第一話 旅の報告と宿題と。
エリスたち商会の皆が準備を始めたころ、ルードとクロケットはミケーリエル亭へ今回の報告をしにきていた。
おそらくは夜にマイルスから伝えられることなのだろう。
だが、クロケットを連れて行くということもあり、直接話をしたかったというのもあるのだ。
ミケーリエル亭へ近づくに連れて、キッチンの排気口からなのか。
『これぞ温泉街』と言わんばかりのまんじゅうを蒸した匂い。
きっと今蒸し上がったのだろう。
「いい匂いだねー」
「ですにゃね」
ミケーリエル亭では、温泉まんじゅうを始めとしたルードが作ったものを置いてもらっている。
いわゆるアンテナショップのような感じだろうか。
おまけに表には『ミケーリエル亭特製温泉まんじゅう』と看板を出してもらっている。
基本的には温泉まんじゅうは『フェンリル印』として出すつもりはなかった。
この町の人であれば誰でも作れるように、クロケットに教えたのだから。
クロケットが一番最初に教えたのがミケーリエルだった。
元々料理の腕はルードが驚いたくらいの腕前だったから、少々手順が面倒な温泉まんじゅうでもなんとか作ることができたようだ。
ルードたちがミケーリエル亭へ入ると、蒸し上がった温泉まんじゅうを美味しそうに食べているミケルとミケーラの姿があった。
「あ、ルードお兄ちゃん、おはよー」
「ルードお兄さん、おはよう」
ミケルはお兄さんと呼び、ミケーラはお兄ちゃんと呼んでくれる。
二人とも母親の手作りの温泉まんじゅうが大好きらしいのだ。
「二人ともおはよ。お母さんはキッチンかな?」
「うん。お母さーん、お兄ちゃんが来たよー」
ミケーラが呼ぶと、ややあってミケーリエルが顔を出した。
「あら、ルード君おはようございます。今日はどうしたのかしら?」
「あのですね、クロケットお姉さんがちょっとの間手伝いに来れないかもしれなくなったんです」
「あら? 今度は連れて行くのね? よかったわね、クロケットちゃん」
「は、はいですにゃ」
察しがいいというか、なんというか。
クロケットまで俯いて顔を真っ赤にしていた。
開店前の忙しい時間が終わっているからだろう。
クロケットと一緒に食堂のテーブルで話すことになったのだ。
「あのね、ルード君」
「はい」
「おかげさまでね、うちの売り上げがね」
「はい」
「ルード君が来る前の数十倍になってるのよ」
「それはよかったです」
「数十倍よ。あのひとが仕事しなくても十分に食べていけるくらいなのよ」
ミケーリエルは少し興奮気味に話してくれる。
「お母さん、興奮しちゃ駄目っ」
「うんうん」
すっかり息子と娘に窘められてしまう。
ひとつ咳払いをすると、照れ笑いをしている。
「あ、あのね。結構な蓄えもできたのね。それで、人を雇おうということになったの。実はね、朝だけ手伝ってくれている人が二人いるのよ」
「そうだったんですか」
「クロケットちゃんが仕事を教えてくれるから、助かっているんですけどね」
さすがはひとりで何年も宿を切り盛りしていたわけではないのだろう。
「だからね、気にしないで連れて行ってあげてください。ずっとね、寂しそうに待ってたのよ、クロケットちゃん」
「……はい。反省しています。それとですね」
「なんでしょう?」
「マイルスさんも近いうちまた」
「いいのよ。あの人が帰ってきてくれるだけで、それで幸せなの」
「……そうですか」
「えぇ。だからね、心配しないで行ってらっしゃい。クロケットちゃん」
「はいですにゃ」
「離れちゃ駄目よ?」
ルードの肘にふにゅんとした感触。
クロケットがルードの腕にしがみついて、『離しません』という意思表示をしながら笑顔で答えた。
「も、もちろんですにゃっ!」
「はい、わかったって。ちゃんと連れて行くからっ」
▼
ミケーリエル亭での報告が終わり、次に二人が向かったのはタバサの工房だった。
最近彼女の工房には、数人の見習いを雇ったと聞いている。
慌ただしく工房の中を行ったり来たりしながら、若い犬人の男性や、猫人の女性の姿が確認できた。
ルードたちの姿を確認した見習いの男性が、一礼してまた作業へ戻っていく。
工房長であるタバサの部屋は一番奥にあった。
タバサはここで寝泊まりをし、ルードの家にごはんを食べにきている。
