閑話 フレットさん家の新しい日常。
フレットさん家の新しい日常
フレット・ヘレンズライト。
彼は婿養子だ。
元々平民の出で、亡くなった妻の父が準男爵だった。
フレットは騎士だったのだが、結婚と同時に引退した。
結婚してすぐに義父が亡くなったこともあり、屋敷を守るためだけに婿入りしただの、財産目的だの、実に言われたい放題だった。
その件に関して、フレットはまったく気にしていない。
それどころか、フレットが矢面に立って罵られることでシスティアの盾になれるなら構わないと思っていた。
フレットはミリスが生まれたその日に、システィアに話をした。
ミリスが成人したらすぐに家督を譲ると。
『それがいいかもしれないわ。あなたは貴族としては優しすぎるものね』
システィアは笑いながらそう言ってくれた。
ただ彼女は生まれつき身体が弱く、出産には耐えられないと昔から言われていた。
それでも、子供がほしいというシスティアの願いを無下にできなかった。
そしてその夜、彼女は生まれたばかりのミリスを抱いたまま、安らかな寝顔を浮かべて息を引き取ったのだった。
それからすったもんだの子育てが始まった。
元々小さな家だったことと(貴族の屋敷としてはという意味で)、近所の人との交流もあり、なんとか疲弊しながらも子育てと格闘してきた。
王家とも付き合いのあるミーシェリア商会からの奇妙な誘いがあった。
きっとカモとして見られていたのだろう。
ただ今の状況では身動きがとれない。
奴隷を買うということに忌避感を感じていたのだが、お手伝いさんとして雇うつもりで何人か助けることができればと思って商会へ足を延ばした。
贅沢をする必要もなかったせいか、財政的には数人助けることができる。
そこで、まだ少年少女だったジョンズたちに出会ったのだ。
もう一人くらいと思っていたときだった。
そこで、亡くなったシスティアによく似た女性。
ワイティと偶然出会うことになったのだ。
フレットは騎士だった頃の蓄えをすべて投げうってでも、身請けしようと思ってしまった。
そうして、ジョンズたちとワイティとの生活が始まったのだ。
ミリスもワイティに懐いてくれた。
ジョンズたちも家を支えてくれている。
おまけに年季が明けても皆、残ってくれるというではないか。
フレットは嬉しかった。
皆の支えもあり、ミリスはすくすくと育ってくれた。
これ以上の幸せはないと思っていた。
そんなとき、あのときの赤子が成長して自分の前に現れたではないか。
システィアも心配していたその子は、とても立派な少年に育っていた。
彼も獣人を解放するために動いていると言っていた。
ただ彼の『粋な計らい』で、亡くなったシスティアと会うことができた。
そしてしっかりとワイティとのことで、彼女にいじられた。
それでもシスティアにワイティとのことを許してもらえた。
『ごめんね』が言えて嬉しかったのだ。
▼
今、ワイティはミリスと貴族街を抜けて城下へ散歩に出ている。
もちろんジョンズたちも連れて行った。
彼女たちは数年の間、屋敷から出ることができなかった反動もあり、ここ数日は毎日のように散歩に出かけている。
その散歩に付き合うように、ジョンズは見守ってくれている。
その合間にフレンダたちが買い物をしているらしい。
フレットが誰もいない屋敷にひとりだけ残ったのは、別に留守番をするわけではない。
いずれ王城に呼ばれるはずなのだが、その前に自ら国王に謁見することにしたからだった。
まだ貴族街に人間以外の種族の姿を見ることはない。
だが城下ではときどき見かけるようになったと皆から聞いている。
以前よりもギスギスした感じのなくなった貴族街は雰囲気も良くなってきている。
ミリスがワイティと散歩に行けるのも、街の雰囲気が良くなったのも。
すべてあの少年、ルードのおかげなのだ。
まるで散歩のようにゆっくりと歩いていたのだが、目的の場所は目の前だった。
本来であれば簡単には国王に会うことはできないはずなのだが、あっさりと通されてしまう。
