第二十三話 最善のお仕置き。
二章、ついにクライマックスです。
鳴かせてみよう ホトトギス。
約束の日になった。
部屋を出たときはまだ陽は上がっていなかった。
約束の時間は昼ということだったが、ルードとイリスは早めにエヴァンスに会いに行くことにした。
というより、エヴァンスの体力が少し心配だったのだ。
ルードはウォルガードで栄養のあるものを作ってきた。
それは非常時に使おうと思っていた味噌。
それをヘンルーダにわけてもらった米を焚いて、おにぎりにして味噌を塗り表面を焼いたもの。
味噌味の焼きおにぎりだった。
イリスにも絶賛されたこれであれば、栄養も高く、味もいい。
焼いた味噌の香が食欲をそそるから、弱った身体にもいいと思ったのだ。
エヴァンスの部屋は地上三階にある。
前に来たときもルードはイリスに抱きかかえられてここまで来たのだった。
今日もイリスに抱きかかえられると、イリスはジャンプ一番。
あっさりと一息に飛び上がってたどり着いてしまう。
飛び上がるときも着地したときも足音を立てない。
物凄い隠密性だった。
気配を消しながらここまできたのだが、エヴァンスは窓を開けてくれた。
「ルード君、イリスさん、おはよう」
「よくわかりましたね?」
「えぇ、驚きました」
「これくらいできないとね、国王なんて勤まらないんだよ。とはいっても、久しぶりに緊張というか、興奮して寝られなかったんだ」
前に会ったときよりエヴァンスの血色は良さそうに見える。
まるで何かが楽しみで眠れない子供のように楽しそうだった。
「ところでルード君、こんなに早くどうしたんだい?」
ルードは鞄から例のものをだしてもらう。
イリスから受け取ると、器から焦げた味噌のいい香りのするおにぎりをひとつ取り出した。
「これなんですが。作ってきました。体力をつけてもらおうとおもったのですが」
「──助かるよ。毎食足りなくてね。もう大変だったんだよ」
ルードからひとつ受け取ると、その香ばしい香りに驚く。
「何やらとてもいい香りだね。食欲をそそるというか。どれ。むっ。お、おぉ。これはうまい。塩気だけではなく、旨みも凄いね。これ、麦ではないのだろうけど何だろうか?」
「これは米という穀物なんです。僕が頼んで作ってもらっています」
「これはうまいね。噛んでると甘味が出てくる。この外側についているものと凄く合うね。……もうひとついいかな?」
「はい。いくらでも食べてください」
「久しぶりに食べ物がうまいと思ったよ。いつも麦が少し入ったスープくらいしかなくて、力が出なくてね」
おにぎり自体はその昔、違う世界でだが兵糧として食べられたほど優秀な食べ物だ。
力を維持するのに必要な栄養素が含まれているため、力を必要としているエヴァンスの身体にはいいものだろう。
エヴァンスは、四つほど作ってきた焼きおにぎりをぺろりと平らげてしまった。
「いやぁルード君。助かったよ、これで私は戦場にいけるというものだね」
「そうですね。今日が本当の勝負ですから」
表の空はうっすらと白く明るくなってきている。
二人は伯父と甥というより同じ敵を相手にする戦友みたいなものなのだろう。
エヴァンスとしては今朝を除いてゆっくりと眠ることができていた。
英気を養うこともでき、これから決戦を迎えることになるのだ。
「そういえばルード君。君たちは昼までどこに隠れているつもりだい? ここには侍女がそろそろ呼びに来てしまうかもしれないのだけれど」
「それは簡単です。僕はフェンリルなので、特別な力を持っているんです」
エヴァンスは自分の甥とはいえルードを、違う強大な力を持つとても頼りになる存在に感じている。
こんな成人前の少年だというのに、どんな騎士よりも心強い。
「この前の魔法以上に、凄い力を持っているだなんて。どうしてあの愚弟からこんなに優秀な子が……」
「いえ、僕はエリスレーゼママの子ですから」
ルードは胸を張ってそう言うのだ。
「では、準備をしますので」
いったいどんな準備をするというのだろうか。
エヴァンスは王という立場でいながら、ルードの力に興味があったのだ。
ルードは深呼吸すると、一気に力を解放する。
ルードを中心に、城全体を白い霧が覆ってしまう。
『伯父さん以外の人は、僕とイリスを気にしないでください』
あとはこの状態を無理をしない程度に維持すればいいだけ。
その程度であれば暫くは保つことができるのだ。
「何だい? 今の感じは」
「僕の『支配』の力です。あの豚を『ぶひぃ』と鳴かせるための準備みたいなものですよ」
「ほほぅ」
「大事な話をするんですよね? そのとき僕は、伯父さんの後ろで見させてもらいますので」
「あぁ。期待していてくれ。あいつの高くなった自信を根元から叩き斬ってやるからね」
