第十一話 白いもこもこさん。
第十一話 白いもこもこさん。
切り立った崖から一気に降りてきたルードたち。
クロケットを優しく地面に降ろすと、彼女はルードの手を握ってくる。
『いたいよ、やめてよ……』
「あ、また聞こえてきましたにゃ。こっちですにゃ」
クロケットが走り出した。
子供の声のように聞こえたからだろうか。
クロケットにとって、この声は放っておけないのだろう。
「ルードちゃん、あそこですにゃっ!」
ルードは慌てて左目の奥に力を込める。
走り寄った先には白いもこもこしたものに野犬のような獣が襲い掛かっている。
ルードは思い出してしまった。
リーダと始めて会ったとき、こうして襲われそうになったことがあったのだ。
その白いもこもこは怪我を負っているのか、あちこち赤く染まっていた。
あのときは未遂に終わったが、今は襲われているのだ。
ルードを中心に白い霧状のものが広がっていく。
『動くなっ!』
ルードが怒鳴ったと同時に、獣は大きな牙を携えた口を開けたまま動かなくなった。
ルードは走り込んでその白いもこもこを抱き上げる。
野犬を睨みながら左目の奥から力を抜くと、獣はルードを見て怯えるよう後ずさりし、ある程度離れるとかぶりを振る。
そのまま小さく唸るとルードが視線を外した瞬間、逃げてしまったのだ。
『癒せ』
あちこち傷だらけだった白いもこもこの身体が淡く光っていく。
思ったよりも歯が立たなかったのか、それとも運がよかったのか。
毛に染みた赤いものが初めからなかったかのように、傷と一緒に消えていく。
「よし、これでもう大丈夫」
「よ、よかったですにゃ……」
ルードの手をきゅっと握って一安心したクロケット。
クロケットを見てニコっと笑う。
「お姉ちゃん、舌、出して」
「こうですかにゃ?」
「あー、痛そう……。『癒せ』」
ルードが舌先に触れて治癒をした。
みるみるうちに噛み傷が治っていく。
「どう? まだ痛い?」
「もう大丈夫ですにゃ。こっちの子は大丈夫ですかにゃ?」
クロケットは自分のことよりも、白いもこもこの方を心配していた。
ルードが抱いていた白いもこもこは、丸まったままだったが声が聞こえてきた。
『ありがとう……』
「よかったよ。まさか鳥が喋るなんて思わなかったからさ」
「そうですにゃ。鳥さんが喋ってるのは初めてですにゃ」
丸く折りたたんだ翼らしきものがあって、白く綺麗な羽が沢山生えている。
全体に産毛のような感じの毛で覆われていて、確かに見た目は大きなひな鳥に見えなくもない。
ルードが抱えられるくらいの大きさで、重さもそれほどではない。
おそらくは三歳くらいの子供と同じくらいだろう。
「ルードちゃん、私にも抱かせてくださいにゃ」
「うん」
クロケットも人間と比べればかなり身体能力は高い方だ。。
白いもこもこを軽々と抱いて、顔を柔らかそうなその羽にモフっと埋めてしまう。
「うにゃぁ。モフモフですにゃ……」
『くすぐったいよ……』
「お姉ちゃん、くすぐったいってさ」
「えっ? にゃにも聞こえにゃかったですにゃよ?」
「えっ? 今、くすぐったいよって」
「おかしいですにゃね」
「うん。ところで君はどこからきたのかな?」
『わかんない。おちてきちゃったから』
「落ちてきちゃったって、どこから?」
『わかんない』
「困ったね」
クロケットは右手で白いもこもこを抱いて、左手でルードの腕を軽く握った。
「ルードちゃん、にゃんにも聞こえにゃいんですけど」
「あれ? どうなってんだろうね」
『くすぐったかった』
「あにゃ? 今度は聞こえましたにゃ……」
「あー、そういうことか」
「うにゃ?」
「白いもこもこさん、ちょっと大きい声で返事してくれる?」
ルードはクロケットから少し離れてそう聞いた。
『どうして?』
そのとき、クロケットの耳には『ギャー、ギャッ、ギャオッ』というわけのわからない言葉が聞こえてきたのだ。
今度はクロケットの手を握ってみる。
「白いもこもこさん」
『あたしのなまえ、しろいもこもこじゃないし、とりじゃないよ』
「あ、聞こえたですにゃ。おんにゃのこだったんですにゃね。にゃぜかにゃにをいっているかわかったんですにゃけど」
「(お姉ちゃんの言葉も慣れるまでわからなかったんだけどね……)うん。僕に触れてるときだけ、白いもこもこさんの言葉がわかるみたいだね」
『だから、しろいもこもこさんじゃないよ。あたしのなまえは、けだまりあーぬ。ままがくれたなまえがあるんだからね』
「「けだまりあーぬ?」」
『そう』
「にゃがいですにゃ。けだまちゃんでもいいですかにゃ?」
『うん。それでもいいよ』
「毛玉みたいだから、けだまちゃん。あははは」
