ルードを解放すると、両手で嬉しそうに持って部屋を出ていくイエッタ。
そこでやっと気づいた。
ベッドにクロケットとけだまが丸くなって寄り添いながら寝ているではないか。
ひとりと一匹。
言葉が通じるから二人なんだろう、とルードは思う。
そんな二人を見るとまるで姉妹のようにも思えてしまう。
「お姉ちゃん、けだま。ごはん食べに行くよ」
「うにゃ、ごはんですかにゃ?」
『ごはん?』
実にそっくりだった。
食堂に降りていくと、奥の方でひっそりと酒を飲むアルフェルたちが確認できる。
ルードたちを見つけると目立たないように手を振るだけ。
いくら馴染みの宿だからとはいえ、節度を持って利用する。
実に交易商としての見本のようなアルフェルたち。
その傍らには、珍しい組み合わせ。
イエッタとイリスが何やら苦虫を噛んだような表情で夕食を食べているのだ。
「どうしたんです? イエッタお母さん、イリス」
ルードとけだまを抱いたクロケットがイエッタたちの席に同席する。
まるで救世主を見るような二人の目。
今にも涙が流れてきそうなほどの悲しそうな目立った。
「ルードちゃん」
「ルード様」
「何かあったんですか?」
「ルードちゃん、早く帰りましょう。でないと我、ストレスで倒れてしまいます」
「イエッタさんの言う通りです。わたくし、舌が肥えてしまったのかもしれません……」
不思議に思ったルードは、イエッタの食べていた葉野菜と肉の入ったスープの味をみてみる。
「あぁ、そういうことね。大味なんだ。多分、交易商をする人は男の人が多いから、お酒と一緒に食べるように、こういう味付けになっちゃうんだね。お姉ちゃん食べてみて。なんか懐かしい感じがするから」
ルードに匙を向けられて『あーん』と口を開けるクロケット。
「んむ。……うにゃ、これは。ルードちゃんが来る前のうちの料理みたいですにゃ」
クロケットが言う通り、ルードが米を見つける前の村の料理にそっくりなのだ。
傍らに置かれたパンも固く焼かれたものだったことを考えてみても、従来の料理はこういうものだったんだな、とルードは納得できてしまう。
塩味と香辛料。
その大味なスープに硬いパンを浸して柔らかくして食べる。
この地域では当たり前の料理と食べ方だったのだろう。
イリスが言っている『舌が肥えてしまった』。
これはあながち嘘ではない。
ルードやクロケットの作る料理は『旨み』を重視して作られている。
イエッタも麦がゆを食べていた頃に戻ってしまったような、寂しい気持ちになってしまったのかもしれない。
グルタミン酸やイノシン酸のようなうま味調味料が存在しないこの世界。
簡単に今この目の前のスープを美味しいと思えるものに作り替えるのは至難の業。
そこでルードはふと思ったのだ。
ルードが考案してタバサが実現してきたこれまでのもの。
これを技術水準の高いウォルガードで研究を進められたらどうなるだろう。
「イリス」
「……はい」
かなりしょんぼりしているイリスにルードは明るい笑顔でこう問いかける。
「ウォルガードでさ、イリスの通っていた学園があるじゃない?」
「はい。ありますね」
「僕、そこに行ってみたい」
「急にどうされたのですか? ルード様は王族ですので、通うことは可能かと思いますが」
「違うんだ。そこにいる研究職の人を集めたいんだ。それでタバサさんを軸にして美味しいものを沢山開発したい」
「なるほどっ! その手がありましたね。それはいい考えかと思います。ウォルガードは悪い意味で停滞しています。そこにルード様がいれば、あるいは……」
「美味しいものが、沢山。というわけねっ?」
イエッタの目にも希望の光が灯り始める。
「うん。タバサさんは僕の上をいく発想の持ち主なんだ。今作ってもらってる生クリームも、そこからできるバターも。タバサさんたちだけでは手が付けられなかったしょう油だってできるかもしれない」
「生クリーム? バター? おしょう油っ!」
イエッタがテーブル越しにルードの手を握ってくる。
イリスはぶつぶつ言いながら何かを考えているようだ。
きっと学友だった人のリストアップを始めてしまっているのかもしれない。
「だから今日は我慢して食べようね。この店の人にも失礼だからさ」
「「はい……」」
「美味しいですにゃよ?」
『ぐぎゃっ(うまー)』
素朴な味付けも大好きなクロケットとけだまだった。