「タバサ姉さん、いますかにゃ?」
「はいはい。クロケットちゃんこっちよ。あら? ルード君も一緒なのね」
「はい。忙しいところすみません」
「いいの。あ、あのね、ルード君」
「はい?」
タバサが前掛けをして思いもしない方向から顔を出した。
そこは、この工房のキッチン。
キッチンと言うには少々大きい。
まるで飲食店の厨房のような感じだ。
ルードも前に見せてもらったのだが、厨房のはずなのにそこには実験機材と調理器具が混在している少しばかりカオスな空間。
実はここからプリンとアイスが量産されていたりするのだ。
タバサが鉄板でできたプレートの上に何かを乗せてこちらへ歩いてくる。
「これよ、これ。見て見て」
「あ、これって」
「そうよ。柔らかいパンがやっとできあがったの。料理って楽しいのね。同じ分量、同じ工程で作れば、失敗しないなんて知らなかったわ」
「あははは」
タバサの言っている料理とは、無意識に『農産物,水産物,畜産物などを原材料として加工食品を生産する食品工業』のことを言っているのだ。
タバサにとって、プリンとアイスは既に量産できる製品となっている。
味噌から始まって、天然酵母。
果てはエリス商会のヒット商品の髪油まで。
タバサにとっては決まった工程で作れば間違いなくできるもの。
それが料理までできてしまう。
ある意味天才なのかもしれない。
「ルード坊ちゃま。食べてみてくださいにゃ。私も食べさせてもらったんですけど、ふかふかで美味しかったですにゃ」
「うん。一個いただくね」
「どうぞ。自信作よ」
タバサから熱々焼きたてのパンを手渡される。
二、三度お手玉しながら、手の上で冷ましてから軽くちぎってひと口含んだ。
確かに今まで食べたパンより柔らかい。
焼き加減も申し分ない。
きっと魔法を使っているのだろう。
この町で作られているパンは、乾パンよりも若干柔らかい程度。
スープに浸して柔らかくしてから食べるのが一般的なのだ。
それがこのもちもちとした食感と、顎が痛くならない柔らかさ。
ふわっと鼻先をかすめる焼けた香りも心地よい。
「うん、美味しい。柔らかいねー」
「でしょー。でも、いいの?」
「ん?」
「だって酵母も味噌も、ルード君が考案したんだから、その……」
「考案しただけでしょ? タバサさんがいなかったらできなかったんだし。立派な錬金術師の功績だと思うよ」
「ありがとう。十分すぎるほど向上なのよ。それにほら、見習いの人も増えたし。錬金術師になりたい、なんて言ってくれる人は今までじゃ考えられなかったんだから」
狼人の村にいたとき、始めて会ったときのタバサの表情とは別物。
とても充実した日々を送っているのだろう。
「あ、それでさ。ローズお母さんを除いて全員エランズリルドに行くことになったんだよね」
「えぇ、聞いてるわ。大丈夫よ、ごはんはローズさんが作ってくれるって言ってくれたし。あたしもやることがありすぎてね、ここを離れるわけにいかないのよ。ついていけなくてごめんなさいね」
「あれこれ任せちゃってごめんなさい」
「毎日が充実してるの。こちらこそありがとう。それと、クロケットちゃん」
「はいですにゃ?」
「よかったわね」
「はい……、ですにゃ」
ミケーリエルに言われた意味と同じなのだろう。
「タバサさん」
「なぁに? また新しいものかな?」
「よくわかっていらっしゃる。あのね今度はミルクの製品なんだけど」
「うん、どんなのかしら?」
「先にね、これの意味わかる?」
ルードは試験管に水を入れて、その上からオリーブの油を入れる。
「もしかして、油と水の重さの違いのことを言ってるの?」
「そう。『比重』って言うんだけど、水を十とするとね、油はそのおおよそ八の重さなんだよね」
「えぇ。あたしたち錬金術師の間でも常識よ」
「そっか、それなら話は早いね。ミルクにはさ、脂肪分が含まれてるんだけどね」
「えぇ。放っておくと上に溜まってくる、あれ、よね?」
「そう。その脂肪分をね抽出してほしいんだ」
「難しいことを言うわね……」
タバサは腕を組んで首をひねる。
「そこでね、今度はこれ」
ルードは手近にあった紙を地面に落とした。
「地面に引き寄せられる力、よね?」
