第四話 遅い春と成長。
クロケットは意を決して王城へと足を踏み入れた。
ルードの手を握って、真っすぐと。
こんなに立派な建物に入るのは生まれて初めてだったが、ルードの手を握っているので緊張することはなかった。
ルードはシェイブが言っていた『お触れ』を思い出した。
それは彼が気づいただけではなかったということだ。
前に来たときとは違い、王城内ですれ違う人の数が増えている。
そう、前より獣人の匂いが増えているのだ。
ここで働く人としての割合が増えていると言ってもいいのかもしれない。
ルードたちとすれ違うときに、皆丁寧に一礼をしてくれる。
ルードもクロケットとイリスにとっても、会うのが初めてな人の方が多い。
時折、見覚えのある人もいる。
おそらくはルードが助け出した人だったと思われる。
王城に入ったときとは違い、今度はルードがクロケットの手を引き、勝手知ったる我が家のようにエヴァンスのいる場所を目指して歩いてく。
すると、また見覚えのある人がいたのだ。
リネッタと一緒に助け出した犬人の女性たち。
彼女らもここで働くべく、戻ってきたのだろう。
ルードたちに気づくと、笑顔で会釈をしてくれる。
ルードたちもそれに応えた。
「確かここだったよね」
ルードは扉をノックする。
「伯父さん、ルードです。入りま──」
そうして扉を開けたとき、ルードとエヴァンスの目が合った。
「「あ……」」
二人の間にとても気まずい雰囲気が漂っている。
「伯父さん、久しぶりです……、ね」
「あ、あぁ。ルード君か。これはまた……」
なんと、玉座に座ったエヴァンスがリネッタを自分の膝の上に乗せて、彼女の耳をモフっていたではないか。
「だから言ったんです。こんなに頻繁に、その……」
リネッタは両手で顔を覆い、とても恥ずかしそうにしている。
だが、彼女の耳を触り続けるエヴァンスの手は止まっていない。
ルードたちは謁見の間から、エヴァンスの私室に案内される。
綺麗に整頓されており、エヴァンスの仕業とは思えない花が飾ってある、とてもいい香りのするところだった。
「伯父さん、元気そうだね」
「あぁ、ルード君のおかげでやっと即位したときと同じくらいに充実しているよ。ところで、そちらの女性はもしや」
「はい。彼女は僕の──」
ルードがクロケットを紹介しようとしたとき、彼女はルードを見て微笑んでから一歩前に出る。
スカートの両裾を指で軽く摘まむとふわりと持ち上げ、そのまま片膝を折るように身体を低くすると、控えめに俯いた。
きっとリーダとイリスが教えた所作なのだろう。
それは洗練された動きで、とても女性らしい会釈だった。
「初めましてですにゃ。私、ルードちゃんの婚約者で、クロケットと申しますですにゃ」
「ほほぅ。これはまたご丁寧に。私はルード君の伯父で、この国の国王をさせてもらっています。エヴァンスと申します。ルード君らしいというか、可愛らしい女性だね」
「僕らしいってどういうことですか? そうです、この近くの集落の出で、僕の大切な婚約者です。ところで……」
「あぁ。もう、隠してもしかたがないよね。ルード君とイリスさんは知ってるけれど、クロケットさんは初めて会うよね? 彼女はリネッタと言って、王妃として迎えようと思っている女性なんだよ」
「うにゃぁ、お妃様にゃんですね?」
クロケットは、とてもキラキラとした眼差しでエヴァンスとリネッタを交互に見ている。
「ちょっと待ってください。そんな話、聞いていませんよ?」
ルードにはちょっとだけ予想できた展開だった。
リネッタは少し怒ったような表情でエヴァンスの言葉を否定する。
「あれ? 言ってなかったかな? リネッタは私が嫌いなのかい?」
「そういうわけではありませんが。私みたいな、ただの村長の娘では……。ですが、あなたは少しいい加減なところがありすぎるのですっ」
急に二人は言い争いのような感じになってしまう。
喧嘩というよりは夫婦喧嘩のようにも見えなくはない。
きっと年齢的にはリネッタの方が少し上なのだろう。
まるで姉がしっかりしなさいと、弟を窘めるようなそんな感じ。
それでいて、エヴァンスがリネッタの言葉尻を捕らえて遊んでいるような、そんなほのぼのとした間柄にみえる。
ルードはちょっと肩をすくめてクロケットを見る。
