第十三話 ジャムより甘い遅い春。
「「けだま?」」
エヴァンスとリネッタの声がハモった。
この世界にも毛玉という言葉はある。
家畜やその毛でできた敷物や布地にできる、あれのことである。
羊毛に似た毛を宿す獣から毛を刈り取り、それをより合わせて作った糸で織られた布など。
実はその布を使ってルードの子供のころの服をヘンルーダが作ってくれていたりしたのだ。
「はい。龍の一種だと思うんですけどよくわからないんですよね」
「ですにゃ」
エヴァンスもリネッタも目が点になっているような表情をしている。
「そ、それ、もしかして。いや、どうだろう。小さいころに読んだ覚えのあるものだし……」
「えぇ。私も昔、読んだことがあるような……」
「リネッタさんも本が好きだったんだね?」
「はい。父の書庫に沢山の本がありましたので」
二人はけだまに驚いていたのだが、共通の話題があったのか。
また二人の世界へ入り込んでしまいそうになっている。
「あははは。本当に仲がいいんですね」
「ですにゃね。羨ましいですにゃ」
「い、いやその。ぼくたちのことは置いといてだね」
「ええ。それよりも何やらいい匂いが、するんですけれども」
なんとエヴァンスは素の状態での一人称が『ぼく』だったのだ。
彼はまったく素になっていることに気づいていない。
「伯父さんも『ぼく』って言うんですね」
「あ、いや。私は……」
「そうなんですよ。最初お会いしたときはお爺さんかと思ったくらいに憔悴しきっていて、元気になられたと思ったらまるで子供みたいなんですもの。お二人や城の人たちがいないときなんて、彼は凄く可愛いんですよっ」
「そんな、バラさなくてもいいじゃないか。まったく人が悪いよ……」
「うにゃ。お尻に敷かれていますにゃね」
「あ……」
「え……」
クロケットはど直球なツッコミを入れてしまった。
二人は脂汗を額に溜めて、凄く困ったような表情になってしまっていた。
ルードはこの微妙な空気を何とかしようと、肩から下げていた鞄を前に出す。
そこには今朝焼けたばかりのパンが入っているのだろう。
とても良い香りがしてくる。
それは、けだまでも反応するくらいだった。
「ここに今朝焼いてもらったパンが入っています。これですね? リネッタさん」
「リーダ様からも、イリス様からも聞いてたのですが、この我儘王様が外に出してくれないんです。……香ばしくて、とても甘い香りが感じられます。それがジャムパンというなのですね……」
リネッタは犬人ということもあり、エヴァンスよりも匂いに敏感なのだろう。
彼女は左手でエヴァンスの頬をぐにっと押し避けて、右手でパンに手を伸ばした
「そんな、ぼくよりパンの方が大事だというのかい?」
「えぇ。パンですっ!」
「そんな……」
「あははは」
「うにゃぁ」
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落ち着いて食べてもらおうと、謁見の間から移動。
リネッタさんがスキップでもしそうな勢いで自室へ案内してくれる。
「リネッタさん、あれお願いできるかな?」
「はいはい、少し待ってくださいね」
お茶を入れてくれているのに違和感がない。
リネッタはこの国の妃になるとはいえエヴァンスの身の回りの世話を長い間ひとりでやってきた。。
元々小さな村の村長の娘とはいえ、一通りできて当たり前なのだろう。
リネッタがお茶を入れてくれるところを何やら嬉しそうに眺めているエヴァンスを見て、ルードは心が落ち着くような気がしてくる。
「はい、お茶が入りましたよ。ルード様、クロケット様もどうぞ。エヴァンス様は手を洗ってきてください。国王なのですからきちんとしてくださいね」
「ぼくに冷たくないかい? あ、照れなんだね? そうなんだね?」
「──知りませんっ!」
クロケットも二人を見ていて、何かほっこりする感じがしている。
理想の夫婦のようにも見え、かといって仲の良い姉弟のようにも見える。
自分とルードを重ねてしまうような、そんな気持ちになれたのだ。
「いいですにゃね。仲がよろしくて」
「いえ、そんなことはっ」
「伯父さんはね、諦めてたんだよ。妻を取ることはないだろうって」
「そうだったのですか。ほんと、私がついていないと駄目になってしまう方ですね」
リネッタはそう言いながらも視線はエヴァンスの背を追い、優し気な目をしていた。
ルードはエヴァンスがテーブルに戻ると、リネッタの用意してくれた皿にパンの小山を築き始める。
「とりあえず、持ってきた全部です。どうぞ味見してください」
その黄金色に焼けた、小さく丸いパン。
エヴァンスもリネッタも初めて見るものだった。
エヴァンスは手のひらでリネッタを促す。
「さぁ、リネッタさん。食べてみてくれないかな?」