「そう、『引力』って言うんだけど。これをね、人工的に作ってあげるんだ」
「……どうやってそんなことを?」
「あははは。ものは考えようなんだ」
ルードは試験管のくびれの部分に紐を固く結びつける。
紐の部分を持って、くるくる回して見せた。
「あ……、そういうことなのね?」
「うん。これを『遠心力』って言うんだけど、『引力』と同じ効果を人工的に生み出せるんだ」
「そう……。紐の部分が外へ逃げる力を引き留めて……、なるほどね」
クロケットがいつものように。
「あの、ちんぷんかんぷんですにゃ……」
「あ、こんどゆっくり教えてあげるから」
「そうね。あたしも教えてあげるわ」
「あ、ありがとうですにゃ」
クロケットは口を挟まないようにしよう、と思った。
「それで、ミルクの話と油がどう繋がるの?」
「そしたらね、さっきの油と水をこうして混ぜる」
試験管の口を親指で塞いで勢いよく振った。
すると、水と油は混ざりあわないが、細かく散った油が水の中で泳いでいる状態になった。
「こうすると、混ざりはしないけどこんな感じになるでしょ?」
「えぇ」
その試験管のくびれにさっきと同じように紐を固く結びつける。
その紐を持って、ルードは詠唱を開始する。
『風よ回せ』
相変わらずいい加減な詠唱なのだが、ルードの手を中心に小さな竜巻のような現象が起きていた。
紐を持った状態だから、試験管は風の勢いに負けてくるくると勢いよく回り始める。
ややあってルードが魔法を解除すると、そこにあったのはいい加減に混ざっていた水と油がきっちりと分離していたのだった。
「これをね、『遠心分離』って言うんだ。こうすることで比重の違うものを短時間で分けることができるんだ。……うまくいってよかった」
ルードは『あはは』と後ろ手で頭を掻き始める。
「こ」
「こ?」
「これは驚いたわ。こんな方法があるのね……」
「うん。こうするとね、ミルクの脂肪分を効率よく取り出すことができるはず。ミルクの成分をね、千とすると脂肪分は三十とちょっとしかないんだ。だから集めようとすると、大量のミルクが必要になっちゃうんだけど、これがあれば美味しいものができるんだ。『生クリーム』って言うんだけどね」
シーウェールズやウォルガードで流通している牛乳は、現代のように乳脂肪分を砕いて均一化しているわけではないので、放置すると分離してしまう。
俗にいうノンホモ牛乳に近いのである。
それくらい乳脂肪分が多いのであった。
そのため、なるべく早く飲むのがお約束になっていた。
ルードは一晩置いた牛乳にうっすらと脂肪分が分離していたのを覚えていて、今回のことを思いついたというわけだった。
「ふむふむ……。うまい方法がないか考えてみるわ。ほんと、ルード君は知識の宝庫ね」
「あはは。ただの食いしん坊だってば」
「任されたわ。楽しみにしててね」
「うん。お願いね。あ、」
「あ?」
「あははは。あのね、脂肪分を取り除いたミルクは捨てちゃもったいないよ。砂糖を混ぜて飲むと美味しいからね。栄養は沢山残ってるんだからさ」
「わかったわ。無駄にするようなことはしないわ。さぁ、また忙しくなるわよっ」
タバサは早速検証作業にとりかかると言ってくれた。
ルードとクロケットは一度家に戻って、旅の支度を始めることにする。
戻ってみたら、イリスが既に準備を終えてしまっていた。
「ルード様、クロケット様。出立の準備は完璧ですよ」
「あ、イリスってこういうとこ、すごいよね」
「は、はいですにゃ」
そのままイリスが合流してエリス商会へ向かうことにする。
イリスの背には、大きな鞄が背負われていた。
どこにそんな力があるんだ、というくらいにそれは目立って大きい。
そのあたりはさすがはフェンリルというべきなのかもしれない。
エリス商会に着くと、忙しそうに皆旅の準備を始めていた。
今回は馬車三台が裏手に準備されている。
そんな中、リーダとイエッタは手持ち無沙汰なようで、軒先でお茶を飲んでいるようだ。
ルードたちを見つけると二人は笑顔で手を振ってくれる。
クロケットと仲良くしているのを喜んでくれているように。
ちょっと早めですが、昼に更新となりました。
毎日はちょっときついですが、なるべく早いスパンで更新していきます。