「フレットと申します。お入りしてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、フレット君だね。構わないよ」
「失礼いたしま──」
フレットはドアを開けて入っていったのだが。
フレットの目に入ってきたものは、以前にも増して肌の血色がよくなった国王の姿だった。
と同時に、ありえない光景を見てしまったのだ。
玉座に座ったエヴァンスは自らの膝の上にリネッタを座らせて、彼女の耳を触って恍惚の表情を浮かべていた。
リネッタは恥ずかしそうに顔を真っ赤にしているのだが、嫌がっている感じではない。
「……あぁ、癒されるねぇ。これがルード君が言っていた『モフモフ』というやつなんだね」
「エヴァンス様、お客様の前です。勘弁してください……」
「……モフモフモフモフ」
「……はぁ。エヴァンス様、聞いていらっしゃいますか?」
「うん、聞いてるよ。いや、この毛並み。たまらないね……」
「んもう……」
フレットの目には、二人がイチャついているようにしか見えないのだ。
「フレット君。どうしたんだい? 数日したら呼ぶつもりだったから、来てくれて助かったともいえるのだが」
「……はっ。こ、国王陛下。これは……」
「君も知ってるのだろう? この触り心地いいよね。前から気になってはいたんだよ」
「確かに耳は、尻尾は良いものです……。いえ、そういう意味ではありません。なぜ私のようなものを公爵にされたのです? 私は、王家の血筋でもありませんし」
「あぁ、そのことね。本当はルード君にお願いしたんだけれど、断られてしまったんだよ。そこで、ルード君が君をという話になってね」
「なぜ私なんかが……?」
「ルード君が言っていたんだ。『モフモフ好きに悪い人はいません』とね。同じ趣味をもっている君なら安心して任せられると思ったんだよ。それにね、『フレットさんも家族ですから』とルード君は言っていたんだ」
「ルード様にそのように言っていただけるのはとても嬉しく思います。ですが、そのような『個人的な趣味嗜好』で……」
「この国はね、今後人間以外の種族と交流を持てる国にする。そう、ルード君と約束したんだ。優秀であれば騎士や文官にも積極的に取り入れて行こうと思っている。そこで、君のような獣人に近しい人がいてくれると助かるんだよ」
「なるほどですね。かといって」
「嫌なのかい?」
「いえ、そういう意味では……」
「なら問題ないね。この話はこれで終わり。さぁ、邪魔をしないでくれるかな? この憩いの時間を」
「エヴァンス様っ!」
リネッタは『いい加減にしてください』とエヴァンスを睨んでいた。
「あぁ、怒られてしまったではないか。ルード君が後日またこちらへ来る予定になっているから、そのときにでも詳しい話をしようか」
「はい……。では、失礼いたします」
「うん。頑張ってね」
ひらひらと手を振り、フレットを送り出すエヴァンスだった。
確かに以前よりは城内の空気は良くなっている感じがする。
ただ、使用人や役人の数が少なすぎるのだ。
その代わり、エラルドたちが幅を利かせていたときよりも、すれ違う人々の表情が明るい。
この国の貴族の半数は地下牢住みとなってしまっている。
その理由は、有力貴族はすべてエラルドの息がかかっていたからかもしれない。
そういう意味では、今後この国は健全なものへと変わろうとしているのだろう。
今まで屋敷への出入りの商人から衣食住にかかわる物を購入していた。
それは決して安いものではなかった。
だが今は、安くていいものを選んで買うことができる。
家の懐事情にも優しい状態になっているのだ。
今までどれだけいいカモ扱いされていたのだろうと、頭を悩ませたときもあった。
これだけの偉業を、システィアがミリスと同じくらいに心配していたルードがひとりでやり遂げてしまったのだ。
フレットも遊んでいる暇はないのである。
それだけルードに期待されているのだ。
家族の笑顔を作ってくれたルードに報いるためにも、死ぬ気で働くつもりでいる。
屋敷に戻り、皆が帰ってくるのを笑顔で迎えようと、フレットはただ思ったのだった。