「あの、エヴァンス様は?」
「ぼくはね。君の喜ぶ顔が見たいんだ。君のあとにいただくとするよ」
「……ありがとうございます。では」
リネッタは一番上の積まれているパンをひとつ手に取った。
「軽いわ」
両掌の上に乗せて、鼻を近づける。
犬人であるリネッタの嗅覚をも刺激する、その甘い香りは彼女の全身を震えさせるほどの驚きを与えた。
うっとりとした表情で深呼吸するように香りを確かめたあと、目をゆっくりと開き、右手の指で優しくパンを千切った。
『パリ』っと軽い音を立てて千切れたそのパンは、ほとんど力を入れていないにもかかわらず、ひと口大の大きさに分かれてしまう。
そのひとかけらを口に運んで軽く咀嚼したとき、間髪入れずそのまま残りにかぶりついてしまう。
頬張ったその勢いで、たっぷりと挟み込まれた紅玉果のジャムはじゅわっと染み出てリネッタの指先を濡らし、手首の方まで伝って垂れていく。
彼女は喉を鳴らして飲み込んだあとに、『ふぅっ』とため息をついて、指と手首に垂れたジャムを舌先で舐め上げていく。
それはとても艶めかしい、大人の色気のにじみ出る仕草にも見える。
リネッタの恍惚とした表情にルードたちは思わず見とれてしまっていた。
「……あっ。こ、これは、ずるいです。こんな衝撃的なものは、生まれて初めて食べました」
リネッタは両手を握り、胸の前で気持ちを込めて主張する。
ルードは笑顔でそれに答えるのだ。
「もう普通に城下で売ってますよ。城下の方にも貴族街の方にも求めやすい値段ですので、飛ぶように売れているとママも言っていました」
「あら? ルード様にはリーダ様のことは『母さん』と呼ばれていませんでしたか?」
「はい。リーダ母さんは僕の育ての親です。エリスママが僕の生みの親なんですよね」
そこで初めてなのだろう。
エヴァンスがルードの身の上を詳しく説明した。
さすがにルードの居ない場で言うわけにはいかなかったのだろう。
「……そんなことがあったのですね。ルード様は本当にお強い……」
「いえ、家族が支えてくれていますから。僕だけだったら今頃山犬のお腹の中ですよ」
『あはは』と笑うルード。
クロケットはルードの手をしっかりと握っている。
けだまは『あたしもそれ、たべたいですにゃ』とぼそっと言った。
それはきっとクロケットの真似をしているのかもしれない。
空気を読まないあたりが、まだ生まれたばかりの幼さなのだろう。
クロケットにも『にゃ』が聞こえた。
彼女の握る手が震えている。
きっと笑いを堪えているのだろう。
「さぁ、伯父さんもどうぞ」
「うん。いただくよ」
エヴァンスが手を伸ばしたあと、ルードもひとつ手に取ってクロケットに渡した。
クロケットは小さく千切ってけだまに与えている。
「うん。これはもう以前のパンを食べることができなくなってしまうかもしれないね」
「ありがとうございます。作った職人のお姉さんたちも喜びますよ。この国で解放した獣人のお姉さんたちが焼いたんですよ」
「そうなのかい。それは嬉しいね」
淡々と評価をしているようだが、エヴァンスはすでに三つ目に手を出していた。
口元についたジャムを『仕方のない人ですね』という表情で拭いているリネッタに愛想笑いをしながら。
『うまー。あまー』
けだまはいつも通り、食いしん坊さんであった。
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リネッタも二つ、エヴァンスに至っては六つも食べてしまうくらいに高評価だった。
余ったものはあとで二人のおやつにするらしい。
四人と一匹は、お茶を飲んで(けだまはルードが持ってきた皿でミルクを)落ち着くことができた。
「そういえば伯父さん」
「なんだい?」
「僕、お姉ちゃんのいた猫人の村を見ることになったんです」
「なるほど、代表になった。ということなんだね?」
「はい」
「ルード君はウォルガードの次の国王なんだよね?」
「そうですね。なのでクロケットお姉ちゃんと一緒にもらうことになったんす」
「あぁ、なるほど」
「おめでとうございます。クロケット様」
「うにゃぁ……。恥ずかしいですにゃ」
けだまの頭に顔を突っ込んで照れ笑いをしているクロケット。
「私、いや、もう飾っても仕方がないね。ぼくはね、ルード君」
「はい」
「将来的に、君の治めることになるウォルガードと国交を結びたいと思っているんだ。君のことを諦めたんだから、それくらいは許されるよね?」
「んー、僕の一存ではなんとも言えませんけど、先々代の女王。僕の祖母に当るフェリスお母さんは言ってました。『他の種族との共存なくしては衰退の道しか残されていないわ』と」
「そうなんだね。ならば、ぼくはこの国を胸を張って国交を結んでくださいと言えるようにしていこうと思う。リネッタも助けてくれるよね?」