「まるで『猫も食べない夫婦喧嘩だね』」
クロケットも苦笑しながら、ルードに続く。
「いいえ、私たち猫人でもこれは食べられませんにゃ」
そんな二人のボケ合いに、今にも吹き出しそうにイリスは笑いを堪えながら、ツッコミを入れた。
「ルード様、クロケット様。それはあんまりではありませんか? ……ぷぷぷぷ」
言い争いをしていたはずのエヴァンスとリネッタは、ルードたちをきょとんと見てしまっていた。
そしてすぐに我に返り、『夫婦喧嘩だなんて、まだ了解をもらってないから違う』とエヴァンス。
『こんな我儘な夫は手に負えないので、私は欲しくありません』とリネッタも言う。
ルードは笑顔で二人に言った。
「これ以上喧嘩するなら僕、手伝わないで帰りますよ?」
「いや、それは困るから……」
「申し訳ございません……」
エヴァンスとリネッタはやっと落ち着いてくれた。
それを見計らうように、二人の女性がお茶を持って来てくれた。
「以前はお世話になりました。私はトレーナと申します」
綺麗な長い髪の犬人の女性。
「カリラと申します。助けていただいてありがとうございます」
こちらはショートカットの犬人の女性。
二人ともルードがリネッタと一緒に助け出した人たちだった。
「元気そうでよかったですよ」
「はい。こうしてここでまた働くことができました。ね、カリラ」
「えぇ。ヘンルーダ様にもお世話になりました。私たち自分たちで決めて、戻らせてもらったのです」
「そうだったんだ。これからもよろしくね」
「「はい。失礼いたします」」
二人はお茶を配り終わると、一礼して部屋を出て行った。
出されたお茶を一口飲んでから、ルードは肝心の話を切り出し始める。
「伯父さん。例のお触れのことを聞いたんですが」
「あぁあれかい? 私が最初に決めた国策なんだ。悪さをした者の処分を終えたらね、城で働く者が半数以下になってしまったんだよね」
「それで人手が足りなくて、獣人の人たちを?」
「そう、彼らはとても勤勉なんだ。それにね、私たち人間と違って、長命なんだよ。なので長い間、第一線で働いてくれるだろう。それこそ、私たちの孫の代まで可愛がってくれるだろうからね。獣人の人たちには期待しているんだ」
「なるほどですね。それはいい考えだと思います」
ルードはすとんと落ちるところがあった。
身近にリネッタがいたことで、獣人はどんな存在なのか聞いているのだろう。
そういう意味で、エヴァンスはよく考えている。
彼自身の考えではないとはいえ、今まで虐げてしまった獣人たちへの贖罪。
これから彼らの力を借りるという必要性も含めて、王家から率先して融和の手段として行ったこということ。
人間よりも身体能力は高いが、心優しすぎてこれまで大変な目に会ってきた獣人たち。
そんな人たちと国を盛り立てていく。
エヴァンスも考えた結果だったのだろう。
「それにね。モフモフはいいものなんだ。見ているだけでも、実に心が落ち着く」
「あははは。伯父さん、それはちょっと違うんじゃないですか?」
「そうですにゃね。モフモフはいいものですにゃ」
「えぇ。素晴らしいと思います」
クロケットとイリスまでも、同意してしまっていた。
そんなエヴァンスを見て、苦笑していたリネッタは。
「ほんと、仕方のない人ですね。これでは、私が一生面倒みないと駄目ではないですか」
「そうかっ。それなら結婚してくれるんだね?」
「はいはい。わかりました。ほんと、仕方のない人ですね……。あ、でも。耳を触るのは人前ではその……」
「うん。人前でなければいいんだよね?」
「そういう話ではありませんっ。もう少し自重してくださいませっ」
こうして、エヴァンスにも遅い春がやっと訪れたのだった。
▼
ルードはエヴァンスに、エランズリルドに暫く滞在すること。
後日、リーダたちを連れてまた来ること。
するとエヴァンスは開いている屋敷を使っていいと言ってくれた。
気が付けば、ルードのエランズリルドでの拠点があっさりとできてしまったのだった。
次に向かったのはもちろん、フレットの屋敷だった。
「ルードちゃん」
「あ、クロケットお姉さん。『坊ちゃま』って呼ばなくなったんだね」
「えぇ。さすがにそう呼ぶのはそろそろいけにゃいかと思ったんですにゃ」
