第二話 モフリストたちの天国と、ルードの墓穴。
今回、かなりの量の物資を運ぶ予定になっているそうだ。
ルードとクロケットが作業を手伝おうとしたとき、エリスが苦笑しながらこっちへやってきた。
「ルードちゃん、駄目よ。これは私たちの仕事なの。あとで追いつくから、先に行って待っててちょうだい」
「う、うん……」
ルードとクロケットはひとりひとりに挨拶をしてから先に出ることになった。
『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』
イリスが詠唱を完了すると、リーダに似た、それでいてちょっと目がきつい感じのフェンリラの姿になっていた。
「ルード様、クロケット様。お乗りください」
「いいの?」
「えぇ。間もなく日が暮れます。少し急ぎますので、クロケット様が振り落とされないよう、しっかりと抱いてあげてくださいね」
「う、うん」
「ルード坊ちゃま、お願いしますにゃっ」
バランス感覚と体幹はルードのが強いはず。
そういう意味から、先にクロケットを乗せて後ろからルードが抱えるようにしたのだが。
如何せんルードの方が身長が低い。
ちょっと不格好になりながらもルードの胸に顔を寄せて、クロケットは嬉しそうにしている。
二人っきりではないが、久しぶりともいえるルードの一緒の旅。
シーウェールズに来たとき以来だろうか。
ただそれは、旅というには快適さに欠けたものだった。
「では、出発します。ルード様、クロケット様。振り落とされないようにお願いしますね」
「いやそれ、違うでしょ、お、おぉおおおおおおおっ!」
ルードのツッコミの声が、ドップラー効果を伴って通り過ぎたかどうかはわからないが。
それはあまりにも悲惨な移動だった。
クロケットはあまりの速度に気絶しているわ。
ルードは顔を真っ青にして、ただ振り落とされないようにクロケットを抱きしめて足で必死に身体を固定するしかできなかった。
確かにイリスは速かった。
優にリーダの倍以上の速度は出ていただろう。
ただそれは力技。
ルードのような効率的な関節の動かし方ではなく、ただ乱暴に力を解放して地面を蹴る。
人を乗せて移動することを考えていない走り方だったのだ。
ルードは思った。
陸路には限界があるのだということを。
起きている状態でイリスの背中に乗ったことで、馬車に代わる輸送を真面目に考えることにするのだった。
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あっさりと猫人の集落へ到着してしまったルードたち。
「もう、イリスの背中には当分乗らないからねっ!」
「も、申し訳ございませんでした……」
「まぁまぁ、ルード坊ちゃま。イリスさんも悪気があったわけじゃありませんにゃ」
「そりゃそうだけどさ、あれはないわ。イリス、僕があとで効率のいい走り方教えるから。無駄がありすぎるんだよ。イリスは……」
「ひゃいっ! しゅみましぇんでした……」
珍しくイリスが噛んだ。
ルードに怒られるなんてそうそうないことだろう。
明らかに身長が低いルードに、しゃがんで頭を抱えて怒られているイリス。
その姿は微笑ましく思えてしまうくらいだった。
「ぷぷぷ。イリスさん。可愛い」
「ほんと、笑い事じゃないってば。危うくちびっちゃうくらい、怖かったんだからね……」
ルードの姿を見つけた子供たちが集まってくる。
「ルードお兄ちゃんだ」
「こんにちはー」
ルードはしゃがんで子供たちの頭を撫でる。
ひたすらなでる。
「(もふもふもふ……。たまらんですね)皆いい子にしてた?」
「「「してたー」」」
クロケットもルードの横にしゃがんで子供たちと戯れている。
何気に素性がバレているのか、イリスの足にも子供がじゃれているのだ。
「(あぁ、たまりません。もふもふしたい……)」
イリスは立場上、直立不動にしながらもだえ苦しんでいた。
「無理しなくていいよ、イリス」
「えっ? いいんですか?」
イリスの目が一瞬きらりと光った、はずではないのだが。
彼女はその場にしゃがむと二人の子供を抱きしめる。
