第十八話 獣人たちの救出。
案内された部屋は、貴族の関係する者が宿泊することもあるのだろう。
落ち着いた感じの立派な部屋だった。
広くて調度品もかなりのものを使っている。
「ごめんね、イリス。一緒の部屋にしちゃって」
「いいえ。わたくしこそ、よろしかったのでしょうか?」
「うん。色々話すこともあるからね。この方が便利でしょ?」
「そうでございますね」
「とりあえず、荷物はここに置いて着替えるとしますか。イリス、着替えお願いできる?」
「はい、かしこまりました」
イリスに荷物から服を受け取って、着替えようとしたのだが。
笑顔でルードを見ていたイリスの視線が気になってしまう。
「あの、ちょっと恥ずかしいからあっち向いててもらえる?」
「あ、す、すみませんでしたっ」
ルードはウォルガードで着ていたリーダに作ってもらった服に袖を通した。
さすがにイリスが着替えているときは風呂場に籠っていた。
着替えが終わるとルードたちは宿から出てきた。
往来を歩く人々と違和感がないようにも思える。
この姿であれば、あちこち歩き回っても不審に思われることはないだろう。
貴族街を歩きながら、ルードは人間以外の匂いを探す。
クレアーナを助けたとあの日もそうだったが、あちこちから匂いを感じる。
その中でも一番近い匂いを辿った。
匂いは貴族街の外れにある場所。
比較的大きめの屋敷からきていた。
そこからは確かに犬人の匂いがするのだ。
ルードは屋敷を見て、ため息をついた。
「……イリス、ここからが本番だね」
「はい。ルード様」
「いっちょ助けにいきますか」
「はい」
犬人の匂いのする屋敷の前に着く。
ルードは匂いで中の状況を把握しようとする。
「人が十人。犬人がひとりですね。どうされますか?」
イリスに先を越されてしまって苦笑いをする。
貴族街だけあって貴族の家なのだろうか。
それとも商家か。
比較的大きい屋敷のようが、イリスの実家に比べれば半分以下だろう。
屋敷の庭から見える範囲に使用人の姿が見える。
ルードは声をかけてみることにした。
「あの。すみません」
ルードの呼びかけに使用人と思われる男が気づいた。
こちらへ歩いて近寄ってくる。
ルードは考えた。
敵意さえなければ『お願い』が効くかもしれない。
左目の奥に力を込めておく。
使用人の男がルードに話しかけた。
「当屋敷にどのようなご用件でしょうか?」
「僕は『ミーシェリアからの紹介で』来たのですが、ご主人はご在宅でしょうか?」
「そうでしたか。少々お待ちくださいませ」
暫く待つと屋敷の扉が開き、執事と思われる初老の男が出てきた。
『ミーシェリアからの紹介で』という言葉と、今のルードの強制力で疑うことがなかったのかもしれない。
「旦那様がお会いになるそうです。こちらへどうぞ」
ルードたちは怪しまれることなく屋敷に入ることができた。
ルードは平然としていたが、イリスは警戒を怠らない。
それに気づいたルードはイリスに笑顔を向ける。
「大丈夫。準備は終わってる。いつでも使えるからさ」
「そうでしたか。安心しました」
「ほんと、心配性なんだから」
屋敷のホールを抜け、奥にある部屋に通される。
「旦那様、ミーシェリア商会の方をお連れいたしました」
「入ってもらえ」
執事がドアを開けた。
そこにいたのは、太った偉そうにしている五十代くらいの男。
指には趣味の悪い指輪を。
身なりは派手な装飾の服。
綺麗に禿げ上がった頭とミスマッチで似合わないどころではない。
「ここは大丈夫だから、犬人さん連れてきてくれる?」
「はい、かしこまりました」
もちろん目の前にいた男はルードの態度に驚く。
それはそうだろう。
目の前にいるのは少年一人。
この屋敷の主人である自分に会いに来たはずが、自分を無視し始めたのだから。
嫌でも怒りが込み上げてくる、ルードに向かって怒鳴ろうとしたときだった。
『あー、めんどくさいから座って黙っててください』
この屋敷の主人は自分の意志に反して、椅子に座って言葉を出せなくなってしまう。
ややあってイリスが戻ってきたのだが、何やら悲壮な表情をしていた。
「どうかしたの?」
「あの、いたにはいたのですが」
何やら言い出しにくそうな感じがあった。
ルードに近づくと、手を引いてどこかへ連れて行こうとする。
この館の当主は椅子に座ったまま身動きが取れないようだから、とりあえず置いていくことにした。
地下へと続く階段を降りていく。
そこには使用人の部屋か何かに見える扉が数個存在していた。
