第二十二話 あの豚の野望を砕くために。
遠い記憶の中にしか憶えのない、あの醜いエラルドとは似ても似つかないエヴァンスの優し気な顔。
ルードはベッドから起きることができないエヴァンスの傍に座って彼の顔を見た。
「エヴァンス国王、いえ、伯父さん」
「私を伯父と呼んでくれるんだね。ありがとう。あの愚弟の息子とは思えないほどの優しい子なんだね。エルシードを守ってあげられなくて、すまなかった。私は十年ほど前から身体が弱り始めていて、あの愚弟に逆らうことが難しかったんだ。もう長くない。ベッドから動くこともできないんだよ。ただ生きているだけの、お飾りの国王でしかないんだ。実権はもうあの愚弟が握っているようなものだからね」
「僕は、あの豚の息子ではありません。エリスレーゼの息子ですから。そこで相談なのです。いえ、あの男への一番の制裁だと思うことがあるのです」
「何だい? 言ってごらんなさい。私にできることなら協力するよ。国を滅ぼすかい? それもまたいいのかもしれないね」
「いえ。僕があなたを治します。元気になれば、あの男が王位に就くこともないでしょうからね」
「それは本当かい? そうであれば、私はあの男に好きなようにはさせるつもりはない」
「では少し調べさせてもらいますね」
「すまないね……」
ルードはエヴァンスからどのように身体が弱っていったか。
現在どのような症状が出ているのか。
その情報をルードの記憶にある知識と照らし合わせていく。
ルードの推論が出た。
エヴァンスを気遣い、ルードはイリスに近寄って小声で話し始めた。
「イリス」
「はい」
「当たりだよ。これ、病気じゃない。毒かも……」
「そうでしたか」
「多分、少量の毒を長い時をかけて、身体を蝕むように与えられていたのかもしれないどこからこんなものを……」
「そうですね。わたくしも予想ができません」
「お願いがあるんだけど」
「なんなりとお申し付けください」
「僕、全力でやらないと駄目かも。だから、倒れたらお願いできる?」
「かしこまりました」
ルードはエヴァンスのもとへ戻った。
「伯父さん」
「何だね?」
「約束してほしいんです。身体が良くなったら、国を立て直すと。獣人への迫害をやめると」
「そうか。エラルドはやはりそんなことをしていたのだね。隠れて何かをやっていると思っていたら……」
「はい。この王宮にいる獣人以外は僕が助け出しました。それらの貴族や商家の主は僕が拘束しています」
「そうかい。もし私が、元気だったあの頃のように戻れるのなら。私はルード君の期待に添えるよう、力を尽くすことを約束するよ」
「お願いしますね。もし駄目なら、僕はこの国を滅ぼさなければいけなくなるところでした。伯父さんがあの男と同じであれば、そうするつもりだったのです……」
「心配をかけたね。私はこんな身体だったから、妻をとることもなかったんだ。こんな息子がほしかったよ」
「これからでも大丈夫じゃないですか。僕がそうできるようにしますから」
「ありがとう」
「まだ、何もしてませんよ」
「あはは、そうだったね」
エヴァンスは力なく優しく笑うのだった。
ルードはイリスに目配せをする。
イリスは『ルード様の思うがままに』とルードに聞こえるかどうかわからないくらいの声で囁いた。
口の動きを見たら、そんなことを言ってるような気がした。
ルードはエヴァンスの手を握る。
「準備はよろしいですか?」
「あぁ、もし失敗してもかまわないよ。もう諦めていたんだ」
「失敗なんてあり得ません。僕がやるんですから」
「自信家だね。いいことだと思うよ」
「僕がママも治したんです。大丈夫ですよ。では、いきます」
ルードは今できる最大限の治癒の魔法を発動させる。
『癒せ。万物に宿る白き癒しの力よ。我の願いを顕現せよ。我の命の源を、すべて残らず食らい尽くせっ!』
エヴァンスにもその物騒な詠唱は恐ろしく感じた。
甥の真面目な表情を見てしまうと、心配するしかなかったのである。
魔法が発動する。
ルードの手からエヴァンスの手に優しく、強い光が走っていく。
それがエヴァンスの身体を包んでいった。
それは今までで一番長い魔法の発動時間だっただろう。
ルードも以前に比べれば、ウォルガードでの鍛錬で力が増大していたはずだ。
それでも額に脂汗を浮かべながら、顔色が悪くなるほど力を使い尽くしてしまうほどだった。