「あぁ、可愛らしい。このまま死んでもいいくらいです……」
「あはは。イリスお姉ちゃん変だー」
「くすぐったいよ。でも、気持ちいい」
「もふもふもふ……」
「イリス、口に出てるってば」
「もう、止まらないですにゃ。モフモフは危険ですにゃ」
猫人の男の子の頭に顔を埋めて頬ずりしたり、すーはーと匂いを嗅いだり。
モフりまくって、堪能しているようだった。
「ルードお兄ちゃん。ちゃんとお母さんのお手伝いしてたよー」
「そっか、うん。いい子だね」
つい最近はこの集落に人が増えてきた。
ここにいる子たちは元々この集落の子だから、クロケットと同じ黒髪だ。
この子は、クロケットの従姉妹なんだそうだ。
耳も小さくて可愛らしい。
その可愛らしい耳にも黒い毛がふさふさと生えている。
ここの子たちはルードが言うところの『モフられる』のが嫌いではない。
本来猫は構いすぎると痩せてしまったり、手をひっかいたりするだろう。
だが、猫人は味覚や習慣なども人間と同じ部分があるせいか、褒められたり撫でられたりするのは小さな子は特に喜ぶのだ。
「(この子の名前は確か……)クロメちゃんだっけ?」
クロケットと同じように名前の頭に『クロ』がつく子が多いのだ。
「うんー。お兄ちゃん、なでてなでてー」
ルードはクロメの前にしゃがむ。
すると丁度ルードの目の前にクロメの顔がくるのだ。
まだ決してごつごつしていない少年の手で、その柔らかな黒髪をわしわしと撫で始める。
「うん。いい子いい子」
「えへーっ」
クロメは目を細めて気持ちよさそうにしている。
なんとも言えないこの手触り。
髪油がこの集落には伝わっているのだろう。
クロケットのようにつやつやしていて、おまけにとても柔らかい。
指の間をするりと流れるように抜ける黒髪。
髪をさらさらと撫でていると、耳がたまにぴくりと動いたりするのだ。
「(モフリストにはたまりませんなぁ……)」
「お兄ちゃん、なでるのじょうずー」
クロメの後ろには子供たちが待っている。
次はわたし(ぼく)だと言わんばかりの期待に満ちた顔をしているのだ。
そして入れ代わり立ち代わりモフりまくった。
「「(何この天国は?)」」
ルードとイリスは、同じことを思ったことだろう。
中央の広場でモフモフの大歓迎を受けたルードたちは、ヘンルーダの屋敷に入っていく。
後ろを振り向くと、イリスの顔もつやつやしていた。
その顔には『堪能させていただきました』と書いてあるような満足感に満ちたものだった。
彼女は、いつもよりも表情が柔らかい。
それに比べて、クロケットは緊張した表情になっていた。
尻尾を足の間に挟んでしまっている。
これは弱気になっていたり、恐怖心を感じているときによく出る動きのようだ。
それもそのはず、言われてもいないのに正座して項垂れていたのだ。
その目の前には、厳しい顔をしたヘンルーダがいる。
犬人でヘンルーダの執事のような仕事をしている、リリエラが苦笑いしながらお茶を出してくれた。
ヘンルーダから事情を聞いているのか、あまり驚いていないようだ。
リリエラはルードに軽く会釈をすると、キッチンの方へ戻ってしまった。
「クロケット」
「はいですにゃ」
「あなたは自分が何をしたのかわかっているのですよね?」
「はい、……ですにゃ」
ルードは二人を見て、きょとんとした表情をしていた。
この状況がまったくわからない。
なぜクロケットが一方的に叱られているのだろうか。
「あの、ヘンルーダさん」
ルードは恐る恐る聞いてみることにした。
するとヘンルーダはクロケットに向けている表情とは違い、優しい表情になってルードを見た。
「何かしら? ルード君」
「あの、クロケットお姉さんはなぜ怒られているみたいなんですか?」
「あら? まだルード君には話していなかったのかしら? ねぇ、クロケット?」
「ごめんなさい。言えなかったんです……。ルードちゃんに背負わせるわけにいかなくて」
クロケットはいつもの『にゃ』という言い回しをせず、ルードのことを『ルードちゃん』と呼んでいる。
いったいどういうことだろう。