イリスはとある扉の前に立つと、振り向いて真剣な表情になった。
それは今までにない悲壮な表情。
「ルード様。お覚悟はよろしいでしょうか?」
「……うん。何があっても驚かない」
ルードはまだ十五歳にもなっていない少年だ。
それはルードが予想もしていない、とても残酷な現実だったのだ。
「何があっても驚きませんね。約束ですよ?」
「はい。大丈夫、です」
イリスは扉を開ける。
そこにはベッドがあるだけで他には何もない部屋だった。
そのベッドに座っていたのは、犬人の若い女性。
だが、その姿は左手を骨折しているかのように添え木がされており、首から布で吊っている状態だったのだ。
「あの、お仕事をさぼってしまうと、また殴られてしまうのですけれども……」
その女性は顔や足にも青あざが見られるのだ。
それでも健気に働こうとしている。
「イリス、ごめん。僕、考えてなかった。こんな、こんなことが……」
「ルード様、落ち着きなさい。これは予想できることだったのです。ルード様はこのような現実を直視しながらこの先進んでいかなければならないのですから」
「軽く考えていた僕が馬鹿だった。そうか、こういうことが起きているんだ。イリス、僕が治療するから」
「わかりました。ルード様」
「はい」
「もっと悲惨なことがこの先あるかもしれません。ですが、あなたはこれくらいで落ち込んでいる暇はないのです」
「わかってる。粛々と事を進めるよ。まずはこの人の処置をしてからだね」
「そうですね……」
頭の中がどろっとした感じになり、気持ち悪くなってくる。
残りの人はもしかしたら手遅れな状態になっている可能性だってあるのだ。
それを考えると、余計に気持ち悪くなっていく。
ルードは世の中の汚いことも知らないといけない。
それをどうやって自分の中で消化していくか、それが必要なのかもしれないのだ。
『癒せ。万物に宿る白き癒しの力よ。我の願いを顕現せよ』
詠唱が終わるとルードの手を起点とし、女性の折れているであろう腕から身体全体に光で包まれていった。
「これ……、魔法、ですか?」
「うん。全部治すから、じっとしててくれる?」
光りが収束していくと、ルードは無理に笑顔を作った。
「これで多分大丈夫だと思います」
「あれ? 痛くありません……。ありが、とう、ございま──」
女性の目から涙が零れ落ちてくる。
「僕はあなたをここから救い出すことができます。どうしますか?」
「……帰れるんですか?」
「はい」
「帰り、たいです。お願いし、ます」
「わかりました。僕たちに任せてください」
ルードは立ち上がる。
これ以上この女性を放っておくことはできない。
元凶を何とかしないと駄目だ。
ルードはこの女性を連れて、館の主の場所へ戻ることにした。
途中、女性の顔は不思議そうにしていた。
「あの」
「何でしょう?」
「私、犬人なのになぜ、人間のあなたが助けてくれるんですか?」
「あぁ、言ってませんでしたね。僕はふたつの種族の混血ですが、これでも獣人なんです」
「そうでしたか。嬉しいです。殴られても、誰も助けてくれないんです。ただ、私が犬人だから、私が倒れてしまうと自分たちが殴られるとでも思うのでしょう。包帯などをわけてくれるだけだったのです……」
「遅くなってすみません。忘れることなどできないでしょうけど、立ち直れるまでお手伝いするつもりです」
「……あの、なぜそこまでしてくれるんですか?」
ルードは深く呼吸をして、一気に吐き出した。
「……それは、僕が失敗したから」
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すれ違うこの屋敷の使用人たちは、ルードたちを気にしていない。
ルードが『支配』したのかそれとも『お願いを聞き入れた』のだろう。
この状況では動きやすくなっているのは間違いない。
ルードは屋敷の主の部屋に戻ってきた。
あれからかなり時間がかかっていたはずだが、身動きができていないようだった。
入ってきたルードを睨みつけているが、ルードはまったく気にしていない。
それどころか、ゴミでもみるような目でその男を見ていたからだった。
『この部屋だけで動けるように、返事だけはできるようにしてあげましょう。大声は出せませんよ』
すると、やっと言葉が出せるように、身動きがとれるようになったようだ。
「それはこの間買った獣人ではないか。どうするつもりだ? 儂に何をしたのだ?」
「そんなことに応える義務はありません。『隷属の魔道具』の鍵を出して解除しなさい」