それだけエヴァンスの身体は、酷く蝕まれていたのかもしれない。
ルードは魔力の行使をやめる。
やめるというより、力尽きたという感じだろうか。
イリスは瞬時に近寄り、ルードを抱きかかえた。
「ルード様……。無理をしすぎですっ」
「あはは。いいじゃない。エヴァンス伯父さんも僕の家族なんだ。家族が困っていたら助けるのが当たり前だよ……」
エヴァンスは驚きを隠せなかった。
身体の底から湧いてくる、この力はなんだろうか。
今まで侍女の支えなくして身体を起すこともままならかった。
それがどうしたことか。
楽に自分で身体を起すことができた。
それどころか、自分の足で立って歩けるのではないかというくらいに、身体が軽いのだ。
「こ、これはどうしたことか……」
「とにかく、悪いものはすべて排除できたと思います。あとは栄養をたっぷりとって、休めば大丈夫でしょう。イリス、あれを出してくれる? 知ってるよ、こっそり持ってきてるでしょ?」
「……ばれていたのですね。はい。これですね……?」
イリスが持ってきた鞄から出したもの。
それは、『フェンリル印の温泉まんじゅう』だったのだ。
きっとこっそり食べようとイリスが持ってきていたのだろう。
「そりゃそうだよ。匂いでわかっちゃう。伯父さん、これ僕が考案したお菓子だけど、栄養価が高いから食べてみて」
「ありがとう。いただくとするよ」
エヴァンスは一口齧ってみる。
ゆっくりと咀嚼し、喉へ通していく。
小豆には必須アミノ酸を含む良質なたんぱく質がある。
そこに糖質が加わるのだ。
栄養の高さで言えば、これも悪くないはずなのだ。
「なんという優しい甘さ。このようなものを食べたのは初めてだよ。ありがとう。身体に力が湧いてくるようだ」
「大げさなことを言っちゃ駄目です。こんなのおやつでしかないんですから」
ルードは力なく笑った。
「とにかく、今は食べて体力を戻してください」
「約束しよう。数日は死にそうなふりを続けてみるよ。七日後にもう一度、そうだね昼くらいに来てくれるかい? そのとき、あの愚弟に引導を渡してあげるよ」
「駄目ですよ、引導を渡すのは僕の役目です。それを優しく見守ってくれるだけでいいんです」
「あはは。わかったよ。それなら私はその傷口に塩を塗り込むとしよう。では、またあとで会おう」
「はい。伯父さん、無理しないようにお願いしますよ」
「無理をしたルード君に言われたくないかな?」
ルードとエヴァンスは笑いあっていた。
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イリスは王宮を出ると、そのままルードを背中に乗せてウォルガード近くまで走ってきていた。
ウォルガードに入ると、そのままリーダの屋敷まで連れて行く。
ルードをベッドに寝かせると、徐々に表情が和らいでいくのを感じる。
ここは大気中の魔力が多い。
ここであれば、ルードの回復が早いと思ったからだった。
ルードが目を覚ました。
身体の力がもう戻っていて少し驚く。
「あ、おはよう。イリス」
「おはようございます。侍女たちに作らせたものですが、お召し上がりください」
それは綺麗に透き通ったスープだった。
ルードは身体を起してベッドの横に座り直す。
器を受け取るとゆっくりと冷ましてからひと口。
根菜と肉の旨みが体に沁みるようだった。
「……うん。美味しい」
「それはよかったです。侍女たちも喜ぶことでしょう。それよりもどうですか? 力は戻っていますか?」
「うん。もう大丈夫。ここ、ウォルガードでしょ?」
「そうです。わかりますか?」
「そりゃそうだよ。こんなに回復が早いし。それに、他に侍女さんがいるとこってないんだもの」
「わたくしの判断で連れてきてしまいましたが、六日後には戻らなくてはならないのでしょう?」
「六日後って、ここまで一晩で?」
「足の速さだけは、フェルリーダ様に勝ったことがあるのです」
イリスは自慢げに胸を張って『褒めて』と言わんばかりにドヤ顔をしていた。
「うん。凄いや。イリスは。僕はここまで一気に走ることもできないからね」
「それはそうです。ルード様はまだ成人していないのですからね」
「僕もそうなれるのかな?」
「いずれわたくしなど比べ物にならないほど、立派になられると思っています。足の速さ、攻撃の強さがすべてではありませんから」