「はい。私が見ていないと心配ですからね」
「来年にはぼくたちの結婚式をあげようと思っているんだ。ルード君、クロケットさん。家族で出席してくれるよね?」
「はい、喜んで」
「はいですにゃ。素晴らしいですにゃね。私も三年後には……」
「もちろん、出席させていただきますよ。クロケット様」
「うにゃぁ……」
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エヴァンスとの会談はこう締めくくられた。
リーダとイリスのおかげで国の運営もうまくいきそうだと。
あとはエヴァンス自身と、支えてくれているフレットなどの家臣とで頑張っていくと約束してくれた。
「二度とあのようなことが起きないようにすると約束するよ」
「はい。僕も伯父さんなら安心です」
「クロケット様、またお会いできますよね?」
「はいですにゃ」
『ぐぎゃぁ!』
「あら、けだまちゃんもまたね」
けだまは、リネッタに撫でられて目を細くして気持ちよさそうにしている。
「あ、思い出したわ。エヴァンス様」
「なんだい?」
「この子、もしかしたら『フェザーハイネス』ではないですか?」
「あの森の奥の遥か先。気高い山に住むと書いてあった?」
「はい。あの絵本のお話です」
何やら二人は興奮しているようだった。
「何のことです? けだまが何かに似ているんですか?」
「えぇ。子供のころに読んた絵本なのです。翼龍の中でもひと際美しく、その先頭を飛ぶ姿が神々しくてまるで女王のようだったと、その名前を付けられたと書いてありました」
「そうだね。ぼくも絵本で読んだことがある。別名『フェザーレディ』とも言われているらしいね」
二人の話ではこうだった。
この世界には龍が三種類いるらしい。
翼龍、水龍、地龍。
その中でも美しい羽を持つ数少ない翼龍。
それが『フェザーハイネス』だというのだ。
翼龍はあまりにも高高度を飛ぶために人間の目に触れることはめったにないらしい。
ごくまれに山間部で目にすることがある程度だという。
「それにしても、けだまちゃん。ルード君たちに慣れているようだね?」
「はい。僕、この子の言葉がわかるんですよ。ちょっと僕の手に触れてもらえますか?」
そう言ってルードはテーブルの上に手のひらを差し出す。
エヴァンスとリネッタはルードの手に触れるとありえないことを目の当たりにするのだった。
『おにくー、おさかなー、うまー、うまー……』
けだまの寝言だった。
「食いしん坊さんですね」
「あぁ、そうだね」
「ですにゃ」
「あははは」
ルードは自分に触れていると、けだまの言葉が理解でき、意思の疎通もできるということを説明する。
それだけけだまは知能が高いということなのだ。
「僕にはイエッタお母さんから受け継いだ力がありました。そのおかげかはわかりませんが、僕の左目にはフェンリルのフェムルードお兄ちゃんが。右目には狐人の血を引くエルシードが。それぞれふたりの魂が宿っています。ふたりとも僕を助けてくれていると感じているんです。もしかしたらエルシードがそういう、言葉を理解する力を持っていたのかもしれない。そうおもっているんです」
「なるほどね。狐人の血筋だったルード君がフェンリルでもあるということは、奇跡でも起きたとしか思えないだろうからね」
「はい。母さんと会えたのも、お兄ちゃんのおかげだと思っています。僕は助けられてばかりなんです。だから、やらなきゃいけないことが沢山あるんですよ」
「うん。よくわかった。ぼくもぼくにできることを力いっぱいやってみるよ。いずれ生まれてくる僕たちの子供に恥じないように、ね」
「そ、そんな……。まだ早いです」
エヴァンスは『ね』の言葉と同時にリネッタを見ると、彼女は俯いて頬を赤く染めてしまった。
「近いうち僕たちは、エランズリルドを後にすると思います。一度シーウェールズに戻ったら、ウォルガードに引っ越すつもりなんですよ」
「それはまた遠いところに」
「えぇ。私も聞いています」
「なので、すぐに来れるような移動手段も考えないと駄目だと思うんです。僕だけなら、フェンリルの姿であっという間なんですけど、それではママの商会が交易をしにくくなってしまいます。なので、僕は考えることにしました」
「そうか。楽しみにしてるよ」
「はい。伯父さん、リネッタさんもお元気で」
「リーダ様とイリスさん。エリスレーゼとイエッタさんにもよろしく頼むね」
「はい、ではまた」
「リネッタさん、またですにゃ」
「はい。クロケット様もお元気で」
『ぐぎゃ……。ぐぎゅ……』
けだまも寝言で挨拶をしているのだろうか。
それともただの寝言なのだろうか。
四人は笑ってしまいそうになるのを我慢していた。