クロケットはルードをすまなそうに見た。
「あのね、ルードちゃん。私、この集落を捨てたの」
「えっ? それって、どういう」
ルードはイリスを見た。
イリスは『わたくしを見られても困ります』という表情をしている。
ルードは驚きのあまり、どうしたらいいのかわからなくなってしまったのだ。
「私ね、本当は母さんの後を継いで長になるはずだったの。でもね、外に嫁ぐということは、ここから出ていくということなのね。私には兄も弟も妹もいなかった。だから私が継がなければならなかったんだけど、そうしたらルードちゃんの傍にいられないから、ね」
「えぇ。そうなのです。この子は集落を出る覚悟をしたんです。長の家系では許されないことだったわ。でもね、それでもいいと思ったの。リーダの息子のルード君だったから。それにね、クロケットはルードちゃんをこっそり見に行ってたのよ」
「か、母さん。それ言っちゃ駄目っ!」
「僕を?」
「えぇ。リーダが来たときにね、小さな子供の服がほしいって。そのときに『可愛らしい子なのよ』って、まるで好きな男性を惚気るように自慢していたの。そうね、ルード君が五歳くらいだったかしら」
「あぁあああああ……」
クロケットはすごく恥ずかしそうにしている。
「それでね、『すっごく可愛い子だったの』ってね、目をキラキラさせて行ってたのを覚えているわ。きっとこんな日がくるのかしら、と思っていたのよ。それから何度となくルード君を見に行っては楽しそうに話をしてくれるのよ」
「は、はぁ……」
ルードはちょっと困ってしまう。
とにかく、クロケットは世襲制の集落の長の座を捨ててルードの傍に来たということだった。
「ルードちゃん」
「はい」
「私ね、本当はここに近づいてはいけないことになってるの。だからこの前もね、怒られちゃった」
「そうだったんだ……」
クロケットの力ない笑い顔が、ちょっとだけ切なく感じる。
文字通り、すべてを投げうってルードの傍にいることを取ったのだ。
あれだけ心配され、大事にされてきたルード。
ここで何もできないのは男の子として残念すぎるだろう。
「あの。ヘンルーダさん」
「何でしょう?」
「僕にできることってないですか?」
「そうね。ないこともないのだけれど……」
「クロケットお姉さんのためなら、何でもします」
それはあまりにも油断しすぎだった。
その瞬間、イリスだけは気づいた。
ヘンルーダの口元が若干吊り上がっていたのと、クロケットの目が泳いていたことを。
『仕方のない母娘ですね』という感じに苦笑していたのはルードは知らないだろう。
「ルード君。この集落も人が増えてきましたよね?」
「はい」
「これは、ルード君の『したかったこと』ですよね?」
「は、はい」
「クロケットはルード君のお嫁さんになるのよね?」
「はいっ」
「ここはもう集落という規模ではなくなってしまいました。正直、私の手に余るのです」
「……はい?」
「ですので『責任をとって』、クロケットとこの『村』をもらってくださいね?」
「えぇええええっ?」
詳しく聞いてみると、いずれルードが国王となった後に、この村はウォルガードの直轄地となるようにしてほしいということだったらしいのだ。
この話は実はルードがフォルクスにいたときに、エリスとリーダが遊びに来た際。
エリスが米の重要性に気づいて、ここはウォルガードが収めるべきだと思ったらしい。
そこで、リーダから提案があったらしい。
いずれルードが獣人たちを解放するだろう。
そのときに『ついでにクロケットと集落を押し付けちゃえばいい』というとんでもない発想だったそうなのだ。
「母さん、ママ。……あんまりだよ」
遅れてくるだろう二人に文句を言う。
ただこの程度のことに悩んでいる暇はない。
だからルードはすぐに行動した。
「イリス」
「はい。なんでしょう?」
「何かいい方法、考えてね? 僕の執事さんでしょ?」
「えぇええええっ! それはあんまりですよぉ……」
ルードは現時点で自分の手に余る専門外のことだと判断した。
そこでイリスに丸投げすることにしたのであった。
ヘンルーダはクロケットを抱きしめた。