この伯父にしてこの甥。
血は繋がっていないが、イリスから見たら実にそっくりだった。
意地っ張りで負けず嫌い。
それでいてこうと決めたら突き進む感じ。
それは悪い意味ではなく、できるのだろうという安心感というか。
そのあたりが二人は似た感じがしたのだ。
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そろそろ侍女がエヴァンスを呼びに来るだろう。
そんな時間になっていたのだ。
エヴァンスが言った通り、ドアがノックされると侍女が入ってくる。
それは人間の女性ではなかった。
犬人だったのだ。
精一杯の笑顔でエヴァンスに挨拶をする。
その首には悲しいものがつけられていた。
そう、『隷属の魔道具』だったのだ。
「おはようございます、エヴァンス様。今日はお顔の色もいいみたいですね」
「おはよう、リネッタさん。そうだね、最近身体が軽い感じがするね」
「そうでございますか。今日は大事な用があると言っていましたが、大丈夫なのですか?」
リネッタと呼ばれた女性は、ルードたちの目の前を通り過ぎて窓を開けて明かりを取り入れる。
「外もいい天気のようです。きっといい一日になると思いますよ」
リネッタは振り返ってエヴァンスに笑顔を見せた。
「では、お時間になりましたらお迎えにきますので」
「あぁ、いつもすまない」
「いえ。これが私の仕事ですので」
朝食と着替えの準備が終わると、リネッタは一度部屋を出ていく。
彼女が出て行ったあと、エヴァンスは嬉しそうに彼女のことを話してくれた。
「彼女はね、僕がもう長くないからとあいつが寄こしたんだ。最初は怖がっていたけれど、じきに笑顔を見せてくれるようになった。彼女はかいがいしく私の世話をしてくれてね、本当に頭の下がる気持ちでいっぱいだよ」
「『隷属の魔道具』、ありましたね」
「あぁ、私では外すことができないんだ。実に歯がゆい気持ちだよ。……そういえば、彼女、ルード君たちに気づいていなかったね」
「えぇ。これが僕の力です」
「本当に大したものだね。目の当たりにすると驚いているのを隠すので精一杯だったよ」
このように、ルードとエヴァンスは色々な話をしていた。
エヴァンスが即位してから今までのことをルードに話してくれた。
ルードもいかにして今の自分があるのかを思い出すようにエヴァンスに話した。
どっちにしてもエラルドは二人にとって共通の敵だ。
いくら親族でもいくら弟でも許すわけにはいかない。
どのようにしてかはわからないが、エヴァンスを亡き者にしようとしていたのはエラルドなのだろう。
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エヴァンスは迎えに来てくれたリネッタにに支えられるようにして玉座に座った。
リネッタは頭を下げて、奥へ戻っていった。
その玉座の裏にルードとイリスがいるのに、エヴァンスの目の前にいるエラルドとその取り巻きは気づいていないようだ。
「兄様、本日は顔色が良さそうに見えますね」
「あぁ、今日は幾分楽なんだ。なので、今日のうちに大切なことを宣言しておこうかと思ってね」
エラルドの醜い顔は歓喜の表情へと変わっていく。
ここまではエラルドの筋書き通りだったのだろう。
「では、退位を決断されたということですね?」
エラルドはエヴァンスの言葉を待った。
エラルドの取り巻きもまた、嬉しそうな表情で現国王の退位の宣言を待っていたのだろう。
ただ、今日は違っていた。
実におかしい。
エラルドは自分の目を疑った。
エヴァンスは自分の両の足でしっかりと立ち上がったのだ。
「皆には迷惑をかけたね。この通り私は元気になった。これからはより一層民のために励もうと思っている」
「……馬鹿な」
エラルドは腹の奥から絞り出すように怨嗟の言葉を紡いだ。
「どれだけこの日を待ったと思っているんだ。……仕方ない。お前たち、ここならだれも見ていない。国王は乱心した。捕らえるんだ」
そのとき、ルードの声がその場に響く。
『腹這いになって伏せろっ!』
エラルドたちは一斉に飛び跳ねるようにして腹這いになっていった。
なぜ自分たちがこのような恰好になったのか、まったくわかっていないようだ。
「……イリス皆を縛り上げてっ」
「かしこまりましたっ」
エラルドを含め、取り巻きの五人の手足を一斉に縛り上げる。
身動きが取れないのだから容易いことだった。
「驚いた。これがルード君の力なんだね。私には『伏せてくれませんか?』という感じに取れたのだが」
「はい。やっとです。『僕たちを認識しろ』。僕の家族に近い人には『お願い』くらいにしかならないんです」
「ほほぉ。それは興味深いね」