『なにそれひどい……』
まだうまく動けないのか、それとも消耗しているのか。
落ちたということでの痛みはもう癒えているはずなのだが、けだまは、ぴくりとも動かないで返事だけしてくれる。
彼女は母親とはぐれたらしい。
クロケットと話し合って、連れて帰ることにしたのだった。
▼
けだまを抱えたクロケットとルードはそーっと屋敷に入ってきた。
抜き足差し足、忍び足。
悪いことをしていて、家族に見つからないように、音を立てずに注意を払って。
もちろん、お約束のようにルードの脱いだ靴が『カタン』と音を立ててしまう。
この家では匂いでバレてしまうのだけれど、こういうときはそんなことにも気づかないものだ。
「あら? ルードちゃん、帰ってきたのね」
最初に気づいたのはイエッタだった。
「あ、ただいま。イエッタお母さん」
「た、ただいまですにゃっ」
イエッタは『あらあら、仕方のない子たちね』という表情をしてしいた。
クロケットの抱いているけだまに気づいてしまったようだ。
「あははは。鳥、拾ってきちゃった」
「きちゃいましたにゃ」
まるで犬猫でも拾ってきてしまったかのように、ルードとクロケットは愛想笑いを浮かべていた。
▼
クロケットは座ってけだまを撫でている。
怯えていたけだまも、やっと落ち着いたのか身体を少し上下させるように寝息を立てているようだ。
ルードの目をじっとみていたイエッタは、優しい目をして聞いてくる。
イリスの目からは逃れられないのを知っているからバレバレだったのだ。
「おおよその状況はわかりました。偉かったわね、ルードちゃん、クロケットちゃん」
「イエッタお母さん、その。この子元気になるまで飼ってもいいかな?」
「私からも、お願いしますにゃ」
イエッタは両手を胸の前で組んだ。
右手を顎に持っていき、思案するような表情になる。
「ルードちゃん。我は別に構わないと思うのですが」
「やったー」
「よかったですにゃ」
「あのね、その子、鳥じゃないわよ。そっくりに見えるけれど、匂いが違うもの」
「「えっ?」」
「我もね、一応狐人だから鼻が利くのよ。顔が見えないから、目から辿ることはできないけれどね、多分違うと思うわ」
クロケットはけだまのことをそっと床に置いた。
すると『ころん』とお腹を上にして、けだまは寝返りをうったのだ。
ずんぐりとした両足のようなものがあるのは、鳥だと思っていたから不思議ではない。
足ほど太くはない両手のような前足。
そこには赤ちゃんが握るような手がある。
口先は丸いのだが、すこし尖ったような顔。
鳥というよりはトカゲのように見える。
身体の表面には鱗はなく、細かい産毛がある。
ルードたちが見ていると、また寝返りをうった。
短めの尻尾も可愛らしく、尻尾の先まで産毛が綺麗に生えていた。
背中にはちょっと短めの羽も生えている。
こっちは先の方が風切り羽になっていた。
きっと成長したら空を飛ぶのだろう。
ただ、背中に羽の生えた体表に産毛を持つトカゲがいるのだろうか。
ルードの記憶の奥にある知識にはそのような生物は見当たらない。
その顔は真っ白で、身体もころころしていて可愛らしい。
「鳥じゃにゃいですにゃね?」
「うん……。けだまは毛玉っぽいけど。確かに鳥じゃないって言ってたような気がする」
クロケットはけだまの背中をゆっくりと撫でている。
「モフモフですにゃ。これはこれでまた、違った感触にゃのですにゃ」
「ルードちゃん、クロケットちゃん」
「「はい(ですにゃ)?」」
「その子、龍じゃないかしら?」
ルードはクロケットと同じように右手でけだまの背中をモフモフしながら。
「龍って、ドラゴンとかでしょ? こんな丸々した龍なんているのかな?」
「いえ、その子きっと、生まれたばかりかもしれないわ」
確かに体表にはふわふわした産毛。
生まれたばかりのひな鳥を見たことがあるが、こんな感じだった覚えがある。
またごろんと寝返りをうった。
傷の具合はもういいのだろう。
とにかく元気そうで何より。
ルードはけだまのお腹を触ろうとしたのだが、クロケットにぺしっと手を叩かれてしまう。
「ルードちゃん。小さいとはいえ、この子もおんにゃのこですにゃよ?」
「あぁ、そうだっけ。気をつけないと駄目だね……」
しばしの間かもしれないが、こうしてルードたちに新しい家族(?)が増えたのだった。
▼
『だからとりじゃないっていったでしょ』
「ごめんね。羽があるし、産毛が毛玉みたいだったし」
『けだまりあーぬ。けだまでもいいけど……』
若干会話がずれるのは、まだ生まれて間もないからだろうか。
「ルード、よくこの子と会話できるわね。獣語でもなさそうだし。わたしにはさっぱりだわ」