イリスは自分が弱いとでも言いたいのだろうか。
ルードが強くなるとは言わない。
フェリシアも攻撃に特化した力の持ち主ではないのをルードは知っている。
それでも女王を立派に努めているのだ。
エヴァンスも優しく、それでいて力強さのある目をしていた。
王の器とはなんだろう。
ルードは改めてわけがわからなくなる。
「さて、と。イリス、戻ろっか」
「今しばらくお休みになったら戻りましょう」
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イリスの背中に乗ってルードたちはエランズリルドへ戻る途中だった。
「イリスはどう思う?」
「何がですか?」
「僕の伯父さん」
「立派な方だと思いますよ。毒なのか薬なのかはわかりませんが、ぎりぎりまでああして頑張られたのです。自分が悪いわけではないのに、ルード様に謝られたあの優しさも含めて」
「うん。『豚』のお兄さんとは思えないよね」
「母親が違うようですね。エヴァンス殿は正妻の子のようですね」
「なるほど、側室の、なんだね。豚はある意味すべての面においてコンプレックスを感じていたということなんだね」
「こんぷれっくす、ですか?」
「んー、嫉妬とか、妬みとか。自分にないものを持ってる人を恨んだりする。って言葉のことかな?」
「言われてみればそうかもしれませんね。わたくしだって、少しは持っていますもの。そういうものは……」
「そうだよね。僕だって」
何気に傷の舐めあいをしながら進んでいく少し似た者同士の二人だった。
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「(これは結構厄介だね。具合の悪いふりをしなければならないし、食事の量も少ないときてる。これではなかなか体力を回復しようにもね)」
エヴァンスはルードとの約束を守るために体力の回復に努めていた。
彼は正妻の子であり、第一王太子だったため、王位を継承することになった。
王位を継承した次の年だった。
エヴァンスは執務に張り切りすぎたのか、熱を出して寝込んでしまった。
そのときは間もなく回復したのだが、どうしても体調が優れない日々が数日続いた。
年々老いていくように体力が削られていく。
まだ三十半ばを過ぎたあたりだというのに、この体調の悪さ。
エヴァンスは何となく気づいていたのだ。
自分には身近に政敵がいるということを。
そして、自分には味方がいないということも。
それでも自分が王である間は必死に頑張らなくてはならない。
これも民のためと重い身体を引きずりながら耐えていたのだ。
昨年の暮れあたりから、酷いときは一人で歩けないほどになってしまっていた。
ほんの数日前、珍客が現れた。
それも皆が寝静まった深夜にである。
その人物は白い髪の少年だった。
それも消えたと言われたエリスレーゼの息子だった。
自分が庇うこともできなかったエルシードの双子の兄だという。
あれは本来であれば庇うことができたのだ。
身体が反応はしたのだが、一歩も動けなかった。
あのとき既に、自分の身体を何かが蝕んでることに気づいていた。
エルシードを死なせてしまったのは自分の失態だと思っていた。
ルードと名乗ったエルシードの兄は自分を信じてくれたのだ。
それもこんなに不甲斐ない張り子の王をだ。
ルードは持てるすべての力をエヴァンスに注いで治癒をしてくれた。
あっという間に病の原因が取り払われたようだ。
かつての力を取り戻せたように、内から湧いてきたのだ。
これで立たなければ男ではないだろう。
エヴァンスはルードと約束した日までに何とかして体力を取り戻さなければならない。
とにかく眠って体力を回復するしかないだろう。
目を瞑って眠る努力をしようとするのだが、エヴァンスはこの先楽しみで仕方がない。
この状態であれば、妻を迎えることができるのだ。
家族が手に入るかもしれないのだ。
ルードはエヴァンスのことを家族だと言ってくれた。
嬉しいのは嬉しいのだが、ルードは自分の息子ではない。
あんな愚弟にこの王位を渡すわけにはいかなくなった。
元々死んでも仕方がないと思っていたのだが、今度は死ぬ気で頑張ってこの国を立て直さなければならない。
それはルードとの男と男の約束。
絶対に違えることはできないのだった。