「それこそ聞く義務などはない。それは儂の所有物だ。人間のくせに貴族であるこの儂に逆らうつもりか?」
ルードはひとつため息をついた。
『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』
ルードがそれを唱えると、黒い霧に一瞬包まれ光が漏れるとともにイリスよりも速く姿を変える。
「この姿を見て、まだ僕が人間だと思いますか?」
「……獣人だったのか」
「獣人が弱いだなんて、くだらない。あなたはその弱い獣人の逆鱗に触れたのです。それでもまだ、同じことが言えますか?」
犬人の女性は、物凄く驚いていただろう。
ついぼそっと呟いてしまっていたのだ。
「まさか、フェンリル様だったなんて……」
「そうです。あ、服従のポーズはやめてくださいね。僕はフェンリル。ウォルガードの者です。さぁ、鍵を出しなさい。あなたも伝説はご存知でしょう? 一瞬で国ひとつ消滅させた、あの話を」
ルードはその黄金色と真紅の両の瞳でジロリと睨んだ。
「…………」
フェンリルのおとぎ話を知っているのだろうか。
男は声が出せないほどの状態になっていた。
「それとも、この場で消滅させましょうか?」
もちろんルードにそんな力はない。
だが、今まで自分に何が起きていたか、何をされていたかを考えれば十分なハッタリになったことだろう。
男はふんぞり返っていた机の引き出しから鍵を一本出した。
「こ、これでよろしいのでしょうか?」
圧倒的な存在感の違いを感じ取ったのか、口調まで変わってしまっていた。
ルードは瞬時に人の姿に戻った。
少年の姿で改めて男を睨んだ。
オッドアイの目を見れば同一人物だとわかるだろう。
「イリス、女性を近くに」
「はい、かしこまりました」
「戒めを解きなさい」
男は震える手で、女性の首にかかっていた『隷属の魔道具』に鍵を刺し、軽くひねった。
鈍い音がすると、その戒めから解き放たれる。
女性の表情が少しだけ和らいだように見えて、少しだけルードの気持ちも楽になっていくことを感じた。
ルードは男から鍵を奪い取り、女性の首にかかっていた魔道具を男の首へかけて鍵をかけた。
「あなたに命令をしておきます。僕たちの存在を流布することを禁じます。この国が変わっていくのを大人しく見ていなさい」
男は自分の首にかけられた魔道具を触り、呆然としていた。
「僕はこの国をひっくり返すでしょう。その後もあなたが貴族でいられたらいいですね。ではごきげんよう」
ルードは踵を返すと、部屋から出ていく。
イリスも女性を連れて、ルードの後に続いた。
そこには呆然とした男が残っているだけだった。
屋敷を後にして、人気のいない場所まで来るとルードはため息をついた。
「あなたのお名前は?」
「はい。リリエラと申します」
「ではリリエラさん、あなたは最近売られてきたと聞きましたが、まさかこの国の周辺の集落なのですか?」
「はい。ここから北へ数日行った森の手前に集落はあります」
「もしかして、こんな感じの男に攫われたりしませんでした?」
ルードはクロケットを攫った男の特徴をリリエラに話した。
「はい、そんな感じの人間の男性でした」
「──すみません。僕がその男を放置したばかりに……」
「いえ、あなたが悪いわけではないのです。私のいた集落は森の中にあるわけではないので、このようなことが度々あったので、気を付けるようにはいわれていたのですが……」
「とにかく、一番近い僕の知り合いの集落で預かってもらおうと思っています。このまま送り届けるのが一番なのでしょうけど、まだ他にも助け出さないといけない人たちがいますので」
「いいえ、こうして助けていただいただけでもありがたいのです。本当に助かりました。あのままいたら、どのようなことになっていたか……」
「ルード様、そろそろ」
「うん。イリス、僕たちを乗せて行ってくれるかな?」
「はい、かしこまりました。少々お待ちください『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』」
イリスは呪文を唱えると、緑色の美しいフェンリルへと姿を変えた。
「……あの、フェンリル様に服従の──」
おそらく服従のポーズのことだろうとルードは思った。
「やめてください。僕たち、慣れていないんです」
正確にはルードだけが慣れていないのだ。
リリエラは少し残念そうな表情で。
「……そうですか」
ルードとリリエラを乗せたイリスは、エランズリルドの闇を駆け抜けようとしていた。