うつ伏せになった状態で手足を縛られて身動きの取れないエラルドの目に、ルードたちの姿が映った。
忘れもしない。
エルシードに瓜二つの少年が目の前で見下ろしているのだ。
「え、エルシードっ! お前死んだはずではないのかっ? 私がこの手で階段に叩き落したはず……」
「語るに落ちましたね。エヴァンス国王、これがあの事件の真相です」
「あぁ。悲しいが、申し開きもできないだろうな」
「そんな、私が確かに……」
ルードはエラルドをしっかりと見下ろしたまま、最後の言葉をかけた。
「美しくも凛々しいエラルド殿下。お忘れですか? 僕はあなたが森の奥深くに捨てた双子の兄の方ですよ」
「……なん、だ──」
ルードはエラルドを見下ろしながら、命令した。
『お前はぶひぃとだけ鳴いていればいいんです』
「……ぶひ? ぶひぃっ! ぶひ、ぶひいぃいいいいいっ!」
ルードは『ぶひぃ』と鳴いたエラルドを見て、両手を握りしめ、天を仰いだ。
その頬からは涙が伝っていた。
「ママ、クレアーナ。やったよ。やっと鳴かせることができたんだ」
エヴァンスは腹這いになって豚の鳴きまねをしているエラルドを見て、涙を流しながら笑うのを我慢しているようだった。
「これがルード君なりの引導の渡し方なんだね。実に見事としか言いようがない」
「はい。やっとです。エルシードの敵をとり、ママとクレアーナへされたことへの恨みを返してやりました。僕はこれで満足です。……あ、イリス。リネッタさんたち、獣人の人をここに連れてきて。そこで鳴いてる豚の縄を解いてくれる? もう逃げられないからね」
「かしこまりました」
イリスがエラルドの手足の縄を解く。
ルードが命じたままだったので、うつ伏せになったまま身動きは取れないようだ。
『隷属の魔道具、知っていますね? その鍵を取ってきなさい。これから連れてくる獣人たちの枷を解き放ちなさい』
いまだに『ぶひぃ』としか文句が言えないエラルドは、自分の意志に反して鍵を取りに下がっていった。
「いや、実に見事だね。なんていうか、笑いを堪えるので精一杯だったよ」
「僕に敵対心を持ってなければここまでうまくはいかないんです。この力は万能ではないのですから」
「なるほどね。ルード君の力は、平和的解決にしか使えないということだね」
「はい。そうなりますね」
エラルドが鍵を持って戻ってきたようだ。
同時に、犬人の女性が三人、イリスに連れられてやってきた。
皆最初は驚いていたが、エラルドが魔道具を外すと三人は喜んでいいのか悩んでいるようだった。
「今まで待たせてすみません。今日から貴女たちは自由です。僕がこれからのことは面倒みます。イリス、先にヘンルーダさんのところへ連れて行ってくれるかな? 送り届けたら戻ってきてね」
「はい。ルード様」
イリスは三人を連れてこの場から退席する。
そのときリネッタは、ルードとエヴァンスに深々と礼をしてからイリスについていくのだった。
ルードはエラルドと年配の二人の首に魔道具をぶら下げた。
鍵をエヴァンスに渡すと、エヴァンスは迷うことなく鍵を閉めた。
「さて、お前たちには、三食と軽い運動は保証しよう。自らの足で地下牢へ行くように。ルード君、力を解いてくれていいよ。もし逃げるようなことがあれば、この者たちはその場で処断する。これが最後の温情だと思うがいい」
エヴァンスがそう告げると、ルードは力を解いた。
自由に動けるようになったエラルドとその取り巻きは、皆両の肩を落とし、俯いたまま動かなかった。
「何をぼさっとしている。さっさと地下牢へ行かないかっ!」
国王として、凛とした声でエヴァンスは命令をする。
皆、エヴァンスを見た。
冗談を言っているような目でないことがわかると、とぼとぼと歩き始めたのだった。
ルードはその場でぺたんと座り込んでしまう。
「あはは。やっと終わりました」
「お疲れ様、ルード君。本当にすまなかった。いや、ありがとう」
「いいんです。僕はこれだけのために頑張ってきたんです。念願かなってやっと『ぶひぃ』と鳴かすことができたんです」
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ルードとエヴァンスはこれからのことを話し始めていた。
「ミーシェリア商会を始め、獣人を欲のために買って虐げていたと思われます、貴族と商家の主は僕が押さえつけました」
「……おそらくはエラルドの息のかかった者たちなのだろう」
「そうだと思います。エヴァンス伯父さんに任せますよ。僕もお手伝いしますので」
「それは助かるよ。これからが大変だと思う」
「えぇ、でもこれで獣人と人間が安心して暮らせる国になってくれるのであれば、僕は協力を惜しみませんから」
次回が二章エピローグになります。