「クロケット、よくやったわ。あなたがルード君に認めてもらって、初めて提案できる案件だったのよ」
「……はい、ですにゃ?」
「私も肩の荷が下りたわ。これでやっと孫の顔を楽しみにできるわね」
「「えぇっ?」」
「ルード君」
「は、はい」
「クロケットをよろしくお願いしますね」
「はいっ。僕がクロケットお姉さんを幸せにします」
「クロケット」
「はいですにゃっ」
「ルード君は、この先『大変に』なるかもしれないわ。あなたは絶対に、置いて行かれないように努力するのよ?」
「……母さんの言ってることが、よくわからないですにゃ。でも、必死についていきますにゃっ!」
「三年後が楽しみね。どんな綺麗な花嫁衣裳になるんでしょう」
「にゃははは……」
この瞬間、クロケットは許嫁から婚約者にレベルアップしたのだった。
「ルード様、おめでとうございます。見事な『墓穴』でした」
「イリス。それ、褒めてるの? いじめてるの?」
「どっちもでございます」
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遅れてくるリーダたちが来たら、ルードが解放した獣人たちの支援の相談を始めることになるそうだ。
「ルード君。次から私のことも、『お母さん』って呼んでくれたら嬉しいわ」
「はい……、ヘンルーダお母さん」
「あぁ、このことだったのね。息子が欲しかったから嬉しくて仕方ないわ」
「あははは。もう、どうにでもしてください」
ヘンルーダにきゅっと抱きしめられて、ルードは複雑そうな表情をしていた。
こうして、ルードたちは皆に見送られながらエランズリルドに向かうことになった。
『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』
ルードはフェンリルの姿になる。
「クロケットお姉さん、イリス。乗って」
「ルード様。それならばわたくしが……」
「嫌だよ。イリスの背中、怖いんだもの」
「……そ、それはどういう?」
「にゃははは……。あれは私も嫌ですにゃ」
「クロケット様まで……」
クロケットは一発で気絶していたことを覚えているからだろう。
さすがにイリスのことをフォローすることはできないようだ。
「いいから乗って。イリスがどれだけ乱暴に走ってるか教えてあげる」
「……わたくしって雑なんですか?」
「うにゃ、怖かったですにゃ」
クロケットはそう言いながらも、イリスの背中を押してルードに跨らせる。
クロケットがイリスの後ろに乗ると、ルードに声をかけた。
「ルード坊ちゃま、いいですにゃよ」
「うん。じゃ、行くね」
ルードはゆっくりと地面を蹴った。
イリスにしたらゆっくり過ぎる感じがするかもしれない。
ただ、流れる景色から考えるに、かなりの速度になっているはずなのだが。
「ね、揺れないですにゃ。とても優しい走り方にゃのですにゃ」
「嘘でしょう……。まったく揺れないわ」
ルードは足を止めた。
「あのね。上体を揺らさないように、関節を柔らかく使うんだ。それでね、どんな地面の状況でも、膝と足首の関節で調整するとね、身体を揺らさないで走れるんだよね。その方が風を後ろに流しやすくて速く走れるんだよ。不思議なんだけどね」
ルードが言っているのは、空気抵抗のことなのだろう。
身体が揺れたら揺れただけ、無理やり空気の壁を切り裂いて進むことになる。
ルードは感覚的にそれを知っていたのだろう。
実は理にかなった走り方だったりするのだ。
イリスはとにかく力技で速度を稼いでいる。
背中に人を乗せるのにも慣れていないのだろう。
ルードとイリスの走り方の違いは、人を乗せて走ることを想定しているかどうかの違いがあるのだ。
そのため、イリスの背中はめちゃめちゃ揺れてしまった。
クロケットが気絶してしまったため、粗相をしなかっただけ奇跡だったのかもしれない。
後日談になるのだが、ルードが教えた方法で走ったイリスは、今までの倍近い速度で走れるようになる。
だが、怖くてルードも乗らないことがわかってしまい、またイリスは落ち込むのだった。