「うん。わかるんだよね。母さんと始めて話したときみたいにね」
「不思議ねぇ……」
「でも、ルードちゃんに触れてるとにゃんとにゃく、わかるんですにゃよね」
はっきりと会話できるわけではないらしいが、少なくともルードに触れていれば意思の疎通はできるようだった。
「ルード様」
「ん? イリスどうしたの?」
「その子、多分。古龍かもしれません」
「古龍?」
「はい。翼龍の中でも古くから生きているらしいのですが、生態はあまり知られていません。わたくしも、書物で読んだことがある程度ですが……。イエッタ様はご存知ありませんか?」
「そうね。我も話だけは聞いたことがありますね。詳しいことはわかりませんけれど」
博学なイリスでも、情報通なイエッタですら知らないという。
けだまは一体どんな龍なのだろう。
「でもいいんじゃないの、ルードちゃん。こんなに可愛いんだし」
エリスはクロケットと一緒にけだまをモフっている。
けだまはモフられるのは嫌いではないようだ。
『グキャッ、グギャッ』と声を上げながら喜んでいる。
▼
けだまがルード家に来てから数日が経った。
けだまは何でも食べる。
とにかく食べる。
肉でも魚でも、野菜も果物も。
おまけにパンも食べるのだ。
手の指は先に三本、手首側に親指が一本。
だが、器用に使えるようだ。
クロケットから受け取った紅玉果をもそもそと食べていた。
それも根元にある緑色のヘタを綺麗に取りながら。
最初に食べたとき、その部分は美味しくなかったのだろう。
こうして、美味しくないと思ったものは食べないようだ。
実に知能が高く、人懐っこい。
生まれついての習性なのだろうか、時折背中の羽をぱたぱたと動かすときがある。
飛べはしないのだが、軽い風が起きているのはわかる。
二本足で立って、尻尾でバランスをとる。
小さな両手を握って目を瞑り、羽をぱたぱたと一生懸命動かしているその姿は、皆が見惚れるほどに可愛らしい。
「それ、頑張れっ」
「頑張るんだにゃっ」
手をつないだルードとクロケットに応援されて、けだまも頑張っている。
だが、ある程度頑張るとうつ伏せになって力尽きてしまう。
ぺたんと垂れたようになっている毛玉を見たイリスは。
「か、可愛い……」
そう呟いたのをしっかり皆に聞かれていたりするのだ。
リーダとイリスとイエッタ。
ルード家の知恵袋といっても過言ではない三人が知らないというけだまの存在。
「ウォルガードに帰れば、王立図書館に文献があるかもしれないわね」
「そうですね。フェルリーダ様も読んだことがないものがあっても不思議ではありませんからね。あの蔵書の数では……」
「それはまた、興味深いですね。我も今度行ったら見てみたいものです」
「そういえば母さん」
「何かしら?」
「エヴァンス伯父さん、僕のことを呼ばないんだけど」
「それはね、わたしとイリスが手伝っているからよ」
「えぇ。そろそろ目途がつくと思います。王室内も安定して動き始めていますからね」
ウォルガードの王女であったリーダと、公爵令嬢であったイリス。
二人が手伝えば、正直ルードの出番はないのだろう。
「今日あたりちょっと挨拶してこようかな。アンパンとジャムパン持って」
「そうね。喜ぶかもしれないわ。クロケットちゃんも行ってくるといいわよ」
「はいですにゃ」
最近、パン工房もルードなしで運営できている。
菓子パンだけでなく主食となるパンも焼いているようで、毎日ルード家に持ってきてもらっている。
あのとき四人だったパン職人も、今は十人以上いるらしい。
エリスの値段設定のせいもあってか、他で作りたいという問い合わせがないようなのだ。
おそらくはエリスのつけた値段より安くすることができないのだろう。
採算が合わなければ真似をしようとは思わない。
正直、買って加工した方が安いのだろうから。
アンパン、ジャムパン以外にも食べ方が増えてきている。
薄切りの肉を焼いたものを挟んだり、腸詰(これがエランズリルドにあるのはルードもイエッタも驚いたらしい)を焼いたり湯がいたりしたものを挟んで食べる人もいるようだ。
エランズリルドでのパンの販売は、ルードが助け出した獣人たちを雇用してもおつりが出るほどの産業になってきている。
ルードの村(名前はまだ決まっていない)の猫人たちも、普通に城下町へ買い物に来れるようになっているそうだ。
ちなみにまだ、米の流通はさせていない。
来年の収穫の後あたりから始めるつもりだとエリスは言っていた。
エランズリルドは今、獣人たちが普通に生活できる場所になりつつある。
ルードが思い描いていた理想的な国になってきていたのだった。