「前からね、そろそろ『坊ちゃま』は、やめてほしいなーって思ってたんだ」
「そうですにゃね。ルードちゃんももうすぐ十五歳ですからね」
そう、間もなくルードも十五歳。
国によっては成人とするところもある年齢。
ウォルガードでは十八歳が成人らしいのだが、おそらく教育機関があるからなのだろう。
「そうそう。さっきリネッタさんに聞いたんですにゃけど」
「ん?」
「エヴァンス様より、リネッタさん。五歳年上らしいですにゃね」
「そうだったんだ。そこまで同じって……」
「ほんと、似てますにゃね。ルードちゃんとエヴァンス様って」
「でもさ、伯父さんも奥さんがほしいって言ってたから、よかったと思うよ。ほんとに」
「えぇ。そうですにゃね。お似合いでしたにゃ」
どっちにしても、エヴァンスとリネッタとの間に子供ができれば混血ということになる。
人間と犬人、人間と猫人との間で産まれる子供は、おそらくはルードと同じように耳と尻尾を持ちながら表に出さないで産まれてくるのだろう。
それでいて、長寿である獣人の血を引いていることから、人間よりも長寿である可能性は高い。
そのあたりはルードの記憶の奥にある知識にはないものだ。
それはそうだろう、ルードの知識はこの世界のものではないのだから。
一段落したら、タバサかイエッタに聞くのが一番いいのかもしれない。
タバサはこの国の資料という資料を可能な限り調べることをしていた。
イエッタは長年見てきた狐人の習慣、触れ合った人たちから得られる情報の多さはこの世界でも飛びぬけている。
二人に聞けば、この世界のことであればわからないことは恐らくないだろう。
必要になれば相談しよう、ルードはそう思っていたのだった。
フレットの屋敷に近づいてくると、何やら楽しそうな声が聞こえてくる。
その声は庭先からだった。
ミリスが元気に走り回っている。
それも『もふもふまってー』とジョンズを追いかけているのだ。
もしかしたらフレットが教えたのか、それともモフリストは遺伝してしまうのか。
「お願いです、ミリス様。これから私、仕事なのです。ちょっとフレンダ、ブレンダも笑ってないで助けて。そこっ、ミレディも指差して笑ってないで。頼むよ、捕まったら一時は離れてくれないんですってーっ」
そのとき、クロケットが地を軽く蹴った。
ルードが知っている彼女の身体能力はかなりのものだったはず。
一瞬でミリスを抱き上げると、彼の右手を自分の耳に宛がった。
「ほら、モフモフですにゃよー?」
「うわー、もふもふ。もふもふもふ……」
ミリスは満面の笑みでクロケットの耳をモフりまくる。
クロケットは小さい子が大好きだから、率先して囮になったのだろう。
「……はぁ、はぁ。助かりました。……あれ? どなたでしたっけ?」
「はい。クロケットと言いますにゃ」
「クロケット……、様ですか?」
遅れてルードが庭に入ってくる。
「クロケットお姉さん、速いねー」
「つい、可愛すぎて、飛び出してしまいましたにゃ」
ミリスはクロケットに肩車をしてもらい、『もふもふー』と言いながら彼女の耳をモフり続けている。
恍惚とまではいかないが、すごく幸せそうな表情だ。
ルードが姿を現して、ジョンズは顎に手を置いて考えている。
「お久しぶりです。も、もしや。ルード様のご家族の方でございますか?」
「うん。僕の婚約者のお姉さんだよ」
瞬間的にクロケットに向かって腹を上にし、服従のポーズをする。
ジョンズのその額には脂汗が浮かんでいた。
「もしかしなくても、ウォルガード次期王妃様っ! た、大変失礼なことを……」
ジョンズはクロケットとルードに一生懸命謝罪しようとしているのだろうが、どうしてもルードには滑稽な姿に見えてしまう。
「ジョンズさん、ほら、立ってください。フレットさんとワイティさんに挨拶に来ただけなんですから」
ルードに許しを得たことで、ジョンズは立ち上がってうやうやしく一礼をする。
気が付くとイリスはクロケットの傍に寄り、ミリスの頭を撫でていた。
最近イリスの可愛らしいものを愛でるという欲求には『我慢しなくていいから』と許可を与えていることで、こうしてルードの指示を受けていないときはつい自分の欲求に素直になってきているのだ。
ミリスも頭を撫でられて、猫人の子供たちのように目を細めていた。




